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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『反転する福祉国家』

2014-12-28 | 乱読日記
本書は「オランダモデルの光と影」という副題で、1990年代から雇用・福祉改革を進め、その成功例として国際的な注目を浴びているオランダが同時に、近年の反イスラム感情の高まりとともに「移民排除」と「移民統合(同化)」へと移民・難民政策を転換している状況を描いている。

本書はオランダの政治体制の歴史から説き起こしており、事例紹介だけでなく、社会福祉制度は往々にして「○○モデル」同志の優劣が論じられるが、どこの国にも社会福祉の「理想形」というものはなく、それぞれの国の歴史と政治過程の中で築きあげられてきたもので、それだけ形だけ導入することは難しいという当たり前のことを改めて理解することができる。

たとえば
・オランダの雇用保障
オランダの制度は解雇制限や生活保護などが手厚い半面、保障受給者に対する就労義務は厳しく、受給者は原則として(「切迫した事情」を立証しない限り)全員求職義務を課せられ、あっせんされた仕事が「一般に受け入れられている労働」(売春などの違法な労働や最低賃金を下回る労働以外)である限りこれを拒むことができない。

言われてみれば日本の雇用保険制度やハローワークの業務は失業保険の給付に重点を置かれ、職業紹介も「紹介」(=マッチング)にとどまっているように思う(伝聞だが)。
「紹介する以上働け」というくらいのものがあってもいいし、その方が失業保険の財政も健全化されるように思う。
同時に「ブラック」な、労働法制を守らない企業を厳しく取り締まらないといけないが。


・パートタイム労働
パートタイム労働者の権利はフルタイム労働者と完全に一緒で、いわば「短時間労働正社員」といえる。
一方オランダは従来女性は家事労働に従事するのが当然という風潮があった。1960年代からは社会意識の変化や労働需要によりパートタイムは増えたが、現在でも女性はパートタイム労働、男性はフルタイム労働が多いという傾向がある。これは保育支援が北欧諸国に比べて整備が遅れている(1990年代から取り組み始めた)というのも一つの理由。

欧米は女性の社会参加が進んでいるかというと、それはお国柄によるようだ。
日本で「正規」「非正規」の区別が問題になっていて、有期雇用・雇止めの可否の違いが問題になっているが、まずは年金や社会保険などの権利を同一にすること(そして退職金優遇税制などの長期勤続者への優遇制度がなければ)が先のような気がする。
そうすれば解雇規制以前に雇用の流動化が促進されるのではないか。


・移民
2000年代から移民の制限(「オランダ化」の試験の義務付けなど)が行われ、かつての移民大国は政策を大きく転換した。また、難民の受け入れもハードルを高くしている。
2010年で滞在許可者は56,000人(これは日本とほぼ同じ)ちなみにそのうち「知識移民」(いわゆる高度人材、これは積極的に受け入れている)は一割強の5900人
最近移民の制限はオランダやデンマークの様な福祉国家で生じているこれらの国家では女性や高齢者・失業者などへの保護を手厚くする一方で移民や難民を外部者として排除するという動きが進んでいる。
これは権利の前提として社会への「参加」が求められる福祉社会においては「参加」という責任を果たすものにのみその構成員となることが許される、という制度の性格の変質があるのではないか、と著者は分析している。

日本でも国際競争力の強化を目標に高度人材の流入を促進しようとしていますが、少子化対策としては「高度人材中心の移民」というのは現実的ではないこと、また逆に10万人単位の移民は社会的影響が大きいことが推察される。
そして、移民を大量に呼び込むには、日本人が移民をともに社会に参加して制度を支える存在としてとらえることが必要になる。
これは今の生活保護受給者への批判の在り様などを見ても相当ハードルが高そうである。



人をうらましがったり目標を見つけるための本ではなく、「人のふり見て我がふり直せ」の本といえよう。




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橘川武郎『日本のエネルギー問題』

2014-12-28 | 乱読日記
総合資源エネルギー調査会基本問題委員会の委員でもある著者が、そこでの議論やデータを紹介しながら「リアルでポジティブな原発のたたみ方」を説いている。

