goo blog サービス終了のお知らせ 

一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『文明崩壊』

2014-08-17 | 乱読日記
『銃・病原菌・鉄』同様、積読・熟成に数年かけてしまったのだが、今読んだ方がよかったかもしれない。

一言でいえば、過去から現在に至る様々な文明や国家・都市が、環境変動、構成員の外部不経済や単なる浅慮、はたまた外部から移住した民族固有の文明とのミスマッチによる資源の収奪により環境の持続可能性を損なって崩壊していった過程を、該博な知識をもって分析することで、環境問題の重要性を説いている。

今でよかった、というのは、地球温暖化であったり、化石燃料や水資源の枯渇であったり、往々にして環境問題は(「環境」問題という用語にもかかわらず)一つの要因をもって語られ、それがブームになることが多い(ちょっと前でも「シェールガス革命」が石油資源問題を解決するという話が出てきたし、一方で現状維持がすべての解決策になると唱える人も多い)。

本書は、環境問題はそんなに単純なものではないし、脅威の種類もその要因も様々であるということを明らかにしている。
何しろ最後の方で環境問題を分類するのに12のグループに分けているくらいだ。
ちなみにそれらは、天然資源の破壊・枯渇、天然資源の限界、人類が生み出した有害物質、人口増加などの要因に関連している。

著者は具体的な解決策を提示しているわけではなく、地球環境を人類共通の公共財として考えることが大事だ、という至極真っ当なことを説いている。
そのこと自体は昔から言われてきたことではあるが(「宇宙船地球号」というフレーズは子供のころからあった)、そのためには長期的・多面的視野と政治的な成熟が必要という、じつは人類にとって一番難しいことが必要、ということが再認識できるだけでも(かなりの大作であるが)この本を読む価値はあると思う。

上巻の冒頭は、モンタナの自然破壊の話からはじまり、イースター島ではモアイ像を建立するために石材移動用のコロに使うために島中の木を伐採してしまったために表面土壌が流出して食糧維持が難しくなってしまったとか、マヤ文明からアイスランド、グリーンランドのバイキング、スマトラ島やドミニカなど延々と続くので、途中で飽きてしまうかもしれない(実際自分はそれで何度か中断してしまった)のでご留意を。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『金融の世界史』

2014-08-15 | 乱読日記
本は読んでいたもののブログにアップしておらず、時間がないのか、気力がないのか(夏バテ?歳?)反省しながらも放置していたのですが、夏休み期間にまとめて在庫一掃します。

まずは簡単な奴から。


金融・広くはモノとカネ(古くはモノとモノ)の仲介機能や会社(共同投資や出資)、市場が形成されてきた歴史を古くはメソポタミア文明まで遡ってまとめた本。

もともと新聞の連載コラムだったので、細かく章に分かれていて、拾い読みもしやすい。


個人的には『明日を拓く現代史』ではアメリカが基軸通貨の地位をイギリスから奪ったブレトンウッズ体制の構築が詳しく語られていたのですが、本書ではスペインから独立したオランダ、そしてイギリスと経済の中心が移るところが興味深かった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『小屋から家へ』

2014-07-13 | 乱読日記
別荘というのは実際に使う日数は限られているうえに、いざ使う段になると掃除だの冬場の水抜きなんだのと結構手間がかかるもので、結局、親戚や親しい友人が持っているのが一番いい、という都合のいい結論になる。

ここで取り上げられている「小屋」の多くは別荘建築なのだが、小屋という限られたスペースだけに、いわゆるよくある別荘の機能-知人・友人を呼んでバーベキューをしたり泊めたりする-をそぎ落とした、オーナーのきわめてプライベートでcozyな空間に仕上がっている。

雑誌など取り上げられる建築は、どこか気取ったり肩ひじ張った感じのものが多いが、できることが限られている小屋であればこそ、オーナーは見栄でなく自分がくつろげることだけを求めているのではないだろうか。

実際オーナーはかなり頻繁に使っていたり、中には定住したりしている人もいるのだが、こういう隠れ家を持っていれば、毎週末でも使いたい気がする。


先立つものを別にすれば。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『語られざる中国の結末』

2014-05-19 | 乱読日記

書名は刺激的だが、キワモノではない。  

本書では、いま中国が海洋に進出し米国に挑戦する理由、中国経済の行き詰まりが共産主義中国の興亡に及ぼす影響、すでに始まっている米中紛争の具体的シミュレーション、その後の中国の内部変化などを考慮したあと、日本がとるべき国家戦略のあり方について提言を行っている。  

