goo blog サービス終了のお知らせ 

一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『How Google Works ―私たちの働き方とマネジメント』

2015-08-20 | 乱読日記
書籍としての完成度がすばらしい。

優秀なメンバーのチームで優れた製品を作り出す、というGoogleの作法で作った本であり、それ自体が優れたPRになっている。

全体の構成だけでなく、個々のエピソードから、小説や映画から引用される名言・名せりふ、そして各章の末尾についているコラムまで面白く、かつ隙がない。

巻末の「謝辞」を読むと、本書が数多くのGoogleのメンバーや出版社のチームによって作られたことが面白おかしく書いてある。そこでは本書は「プロジェクト」と表現されている。

この本事態が"How Google Works"を表していると思った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『HHhH (プラハ、1942年) 』

2015-08-18 | 乱読日記
文学の新たな可能性を感じさせてくれた作品。


できれば私のくだらないレビュー(やamazonなどでの優れたレビュー)を読む前に、予断を持たずに読んでみて欲しい。



***********************
以下、くだらないレビュー
***********************


ジャンルとしては歴史小説になるのだろう。
ナチスドイツ占領下のチェコスロバキアに副総督として着任したナチスの高官ラインハルト・ハイドリッヒ--ユダヤ人虐殺を計画・指揮した男で、表題の「HHhH」はHimmlers Hirn hei't Heydrich「ヒムラーの頭脳はハイドリッヒと呼ばれる」の略からきている--の暗殺を企てたチェコ人とスロバキア人の二人の男たちを軸に、小説にしようと思い立って以降事件に取り憑かてしまった作者の思いや創作という行為自体への揺れを、一冊の文学にまとめてしまっている。

最初は歴史小説なのかノンフィクションなのかエッセイなのかわからないまま読み進んでいくと、最後にそれらが一つにまとまって、圧倒的なクライマックスを迎える。

読者を小説の舞台に引き込むのが小説の醍醐味だとすると、それは見事に成功している。
しかも、登場人物だけでなく、作者とも一体になりながら作者が事件に引き込まれる瞬間も同時に体験できるという、いわば「一粒で二度(というより二倍)おいしい」作品になっている。

しかも「前衛」さや「実験」が前面に出てしまう「前衛小説」「実験小説」的な臭さを感じさせないところが、この小説の独創的でかつ小説として技法にも優れているところだと思う。
(作者自身はやや理屈っぽくはあるが、それも小説のなかにうまく取り込まれている)



まあ、騙されたと思って読んでみて欲しい。



余談だが、『世界史の極意』を読んだ後だったので、チェコとスロバキアの歴史とナショナリズムの由来についてちょっと知識があったので、物語によりスムースに入っていけた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『空襲警報(ザ・ベスト・オブ・コニー・ウイリス)』

2015-08-16 | 乱読日記
帯の「ぼくが現地実習に降り立った先は、大空襲下のロンドンだった・・・」に惹かれて、欧州出張の機内用に。

作者のファンの人には申し訳ないが、どうして買ったかもよく覚えていなかったし、作者が英国人でなく米国人だということも知らなかった。

本書は著者の受賞作を集めた短編集だが、失われたもの、いずれは失われるであろうもの、未来において失われてしまったもの(時制の勉強みたいだ)への愛情を、ひねりを利かせたSF作品として仕上げている。

オチや伏線自体は最近の作品のようにどぎつくはないし、カタルシスを得られるというよりは最後に考えさせられるようなものなので、スカッとする感じは少ないが、しばしば饒舌になる語り口の中に作者のこだわりや愛情が見え隠れするのも魅力の一つになっている。

特に表題作の舞台になったセントポール大聖堂は、ちょうど訪問先が近くにあったということもあり、今回の旅の供としては正しい選択であったが、SF作家として他の作品を読もうと思うかはちょっと保留という感じ。

これは自分自身がSFから遠ざかっていることが主な原因なんだが、それを引き戻すまでの魅力は残念ながらなかったかな。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『空からの民俗学』

2015-08-13 | 乱読日記
民俗学者の宮本常一が全日空の機内誌「翼の王国」に昭和54~55年に連載していた表題のシリーズなど、地形や景観の写真を鍵にその土地々々の文化風土の歴史や特徴を解説したエッセイ集。