「リアルでポジティブな原発のたたみ方」とは、
・原発議論はややもすると「賛成」「反対」の二項対立になりがちだが、脱原発を実行するにもその「出口戦略」が必要
・一方で使用済み核燃料の問題の根本的な解決は困難であり、原子力発電を永久的に続けることはできない
・したがって脱原発にあたってはリアル(現実的)でポジティブ(積極的・建設的)な対案を示す必要がある
・原発依存度を下げるには、大体の電源の確保や省エネの一層の推進などが必要で、原発依存度はそれらの「引き算」でしか実現できない時間軸のある問題で、それらを総合的に議論する必要がある

という主張。

本書でも「こうすれば解決できる」という妙案があるわけではない。
しかし、どういう要素を考慮しながらそれぞれを前に進めていくことが必要か、ということについてデータに基づいた至極真っ当な議論がなされているので、原発問題を語るうえではぜひ参考にすべき本だと思う。
(本書は2013年11月の刊行だが、それ以降原発については再稼働問題が注目を浴びていて、そもそもどうするかという将来に向けての議論が「重要なベース電源」以上には一向に深まっていないところも気になる)




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窪美澄『アニバーサリー』

2014-12-28 | 乱読日記
作者の作品は初読。
最近ミステリや時代小説以外では女性の作家のほうが元気がいいのではないか。


戦前生まれでマタニティスイミングの講師である主人公の人生とその教え子の人生が震災を機に交錯する。
二人の人生についての長い叙述が、女性の生き方・職業観の変遷、親子の問題、について考えさせ、次の世代につなぐことのエンディングにつながっていく。

エンディングは途中の重苦しさのカタルシスとなってはいるが、読後には次代への課題を想起させる。

性別や世代によって受け止められ方が違う小説でもあると思う。



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『やってのける』

2014-12-28 | 乱読日記

めったに自己啓発本は買わないのだが、「意志力を使わずに自分を動かす」という副題に騙されて買ってしまった。

アメリカのこの手の本のお約束で各章の最後にポイントが5,6項目にまとめられているのだが、13も章があるのでポイントが70~80になる。
一個一個はもっともなんだろうが(それに心理学的に実証されてもいるらしい)、そりゃぜんぶできればうまくいくだろうけどそれには大変な意志力がいる。

せめてと思い「少ない自制心でも動ける四つの方法」というのを読む。

① 初めから手を出さない(いったん始めた行動をやめるのには自制心がいる)
② 「なぜ」という理由を考える
③ 自制心が多く求められる目標を同時に二つ以上設定しない
④ 報酬・目標設定をする

これだけでも相当の自制心が必要だと思う時点で、私はこの本を読むレベルに達していない。

しかも

最近の研究では、わたしたちには自分が衝動を抑えられると過信する傾向があることがわかっています。

だそうだ。

どうすればいいというのだ。


 

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『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出 』

2014-12-28 | 乱読日記
積読から掘り出したもの。

3月11日に常磐線に乗っていて東日本大震災に被災した著者の地元の人とともに避難した数日間と何度か再訪した後日談。

鮮度優先で出版された感はあるいが、突然起きた事象に対し、情報がない中でどう判断し、どう行動したか、そして被災後の放射線問題をどううけとめるか、の当事者の側からの記録として。



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『放射線のひみつ』

2014-12-28 | 乱読日記
本書は放射線科の専門医である著者が、1F事故直後の6月に放射線の基礎知識についてわかりやすくふれたもの。

当時ななめ読みして放っておいたのだが、『知ろうとすること』をきっかけに今回改めて通読。

放射線のかいせつだけでなく、甲状腺がん自体のリスク(甲状腺がんに罹患することでなく)などについてもきちんと触れていることに改めて気が付いた。

『知ろうとすること』で早野氏は、「放射線のことを知っているとか知らないとか、そういう知識の有無とはまったく別の次元」で「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」ことの難しさを語っていた。
そうはいうものの、放射線についての一定の知識があれば情報の理解力は進むわけで、本書のように「放射線について知ろうよ」とわかりやすく語る本がこのタイミングで出版されていたことは記憶にとどめておきたい。