政経が常に一体となっている中国を、文化的背景からひもといている部分は面白くかつ参考になる。

 中国を変えたければ、中国自身が内側から変わるのを待つしかない。この巨大で多様な人間集団を短期間で変えるなど至難の業である。このことがわからない日本人はいまも多い・・・
 意外に聞こえるかもしれないが、現代中国を理解するキーワードはその「弱さ・脆弱さ」だ。中国人との付き合いが難しいのは、彼らが「強い」からではなく、じつは「弱い」からだ。「弱い」からこそ「怖い」。「怖い」からこそ、彼らは自分たちが長年受け継いできた文化に「逃げ込む」のである。  
 自信があれば、もっと上手く外国人と付き合える。自信がないからこそ、主観的判断、自己正当化、短期的利益追求などの自己中心的言動を繰り返し、平気で嘘もつく。・・・彼らがまだ開発途上国のメンタリティをもっているからと思えば、理解しやすいだろう。  
 もう一つ外国人が理解すべきことは、中国人が外国からいかに思われているかを人一倍気にする、とても「傷つきやすい」民族であるということだ。・・・このような性格は中国人の専売特許ではなく、他の開発途上国人にもほぼ共通するものだ。
 ・・・中国を変えるには、中国人自身が内側から中国のあり方を変える必要がある。過去百五十年間、中国はさまざまな変革モデルを試してきたが、結局中国の変革のヒントは中国の伝統文化のなかにしかなかったことを忘れてはならない。

また、米中紛争のシミュレーションの部分は、米中の当事者で語られていることの現実味が乏しい、ということ自体を注意した方がいいのかもしれない。
「結末」 については、順列組合せの頭の体操に近い。
そして、そういう将来に向け、日本がどういう立場に立つことになるか、そして中国やアジアの安定化にどういう役割を果たすかについて最後の章で簡単に触れられているが、ここにもう少し紙数をさいてほしかった感じがするのは欲張り過ぎだろうか。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ひとの居場所をつくる』

2014-05-13 | 乱読日記

ランドスケープデザイナーで、アクロス福岡の植栽などを手掛け今は岩手県でクイーンズ・メドゥ・カントリーハウスという馬の放牧と農業を中心とした活動も行っている田瀬理夫さんへのインタビューを中心とした本。

<アクロス福岡:提供 福岡市>

 


田瀬さんのいい意味での力の抜け方と、原理主義的にならず実践に向けた筋を通した考え方は、甲野善紀氏の身体の使い方とも共通する感じがする。

「捻らない、タメない、うねらない」というのは人生の技法としても重要なのかもしれない。

以下、備忘を兼ねて引用

 日本の土地は山林も都市も、所有によって線引きされ細分化している。持ち主は死んでいなくなってしまうし、相談を受ける人もどこかへ行ってしまっていて・・・というような例がどんどん目に見えてきていますよね。
 けれどもランドスケープというか景色には、本来的に境界線などないわけです。
  (中略)
 明治の地租改正と、戦後のGHQによる左寄りの政策や税制を通じて、この国の土地は細かく分割されてきた。古い法律がまだ生き残っていてものごとを破壊しているというか、それが故に生じている不合理なことがたくさんあるんですよね。

 これから地上については、所有を超えて使ってゆくやり方をつくり出してゆくことになると思う。
 いまは建物を建てるための土地は買わないと自由にできないけれど、ただ使いたいまわりの土地については借りればいい。地権者には、どう使うかという展望がないわけですから。

****************

 その地域に住んでいる人たちが、本当に夢中になってやっていることが表に出てくるというか、それが結果としてまちにもなれば、景色にもなる。そういういのがいいんじゃないかと思うんですよね。本物をやるというのはそういうことでしょう。

 田舎や地方の景色が汚くなっているのは、農業や林業がちゃんと生業になっていないからだと思う。
 農業でいえば、たとえばいまはもう大半が兼業農家であって、農民ではない。専業農民なんてほとんどいないわけです・・・

 国内の田んぼの大半は兼業農家の仕事だけど、兼業ではろくな農業は出来ませんよ。休日しか働けないのだから。田植えと稲刈りをやるだけで、その間は除草剤と農薬だけ散布してなにもしない。
 時間を投入してないし、大量に薬を散布して、買ってきた機械で仕事を済ませていて、息を呑むような田んぼや山里の景観は、国内でも本当に限られているんじゃない?

