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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

窓を開く言葉 「介護は工夫」という光源

2016年11月17日 02時36分26秒 | 障害者の自立

 これまで連載では、重度の障害を持つ私が必要な介助を得ながら、社会の中で自分の暮らしを作っていく過程と、なぜひとり暮らしを実現したいと考えるようになったかの背景を書いてきました。

 「生きる」といっても、常に人工呼吸器を使い、3度の食事は胃瘻(いろう)からの経管栄養、指先以外の動作すべてに介助が必要な人が、実際にどのような暮らしをしているのか。日頃、身近で関わる機会がある人なら分かることでも、一般的には「大変そうだ」と漠然としたイメージが先行して、具体的に知る機会も少ないのではないかと思います。そこで今後は、筆者の暮らしぶりを一例として紹介する【生活編】を随時織り交ぜて、航海日誌を書き続けていこうと思います。

 何らかの障害でベッド上生活を送る人には、少しでも暮らしの工夫の参考になれば。今、介護の必要なく暮らしている人には、将来、自分や身近な人が重い体の不自由に見舞われたとき、「ああ、それなりに生活していけるのかもしれないなあ」と思える手がかりになれたらうれしいです。

痛めやすい。ガラス細工の体と向き合って

 生活編、初回は「入浴」です。

 公的な介護サービスの一つに「訪問入浴介護」があります。入浴に全面介助を必要とする障害者に、実施事業者が訪問入浴車を派遣し介助を行います。看護師1人とヘルパー2人のチームで訪問して、組み立て式の簡易浴槽と給排水するポンプを居室に持ち込み、車載のタンクか自宅の浴槽からホースでお湯を引いて入浴介助を行います。私も障害が重くなり自力で座ることができなくなってから、このサービスを利用していました。

 寝たきりで全介助が必要な人でも、自宅で安全に入浴ができるように考えられたシステムなので、対象となるほとんどの人はこのサービスを利用して快適な入浴を実現していると思います。しかし私は体の拘縮が強いため、居室で組み立てた浴槽までベッドから移動するとき、膝や腰を痛めてしまうことがたびたびありました。

 今、振り返ると、がちがちに体が固く、ガラス細工と言ってもよいほど体を痛めやすい私を、この浴槽に入れるスタイルで入浴させること自体が至難の業だったと思います。重労働ともいえる入浴介助。サービスを利用したのは4年ほどでしたが、とくに夏の暑い日に、大汗をかきながら風呂に入れてくれた姿が忘れられません。困難な介助を引き受けて、力を尽くしてくれたスタッフの皆さんには感謝しています。

 体を痛めると治るまで1、2週間ほど安静にしないといけませんが、動かさないことでさらに体は固くなります。関節の可動域が狭まって暮らしにくさが増す悪循環は避けなければなりません。

 痛めることの恐怖心もあり、やむなく入浴は中止して、しばらくは清拭(せいしき)(タオルで体を拭くこと)のみで過ごしていました。もう風呂に入ることも望めない体になってしまったのか……。そう思うと暗い気持ちになりました。

方法を前向きに探る。あきらめない心

 しかたがないのかな……。と諦(あきら)めかけていたとき、前稿でも触れた在宅医で主治医の川島孝一郎先生(仙台往診クリニック)に相談してみました。今から10年前、在宅医療を受け始めたばかりの頃です。

 そこで先生が言われたのは、

 「在宅介護は何でも工夫していくんです」
 「入浴も工夫をすれば必ずできるようになりますよ」

 という力強い後押しの言葉でした。

 今までできていたことが、一つ一つ、できなくなる経験を重ねていくと、本人も周囲の人も、機能喪失の痛みに向き合うために、我慢するのがスタンダードになってしまって、萎縮(いしゅく)してものを考えがちです。

