一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ポニョ

2008-08-20 | ネタ

まだ観ていないのですが、『崖の上のポニョ』は面白いそうです。
ぜひ観てみようと思います(多分DVDになってからだろうけど・・・)


主題歌もいろんなところでかけられるのでついつい耳に残ってしまいます。

ところが私が口ずさむとこんな感じになってしまい、周囲の顰蹙を買っております。


ポーニョ ポーニョ ポニョ 崖っぷち
青い顔して やってきた
ポーニョ ポーニョ ポニョ ふくらんだ
債務超過の ○○

私は素直で感動しやすい性質なのですが、最近の経済状況(特に「○○」が日替わりだったりする)や、仕事環境(「サブプライム」はゲイ雑誌の増刊号だと思っている奴がいる)がこうさせるのだと思います。


本作は公式サイトにある宮崎駿氏による解説によると

海辺の小さな町海に棲むさかなの子ポニョが、
人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。
同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。


なぜこの物語を作ったか、そしてアニメーションという形で何を伝えようとしたかが熱く伝わってきます。



ただここでまた、ホントは素直なのですが、何につけ単位に解体して組みなおしてみることが習慣になってしまっている私は、ふとこう思ってしまいます。


ポニョは顔が人間で身体が魚だから宗介とコミュニケーションできたけど、逆だったらどうなったろう?


ちょっと想像するだけで、問題作にはなっても感動作にはならなそうですが、宮崎駿ならそれでなおかつ感動させる作品ができるかもしれません。


でも、この発想は昔からあったようで、私が特にひねくれているわけでもないかと。

マグリット「共同の発明」

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