****************

 本当にこの国の農業を持続させたいのなら、たとえば農業を学びたい若者の学資ローンは国や自治体が引き取って清算するような枠組みでも用意しないことには、いくら本人が始めたくてもできないと思う。農家の個別補償なんてしていないで、将来の世代に投資してゆかないと先がないですよね。
 ・・・結局いちばん低いレベルに合わせた政策ばかりで、状況を引っ張ってゆくはずの人たちの輝きを損ねてしまっている。

****************

 (沿岸部の震災復興について)沿岸部の状況にかかわっていったところで、プランニングしようのない状況が容易に想像できてしまうというのもある。
 国や県や市町村が土木系のコンサルタントと一緒に絵を描いて、大事なところはもうあらかた決めた時点で住民に公開する。「これをつくる」「ここにつくる」「いつまでに完成させなければならない」「そうしないと予算そのものがなくなってしまう」という具合に。

 そんな風に進めておきながら、「住民側から提案が出てこない」なんて失礼な話ですよね。
 でも実際のところ住民側からは出せないと思いますよ。そういう訓練をしてきていないのだもの。

****************

 機会や経験が足りないんですよ、「これからの社会づくりは参加型で」とか急に言われても、パブリック・マインドがまだ訓練されていないんですよね、「かかわる」ことについて。
 そういうことに慣れていないから、大人のくせに「絆」とか「一丸になって」とか、ちょっとしたヒューマン・ストーリーにすごく感動してしまったりするんです。ちょっと子どもじみているよね。

 でもそれは親の責任がどうこうという話だけでなく、まちや地域が、そういう空間になっていないんです。

 マンションに人が住んでも、コミュニティが形成されるわけでもなく、あれは集合住宅というよりただの「住宅集合」ですよね。
 なんのための集合化・高層化かといえば、それによって生まれる公共的な空間の質を高めて環境を良くしてゆくためであって、逆にそれがないとしたら、集合することの社会的な意味合いはほとんど失われる。
 むしろ、都市の環境に負荷ばかりかけてゆく。

****************

 自分ができないことについて、出来るようにならなくちゃいけないとは、あまり考えたことがないんです。事務所のありかたについてもそうで、「こうするもんだ」とか「これくらい人数がいなきゃ」とか「こういう資格を持っている人がいないと役所の仕事はできない」とはあまり気にしないでやってきた。
 それよりも、「誰がどんなことをやっているか」ということのほうに興味を持ってきました。

****************


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『身体から革命を起こす』

2014-05-09 | 乱読日記

武術研究家甲野善紀氏の著書
(「武術を基盤とした身体技法の実践研究家」と奥付の紹介にあったのでそちらが正確な表現なのかもしれない)

もともと進退感覚に優れない身としては、本で読んだからコツがわかる、というものでもないのだが、有名になった「捻らない、ためない、うねらない」や本書で書かれている「筋肉の緊張を伴う『実感』でなく身体の『装置化』」「二つの異方向の力を合成する」「足裏の垂直離陸」など、意識していると何かのきっかけにはなるのではないかな、と。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『明日を拓く現代史』

2014-05-05 | 乱読日記

内閣官房審議官で安倍首相のスピーチライターと呼ばれる谷口智彦氏が慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授のときにおこなった講義を元にした本。

「歴史学」にとらわれずに、今日の国際関係を近過去に遡ってその因果の流れを再構築しながら「これからどうなっていくのか」の問いの参考にするという意識で、ジャーナリスティックな筆致で歴史を描くという著者の意図は、単にとっつきやすいというだけでなく、歴史の因果の「流れ」を俯瞰して理解するのに成功している。

全体を通して解きたいと思った問いを改めて列挙すると。

  • 米国がつくった世界システムとは何か
  • なぜ日本はそのシステムでうまく成長できたのか
  • ここでいう「システム」とは初めからすんなりできたものなのか
  • 挑戦者として現れたかに見える中国は、この先どうなるのか
  • 日本は果たして、これからも立派に生きていけるのか

特に、第一次大戦後英国の覇権を米国が奪いに行く過程と、その中での第二次世界大戦を描いた部分は非常に印象的。  

・・・このように、日本にとってあと戻りができなくなる41年こそは、欧州大戦勃発後二年にして米英で戦後構想の立案が勢いを増した時期に当たっていた。日本人は、勝つつもりで戦後計画を立案してさえいた相手に戦いを仕掛けたのだという事実を、当時満足に知らなかった。70年以上を経たいまも、十分知っているとはいえない。    