冒頭の文章から、犂(すき)のタイプによって畑の形状が違ってくると語られ、一気にに引き込まれる。

宮本常一のことは知らなかったのだが、Wikipediaによれば「生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域を築いた」というだけあって、過去の生活文化や産業の盛衰が現在の景観や街並みにつながっていることを改めて気づかせてくれる。

淡々とした中に愛情のこもった語り口も魅力的。


さっそく他の著書を注文してしまった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『Zero to One』

2015-08-09 | 乱読日記
今さら、という時期にやっと読んだ。

この手の本は、実際タイトルや著者の経歴で箔をつけているだけで、それがなければとりたててすごいことを言っているわけでないモノや、単なる後講釈本も多い(特に「マッ○ンゼー流の××」とか)中では、結構面白かった。

本書は、多くの人が「あいまいな楽観主義」に基づいて、新しいものを作り出すかわりに既存のものを作り直すことに従事して小さな成功を目指す-たとえば優秀な学生が弁護士や経営コンサルタントになろうとしたり、ベンチャーキャピタルが分散という名のゴミのようなポートフォリオを組むこと-を批判し、「知られざる真実」-賛成する人がほとんどいない、大切な真実-を探せ、それによって、競争を回避して独占を手にすることができると説く。

ではなぜ皆が「知られざる真実」を探さないかというと
① 幼いころから「漸進主義」-期待されたことを順番にやっていくのが大事-が身についている
② 主流に反したことをやって間違いたくない、という「リスク回避」
③ 現状への満足
④ 世界はフラット化しており、自分ひとりの力ではどうにもならない
という考えに毒されているという。

うーん、それを突き抜けるのが一番難しいんだけどね。

あと、一番面白かったのが、営業の重要性、実は「どう売るか」が一番大事であるとか、イーロン・マスクが天性の営業マンであるというあたり。

それから、序文は妙に長く、内容について予断をもってしまうので後回しにした方がいい。
日本ではピーター・ティールはそれほど知られていないので最初にアピールする意味合いもあったのかもしれないが、置くとしても「あとがき」の方がよかったと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イギリス人アナリストだからわかった日本の「強み」「弱み」』

2015-08-08 | 乱読日記
柳の下のドジョウになってしまった。

『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』が面白かったのでこれも買ってみたが、とりたてて新しいことはなく残念。

観光や文化財に興味のあるひとは上記、日本の社会がここがおかしいよという話に興味がある人は本書のどちらかを読めば十分。

まあ、言っていることはもっともだし、著者本人は繰り返して主張したいのだろうから、結局「イギリス人アナリスト」というタイトルで一定数の読者が釣れると考えた出版社に乗せられたこっちが悪かったということだろう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ジム・スマイリーの跳び蛙 マーク・トウェイン傑作選』

2015-07-23 | 乱読日記
翻訳家の柴田元幸氏が新たに選んで訳出したマーク・トゥエインの傑作集。
アメリカ出張のお供に。

お得意のホラ話が多いのだが、こういう文章が新聞や雑誌に載っていたということ自体、アメリカも今よりずいぶんおおらかだったと実感する。

インターネットで情報が流布するようになると、正確な情報とともに不正確な情報がたくさん流布されるので、こういうホラ話は両面から居場所を追われつつあるのだろう。

一方で、上質な風刺の力は今でも通用するし、現代でこそより求められているように思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『世界史の極意』

2015-07-22 | 乱読日記
相変わらずタイトルがカッコよすぎて手に取るのが恥ずかしい佐藤優氏の新書だが、内容としては面白い。

・資本主義は生産と資本の蓄積によりグローバル化から最後は資本と国家が結びつき世界の領土をそれぞれが支配する帝国主義に発展する。
・戦後共産主義の勃興で修正が加わったものの、ソ連崩壊後は資本主義化が加速しており、帝国主義化に向かっている。
・帝国主義の時代においては、統合のためにナショナリズムが動員される一方で帝国の中の少数民族は自身の民族性に自覚し自立を求めだす。

こういう時代認識の中で、ハプスブルグ帝国の成立と崩壊と東欧でのナショナリズムの発展、産業革命と大英帝国の発展、イスラムとキリスト教の歴史から、現在のイスラム国や民族自立の動き、さらには沖縄をめぐる問題の底流まで分析している。