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『知ろうとすること』

2014-12-28 | 乱読日記

TL上を飛び交っていたので読んだつもりになっていたのだが、文庫になってから購入。
科学的知識に限らず「伝えること」「理解すること」それぞれに技法があることについて、「伝えること」のプロと「理解すること」のプロが対談しているところが一番の魅力。

本書は、福島第一原発の事故後、情報を科学的に分析し発信しつづけ、さらには学校給食の陰膳調査やベビースキャン(赤ん坊の内部被ばく測定装置)を開発するなど積極的に行動している早野龍五氏と、ツイッターで早野氏を知って以降自らの行動の指針としてきた糸井重里氏の対談。

CERNを拠点にした原子核物理学者の早野氏はこう語る

物理学者というものは、やっぱり普通じゃない考え方をします。だから、一般の方々に向けて説明するときには、なるべく数式を使わないように、気を付けているんですけどね。ぼくらはグラフを見て、グラフになる元のデータを見て、それから数式を書き、数式を計算した結果を見て、そういうものと、それから自然界のものを見比べるということをやっている、非常に特殊な人たちなわけです。

・・・ですからやはり科学的には必要なくても、ベビースキャンは必要なんです。実際、稼働させてみてわかったのは、この機械はものすごいコミュニケーションツールなんだということです。
・・・ベビースキャンがあることによって、今までぼくらが話すことができなかったような、「放射線の影響をとても心配しているお母さんたち」がお子さんを連れて来てくれるわけです。それで話してみると、お母さんたちが何を心配しているのか、ということが具体的にわかります。ひとつひとつうかがっていくと、驚くようなこともありますよ。僕たちが想像できないようなことを心配したりして。やっぱり、お互い話さないと、理解できないし、心配は消えないわけです。

・・・震災以降の日々は、ぼくにとっては、あらゆるものが新鮮でした。最初は、コミュニケーションにしても非常に下手でした。四苦八苦しながら、だんだん、社会に対して語るというのがどういうことなのかが、わかってきました。その過程で、ぼくは、科学と社会の間に絶対的な断絶がある、ということを気づかざるを得ませんでした。放射線のことを知っているとか知らないとか、そういう知識の有無とはまったく別の次元です。「混乱した状態から、より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」というサイエンスとしての考え方を、一般の人に理解してもらうのはとても難しいと知ったのです。

たぶんこれは科学と社会でだけでなく、専門分化した世の中でのコミュニケーション全般に言えることでもある。

事故などの際に業界・同業での常識や用語を前提とした説明は、それが客観的には顧客などの安全に配慮したものであったとしても、問題を大きくすることはよくある。
(身近なところでは合コンでの自己紹介が自慢にしか聞こえない、なんてのもありますな)

経済学者の議論などはそもそも同業なのに前提がすりあっていないことはしょっちゅうで、剣道の流派と違って他流試合自体が成立しないように見えるのは不思議ですらある。

政府の出す「○○戦略」もそうで、いろんな利害関係者に配慮した玉虫色にならざるを得ない部分はわからなくもないが、そういう複雑な状態から「より真実に近い状態と思える方に向かって、手続きを踏んでいく」意思を読むほうにわかるように見せているかが問われるが、今回のはどうであろうか。


話は脱線してしまったが、糸井重里は2011年のツイートを引用してこう言っている。

<ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、
 「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
 「より脅かしてないほう」を選びます。
 「より正義を語らないほう」を選びます。
 そして、「よりユーモアのあるほう」を選びます。>

そう。温度の高い言葉は、語り手が熱を持つことを伝えはするが、必ずしも相手にその熱自体を伝えることにはならない。



 

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予告

2014-12-28 | 乱読日記

読んだ本のレビューがたまっているので、これから年末大掃除を兼ねて一気に書こうと思います。

(どこまでできるかは自信ないけど)

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駅より病院

2014-09-21 | 乱読日記

昭和天皇実録とか朝日新聞問題への塩野七生の寄稿とか面白そうだったので、久しぶりに文藝春秋10月号を買ったら、予想外に面白かったのが冒頭のエッセイで太川陽介が「ローカル路線バス乗継ぎの旅」について書いたもの。

意外かもしれませんが、乗継ぎのバスが途切れたとき、地図でまず探すのは大きな病院です。いまは鉄道の駅より身近な病院の方がバスに繋がる。

ここにきて安倍政権の地方創生がブームになりつつあるし、その火付け役にもなった増田寛也氏の「消滅自治体」もキーワードとしてよく出てくる。

国土交通省も「コンパクト&ネットワーク」と言い出している。

コンパクトという方向性はいいと思うが、その中心に何を置くかまで国が決めるのでなく、上のように自発的にできてくるネットワークの方をより大事にした方がいいと思う。

役人が考えるとどうしても中心に駅とか役所とかを置きたがるが、現実には役所への用より病院に行く機会の方が多いはず。

であれば本来は「ネットワーク&コンパクト」の方が順番としては正しいように思われる。

そして「消滅自治体」問題も、消滅して困るのは地域のコミュニティであって、自治体自体ではないのではないか(平成の大合併でも庁舎は残っているところは多いし)と思った次第。

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『生きるとは、自分の物語をつくること』

2014-09-12 | 乱読日記

小川洋子続きで、河合隼雄の対談本があったので購入。

奇しくも河合先生が急逝される直前におこなわれた対談となった。最後に「すこし長すぎるあとがき」として小川洋子の追悼文が載っている。

『博士の愛した数式』をめぐって数学者を志していた河合先生の思いとから「物語」の重要性について話は広がる。
亡くなって以来久しぶりに河合先生の話を聞く、という懐かしさもある。

小川洋子が自ら小説を書くということについてこう語っている。

 私は小説を二十年近く書いているのですが、ときどきインタビュアーに「なぜ小説を書くんですか」と無邪気に質問されて、たじろいでしまうことがあります。私にはそんなに特殊な仕事をしているという気持ちはないんですね。  
 人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

こういう人がつくる小説だったと改めて納得。


これは村上春樹の姿勢とも似ている感じがするが、村上春樹は「壁と卵」のスピーチとか、より大きな物語に移りつつあるような感じがする(最近の小説は読んでいないのであくまでも印象)。

 

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『博士の愛した数式』

2014-09-10 | 乱読日記
『薬指の標本』からはいった小川洋子。次は映画化された(観ていないがヒットしたらしい)『博士の愛した数式』。

博士(老数学者)と家政婦母子(特に息子の「ルート君」)との人と人とのつながりが、数学という補助線を引くことで鮮やかに描かれている。
逆に、人間関係を補助線に、数学の魅力が描かれているともいえる。


気に入った。


(追記)
阪神の背番号26だった頃の江夏豊と1992年の阪神タイガースが横糸としてからんでくるが、1992年同様、今年も阪神は終盤で失速の模様。




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『薬指の標本』

2014-08-22 | 乱読日記
久しぶりに小説らしい小説を読んだ。

小説を読まなくなって久しいので、気分転換にとみんなのミシマガジンで紹介されていたのを衝動買いしたのだが、そもそも作者の小川洋子は、ググってみると『妊娠カレンダー』で芥川賞を受賞(そういえば記憶にある)『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞し映画化もされ(これも観ていないが覚えている)本作『薬指の標本』はフランスで映画化されているわけで、今まで読まずにごめんなさい、という感じの有名作家らしい。

まあ、そんな先入観なく読んだので、素直に楽しめたのはもっけの幸い。

独創的な物語を作ってそこに読者を引き込む、という冒頭にも書いたが王道を行く小説で、この作品は(文庫に中編2編収録)両方とも女性の身体感覚の描き方が(男の自分にとっては)新鮮だった。

ほかの本も読んでみよう。




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『文明崩壊』追記、または『里山資本主義』

2014-08-21 | 乱読日記
先日ふれた『文明崩壊』で現代の中国とオーストラリアの農業の持続可能性について触れた部分が面白かったので追記。


中国

・人口ボリュームが国土の環境負荷の限界を超えている。具体的には水資源、森林資源、耕作適地(地力)が問題
→三渓ダムにより下流水域の水供給(結果としての栄養供給)が細ったこと、非効率な灌漑・施肥などの耕作技術など、工業による環境汚染を除いて農業政策としても問題がある。

・現在でも熱帯雨林の輸入など環境破壊を輸出しているが、さらに先進国並の生活を求めるとなると、他国への影響が懸念される。
←人口問題はよく言われていることではあるが、一方で地力を細らせている方向に政策がとられているのであればさらに深刻。


豪州

・もともと豪州は農業に向いていない。
→もともと土壌の栄養は火山の噴火や氷河の浸食などによって長年堆積して得られるものだが、豪州大陸にはそれらがなく、限られた表土しかなかった。しかも小雨のため塩害で農地は年々浸食されつつある。

・その中で英国からの入植者が樹木を伐採し、羊を放牧し、外来種を導入したたことで貴重な表土が失われた
→羊の過放牧による草地の砂漠化、羊のこのまない外来植物の繁殖、ウサギ(天敵がないため加速度的に増殖し植生へのダメージ大)・キツネ(在来種の捕食)の導入などが原因

・その結果、豪州で農業は単独では成り立たない産業になっている。
→たとえばオレンジはブラジル産の濃縮果汁に席巻されてしまったし、ベーコンなどはカナダ産との価格競争に勝てない。農業に適した土地はパース周辺とアデレードなどの南部の一部に限られている。また、土壌の栄養価が低いので沿岸漁業も資源の再生産力が低い。



TPP議論などで豪州の輸出競争力への対抗とか日本の農業の生産性強化が議論されているが、この辺を読むと「農業の六次産業化」とか生産性の向上以上に「サステナブルな農業生産力の維持」が重要になってくるように思う。
特に日本は水資源や土壌の栄養(その結果近海漁業資源)にも恵まれているという意味では中国や豪州(それに水資源の点では米国西海岸)よりもアドバンテージがあるわけで、長期的な国家戦略としてはその部分を強化する(少なくとも短期的な経済原理だけでは放棄しない)ことが大事なのではないか。

もっともこれは昔ながらの棚田や小規模農家を守れという話ではなく、河川の水利権や地下水利用について農業・工業・家庭利用含めた最適化をするとか、流域全体の化学物質のコントロールや富栄養化対策をはかるとか、森林の維持コストをどう社会で負担してゆくかというあたりを含めて議論すべき問題だと思う。

『里山資本主義』もそれがさかんになった場合の自然資源の地域における配分が(もし盛んになった場合には)次の問題となってくる。著者にはそのあたりの分析も期待したい。


「食糧安全保障」というと生産力(≒担い手の維持)に、「国際競争力」というと価格と品質にフォーカスされるが、もう少し広い枠組みでとらえることも必要なのではないか。

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『中国停滞の核心』

2014-08-20 | 乱読日記

『中国台頭の終焉』の著者の続編。

前著の指摘通り、中国経済は減速しつつあるが、その中で中国がどういう方向を目指そうとしているかを分析している。

 「経済成長」は問題だらけだった中共統治の唯一の取り柄だった。それが行き詰ってしまったことは、中国政治の方向を大きく変えつつある。2013年11月に開催された三中全会が改革派の主張を数多く取り入れた「全方位」の改革になったことも、体制内の危機感の強さから説明できると思うが、決まった改革がどういう内容のものか、実行の難しさは那辺にあるのかを・・・本書では丁寧な解説を心掛けた。  

