ねじれ国会。 福田康夫です。
(平成20年4月10日配信 福田内閣メールマガジン 第26号)
少なくとも自虐ネタのセンスはあるんだなと思ったら「[タイトル] 福田康夫です。」というのがメルマガの件名になっているようです。
一方で、白川さんの後の副総裁候補として提示した、渡辺博史さんについては、民主党が第一党をしめている参議院の同意が得られませんでした。
(中略)
「財務省出身だから」という理由で、民主党は不同意を決定したそうです。 最も重要なことは、日銀副総裁としての資質を備えているかどうかであって、経歴ではないはずです。
例えば、国会でも、公務員出身の議員の皆さんが、たくさんご活躍されています。これは、有権者が、単に候補者の経歴だけではなく、自分たちの代表として適切かをしっかりと見極めた結果に違いありません。
また、国会議員では、二世議員・三世議員の皆さんがたくさんご活躍されています。
福田首相も二世議員ですが、最も重要なことは内閣総理大臣としての資質を備えているかどうかだということは十分自覚されていることと思います。
現在、民主党は、参議院の第一党です。参議院で意思決定することで、国民生活に大きな責任を負っているはずです。
そして、自民党は依然として衆議院の第一党であり、国民生活により大きな責任を負っているはずです。
物事が決まらない時間切れの政治。拒否権を振りかざすだけの政治。
目先の政局ばかりを意識して、国民不在の政治闘争を続けることは、参議院の第一党という権力の濫用にほかなりません。
これは逆に普通の法案のように衆議院が優越していればそれを振りかざすことが出来たのに、という無念さの現われでしょうか。
しかし、国民から見れば、「ねじれ国会」だからといって、政治を停滞させる理由にはなりません。
私は、いかなる課題についても、野党の皆さんと話し合う用意があります。そして、「ねじれ国会」のもとでも、国民にとって最善の結論を得られるよう、今後ともねばり強く、できる限りの努力をしていく覚悟です。
多数決だけとるのが国会運営ではないわけで、小沢代表がいかに無茶を言おうと、説得や交渉や世論へのアピールを駆使して目的を達成するのが国民生活に責任を負う内閣総理大臣の仕事であり、そういうことが出来ることが内閣総理大臣としての資質なのではないでしょうか。
ひと段落ついた時点で過ぎたことに対してウジウジ文句を言うというのは、Political Correctnessが浸透する前だったら「オ○ナの腐ったような」と形容されたことでしょう。
もっとも女性からはフレーズへの批判以上に「腐ったとしてもこうはならない」という文句が出てきそうですが・・・
また結果を出すのが責任者の仕事であり、「できる限りの努力」をすればいいというものではないと思います。内閣官房長官じゃないんだから。
また、今までの成果が福田首相の「出来る限り」だとするならば、次の選挙までに有権者に「しっかりと見極め」られることになると思います。
すでに小沢一郎には見極められてしまっているようですが・・・
「さすがに小沢一郎はやりすぎ」というふうに世論の流れが変わるまでは何も出来ないというのでは困ったものです。