 変えられないことを受け入れることも、生きる上での賢明な態度ですが、十分に変えられる余地があり、受け入れなくてよいことでも「無理だ。しかたない」と早々に諦める見切り癖は、日々を生きる活力を削(そ)ぎます。本人の生活力を引き出す可能性を閉ざす結果につながりかねません。

 落ち込んで希望が閉ざされそうになったとき、窓を開く言葉が気持ちを引き上げてくれることがあります。「介護は工夫」という先生の言葉は、諦めないで入浴を希望し続ける力になりました。

 生き生きとして
 希望する
 それはすべてのことに
 テコとして
 はたらいていく

 その後、先生から区の障害者支援の窓口にもつないでいただき、区の保健師、市の障害者更生相談所(現在は、障害者総合支援センター)の職員、訪問看護師、ヘルパー、福祉用具会社の担当者と、多職種の支援者が加わって、どうしたら安全に入浴が実現できるのかを一緒に考えてくれました。

 公的な社会福祉の制度や仕組みというのは、必要な支援が対象者に漏れなく届くように考えて設計されるものですが、人間の暮らしには個別性があります。一人一人置かれている状況が異なるなかで、既存の支援の枠組みを杓子(しゃくし)定規に適用してしまうと、支援の手からこぼれ落ちてしまうケースも出てきます。そうしたとき本人、行政を含めた支援者が「しかたない」と諦めてしまうのは簡単です。しかたがないと決めつける前に、方法を前向きに探る姿勢は大切なことではないでしょうか。

新しいスタイルでの入浴が実現する

 なぜ、入浴が困難なのか。

 その理由の一つは、浴槽までの移動に危険が生じるため。

 二つ目は、担当介助者の入れ替わりの多さによって、私の介助に熟練できないためです。

 そこで、解決策として、ベッドの上から移動させず入浴できる工夫をして、日常の訪問看護と介護で来ている熟練した担当者が入浴介助する体制をつくり、安全を確保することにしました。

 必要な道具を揃(そろ)え、訪問看護と居宅介護の組み合わせで、看護師1人、ヘルパー2人体制で行う実際の介助の流れも取り決めました。

 【現在の入浴スタイル概要】

  • 看護師が体温・血圧・脈拍など体調の確認をして、入浴可能な状態であれば、開始します。
  • まず、介護ベッドの四方に専用の柵を巡らし、その後、体を3人で持ち上げながら、柔らかく丈夫な防水シートを敷き入れて、簡易浴槽を作ります。
  • お湯は台所の蛇口に直接シャワーヘッド付きのホースをコネクターで接続し浴槽まで供給できるようにして、シャワーで浴槽に溜(た)まる洗い湯は、家庭用ポンプを使って自宅浴室の排水口に流せるように準備します。
  • 洗髪、洗身(仰向(あおむ)けで上半身、下半身、横を向かせて背中)、シャワーで温まってから上がる準備に入ります。
  • 洗い湯の排水をポンプとタオルで行いながら、体も拭いていきます。柵を外し、再び3人で体を持ち上げながら防水シートを抜き取ります。そして服を着せて、浴後の体調の確認をして、完了です。

 新しいスタイルでの入浴を初めて実施する日は、実際に問題なく入浴ができるのかと不安がありましたが、1時間半以上の時間がかかったものの無事に風呂に入ることができました。

思いと工夫が集まって「できない」を「できる」に

 諦めかけていた入浴が叶(かな)ったときの嬉(うれ)しさは格別でした。

 風呂やシャワー浴の代わりに、タオルで体を清拭したり、洗髪や部分浴(手や足、デリケートゾーン)をまめにするなら、衛生的な不都合はある程度カバーできるでしょう。しかし日常において、風呂に入れるか入れないかは、生活の質を左右する大きなウェートを持っています。シャワーを浴びてさっぱりする。こわばった体が温かく解(ほぐ)れていく。その気持ちの良さはかけがえのないものです。