・・・この認識格差と、それをもたらした情報力の差こそが、思えば日本の計算を狂わせ、無謀な戦いへ進ませたものといえる。「もしも」と問いたいことがいくらもあった時期だ。  

・・・認識格差、情報ギャップが埋まらなかった原因は、おそらく第一次世界大戦を当事者としてどれほど切実に体験した(欧米各国)か、あるいはしなかったか(日本)の差に由来する。

このへんの認識格差、大局観の欠如については、日本の国内事情を中心にした視点から描いた加藤陽子氏の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』でも触れられているが、現在への教訓ともすべき部分である。
(ところでダボス会議で安倍首相が日中関係について第一次世界大戦前の英独関係を引き合いに出して物議をかもした発言をスピーチライターとして著者が書いたとしたら、その理由はなんだったのだろうという疑問がわく。日中関係に関する真意がどこにあったにせよ、初の総力戦となり多大な犠牲を出した上に、英国にとっては覇権を米国にとってかわられるきっかけとなった第一次世界大戦を引き合いに出して刺激する必要はどこにあったのだろうか。)


最後の日本の未来を語る部分、特に明治維新や終戦直後を引き合いに出して「向日性と楽観性」「若さ」の重要性を説き、「当時と今は違う、というのは言い訳にならない」という部分は、「歴史書」としてはそこの示唆で終わるのは仕方ないかもしれないが、もう少し大胆に「今」に切り込んでもよかったと思うのは贅沢というものだろうか。


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和』

2014-04-02 | 乱読日記

「白熱教室」どころか発火しがちな議論を白熱せず(、「朝生」にもならず)に戦わせるにはどうすればいいか。

本書は平和主義(=非暴力によって問題解決をはかる)の立場に立ちつつ、「平和主義」といっても多様なパターンを類型化し・評価し、著者のスタンスを特定するとともに、平和主義と反対の立場をとる非平和主義「正戦論」「現実主義」「人道介入主義」を検証している。

もっとも、本書は著者の主張ではなく、議論の過程を味わうための本と言える。

・・・本書は、平和「主義」あるいは非平和「主義」という特定の結論を、一足飛びに読者に推奨するものではない。そもそも戦争と平和めぐる論争が、本書のような小著によって収束するなら、それが今日までかくも長きにわたって続いてきたはずがない。本書で行ってきたことは、論争の継続であって、論争の決着ではない。哲学の役割はアジテーションではなく、議論の構造を明らかにし、その論理の力を確かめることである。科学的説明と同様に、哲学的議論もまた、反証のリスクを喜んで引き受けなければならない--しかしどうか、反証は議論の良し悪しを標的とするものであってほしい。もちろん筆者には筆者なりの議論の着地点があるが(それは先ほど述べた)、道筋はほかにも無数に広がっている。

その意味ではサンデル教授の「白熱教室」の平和主義における応用編とも言えるし、特に平和主義、戦争の是非の議論については「白熱」せずに議論をすることの難しさを改めて認識するための好著でもある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ビジネスをつくる仕事』

2014-03-30 | 乱読日記

著者のブログはかなり前から愛読している。
個人的には同世代ということもあり、共感したり、なるほどと気付かされたり、自らの怠惰を反省させられたりと面白い。

 本書はそのブログの記事などもベースに、「起業」という切り口での著者の考えをまとめたもの。
ビジネスに対するときの「構え」と「引出し」の両方で役に立つところ大だと思う。

「構え」について著者は「よく見て、どこでもやる」と一言でまとめている。  

新しいビジネスをつくるには、まず、様々な角度から、業界の既成概念にとらわれず、先入観を持たずに現実、現場をよく見ることである。そして、どこにいようとも、いろいろなアイデアを出し、たくさん検討し、実行する。チャレンジしなければ何も始まらないし、何も得られない。それもやりつつよく見て、見つつよくやる。見て学ぶことばかりに関心が向いていても、実行ばかりに気がはやっても、いいビジネスはつくれない。見ることと、やることを同時にやらなければ、価値ある経験にならないし、よりよいビジネスにならない。

そして、「構え」とともに、いざ現実に直面した時にさっと対応できる「引出し」についてはブログで好評だった話も含め、著者が経験から得たさまざまなノウハウがたくさん載っている。  
オジサンとしてはなるほど、と膝を打つところも多いが、これから経験をする若い人にとっても、経験という中身の受け皿として、まだ空でもいいからこういう引出しを用意しておくのは役に立つと思う。  
自分の経験が引出に合わなければ、そこで「引出し」を自分なりに変えていく、というのが大事なんだろうと思う。

