一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『医療の限界』

2012-01-12 | 乱読日記

著者の小松秀樹氏は出版当時の2007年は虎ノ門病院泌尿器科部長、現在は亀田総合病院泌尿器科顧問(参照)で『医療崩壊』(未読)などの著書で医療に対する過剰な「安心・安全」の要求と法的責任の追及、そして現行の医療制度に警鐘を鳴らしている人です。

本書は著者の問題意識を新書版にまとめた本。

前半は医療行為についての刑事責任の追及の問題点について、かなりの部分を割いています。
著者は司法関係者は医療行為の無謬性についての思い込み、医療行為自体に存在するリスクについての無理解があると指摘します。   

ある知人の弁護士が、「医師が初めての医療を指導者なしにやることは許されない」と言いました。しかし、実際には、創始者がいて、免許皆伝を受けた人から弟子、弟子からまた次へ教え伝える、医療の世界はそうなっていません。一つの手術の広まり方というのはこうです。まず誰かが最初にやってみる。詳細な報告が論文になる。その論文を読んで、あるいは実際にその人の手術をみて次の誰かがやる。学会で経験者が集まって議論する。創始者も批判の対象であり、創始者のやり方が無条件に受け入れられることはありません。創始者が指導に行くこともありますが、ただやってみせただけで、指導とはとてもいえません。しかも、新しい技術は創始者も上手ではありません。・・・新しい技術を指導者をよんで教えてもらうということは、制度的には用意されていない。ですから、同時にいろんな場所で同じことが行なわれるようにならざるを得ません。  

通常、創始者により後のグループの中からもっと上手な人が出てきます。そして回数を重ねるほど、参入グループが増えるほど改善されていく。法律家は、免許皆伝モデル、とでもいうようなものにとらわれていますが、そんなものはありません。

一方で著者は現在の医師の教育システムにも問題があり、医療事故を見ると、医師の技量が未熟であっることが原因である場合も多いことも認めています。

現行の研修制度は、医師の技量所向上に結びついていない。医局制度、大学内での論文数優先の評価、研究医と臨床医の進路の混在などで有効に機能しておらず、さらに、医療費抑制の要求を受けた診療報酬制度なども加わって、医師にとっても(大学)病院が自らの技量の向上に結びつかない魅力の乏しいものになってしまっている、と指摘します。   

過酷な勤務と過大な責任、加えて、患者からの攻撃に意欲を失い、多くの医師、看護師が病院勤務を離れつつある。  

そして著者は、医療事故調査機関を作り、そこに紛争処理や検察・行政への告知する機能を持たせるべきと主張します。  

このような制度の是非について私は評価する知識がないのですが、確かに医療については医療費抑制のために市場原理を導入べきという意見と、公共財としてのサービスの充実やその期待の裏返しでもある無謬性の要求の間をことあるごとに揺れ動いているように感じます。  


上の新しい医療行為についての記述を読むと、確かに技術の進歩というのはこうやって進んでいくものだと思います。そして、全ての手術技法に資格制度のようなものを作るわけにもいかないでしょう。 
また、一人一人病状が違う生身の人間に対する医療行為で100%安全ということはないと思います。
 
一方で、そうはいうものの、患者にとってみれば自分の生死(または手術の成功・不成功)は確率論ではなく結果が0か100かという問題がかかっているので、できるだけ「名医」に診察や手術をしてもらいたい、少なくとも自分のときには完璧な対応をして欲しいと思うのも当然で、この理屈と感情のズレをどう折り合いをつけていくかに問題の根源があるように思います。

とはいうものの、これが難しい。
気持ちの整理もそうだし、「名医」を見つけるのも、そして名医だからといって常に結果を出せるとも限りません。

医師をやっている私の友人で椎間板ヘルニアになった奴がいます。 
彼はいろいろ情報を集め、つてをたどり、その世界の名医という医師に手術をしてもらいました。 
しかし、いかに名医でも手術にも限界があるのか、何か別の要因なのか、術後のレントゲン写真を見ると専門でない彼の目にもヘルニアが完治していないように見え、実際手術後も慢性的ではないものの時折り痛みがぶり返すのでがっかりしたそうです。  

医者において斯くの如し、ましてや一般人においてをや、です。  


本書で山本常朝『葉隠』の一節が引用されています。 

「人は誰も、人生において成すべきことが皆遂げられたときに、はじめて死がやってくるもののように思い込んでいます。しかし、よく考えればそんなことはありえないので、用事が済もうが済むまいが、こちらの都合とは関係なしに死はやってくるのですし、人生というのも本当はそういう仕掛けになっているわけです。」

確かに、医療の進歩で「大概の病気は治る」という風に期待するようになっているのかもしれません。
医師に言われると素直に聞きにくい部分もあるものの、心構えとしては大事だと思います。  



 

コメント
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