ゴエモンのつぶやき

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パラ選手の卵よ、日本を飛び出せ 米国で支援の取り組み

2017年08月31日 02時13分16秒 | 障害者の自立

 障害者スポーツ少年に海外に挑戦する機会を――。2020年東京パラリンピックは25日で開幕3年前を迎えた。そんななか、多様な体験をする機会が限られる障害児向けに、海外活動支援の取り組みが始まっている。日本と海外との障害者を取り巻く環境の違いを肌で感じてもらい、日本の現状を変える人材育成の狙いもある。

 7月、米カリフォルニア州ロサンゼルス郊外の太平洋に面したテニスコートで、明るい日差しを浴びながらラリーをする車いすテニス選手がいた。千葉県浦安市の中学2年生で、全日本ジュニアランキング1位の坂口竜太郎君。相手は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)テニス部で、全米学生テニス協会(ITA)の最優秀新人選手となった柴原瑛菜さん。ボールの音が青い空と海に吸い込まれた。

 このイベントを主催したのは、NPO「B-Adaptive Foundation(BAF)」。障害者アスリートの海外での活動支援を目的に、大リーグ選手会公認代理人として岩隈久志投手らの代理業などをしている星野太志さん(39)が今年、設立した。第1号選手として参加し、初の海外試合にも出場した坂口君は、「アメリカの選手はパワフルでフレンドリーで、一緒にいて楽しい人がいっぱい」と話した。

 日本の大学でアイスホッケー選手だった星野さんは卒業後、米国の大学で経営学を学んだ。米国では、車いすで町を行き交う人は多く、気軽に声を掛け合って必要があれば手助けする光景は日常だった。

 一方で、障害を持つ友人から、日本では車いすで出かける人が少ないと聞いた。「過去1年間に外出を伴う娯楽をしたことがない障害者は4割」という内閣府の調査結果にも驚いた。障害者が外の世界に飛び出しやすい環境づくりのために、自分の仕事を通じて何かできないかを考えた。

 2020年パラリンピックの開催が決まり、障害者スポーツ選手のスポンサーが増え、奨学金もできた。ただ、まだ数は多いとは言えず、特に少年が海外で試合や練習をする機会は限られている。「社会に影響力を持って障害者の環境を変えていけるアスリートを育てたい。そのためにも、スポーツのすそ野を広げたい」と考え、構想を練ってきた。

 柴原さんの父・義康さんが留学先の指導者として協力を申し出た。JTBが大きなスポンサーに、小口のサポーター数社が集まり、取り組みが動き出した。星野さんは「スポーツを通じて多様な経験をして社会のリーダーになれる人が育つ場に」と意欲を語った。

写真・図版

援助を受け、海外での車いすテニスの練習と試合に初参加した坂口竜太郎君(前列右から3人目)

2017年8月29日   朝日新聞


誰にも優しい京都都心図

2017年08月31日 02時03分58秒 | 障害者の自立

 ◇光華女子大・ユニバーサルデザイン研 ◇歩道幅や屋根の有無まで表記

 京都光華女子大(右京区)の学生らが、体が不自由な人や高齢者、育児中の母親ら向けに作成した京都市中心部の冊子型地図「ユニバーサルデザインガイドマップ」(縦19センチ、横14センチ)が、使いやすいと評判だ。銀行やコンビニエンスストアなどよく利用する場所を図示し、歩道の幅や屋根の有無も記すなど、観光客にも役立つ内容となっている。(川崎陽子)

 同大学のサークル「ユニバーサルデザイン研究会」の2年生4人と、同大学短期大学部ライフデザイン学科の井川啓教授が作成。掲載地域は四条河原町、四条烏丸、四条大宮、西大路四条の四つの交差点付近で、現金自動預け払い機(ATM)や自動体外式除細動器(AED)などの場所も示した。

 学生は昨秋から月2回程度、町を歩き回って調査。多機能トイレの場所を調べた大磯佳純さん(20)は「トイレの前に段差があって使いづらいと感じるケースもあり、障害者の視点に立って見ることで不便さに気づいた」と話す。

 約1万部を街頭などで配布したところ、福祉団体や観光協会などから希望する声が相次いでいるという。井川教授は「『ユニバーサルデザイン』とは使う人を特定せず、誰もが使いやすいものを考えること。観光都市の京都で様々な人が利用しやすいものができた」と話す。