などと偉そうに言う前に、横着をして普段よく使う引出しを限定してしまって他の維持更新追加を怠っている自分こそ、見習わないといけないのだが。


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ニッポンの風景をつくりなおせ』

2014-03-26 | 乱読日記
高知県四万十川の中流域にある十和村に居を構えながら、村おこし・町おこしのためのデザインワークをおこなっている梅原真氏の作品集+エッセイ。
写真も豊富で、見ていて楽しい。

梅原氏のプロフィール・仕事などはこちらを参照。


デザインワークで地域の商品を全国に売り込んだり、地域に人を呼び込もうというスタンスは、ここ数年言われている「6次産業」
を地で行っているわけだが、6次産業化と同時に言われるときの経団連会長「日本の農業を成長産業に」 というような同時に企業の農業への参入を認めればより大きく成長する、というアプローチとは正反対である。

企業の参入な大規模化、集約化による利益の拡大を目的にしているわけだが、梅原氏の手伝っている仕事は、もともと地元にある産品に違った角度から光を当てて売れるようにする、というもの。
地元のいいものをニッチな商品として付加価値をつけることで、それで稼げるようにするという戦略で、いっぱい売れたからといって作付面積を倍にする、とか、大手企業が参入して採算に乗るという規模ではない。
大規模化・集約化というのは聞こえはいいが、現実に日本の地方の多くを占める中山間地(著者の住む高知県は84%が山林)では難しく、そういうところこそ著者のようなゲリラ的なアプローチは有効であると思う。

場所に即した戦い方、というものがあるわけで、こういうところに大企業が入っても、社会貢献なら別として、大企業的に採算に乗るのは難しく、結局規模や高効率を求めて、過剰な設備投資をしたり、無理な拡張を図ったりして失敗しそうな気がする(ベトナムにおける米軍がナパーム弾や枯葉剤を動員しても結局ゲリラ戦に敗れたのと同じ)。

本書にも紹介されているように、地域でも活性化に取り組もうという人は大勢いるわけで、それら地元の人々と著者のような人々が結びついて持続可能な6次産業化をしていくという将来像を想像するのは楽しい。


一方で既存の制度や農協も含めた既存のシステム自体不合理な部分があるわけで、そこには企業が算入してビジネスとして成り立つところはあると思う。

現に既存の制度の中でも、北海道は「市町村別生産数量目標の設定方針」で生産性・品質向上のインセンティブを与え、等級・生産性の高いコメを作っている農家に作付面積を優先的に割り当てて、成績の悪いところは減反を多くするということをしながらブランド米「ゆめぴりか」を作ったりしている。
(参考)
北海道水稲優良品種地帯別作付指標
H26年度市町村別生産数量目標の設定方針(北海道)

また、先日増田寛也元総務相の講演で、地方から都市部への人口移動が収束しないと仮定した場合には若年女性人口の数が減り続けるため、出生率が改善されたとしても現在の3大都市圏以外の自治体の半数以上が消滅の危機にあるという試算を聞いた。
(詳しくは中央公論2013年12月号参照。また概要はこちら参照)
秋田県に至っては1つの自治体以外は全部消滅するという試算だったが、生き残るのは秋田市ではなく大潟村-国家プロジェクトの八郎潟干拓で入植した農家が国の減反政策に反対して自主流通米にいち早く取り組んだ-だけ(=大潟村は人口流出が少ない)、というのも象徴的である。


このような改善の余地のあるところに企業が算入して集約化・効率化を進めれば改善が加速する可能性は高いと思う。
ただ、企業が現在の農協に代わって流通や資材供給や金融を押さえればてっとり早く儲かる、という行動-それは企業活動として合理的である-をとってしまえば、あまり意味はなくなる。
携帯電話市場へのauやソフトバンクの新規算入がNTTの既得権の一部を自らの既得権にして利益を上げるようなもので、それでは生産者や消費者へのメリットは限定的になってしまう。


まだまだ地方にはいっぱいいいものもあれば、農林水産業にもまだまだ改善の余地はあるので、企業の参入と、著者や先日取り上げた田舎のパン屋のような、大きな声と小さな声、大規模地上戦とゲリラ戦、両方がそれぞれ得意なところで活動して、地方経済を支えていくのが理想的な姿ではないかと思う。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