 めったにない、何か特別な時間を過ごすのも心躍る素敵(すてき)さがありますが、生活の基本ともいえる、ご飯を食べる。風呂に入る。排泄(はいせつ)をする。部屋をきれいにする。外に出かける。人と関わる。自分の時間を持つ。などが日々継続して行えること。それは人生を豊かに生きるための基盤になるのではないかと思います。

 私一人、もしくは家族だけで考えていたなら、自分の暮らしに「入浴」は失われていたでしょう。本人、家族、医療と介護の支援者、福祉行政の支援者、多くの人の思いと工夫が集まって「できない」を「できる」に変えたこの入浴実現の経験は、必要な介助が得られるなら、重い障害を持っていても生活をつくっていけると信じられる。私の光源になっています。

 できるんだ
 なんとかなるんだ
 太陽のような呼びかけに
 こころの皺が
 伸ばされていく

 今、暮らしの中の
 細やかな希望が
 彩りとなることを
 感じている
 生きて、いるからだ

 筋ジストロフィーの詩人 岩崎航の航海日誌  2016年11月16日


<女性教諭>知的障害の子3人の口を粘着テープでふさぐ体罰

2016年11月17日 02時27分17秒 | 障害者の自立

 ◇福島県教委が処分へ

 福島県立の特別支援学校で50代の女性教諭が授業中、知的障害のある子ども3人の口を粘着テープでふさぐ体罰をしていたことが15日、県教委への取材で分かった。県教委は女性教諭を処分する方針。

 県教委によると、先月中旬、担任を務めるクラスの3人に対し、発声や発音の訓練をする授業中、ガムテープや養生テープで口をふさぐ体罰をしていた。校内を巡視していた教頭が目撃して、すぐにやめさせた。女性教諭は、県教委などの調査に対し「鼻で息をすることを覚えさせるためにやった。申し訳ないことをした」と話している。

 特別支援学校に赴任した今年4月以降、同様の体罰を計3回、繰り返したという。同校は担任から外し、3人の保護者に謝罪した。女性教諭は、先月末から体調不良を理由に休職しているという。

 また、女性教諭は調査に対し「歩くのが遅い子どもの背中を押した」「頑張らせようと思い、肩をたたいた」とも話し、県教委はこれらの行為も体罰に当たるかどうかを調べている。

毎日新聞   11月16日


支援学校教諭、発声指導で生徒の口に粘着テープ

2016年11月17日 02時24分05秒 | 障害者の自立

 福島県教育委員会は15日、県立の特別支援学校で50歳代の女性教諭が知的障害のある生徒に発声などの指導をする際、生徒の口に粘着テープを貼るなど不適切な行為があったと明らかにした。

 県教委は教諭の処分を検討している。

 県教委によると、女性教諭は10月中旬、発声と鼻での呼吸を指導する際、生徒3人の口に粘着テープを貼って練習させた。教諭は学校に対し、「指導の一環でやった」と説明、以前にも複数回にわたり粘着テープを使ったと話したという。

 特別支援学校では、鼻での呼吸を指導する際、生徒の同意を得たうえで教諭が手で生徒の口を押さえたり、マスクを着用させたりすることがあるという。だが、粘着テープを使うことに、県教委の担当者は「指導上絶対にあり得ないことだ」と強く否定している。

読売新聞   11月16日


【講師のホンネ】働く意義は「社会とのつながり」持つこと 紺野大輝

2016年11月17日 02時14分31秒 | 障害者の自立

 私は生まれつきの障害を持ち15年間の会社員経験を生かして、就職を目指す障害者を支援している。障害者就労支援事業所などで面談する機会も多く、まず初めに働く理由を尋ねる。どんな理由が多いと思うだろうか。収入を得るため、生活費のためだというのが多いと思う。ところが実はこんな声もある。

 「私は障害年金をもらっています。実家で暮らしているので、正直お金には困っていません。生きていく程度の蓄えならもう十分にあります。けれど、働きたい。社会と関わっていなければ何のために生きているのか分からなくなるからです」

 人間は社会的動物だ。誰かの役に立ちたいという強い欲求を持っている。自分のためだと頑張れなかったり、あきらめたりすることもあるが、誰かのためと思うと力が湧き、生きる喜びにつながる。これは障害を持つ人もそうでない人も同じだ。

 このことはぜひ障害を持つ従業員の教育・人材育成でも生かしてほしい。障害者の仕事は、バックヤードでの仕事や事務作業などあまり目立たない単調な仕事になることもある。しかし、そのような時でも「誰のどのような役に立っているか」を具体的に伝えると、従業員は高いモチベーションで仕事に臨むことができる。

 例えば「あなたが事務をしてくれるおかげで、周りの人は負担が減り本来の業務に集中できる。その結果、売り上げも伸びている」と伝えると、自分の役割が明確になる。立ち位置がわかれば、どうすればより良い仕事ができるかを考え、工夫するようになる。さらに「この仕事はあなたに任せる」と責任を与えるとさらに強い動機付けになる。どんな仕事も必ず意味があり、誰かの役に立っている。それを伝えてほしい。

 「今までは周りの人に『ありがとう』を言うばかりの人生でした。しかし、働くようになって初めて『ありがとう』といわれるようになりました」

 このように仕事の喜びを語ってくれる人もいる。障害者の雇用は、労働力の確保や法定雇用率の達成だけでなく、「社会とのつながりを提供する」という大きな価値もある。

【プロフィル】紺野大輝

 こんの・たいき 1976年、北海道生まれ。生まれつき脳性まひという障害を持つ。現在は、従業員1700人の企業の人事部に勤務し、障害者の採用やマネジメントに携わる。現役の会社員として働く傍ら、障害者雇用の研修や就労支援を全国で行う。講演回数は250回を超える。「全国・講師オーディション2015」にて、「奨励賞」を受賞する。

紺野大輝

2016.11.16    SankeiBiz


子どもの力を信じて 書家の金澤泰子さん講演

2016年11月17日 02時07分05秒 | 障害者の自立

 ダウン症の書家として知られる金澤翔子さん(31)の母で書家の金澤泰子さん=東京都=の講演会が15日、伊那市荒井のいなっせで開かれた。壇上に翔子さんの作品を飾り、「天使がこの世に降り立てば~ダウン症の娘と共に生きて」と題して講演。障害者の子を持つ母親としての苦しみや、2人でダウン症を乗り越えてきた道のりについて語った。

42歳のときに授かった子が障害を持っていると分かり、「今の時代と違い、30年前はダウン症であることを隠して育てていた。医学ではダウン症は治らず、奇跡を願うしかなかった」と当時の苦しさを語った。

翔子さんが普通学級への進学を断られた際は「社会の中で私たちは生きていけないというコンプレックスがあり、死んでしまいたいほどに苦しかった」といい、10歳の翔子さんに無謀と思いながらも半年間、般若心経を毎日10回以上書かせた。「2人で苦しい時間を生きるために、翔子はあのとき、書の基本を身に付けた」と振り返った。

翔子さんの初個展をはじめとする多くの業績を紹介し、「私たちは社会で得てしまった観念で生きているが、翔子は学歴社会に入らず、競争心が養われなかった。(作品には)みんなに喜んでもらいたいという純粋な気持ちがあるだけ」と娘の生き方や作品の魅力について語った。

30歳から1人暮らしを始めた翔子さんについて笑顔で話し、「無理だ、できないと思うのは親側の幻想。過保護にならず、子どもの力を信じてやらせて」と障害者の子を持つ母親らに呼び掛けた。

講演会は市教育委員会が主催する市人権同和教育講座の一環。300人以上の人が聴講した。

金澤翔子さんの書道作品の横で講演する母の泰子さん

 2016年11月16日    長野日報