私は「経済屋」で政治は専門外であるが、今回は政治や外交についても、あえて「領空侵犯」を試みた。・・・習近平主席が短期間に権力基盤を強化したことも、習主席に毛沢東ばりのカリスマがあるからではなく、体制内に広がる危機感が習主席を押し上げたからだと考えている。

興味深かったのは、中国には「単一王朝」という「経路依存性」があるという指摘。
もともと中国は広大な国土であるため、歴代王朝は「県」単位の街にしか政府機能を置かず「市・鎮・村落」には関心がなかった。また人についても四書五経に通じた知的エリート層の「士」ろ圧倒的多数の「庶」に分かれる中で、地方では士を地域リーダーとしたり、農村部の血族集団、都市部の同業者集団などの中間団体が権力と人民を接続する役割を果たしてきた。
つまり中国では伝統的に皇帝と人民の間には官僚と中間団体しかいない、そいう統治構造であり、その結果「単一王朝」への求心力・経路依存性が強い。

なので、孫文の民主主義よりは毛沢東の共産主義の方が中国にマッチしたという分析は大胆ではあるが非常に面白い。


内容的には三中全会で打ち出された方針とその背景、実現へのハードルが詳述されている。 三中全会については、新聞・雑誌記事経由でしかなぞっていなかったので、詳しく知るいい機会でもあった。


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『里山資本主義』

2014-08-18 | 乱読日記
『デフレの正体』の藻谷浩介氏の近著(といっても1年前だが)

『デフレの正体』では人口減少の経済への影響を分析したが、本書では、地域経済を中心とした新たな経済活性化の新しいモデルを具体的な事例を紹介しながら問題提起している。

かいつまんで言えば、経済が高度化した結果、資本が自己増殖を目的化してしまい、資源の効率的な配分という機能を特に地域経済では十分に果たさなくなっている。
地域での物々交換やエネルギーの自給、「顔の見える商品」の提供など、地域が「全国区の経済」から自立することが経済活性化のポイントになる、という主張。


「グローバルサプライチェーン」などとものものしく言うが、たとえば枝豆について言えば、中国で作って冷凍加工して船で輸送して物流センターを経由してスーパーの店頭に並んだものとの価格競争をするために、売値から逆算すると物流コストを引いた出荷価格はとても安いものになって、農作物としては生計が成り立たたない、ということが起きるなら、地域で流通させればいいではないか、ということ(枝豆の例が自分で考えたので適切かは不明)。

「農業の6次産業化」が言われているが、そういう既存の流通システムに乗せた「高付加価値化」でなく地元で回す「0次産業化」という道があってもいいと思う。
農業の規制改革で兼業農家が悪者にされているが、確かに戸別所得補償制度の恩恵を受けるためだけの農業生産や相続対策や節税のために「農地」(じつはこの認定基準はあいまいらしい)を維持しているのが問題なのであって、兼業で補助金などなしに成り立つのであればだれも文句は言わない。

本書では岡山県真庭市のバイオマス発電の話も出てくるが、エネルギーについてはローカルでの供給の効率性が認識されつつある。
電気の分野では東日本大震災以降、家庭での太陽光発電の導入が加速されている。これはもちろん固定価格買取制度や補助金の影響も大きいだろうが、長い経路をかけて供給を受けることのリスクも認識されているのではないか。
また、燃料電池やオフィスビルでのコジェネレーション・システムの導入は、BCPだけでなく発電時に発生する熱を熱源として利用することでエネルギーの利用を効率化するという観点からも注目されている。
(以前聞いたのですが、家庭でのエネルギー使用の6割が給湯に使われているそうです。)


本書は「マネー資本主義」へのアンチテーゼ風な書き方になっている(これは共著者のNHK取材班が最近「マネー」を目の敵にしていることの影響かもしれない)が、逆に里山資本主義は「グローバル・サプライチェーン」「全国ネットワーク」の非効率性をついた裁定取引の試みとしてとらえてみるのも面白いかもしれない。


少なくとも、どちらの立場に立っても、統一地方選を前に言い出された「ローカル・アベノミクス」「地方創生」は危ない匂いがすると思うのだが。





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