一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ミシュランガイドへの京都人のコメント

2009-11-15 | よしなしごと

今日の朝日新聞のオピニオン欄に「ミシュラン、おいでやす」というミシュランガイド京都・大阪版への京都の人のコメントが載っていました。

面白かったのが千宗守さん(武者小路千家14代家元)のコメント

京都の文化は、何層にも分かれています。私らはせいぜい2層の使い分けですが、人や世代によっては4層、5層にも分かれている。ところが、「ミシュラン」はその第1層、表層の部分だけで評価してます。京都が仕掛けている「一見さん」のワナにはまりました。

元々京都の人間は、店で宴会するというようなことをしてません。自宅に客を招き、亭主自ら台所に立って差配した。それがもてなしやったんです。もちろんそこに助(すけ)する業者もいたでしょう。
その意味で「菱岩」「堺萬」といった、今回「ミシュラン」の評価から外れた仕出屋こそが昔ながらの京都らしさを伝える料理屋だと思います。

精進料理で、禅宗の伝統を受け継ぐ名店「大徳寺一久」が、「ミシュラン」に出ていなかったのが印象的でした。砂糖や調味料に慣れきった舌では、あの「大根漬け」をおいしいとは思えないでしょう。

「ミシュラン」はドライバーの、未知の土地を行く旅人のためのものです。京都版もそういう人にとって、おいしいと感じられる店を並べている。これは文化ではなく文明の尺度で選んだスタンダード。旅人を迎える京都の顔と割り切れば、一貫性、客観性はあります。少なくともこの本の掲載店で「あんさんの口にあうもんやおまへん」という(入店を断られる)目には遭わないでしょう。

京都のビジネスモデルというのは、地元も含めて物価水準を高いレベルに維持してお金を循環させておいて、外から来る人にしっかりお金を払わせることで結果的に地元が豊かになるという特徴があるのではないかと思っているのですが、それを裏付けてくれるようなコメントだなとひとり納得。

ミシュランに載っているのは一見さん用のお店なので、深く入り込めばもっと面白いものがありますよ、というのも一つの京都の罠といえるかもしれません。
具体的な店名をあえて出す必要のない文脈で店名を出しているところなど。


「星いくつ」などという分かりやすさの対極にある奥深さが京都の魅力なわけで、単純にランキングされることに抵抗があるのは分かりますが、そのうちこの新たな「権威」も上手く取り込んでいくのではないかと思います。



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