2014-03-22 | 乱読日記

商品説明(下に引用)では「資本主義経済の矛盾」「田舎暮らし」「食の安全」というウケのいいキーワードが並んでいるので(さらに「マルクス」とくると「革命」と安易なキャッチもいまいちだった)、ちょっと懐疑的に(でもまあ、ミシマガジン経由だったので半分おつきあいで)読んでみたが、(意外といっては失礼ですが)地に足の着いたいい本だった。

詳細な商品説明はこちらから。

 どうしてこんなに働かされ続けるのか? なぜ給料が上がらないのか? 自分は何になりたいのか?--人生どん底の著者を田舎に導いたのは、天然菌とマルクスだった。講談社+ミシマ社三島邦弘コラボレーションによる、とても不思議なビジネス書ここに刊行。「この世に存在するものはすべて腐り土に帰る。なのにお金だけは腐らないのはなぜ?」--150年前、カール・マルクスが「資本論」であきらかにした資本主義の病理は、その後なんら改善されないどころかいまや終わりの始まりが。リーマン・ショック以降、世界経済の不全は、ヨーロッパや日本ほか新興国など地球上を覆い尽くした。「この世界のあらたな仕組み」を、岡山駅から2時間以上、蒜山高原の麓の古い街道筋の美しい集落の勝山で、築百年超の古民家に棲む天然酵母と自然栽培の小麦でパンを作るパン職人・渡邉格が実践している。パンを武器に日本の辺境から静かな革命「腐る経済」が始まっている。

【著者・渡邉格(わたなべ いたる)から読者のみなさんに】
まっとうに働いて、はやく一人前になりたいーー。回り道して30歳ではじめて社会に出た僕が抱いたのは、ほんのささやかな願いでした。ところが、僕が飛び込んだパンの世界には、多くの矛盾がありました。過酷な長時間労働、添加物を使っているのに「無添加な」パン……。効率や利潤をひたすら追求する資本主義経済のなかで、パン屋で働くパン職人は、経済の矛盾を一身に背負わされていたのです。 僕は妻とふたり、「そうではない」パン屋を営むために、田舎で店を開きました。それから5年半、見えてきたひとつのかたちが、「腐る経済」です。この世でお金だけが「腐らない」。そのお金が、社会と人の暮らしを振り回しています。「職」(労働力)も「食」(商品)も安さばかりが追求され、 その結果、2つの「しょく(職・食)」はどんどんおかしくなっています。そんな社会を、僕らは子どもに残したくはない。僕らは、子どもに残したい社会をつくるために、田舎でパンをつくり、そこから見えてきたことをこの本に記しました。いまの働き方に疑問や矛盾を感じている人に、そして、パンを食べるすべての人に、手にとってもらいたい一冊です。

上でも著者自身は別に革命を起こそうとか言っているわけでも、田舎暮らしを手放しで礼賛しているわけでもない。
試行錯誤の結果たどり着いたのが今の形であり、本書は著者のその試行錯誤の過程が描かれているのが本書の魅力になっている。

著者がマルクスから示唆を受けたのは、資本主義経済においては、労働力も他の商品と同様「交換価値」になってしまい(なつかしいが『経済学・哲学草稿』でいう「疎外」「外化」が起きるということ)、その結果生産手段を持つ資本家が超過利潤が集中し、労働者は自らの労働が生み出した利潤を搾取される、というところ。
ただ、

そこでマルクスは、労働者みんなで「生産手段」を共有する共産主義(社会主義)を目指したわけだが、マルクスには申し訳ないけれど、今さらそういう方法がうまくいくとも思えない。それよりも、今の時代は、ひとりひとりが自前の「生産手段」を取り戻すことが、有効な策になるのではないかと思う。

そのためには利潤を蓄積することを目的にせず、従業員にも適切な分配をし、良質な原材料を使った高い原価率の高品質なパンを売る、という今の形にたどりついた。

しかし利潤を出すことを目的としないといっても赤字では商売が継続しないので、そのためには適正価格で(都会のパン屋より高い値段で)商品を売ることも必要だし、商品を売るには宅急便やSNSなどによる情報発信といういわば資本主義の成果も必要であることは否定していない。
そして、パン屋という仕事が原料の小麦や水の調達、蔵付き酵母の存在など「田舎」と親和性の高いものであり、また田舎の生活費が安さなどさまざまなもののバランスの中で今の著者のパン屋が成り立っていることを十分に認識している。