キリスト教・イスラム教の宗教問題やロシア・東欧・中央アジアなど著者得意の分野の博学をもとに、源治の事象の歴史的背景を説明する切れ味は相変わらず鋭いしなるほど、と思うことも多い。

少しだけ言及されている中国についても、佐藤氏の切り口で本格的に料理してみてほしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『憲法の条件 戦後70年から考える』

2015-07-21 | 乱読日記

現在の安保法案やそれに対する反対の声がどうもお互いにずれてるのではないか、と思う人には参考になる。

本書は社会学者の大澤真幸と憲法学者の木村草太の対談。

安保法制の議論の経緯について、少し長くなるが引用する(以下すべて木村氏の発言。太字は筆者)。

・・・2014年の5月15日に安保法制懇の報告書が出ました。そこから11回の与党協議を実施して、7月11日に閣議決定がなされました。その後・・・衆参両院の予算委員会が閉会中に開かれて、そこで閣議決定の意味を問うような与野党の議論が行われたわけです。
 まず、安保法制懇の報告書がどのような構造になっていたかというと(中略)
 国際法上、許された武力行使なら何でもOKという第一の解釈は、安倍首相が5月15日段階で否定しています。ですから、第二の解釈に基づき、日本の自衛のために必要最小限度の範囲で、どこまでできるかが議論されたのが、5月15日から7月1日までの与党協議であったということになるかと思います。
 閣議決定のかたちが見えてきたのは6月末です。そこでは、安保法制懇の議論はほぼ無視されて、公明党とどこで妥協できるかというのが議論の中心になってしまいました。そうした中で、終盤の6月末に「日本の存立を脅かす事態」であれば、武力行使ができるというフレーズが登場したのです。

 ・・・実は従来の政府解釈においても、個別的自衛権の行使を許容する根拠は、「日本の存立を脅かす事態であれば、日本政府にはそれに対処する義務がある」というロジックだったわけです。  では日本の存立を脅かす事態とは具体的に何を指すのかといえば、日本への武力攻撃があった場合が該当するだろうから、そういう場合の武力行使は日本国憲法も許容しているはずだと、こういうふうに議論が展開していきました。そして日本への武力攻撃を排除するというのは、国際法の観点からすると個別的自衛権の行使に該当するので、国際法上も可能であるというのが、これまでの解釈の構造です。
 (中略)
 一般的に、主権国家の政府が持ち得る権限には、「行政」「外交」「軍事」という三つのカテゴリーがあります。しかしさきほど憲法73条を説明したとき(*)にも少し触れましたが、「行政」というのは国内で主権を行使する作用です。「外交」とは、国内主権の行使ではないので、狭い意味での行政には含まれない作用ですが、相手国の主権を尊重して行う作用と定義されます。最後に「軍事」というのは、相手国の主権を無視し、制圧する作用のことです。
(* 憲法73条 には内閣の権限として「一般行政事務」「外交」「条約締結」などはあるが、「軍事」の規定はなく、憲法9条の解釈にかかわらず対外的な武力行使は憲法に権限として列挙されていないので、集団的自衛権を行使することはできない)
  (中略)
 さて、三つの作用のうち、日本の主権を維持するための個別的自衛権の行使は、日本の国民の安全確保ですから「行政」に含まれます。また、日本が外国のために技術協力するとか・・・武力行使に至らない範囲でPKOに協力するとか条約を結ぶといった行為はすべて「外交」に含まれます。そして、外国の防衛援助のための武力行使や、国連軍への参加、あるいは侵略行為になると「軍事」になるわけです。
 この三つのカテゴリーを踏まえると、・・・「日本の存立を脅かす事態」とは「日本への武力攻撃があった場合である」というのは当たり前のことです。

 ところが、この6月末以降に登場したのは、「ある外国への武力攻撃によって、日本の存立を脅かす事態が生じれば、それに対応できるはずである」という議論です。
 ・・・しかし・・・具体的状況がきわめて考えにくい。・・・たとえば、在日米軍基地への攻撃がなされた場合には・・・「ある外国」への攻撃でもあり、それと同時に・・・日本への攻撃でもあります。
  法的に言えば、個別的自衛権の行使として説明してもいいんですが、集団的自衛権の行使として説明しても、間違いではありません。ですから、その範囲で集団的自衛権の行使を認めるというのは、要するに個別的自衛権の行使として説明できる場合は、集団的自衛権の行使をしてもいいですよ、ということになる。閣議決定の文言をていねいに読めば、そういう内容になっているんですね。
  この閣議決定は公明党と内閣法制局が下書きをしたと言われていますが、彼らは、現行憲法のもとでは集団的自衛権の行使は不可能だ、従来の政府解釈を超えるような憲法解釈は不可能だ、という立場です。従来の枠内で手段的自衛権をやろうとするなら、個別的自衛権の行使として説明できる場合には集団的自衛権の行使を認める、そういうふうにやるしかないわけですね。実際、7月14・15日の公明党の質問に対して、法制局長官が答えている内容を見ると、完全にそういう応答になっています。

 ところが、安倍首相の発言などは、石油が日本に入ってこないことも日本の存立を脅かす事態だと言っていて、いわば、その「あてはめ(適用)」がずれているというか間違っているんです。ですから、「基準」のレベルでは、完全に公明党と内閣法制局の手のひらで踊っている安倍政権なんですが、安倍首相自体はこれで何でもできると思っているという、非常に不可思議な事態が生じているということです。

同時に木村氏は「護憲派」の議論のありようにも問題があると指摘する。

 私たちのもっと上の世代の憲法学者は、まさに(注:アメリカに対する敗戦の)否認の結果として日本国憲法の普遍主義に逃げたということがあるように思います。これに対して私たちの世代(注:木村氏は1980年生まれ)は歴史的文脈を全く無視して、日本国憲法に書いてある普遍的な価値を、当然の基本原理として理解してしまっているところがあります。
 そこには善い面と悪い面があると思います。善い面とは、「普遍」は「普遍」として捉え、特に負い目を感じずにいられるということです。ただ悪い面としては、そういう議論はどこかしら上滑りをするところがあるし、歴史的経緯でものをいっている人に対して、冷たくなってしまうという部分があります。

 今のお話(注:集団的自衛権の議論にあたって、自国の利益のみを考え、国際公共価値の議論が抜け落ちているという大澤氏の指摘)は、集団的自衛権賛成派と反対派の両方にいえることだと思います。集団的自衛権に関して、メディアの中でいちばん優勢だったのは、結局、アメリカに見捨てられていいのか、という賛成派による議論と、戦争に巻き込まれていいのかという反対派による議論でした。
 賛成派は、アメリカに見捨てられたら日本はやっていけないから、アメリカの51番目の州として認めてもらうために、集団的自衛権を持とうという。それに対して反対派は、集団的自衛権を認めたら戦争に巻き込まれるからだめだという。激しく対立しているようでいて、いずれの議論も利己的である点は同じです。どちらも国際公共価値には目を向けていないわけです。

「こうなったら困るでしょ」という事例と「戦争法案」「徴兵制」というお互い情緒的・感情的な主張はまともな議論になっていない。
これで、法案が通ってしまって反対派の運動が敗戦気分で急にしぼんでしまうような気がする。
戦争を心配するなら、徴兵制の前に絶対的貧困や社会階層の固定化を背景にした志願兵の拡大という「自発的」な形をとってやってくるので(それは別の問題でも同様)、単に法案の成否でなく、そういう世の中にしない、ということが重要なのではないかと思う。

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『64 ロクヨン』

2015-07-08 | 乱読日記
本のレビューもためてしまったので徐々に。

これは言わずと知れた横山秀夫の警察小説。「このミス」2013年1位の作品。

横山秀夫は書店の平積みに誘われてたまに買うのだが、常に非常に面白い。
ただ、現場の刑事をリアルに描きすぎて全般的にトーンが暗いという印象がある。

本作も冒頭から広報に異動になった元刑事のルサンチマンと諦念が語られるので、けっこうきついなぁ、と思った。

上巻はマスコミとの関係をめぐる広報と刑事部の確執の話が続く。
これは組織論、組織における中間管理職の身の処し方についての小説としてよくできていると妙に感心しつつ読み進む。

そして、下巻の中ごろになってミステリ・警察小説の本性が一気に牙をむく。
そこからラストまでは一気。
ここに至って、今までに様々な伏線が張り巡らされたいることにようやく気付くもすでに後の祭り。

圧巻。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『会議の政治学 Ⅱ』

2015-02-28 | 乱読日記

著者の森田朗氏は、現職は国立社会保障・人口問題研究所所長で、同時に中央社会保険医療協議会会長その他政府の審議会の座長や委員を数多く歴任している。

本書は前著『会議の政治学』のあとがきで「本書は初級・中級編である」と書かれたこともあり、関係各所の期待が高まる中での満を持しての続編である。

本書では審議会における「顔」の立て方-相手の「顔」をつぶさず、自分の顔も立てつつ議論を自分に有利に進める(座長の場合は議事を円滑に進める)テクニックを中心に論じている。

本書の内容も、前著同様、政府の審議会だけでなく会社での会議への応用も効く。
たとえば意思決定者が主宰する「御前会議」や同席している「臨席会議」における委員のふるまい方などの分析は面白い。


また前著との間の一番のイベントであった民主党への政権交代と「政治主導」下における審議会の功罪についてもふれている。  

 これまで審議会等で同席した大臣その他の政務の諸氏の印象をあえていえば、かなりの方がよく勉強して、専門知識の基本を習得している上に、いわゆる有識者の発想を超え、広く社会状況を考慮された思考を示されていたと思う(中略)。  
 しかし、多くの政務の諸氏は、忙しすぎるのか、関心がないのか、基本的にその課題についての知識を欠いているのか、長年にわたって蓄積してきた専門的知識を充分に理解しないままに、自身の経験と知識のみで判断していたように思う。
 そうした政治家も、自身で自分の能力の限界をよく理解している人は、謙虚に議論の流れを尊重し、議論の本質に関わるような点については、極力触れないようにする配慮を示す。しかし、自己の能力を客観的に把握できない人もたまにいて、彼らは、政治家としての威信を示そうとして、余計な意見を述べる傾向にある。

ここの「大臣その他の政務の諸氏の・・・かなりの方」と「多くの政務の諸氏」、「たまに」いる自己の能力を客観的に把握できない人という書きぶりなどは、まさに相手の「顔」をつぶさないようにしながらも自らの主張を通す技法の面目躍如といえよう。

読むほどに味わい深い本である。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『健やかに老いるための時間老年学』

2015-02-26 | 乱読日記
いいことが書いてあるのだが残念ながら消化不良。

人間には「生体時計」というリズムをつかさどる機能があり、それは、0.1秒、1秒~12時間という短いリズムから3.5日、1週間~10.5年、21年という長いリものまでさまざまなリズムが組み込まれている。
それらは睡眠時間やや生活リズムを規定するだけでなく、またある種の病気が発病しやすい時間帯や投薬の効果の出やすいタイミングにも影響することがわかってきたそうだ。

そこまではいいのだが、本書は非常に盛り沢山なことが書いてあり、古今東西の天文学から時間概念、はては養生訓まで言及する一方で、糖尿病や心筋梗塞、睡眠障害から認知症患者の時間認識まで現代医学の成果もてんこ盛りになっている。
著者の講演を聞いたり他の著書を読んでいる人にはわかるのかもしれないが、これらが系統だって論じられていない感じがする。

さらに、結論的には「規則正しい生活とバランスのいい食生活が大事」というきわめて普通の話になる(もっとも朝は比較的どのようなものがいい、などという指摘はあるが)。

自分的には消化不良で中途半端な感じが残ってしまった。

出版元のミシマ社はウェブサイトも楽しく、視点が面白い書籍も多く編集者と著者の距離感が近い感じで楽しそうに作っているのだが、今回はその距離の近さと自分との相性が悪かったようだ。

ちょっと残念。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『サラバ』

2015-02-24 | 乱読日記
かなりボリュームのある小説なので積読になるおそれが高かったのだが、季節外れに罹ったインフルエンザの病み上がりの暇なときに一気に読了。

とても面白かったので、自分のつまらない感想を読む前に本を読むことをおすすめする。




あらすじはネタバレになってしまうので省略するが、語り手である主人公が「語り手」から「主人公」になる物語。

最初は、面白いがどこに着地するのかわからないように見える物語が、下巻に入るあたりから一つの方向に加速し、最後の大団円を迎えるまでの構成も見事。


歳を取るとなかなか小説に素直に感動しないようになってしまうのだが、とても面白かった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』

2015-02-03 | 乱読日記

最近「イギリス人(英国人)○○、××をする」というタイトルが流行りのようで、自分自身も これこれを読んだ。

さて、本書の著者は、バブル崩壊時に、ゴールドマンサックスのアナリストとして日本の銀行が巨額の不良債権を抱えていると喝破したデービッド・アトキンソン氏。
氏は、若くしてリタイヤし、悠々自適の生活をしていたところ、請われて文化財の修復を手掛ける小西美術工藝社の社長に就任したという経歴の持ち主。
私の世代にとっては有名人なのだが、今や「イギリス人アナリスト」というタイトルを付けられてしまうのは時代の流れを感じる。

タイトルからは文化財の修復の経験やアナリストの「杵柄」を通じて日本の観光産業の問題点と成長の可能性について鋭く切り込む、という内容を期待していた。
実際後半はその通りなのだが、前半はアナリスト時代に感じた日本の会社(特に銀行)の文化や意思決定のおかしなところについての話が中心になっている。

あとがきを読むと、「30年間のアナリスト人生の「結晶」が本書です。」とあり驚いたのだが、引退後今まで著書を出していなかったので、以前は言えなかったこともまとめて言ってしまおう、という気持ちもあったのかもしれない。

確かに「数字に基づく分析や議論をしない」「シンプル・アンサーが大好き」(注:「アベノミクス」「第三の矢」「成長戦略」などのスローガンが好きでそれで解決した気になってしまう)というあたりは、観光政策に切り込む切り口にもなっているのだが、個人的には後半部のボリュームを増やした方がより面白いものになったと思う。


さて、その後半部。
著者は日本の観光産業に対する日本人の誤解について切り込んでいる。

  • 世界ではGDPに対する観光業の貢献度は平均約9%だが、日本は約2%にすぎない。
  • 観光客の一人あたり消費額が高い国民は上位から豪、独、加、英、仏、伊、露の順だが日本への観光客上位は台湾、韓国、中国、タイという金を使わない国。金を使う客をターゲットにすべき。
  • 外国人観光客の総数を増やすのも大事だが、カネを落としてくれるオーストラリアやヨーロッパからの観光客に響くような施策(観光消費・リピーターを増やす)を打つことで、観光産業は発展の余地があり、雇用やGDPにも貢献する。
  • しかし一方で五輪招致以降「おもてなし」が話題になっているが、日本では(高級旅館も含め)サービス内容は供給者側が決め客はそれに従う、という形が多い。
    本来「おもてなし」ができているかどうかは客が決めることであり、一部の高い評価を全体の評価にこじつけると問題点が見えなくなる。
  • 特に遅れているのが文化財の分野。
    たとえば文化財の豊富な京都の外国人宿泊者数は113万人(2013年)京都を訪れる外国人客を約200万人と見積もっても、大英博物館一館の外国人客数420万人に遠く及ばない。また、京都を訪れる外国人観光客の一人あたり消費額は13000円弱に過ぎない。
  • これは日本の文化財保護政策に問題がある。
    日本の文化財指定は建物ごとにしか適用されないので、本殿は立派に修復されているが門はぼろぼろというものも多い。
    また、由来や歴史・背景にある文化の解説は貧弱(日本人ですらスマホで調べながら見学している)なうえに、「動態保存」がされていない(たとえば「茶室」とあるが畳の部屋だけで器や茶釜、掛け軸、茶花もないのは調度品のないバッキンガム宮殿やウインザー城のようなものだ) ・文化財行政の目的は「保存修理」であり、訪問者に「楽しんでもらう」という視点がなく、「楽しみたければ勉強してから来い」という供給者の論理になっている。

言ってみれば

「観光産業として、金払いのいい人に気持ち良くお金を落としてもらうにはどうするか?」

というマーケティングの基本なのだが、「クールジャパン」「和食」などコンテンツ主導だったり「訪日観光客数」という質でなく量重視の議論がされがちな中では貴重な指摘だと思う。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『イスラーム国の衝撃』