 マップは地下通路を加えるなどして更新する予定。今年度中に京都駅周辺のマップも作成するという。

 問い合わせは同大学(075・325・5221)。

学生らが作成した京都市中心部の地図(右京区の京都光華女子大で)

学生らが作成した京都市中心部の地図(右京区の京都光華女子大で)

2017年08月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

障害者の親 死後の不安解消

2017年08月31日 01時56分23秒 | 障害者の自立

 ◇奈良の行政書士 相談窓口

 ◇セミナーや電話 遺産、生活問題支援

 障害のある子、引きこもりの子を残して世を去ったら――。奈良市の女性行政書士が、こうした不安を抱える親の相談に乗る活動を始めた。財産をどのように引き継ぐか、どうやって生活するかなど、切実な悩みに耳を傾けている。(辻田秀樹)

 相談窓口は「あかるいみらい準備室」。奈良市の行政書士、山口まゆみさん(39)が、勤務する法務事務所内に設けた。5月にホームページ(HP)を開いて活動を始め、電話などで相談を受けたり、毎月1回程度、セミナーや相談会を行ったりしている。

 約4か月の間に、幼い障害児を育てる母親らを中心に少しずつ知られるようになり、「いくら資金をためておけばいいか、など参考になった」「エンディングノートと遺言の違いが分かった」といった声が寄せられている。

 原点は、2009年に遭遇した<事件>だった。県内で、重度の知的障害がある長男を育てていた女性が急死したのだ。

 女性は長男名義で多額の貯金などを残していた。しかし、親族に遺産の管理や長男の生活支援を引き受けられる人がおらず、「成年後見制度を利用したい」との相談が、山口さんの事務所に寄せられた。

 山口さん自身も当時、現在8歳になる長男を身ごもり、心身ともに母親になる準備をしていた時だった。「お母さんは必死の思いで資産を残したのだろう」。そう思うと胸が詰まり、目が潤んだ。

 その後、長男を出産し、育休などを経て仕事に復帰してからは、主に起業支援や、障害者の就労支援といった仕事を引き受けるようになった。「障害者や引きこもりの子どもを持つ親をどう支援できるかといった問題意識が、常に心の底にあった気がする」

 障害のある子どもを育てる親の中には、障害者団体などに加わらず、一人で悩みを抱え込んでいるケースが少なくない。また、働いても十分な収入を得ることが難しい子どものため、少しでも多くの資産を残したいという親たちの強い思いを感じるという。

 山口さんは今年に入り、専門家や、医療、福祉、行政機関などと連携できる態勢を整え、相談窓口にした。問い合わせは「あかるいみらい準備室」(050・3579・1642、平日午前9時~午後6時)。

「あかるいみらい準備室」を開いた山口さん(奈良市で) 

「あかるいみらい準備室」を開いた山口さん

2017年08月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

「自立してこその普及」 障害者サッカーが挑む新常識

2017年08月31日 01時34分48秒 | 障害者の自立

ブラインドサッカー協会・松崎事務局長に聞く(上)

ブラインドサッカーは視界が完全に遮られているため、メンバー同士のコミュニケーションが重要になる

(練習する日本代表メンバー、2015年8月撮影)

 ブラインドサッカーは視覚障害を持つ選手による5人制のサッカーだ。選手たちはアイマスクをつけて、専用のボールが出す「音」と、敵陣のゴール裏にいるガイドの「声」を頼りにプレーする。視界が完全に遮られているにもかかわらず、フィールドを駆け、ドリブルし、体同士ぶつかり合いながら、シュートを打つ。

 そんな競技の迫力に加えて、ブラインドサッカーにはもう一つ際だった特徴がある。競技を統括するNPO法人の「日本ブラインドサッカー協会」が自立した運営を成功させているのだ。ほかの多くの障害者スポーツの競技団体が国や自治体からの補助金に頼っているのに対し、独自の事業で活動資金の約3割をまかなう。

 同協会の事務局長として自立運営をけん引してきた松崎英吾氏(37)に自立を目指すようになった経緯と狙いについて聞いた。(聞き手・構成は久我智也=ライター)

■国・自治体からの補助は収入の2割

 ――現在、ブラインドサッカー協会の収入の内訳はどのようになっていますか。

日本ブラインドサッカー協会の事務局長を務める松崎英吾氏

 「約45%が法人からの協賛金・寄付金、約30%が事業収入。残りの約20%が国や自治体からの補助金・助成金です。小学校向けの教育プログラム『スポ育』や、企業向けの研修プログラム『OFF TIME Biz』といった事業を手がけています。ほかにブラインドサッカーで使用する、音が鳴るボールなど競技用品もよく売れています。学校や企業だけではなく、老人ホームなどからも購入いただいています」

 ――障害者スポーツの競技団体の場合、収入の80~90%を官の補助金・助成金で賄っているということも珍しくありません。独自の運営で収入を得ているというのは珍しいのではないでしょうか。

 「ほかの競技については分かりませんが、サッカーについていえば、世界でもまれだと思います。イングランドではプレミアリーグを統括するFA(フットボール・アソシエーション)がブラインドサッカーも統括しています。FAは自分たちのプログラムを海外に導入するために各国を巡っているのですが、そんな彼らでも、日本ブラインドサッカー協会のような運営をしているところは『見たことがない』と言っていました」

 ――「スポ育」や「OFF TIME Biz」はサービスを受ける側にどのような効果があるのでしょうか。

 「私たちはそれらの事業を『ダイバーシティ(多様性)教育プログラム』として位置付けています。ブラインドサッカーを体験することでコミュニケーションスキルやチームビルディング、リーダーシップ、ボランティア精神などを養い、同時に障害者への理解を深めるという効果があります」

[編集注]ブラインドサッカーは、通常80%の情報を得ている視覚情報を遮断して行う。遮断された情報を補うため、他のスポーツなどよりもメンバー同士で声を掛け合うことが重要になる。また、目が見えない状態の人とコミュニケーションを取ることになるので、コミュニケーションの取り方や、そのタイミングなどのスキルが向上する。メンバー同士がお互いのことを考えないとうまく回らないので、チームビルディングにも効果的だといわれている。
 

 「かつて『体験会』と称して小学校を回っていたときは、なかなか理解を得られないこともありました。当時は『ブラインドサッカーを体験すること』が前提にあり、『教育上役に立つ』ということを前面に出していませんでした。ですが実際に体験していただいたある小学校の先生から『体験会というやり方では、役に立つことが伝わらない。学校教育の文脈に合わせて展開した方がいい』と助言されました」

企業向けの研修プログラムOFF TIME Biz」の様子(提供:日本ブラインドサッカー協会)

 「だから現在は『ブラインドサッカーを知ってください』とは、まったく言っていません。あくまでも教育やビジネスに役立つワークショップであり、その副産物として、ブラインドサッカーの普及があると考えています。もちろん20年の東京パラリンピックに向けて、純粋にブラインドサッカーを体験したいというニーズも多少あります。しかし、基本的には『教育や企業研修の制度設計の中の、この部分で活用したい』というニーズを持ってお申し込みいただいています。我々としても、そういう形で関わる方が効果につながりやすいですし、学校や企業のパーツの一部として使っていただく方が20年以降も続いていくだろうと考えています」

 ――一般の方に競技を体験してもらう場合、普及が先に来てビジネス的な観点が欠けてしまいがちです。学校や企業のパーツの一部として使ってもらうという言葉は新鮮に感じます。

 「やはり、こちらから価値を提供しなければヒト、モノ、カネは動きません。以前は『私たちは頑張りますので、お世話をしてください』という形で動いていましたが、そのスタイルを変えたことで事業がうまく回り始めました」

■「混ざり合う社会」目標を明確化

 ――スタイルを変えるきっかけは何だったのでしょうか。

 「2009年に協会として、『ブラインドサッカーを通じて、視覚障害者と健常者が当たり前に混ざり合う社会を実現すること』というビジョンと、『ブラインドサッカーに携わるものが障害の有無にかかわらず、生きがいを持って生きることに寄与すること』というミッションを制定したことです。私は07年に協会の事務局長に就任したのですが、当時は『なんとなく』世界で戦うために強化しよう、そのために『なんとなく』競技を普及させようというように、曖昧な基盤の上で行動する傾向にありました」

 ――競技団体のビジョン・ミッションとして、チームの強化や普及を第一義に置かないのは、少々変わっているのではないですか。

 「おっしゃるように、競技団体はその競技の日本代表チームを組織し、ルールを制定し、競技を広げていくことが本質です。しかし障害者スポーツという分野の場合、障害を持っているために社会で生きにくさを感じている方々を対象としています。そういった人々がより良い人生を送るためにいい影響を与えてこそ、スポーツとして成り立っている意味があると思います」

 「とはいえ、これを決めるまでには議論に1年半ほどの時間を費やしました。スタッフを集めて2日間の合宿もしたのですが、『競技の強化を第一にすべきだ』という意見もあれば、『もっと普及させて、競技を知ってもらうことに重きを置くべきだ』という意見もありました。ただ、腰を据えて話をしてみると、言葉は違っていても、表現したい世界観は非常に似ていたのです。その世界観を『混ざり合う社会』という言葉にしました」

 「この『混ざり合う社会』というのは、マイノリティーである視覚障害者だけを対象に事業を展開しても達成できるものではありません。マジョリティーに対しても働きかけ、そうした人々のまなざしを変え、そして社会のあり方を変えていくことが必要です。ですから我々は、今もマジョリティーの人々を対象とした事業を展開しています。学校向けの『スポ育』や企業向けの『OFF TIME Biz』がそれに当たります」

■試合に勝つだけでは競技の発展ない

 ――明確なビジョンとミッションを制定したことで、協会として進むべき道筋が見えたのですね。

2007年に事務局長に就任した松崎氏が最初に手掛けたのが、ビジョンとミッションの制定だった
(東京都内の日本財団パラリンピックサポートセンターで)

 「はい。言葉に落とし込んだことで、以前は『なんとなく』や『ついでに』していた健常者向けの普及活動も『やるべき』だからやるようになりました。ただ、以前はこうした活動は批判されることもありました」

 ――どのような批判でしょうか。

 「視覚障害者のための協会である我々が、なぜ目が見える人に対してリソースを割くのか、そんなことよりも強化に力を注いだ方がいいのではないかといったようなものでした。言いたいことは分かりますが、私たちはただ『勝てばいい』とは考えていません。日本代表が勝つことによって視覚障害者の雇用率が上昇したり、彼らが社会で生きるうえでの公平性が高まったりするかというと、必ずしもそうではありません。20年の東京パラリンピックが目前に迫っている今は多少状況が異なりますが、『勝てばスポンサーが増える』ということも、以前はなかなかありませんでした」

 「つまり試合に勝つことと、資金調達や普及、競技の価値向上との間には溝があったんです。しっかりとビジョンを策定し、事業を設計し、それぞれの間に橋を架けていかないと、将来的な発展はないと考えたのです。実際、ビジョンを明確にしたことで、こうした議論も起こらなくなっていきました」

(後編では、企業からの協賛金や試合の有料化についての考え方、20年東京パラリンピック以後の戦略について聞きます)

松崎英吾
 1979年9月生まれ。大学生時代にブラインドサッカーに出合う。卒業後は出版社に勤めながら、日本視覚障がい者サッカー協会(現・日本ブラインドサッカー協会)に携わっていたが、07年に会社を辞めて同協会の事務局長に就任。ブラインドサッカーを通して「視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざり合う社会」を実現するために、さまざまな事業を推進している。
 
[スポーツイノベイターズOnline 2017年7月12日付の記事を再構成]
 

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会を訪問

2017年08月31日 01時21分35秒 | 障害者の自立

 パラ陸上の世界選手権で銅メダルを獲得した女子400メートルの辻沙絵選手(日体大大学院)と男子走り高跳びの鈴木徹選手(SMBC日興証券)が29日、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会を訪問し、職員と交流した。辻選手は開催準備の舞台裏を垣間見て「モチベーションが上がった」と笑顔を見せ、「(職員の)皆さんと選手はいい大会をつくろうと思っている仲間。力を合わせて頑張れたらと思う」と呼びかけた。

 12年開催のパラリンピックを契機に障害者スポーツが浸透したロンドンで7月に行われた世界選手権は大きな盛り上がりを見せた。鈴木選手は国内大会でも会場内のビジョンを使った分かりやすい障害区分の紹介や、音楽を使用した演出など工夫が必要だとし「選手自身も会員制交流サイト(SNS)などを使って(観客を)呼び込むことが大事」と語った。

2017年8月29日  サンケイスポーツ