著者の田舎のパン屋は「特殊解」であり、誰もが同じことや似たようなことをすればうまくいくわけではない。その意味では無邪気な田舎暮らし礼賛、自然礼賛、という人には冷や水を浴びせる部分もある。  

「田舎」に住む人たちは、人が「都会」に吸い寄せられていくことに頭を悩ませてはいるものの、かと言って、誰でもいいから人が来てくれればいいとは思っていない。技術もなにもない、なにもできない人間がノコノコやってきたところで、「田舎」のためにはならない。力がなければ「田舎」で生きていくこともできないし、「田舎」に活力を取り戻させることもとうていできるはずがないのだ。

本書で大事なのは「特殊解」を求める試行錯誤をする人が増えることが、世の中をよくすることにつながるのではないかということだと思う。
そのためには資本主義と大上段にいかなくても世の中の仕組みに対して自覚的であることが必要だ、ということを本書は示唆している。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『銀二貫』

2014-03-16 | 乱読日記
みんなのミシマガジン経由。
普段はあまり縁のないジャンルで、作者の高田郁も含め初めて知ったのだが、書店でも大体似たような棚しかのぞかなくなっているなかでは、こういう本との出会いには重宝している。

amazonや楽天ブックスなどのおすすめは購入・閲覧履歴からピックアップするのでなかなかこうはいかない。


一言でいえば江戸時代の大坂の商家を舞台にした人情話なのだが、「始末、才覚、神信心」という大阪商人の心得を軸に、寒天問屋の商い、大坂の町をたびたび襲う大火、そして冒頭から登場する「銀ニ貫」をめぐる登場人物それぞれの思いを、入念なストーリー立てでテンポよく語っている。

そして「寒天問屋」という設定が最後に効いてくる。
このへんは「みをつくし料理帖」という江戸時代の大坂の料理店を舞台にした小説をものしている作者ならでは、というところか。


作者は泣かせるツボを心得ていて、ベタな仕掛けと承知でも泣かされてしまう。
上の大坂商人の心得同様「真っ当に生きる」ということが清々しいまでに通底しているから、ベタであるほど心に響くのかもしれない。


本書は「大坂の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本 」を選ぶ"Osaka Book One Project"の第一回受賞作だそうで、自分の歳のせいで涙腺が緩くなったというだけでもないようだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『法服の王国  小説 裁判官』(上・下)

2014-03-09 | 乱読日記
エリート司法官僚と現場組という異なった道を歩いてきた二人の裁判官を中心に、
昭和40年代から現在に至る司法行政の変遷を重要な判決・事件、政治や行政との関係
をからめて描いた力作。

裁判官は裁判においては独立とはいうものの、組織の中の一人の人間であり、
その欲望と葛藤と矜持を主人公の二人を中心にした群像劇として見事に描き上げています。

黒木亮といえば経済小説というイメージだったのですが、綿密な取材に裏打ちされたであろう
人物造形と構成はさすがです。

長沼ナイキ訴訟や尊属殺人罪の違憲判決などだけでなく鬼頭判事補の事件なども取り込み、
時代の変遷を判例でなく裁判官自体の変化も交え、奥行きの深いものとなっています。

以前企業法務担当だったときも、何人もの裁判官と接する機会がありましたが、
裁判官の訴訟指揮、特に和解への誘導の仕方の違いは
最初から和解しろと面倒くささ丸出しの人から、落とし所を抑えて絶妙のタイミングで切り出す人まで、
千差万別だったと印象に残っていますが、そんな裁判官の質のばらつきの問題なども言及されているあたりも
個人的にはリアリティあふれる小説でした。


PS
最高裁人事や裁判所内での人事粛清や原発訴訟なども含むこの微妙なテーマが産経新聞の連載だったというのにも驚きました。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吾妻ひでお『アル中病棟 失踪日記2』

2014-03-05 | 乱読日記

このブログを始めた最初の頃に出た『失踪日記』 の続編で、漫画家の吾妻ひでおがアルコール依存症になり失踪、野外生活をしていた時代が描かれた全編に続き、本書では家族にアルコール依存症治療の専門病院に入院させられてから退院するまでの日々が描かれています。

『失踪日記』については
吾妻ひでお『失踪日記』(前編) または宮澤賢治「眼にて云ふ」
吾妻ひでお『失踪日記』(後編)
と、退院直後の日記風の 『うつうつひでお日記』 をご参照。

『失踪日記』から8年が経ってから、つまり退院してかなりの期間が経ってから上梓されたことに象徴されるように、本書は一つの作品として、病棟に入っている自分を含めた患者を漫画家としての視点から描いています。
(巻末の対談でとり・みきも触れていますが、退院したところで終わる本書の最後の大ゴマが象徴的です)

『失踪日記』と異なり、今回は依存症治療の病院が舞台なので、患者が沢山登場します。
そこでは皆アルコール依存症の患者が日常を送っているわけで、依存症が「いい」とか「悪い」 とかではなく「こういうものだ」、という風にリアルにかつコミカルに描かれます。
そしてそれをとりまく病院のしくみとか依存症の人をささえるボランティアの会(2つあってそれぞれ微妙な距離感らしい)の様子も、(多少)面白おかしく描かれます。

アルコール依存症は、何年後でも一度飲むと再発してしまうそうで、巻末のおまけでも酒の自販機と半日にらめっこしたエピソードが描かれていますが、 「中の人」だったころのことを作品として描けるようになるまでにここまでの時間がかかったということは頭の片隅に入れながらも、 ギャグ漫画家吾妻ひでおの復活を喜びながら、所々でクスッと笑いつつ読んでいただきたいと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本農業への正しい絶望法』

2014-03-02 | 乱読日記

数年前に大企業を退職して農業を始めた友人から、今の日本の農業の問題点を鋭く指摘している、と勧められた本。

自分自身は農業についてほとんど知識を持ってはいないのですが、「有機農法・無農薬栽培」の無条件な信奉や 「農業の六次産業化」という企業の掛け声にはどうも胡散臭い、というか主唱者はそれを真面目に信じていそうなだけに危うさを 感じています(そんなにいいものだったら規制(農薬の禁止)なり規制改革なりを強引に進めても、賛同者の方が多いはずなのに)。

農業経済学者であり、また、数多くの農業の名人とも親交がある著者は、現在の「農業ブーム」の誤解や危うさを片端から切って捨てています。

  • 有機栽培といっても処理が不適切な家畜の糞尿を使うと窒素過多になり、品質が劣る。また、そもそも農薬・化学肥料かどうかの境界自体もあいまい。
  • 耕作放棄地は単に担い手不足なだけでなく、転用・転売目的のものも多い。
  • 中国や東南アジアの富裕層向けの「日本ブランド信仰」は永続するものと勘違いしてはいけない。
  • 農業を語るうえで「美しい農家像」というノスタルジーによるバイアスに気を付ける必要がある。 ・そもそも日本の農地法の規制は有名無実化しており、この状態で「規制緩和」をしても非営農目的の農地取得を助長するだけである(農水省OBに聞いた話でも、20年以上前から農業委員会は補助金を受けるということ以外にはほとんど機能していなかったらしい)。
  • JAは非営農関連の事業の方が大きく、また定義のあいまいな準組合員が多数を占めており、もはや農家を代表していない(JAの正組合員戸数は農水省統計の農家戸数をはるかに上回るという妙な状態が生じている)。またJAはすでに政治的にも弱体化している。

こういう状況下で、著者は、現在の「どういう人(または企業)が農業にふさわしいか」という担い手や「大規模化」などの理想論でなく、「それぞれの土地にどういう土地利用がふさわしいか」という土地利用政策に農業政策を転換すべきと主張します。

具体的には

  • あいまいなまま放置されている農地基本台帳を徹底的に見直して、所有者や利用状況を洗いなおして情報公開する。
  • 徹底的な農地の利用規定を作成し(栽培する作物、肥料や農薬の種類や量、共用用水路の利用方法など)、その利用規定さえ守っていれば 誰が農地を使ってもいいとする
  • これにより、より高い地価や小作料を提示できる担い手(=耕作技術の高い担い手)が耕作することが可能になる。 という競争原理を取り入れた方策を提唱する。

これが上手くいくかどうかは素人にはわかりませんが、TPP交渉が推進する一方で(これについても著者は論点がずれていると主張するがここは割愛)、経済団体だけでなく農水省まで「六次産業化」と言っているなかでは、 ルールを決めたうえで参入を容易にし、その代り言い訳を(どちらの側にも)させない、という方法は、やってみる価値はあるように思います。

新書版としては手を広げ過ぎた分、表現が過激だったり、論旨が飛んでいて素人にはわかりにくかったりする部分もありますが「農業(農家)善玉論」にも「悪玉論」にも組みしない主張として、読んでみる価値はあると思います。

PS
それにしても、帯にある「養老孟司さん推薦!!」というのはいまだに効くのでしょうかね?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする