ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

促進、定着へ意見交換 県や支援機関など /鳥取

2018年06月20日 11時27分01秒 | 障害者の自立

 障害者の一般就労促進を考える「県障がい者雇用推進会議」が、県庁であった。支援機関や商工団体などの代表らが、県が今年度末までの目標に掲げている雇用創出1000人達成に向け、福祉的就労からの送り出しや職場定着について話し合った。

  県によると、県内で一般企業に就職した障害者は昨年度659人と増加傾向にある。一方で離職者も469人(前年度406人)と増えていて、職離れ予防が緊急課題だ。

 会議では、就職に向けた訓練をする「就労移行支援事業」をもっと活用できる仕組みをつくったり、企業側の採用への不安を軽減できるよう情報発信をしたりする必要があるといった意見が出た。

 会議は、これまで設置していた庁内担当者らの「県障がい者就業支援推進協議会」と外部有識者による「県障がい者雇用推進実施会議」を統合した。

毎日新聞   2018年6月19日 

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第2部 共に歩む/2 障害者支援の源流に 情熱の医師との出会い

2018年06月20日 10時53分13秒 | 障害者の自立

 1975年6月1日、大分県で第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)が開幕した。当時皇太子ご夫妻の天皇、皇后両陛下は大分市営陸上競技場での開会式に出席された。梅雨入り前の快晴。陛下は「困難を乗り越え、この大会に参加された皆さんの姿が、多くの身体障害者に希望と励ましを与えると思います」とあいさつした。

  海外17の国と地域から選手約200人を迎えたフェスピックは、資金の多くに寄付金を充てるなど草の根の力で開催された。両陛下はアーチェリーや陸上などの競技を観戦し、選手と和やかに言葉を交わした。選手宣誓をした吉永栄治さん(78)は「両陛下の出席で大会は注目され、盛り上がった」と振り返る。

 「手作り」の大会に両陛下が出席した背景に、実行委員会事務局長を務めた別府市の整形外科医、中村裕(ゆたか)さんとの親交がある。障害者スポーツの発展に精力的に活動していた中村医師が両陛下と初めて会ったのは60年代初め。英国で開かれた「国際ストーク・マンデビル大会」に出場した日本人選手と、選手を率いた中村医師を、陛下は東宮御所に招いた。陛下が名誉総裁を務めた64年の東京パラリンピックでは中村医師が選手団長を務めた。

 65年10月、中村医師は障害者が働く施設を別府市に設立する。「障害者に仕事は無理」「働かせるのはかわいそう」という考え方が根強く残る当時、「保護より機会を」の信念で障害者の社会参加に奔走した。「太陽の家」と名づけたその施設を両陛下は66年に初めて訪ねた。その後も太陽の家の関連施設の訪問を続けている。

 81年9月29日夜、別府市のホテルで「障害者の雇用」をテーマにした懇談会が開かれた。中村医師の他、ソニー創業者の井深大氏、オムロン創業者の立石一真氏、ホンダ創業者の本田宗一郎氏らが参加。中村医師から障害者雇用の意義を説かれ、協力した経済界の重鎮たちだった。

 この懇談会に「第1回全国豊かな海づくり大会」への出席のため大分に滞在していた両陛下も参加した。陛下の発言が記録に残る。「学校の教育だけでは身障者と健常者が仲良く暮らしていける気持ちを育てるのは難しい。学校教育と家庭が一緒になって区別のない社会を作り出すことが大切ではないでしょうか」

 中村医師の妻廣子さん(79)は「夫は誰に対しても並外れた熱意をぶつける規格外の人だった。障害のある人とない人の共生を目指した熱意を、陛下は受け止めてくださったのだと思う」と振り返る。

 陛下が示してきた障害者に寄り添う姿勢。その源流に、福祉の発展に生涯をささげた人物との出会いがあった。

 中村医師は84年に57歳で急死。陛下は皇后さまと連名でお悔やみの言葉を届けた。「大変おしい方を亡くされて残念です」

 2015年10月、太陽の家の創立50周年式典が別府市で開かれた。フェスピックで宣誓し、太陽の家で働いた吉永さんは「大きな希望に向かって走り続けた」と、中村医師と過ごした日々を記念スピーチの中で語った。両陛下はこの式典にも出席し、スピーチに拍手を送った。吉永さんは「陛下のあたたかいまなざしに、多くの人が力づけられてきた」と話す。=つづく

 1975年6月1日、大分県で第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)が開幕した。当時皇太子ご夫妻の天皇、皇后両陛下は大分市営陸上競技場での開会式に出席された。梅雨入り前の快晴。陛下は「困難を乗り越え、この大会に参加された皆さんの姿が、多くの身体障害者に希望と励ましを与えると思います」とあいさつした。

  海外17の国と地域から選手約200人を迎えたフェスピックは、資金の多くに寄付金を充てるなど草の根の力で開催された。両陛下はアーチェリーや陸上などの競技を観戦し、選手と和やかに言葉を交わした。選手宣誓をした吉永栄治さん(78)は「両陛下の出席で大会は注目され、盛り上がった」と振り返る。

 「手作り」の大会に両陛下が出席した背景に、実行委員会事務局長を務めた別府市の整形外科医、中村裕(ゆたか)さんとの親交がある。障害者スポーツの発展に精力的に活動していた中村医師が両陛下と初めて会ったのは60年代初め。英国で開かれた「国際ストーク・マンデビル大会」に出場した日本人選手と、選手を率いた中村医師を、陛下は東宮御所に招いた。陛下が名誉総裁を務めた64年の東京パラリンピックでは中村医師が選手団長を務めた。

 65年10月、中村医師は障害者が働く施設を別府市に設立する。「障害者に仕事は無理」「働かせるのはかわいそう」という考え方が根強く残る当時、「保護より機会を」の信念で障害者の社会参加に奔走した。「太陽の家」と名づけたその施設を両陛下は66年に初めて訪ねた。その後も太陽の家の関連施設の訪問を続けている。

 81年9月29日夜、別府市のホテルで「障害者の雇用」をテーマにした懇談会が開かれた。中村医師の他、ソニー創業者の井深大氏、オムロン創業者の立石一真氏、ホンダ創業者の本田宗一郎氏らが参加。中村医師から障害者雇用の意義を説かれ、協力した経済界の重鎮たちだった。

 この懇談会に「第1回全国豊かな海づくり大会」への出席のため大分に滞在していた両陛下も参加した。陛下の発言が記録に残る。「学校の教育だけでは身障者と健常者が仲良く暮らしていける気持ちを育てるのは難しい。学校教育と家庭が一緒になって区別のない社会を作り出すことが大切ではないでしょうか」

 中村医師の妻廣子さん(79)は「夫は誰に対しても並外れた熱意をぶつける規格外の人だった。障害のある人とない人の共生を目指した熱意を、陛下は受け止めてくださったのだと思う」と振り返る。

 陛下が示してきた障害者に寄り添う姿勢。その源流に、福祉の発展に生涯をささげた人物との出会いがあった。

 中村医師は84年に57歳で急死。陛下は皇后さまと連名でお悔やみの言葉を届けた。「大変おしい方を亡くされて残念です」

 2015年10月、太陽の家の創立50周年式典が別府市で開かれた。フェスピックで宣誓し、太陽の家で働いた吉永さんは「大きな希望に向かって走り続けた」と、中村医師と過ごした日々を記念スピーチの中で語った。両陛下はこの式典にも出席し、スピーチに拍手を送った。吉永さんは「陛下のあたたかいまなざしに、多くの人が力づけられてきた」と話す。

 

 ■ことば

国際ストーク・マンデビル大会

 パラリンピックの前身とされる国際的な障害者のスポーツ大会。英ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院のルードウィッヒ・グットマン医師が、第二次世界大戦で負傷した兵士のリハビリにスポーツを取り入れたことに始まる。1948年、同病院でアーチェリー大会が開かれ、52年には他国も参加して国際ストーク・マンデビル大会になった。64年の東京大会で「パラリンピック」との名称が使われ、後に定着した。

毎日新聞      2018年6月19日

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障害者労働への安全配慮義務違反、認めず

2018年06月20日 10時39分18秒 | 障害者の自立

 2014年5月、知的障害と学習障害があった男性(当時18)が自殺したのは、勤務先の会社が障害への配慮を欠いた労働をさせていたのが原因で安全配慮義務違反・注意義務違反があったとして、男性の両親が約8千万円の損害賠償を求めた訴訟で、静岡地裁浜松支部(上田賀代裁判長)は18日、「安全配慮義務注意義務の前提となる予見可能性があったとは認められない」として請求を棄却した。

 死亡したのは浜松市西区の鈴木航さんで、出勤途中に貨物列車に飛び込んだ。父親の英治さん(53)と母親のゆかりさん(51)が、自動車部品製造販売会社の富士機工湖西市)を相手取り訴えを起こしていた。

 裁判で原告は「携わっていたプレス機の作業が航の能力を超える過重なもので、会社は航に障害があることを認識して採用したにもかかわらず、その障害特性に応じた配慮をしていなかった」と主張した。

 判決は「能力に比して過重」であることを認め、「心理的負荷は大きかった」と指摘。自殺する前日に航さんの作業していたプレス機が止まる出来事があったことも考慮し、「うつ病などの精神障害を発症していた可能性もないとはいえない。様々な証拠から業務以外に自殺の原因となる要因は見当たらず、業務に対する心理的負荷が自殺を招いた」と認定した。

 ただ「プレス機の作業開始から2週間と短く、(航さんが)停止した出来事に責任を感じて思い悩む様子もうかがえず、様子に特段かわったところはなかった」として「業務が自殺を招き、うつ病などの精神疾患や精神障害を発症させる心理的負荷になることを被告が予見すべきであったとは言いがたい」として原告の主張を退けた。

 判決後会見した英治さんは「『バカはバカなりに努力しろ』といった発言が上司からあったことや産業医や専門家に相談しなかったことなどが裁判で明確になった。障害者に何の配慮をすることもなく、自殺と業務の因果関係が認められても最終的に会社に非がないというのはどういうことか」と述べた。ゆかりさんは「裁判を通し、航が一人でつらさを抱えていたことが分かった。裁判で航が大変な仕事をしていたということを認めてくれたのはよかった」と話した。

 控訴するかどうかは代理人弁護士らとよく話し合って決めるという。

 富士機工は「これまでの当社の主張が認められたものと考えています」とのコメントを出した。

写真・図版

判決後、記者会見し思いを語る鈴木英治さん(左)、ゆかりさん夫妻

2018年6月19日         朝日新聞

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名古屋城エレベーター問題で障害者団体が抗議集会

2018年06月20日 10時29分09秒 | 障害者の自立

 木造復元する名古屋城天守閣にエレベーターを設置しない方針を名古屋市が表明したことに抗議する集会が19日、名古屋市内で開かれ、障害者団体などがデモ行進しました。抗議集会では、全国から集まった参加者が中区の久屋大通から北区の名城公園まで約2キロをデモ行進。エレベーター設置の必要性を訴えました。市はこれまでに、新技術でバリアフリーに対応するとしていますが、障害者団体はエレベーターの設置を訴え続けています。

[ 6/19     中京テレビ]

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名古屋城のEV不設置にデモ 障害者団体、各地から参加

2018年06月20日 10時11分52秒 | 障害者の自立

 名古屋市が進める名古屋城天守閣の木造復元事業を巡り、愛知県の障害者団体が19日、エレベーターの設置を求めて市内の中心部をデモ行進し、市役所前で「誰もが上れる名古屋城を」と訴えた。県外からも参加し、約500人が集まった。

 行進に先立ち開かれた集会で、主催団体の斎藤県三共同代表は「エレベーターを設置すれば歴史的建造物ではなくなるというのは、バリアフリーの時代に逆行する」と河村たかし市長を批判。

 DPI(障害者インターナショナル)日本会議(東京)の白井誠一朗事務局次長は「市が率先して差別している。認めたら他地域でも起こる全国の問題だ」と強調した。

 名古屋城天守閣の木造復元事業を巡り、エレベーター設置を求めデモ行進する参加者

2018.06.19         高知新聞

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