2015-02-01 | 乱読日記

週末にレビューを書こうと思っていたら、後藤健二さんのニュースが飛び込んできてしまった。
非常に残念であると同時に憤りを感じる。

政府の対応については、水面下で何が行われていたかは表に出しようがないので(水面下の話が漏れるようではそれこそ政府として問題)、当然マスコミや一般人には情報はなく、TwitterのTLなどではその人の安倍政権に対する好き嫌いの表明になっている感じがする。
逆に政府も結果に対してしか責任の取りようがないので、それだけに日頃の国民からの信頼が重要ということだろう。


さて、本書。
著者の池内氏は中東地域研究、イスラーム政治思想の専門家であり、著書も多数。
タイトルは出版社サイドが営業的な観点から決めたのだろうが、内容的にはアジり・決めつけなどはなくイスラーム国について一般に流布している誤解を解いたり、背景をきちんと説明している。

本書では911以降のアル=カイーダからグローバル・ジハード、イスラーム国に至る流れを丁寧に解説する。
さらに、イスラーム国はイスラム世界に突如として登場してきたものや、新しい主張ではなく、過去の中東の秩序とイスラーム世界の歴史から生まれたものであり、今イスラーム国が登場したこと自体が現在の中東の思想的・政治的状況の反映であると俯瞰する。

  「1914」(注:第一次世界大戦の勃発)は、アラブ世界に民族と宗派に分断された複数の国家を残した。それを超えると称する「イスラーム国」は、「1952」(注:エジプト・ナセルのクーデタと民族主義の高揚)や「1979」(注:イラン革命とイスラーム主義・ジハード主義)に掲げられたイデオロギーの断片を振りかざすが、独裁や抑圧や宗教的過激主義・原理主義といった、それらの画期に伸長した勢力の負の側面を受け継いでさらに強めた。「1991」(注:湾岸戦争)に確立された米中心の中東秩序に挑戦したのが「2001」(注:911)だが、それに対する対テロ戦争の追撃を受けて世界に拡散した過激思想と組織が、米国の覇権の希薄化と「2011」の「アラブの春」をきっかけに、(注:①中央政府の揺らぎ、②辺境地域における「統治されない空間の拡大」、③イスラーム主義穏健派の退潮と過激派の台頭、④紛争の宗教主義化、地域への波及、」代理戦争化の帰結として)「イスラーム国」という形でイラクとシリアの地に活動の場を見出した。・・・  

 「イスラーム国」は、中東近代史の節目ごとに強硬に発信されてきた、反植民地主義や民族主義、そして宗教原理主義といったイデオロギーを現実に実践して、その負の側面や限界、そして危険性をあからさまに体現してしまった。・・・  

 「2014」は、過去の変動期に解決されずに抱え込んできた問題が噴出し、過去の不十分な取り組みの帰結や負の要素を清算しようとする、それ自体が新たな問題を引き起こす解決策が試みられた、構造変動の軋みが表面化した年と言えよう。この年に現れた「イスラーム国」は、当事者や共感する者たちから見れば、症状を一気に解消する「夢の療法」なのであるが、実際には、中東の抱えた問題のいわば「症状」なのである。それは、中東・イスラーム世界の近代化の帰結であると共にその不全の表れであり、それを乗り越えようとする困難な試みという側面を兼ね備えている。その試みの多くは、不調に終わるだろうし、さらなる混乱をもたらすだろうが、不可抗力的・不可逆的な変化の一環だろう。

また、イスラーム国の実態についても、多方面のデータや情報そして著者の知見を使って、素人にもわかりやすく描いている。
「イスラーム国の衝撃」を易しくかみ砕いてみたでも紹介されているが、今回もなされたネットでの動画公開に代表されるようなメディア戦略に長けていること、また、それらの声明・文書もイスラーム教の教義体系の中から有用な概念やシンボルを選び出して自らを正当化するプロパガンダであるという指摘など、役に立つ部分が多い本だと思う。


余談だが、メディア戦略といえば、今日の安倍総理のインタビューを見て思ったのだが、この人は大きな言葉・強い言葉を使うほど不自然で気持ちがこもってないように聞こえてしまう癖があるような感じがした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする