一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『昭和陸海軍の失敗』

2009-05-09 | 乱読日記
これも前の本と同じつながりで買った本。
(Amazonの思う壺とも言いますね。)

こちらは文芸春秋での座談会を新書にしたものです。

陸軍と海軍にわけで、開戦から敗戦に至るまでのキーマンとなった将軍や参謀をとりあげ、その人物評を語りながら組織としての問題点を分析しています。

陸軍については、(前の本で言及した)藩閥支配からの脱却が極端な成績重視につながり、陸軍幼年学校-士官学校-陸軍大学という世間から隔絶された中で純粋培養されたエリートで中枢を占められていることが指摘されます。
そして人材の登用もその中の人間関係で決められ、適材適所の配置はなされず、開明的・合理的、または指揮官として優秀な人材も主流からはずされます。

二・二六事件以降、皇道派や青年将校に同情的とみなされた人物は中枢にもどることはなく、また、エリートコースをはずれ英米に留学し(当時の陸軍の主流はその見本となったドイツ留学-大正期まで陸軍幼年学校の授業には英語がなかったくらい英米は傍流扱いだった-)結果的に合理的・開明的な思考を身につけた人々も、中枢から遠ざけられてしまいました。
たとえば、硫黄島で有名になった栗林中将は陸軍大学を二位の成績で卒業しながら、中学から士官学校に入学したためか(また、士官学校で歩兵でなく騎兵を専攻するというのも傍流なんだとか)、ずっと傍流を歩んでいます。


一方で海軍についてはさらに辛口です。
曰く
一般に陸軍は頑迷で非合理的組織の典型のように言われ、海軍は先見の明があって合理的だったとされていますが、その神話を切って捨てています。
海軍は人数か少なく身内でかばいあう中で内部のいざこざを外に漏らさない風土があったからだけだった。
三国同盟締結の際にも当初反対した海軍が陸軍に譲歩した最大の理由は便乗して要求どおりの予算を通すためだった。
日露戦争以来の艦隊決戦思想から抜けられず、敵輸送船への攻撃には重きを置いていなかった(撃沈したときのポイントが大きく違った)、一方で自軍の輸送船(兵站)や潜水艦などには力を注がず、作戦も「船を沈めない」ことを最優先とする組織風土があった。
など散々です。

こちらのほうが各論や人物評に細かく入り込んでいるので、読み物としては面白いかもしれません。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『あの戦争になぜ負けたのか』 | トップ | レナウン、その後 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

乱読日記」カテゴリの最新記事