『ダイハード/ラストデイ』
実は主人公のジョンには前作に登場した娘だけでなく息子もいたらしく、それとのからみ。
見どころは冒頭のモスクワ市内のカーチェイス。
メルセデス・ベンツがスポンサーになっていて、他社の車が蹴散らされ、踏みつぶされる中で、ベンツ の車だけは大丈夫という、昔の「西部警察」における日産車をほうふつとさせる。
この映画のおかげでウニモグが1、2台売れたかもしれない。
『Promised Land』
マット・デイモン演じるシェールガスの採掘権を獲得するために住民の同意を取り付けるガス会社の腕利き社員がある田舎町に赴き、順調に進むと思っていたが・・・という話。
マット・デイモンのキャスティングから期待される役柄から微妙にずれていって、どうやってまとめるんだろうと思ったが、最後ひねりを効かせてきれいに着地。
マット・デイモンの相棒役を演じるFrances McDormand(『ファーゴ』の主人公の女性警官(保安官だっけ)役)がここでもいい味を出してる。
途中、ちょっと印象に残るカメラワークでとらえられるレモネード売りの女の子に注目。
最後のところで、いいセリフを言います。
『Side Effects』
NY在住の女性に処方された精神安定剤の新薬が予期せぬ副作用を生んで・・・というサスペンス。
スティーブン・ソダーバーグ監督、薬を処方した医師役でジュード・ロウ。
ネタバレになるので(しかも、その仕掛けが映画の面白さの大半を占めている)細かいことは言いませんが、ソダーバーグだけに単なるサスペンスだけでなく製薬会社と医師の関係など社会問題を背景に織り込んでいる。
映画としては途中まで何を焦点にしたいのかわからない感があるが、これも最後のほうで「そうくるか」とわかります。
問題作、というよりはよくできた小品。
『PREMIUM RUSH』
自転車便(バイク・メッセンジャー)が事件に巻き込まれる、という話。
ニューヨークの土地勘を思い出すのに役立つかなと思って観たのだが、ストーリー上は北から南に秘密の荷物を運ぶ、という話だったので、あまり役に立たず。
現地の人の話では、バイク・メッセンジャーは一時非常にはやったのだが、交通ルールを無視し、事故も多いので取り締まりも厳しくなり、一時期ほど多くはないらしい。
この映画は2012年の作品なので、全盛期だったころに製作が決まったのだろう。
映画としては多少の無茶をするほうが面白いのだが、確かに現実にこれをやられるとたまったものではないだろう。
ストーリーは可もなく不可もなく、普通。
自転車アクションシーンが見せ場の映画。
『Identity Thief』
クレジットカード情報を盗まれた主人公が、犯人のオバチャンと珍道中を繰り広げる、という話。
犯人役のオバチャンはアメリカで人気のコメディアンらしい。
脇役も含め登場人物の設定や演技が過剰な感じ。
ストーリー展開もどこかで観たようなシーンの焼き直しが多い。
それがウケるのかもしれないが、観ていてちょっと食傷気味になる。
そのへん、フランス人の監督・脚本は、脇役の造形やサイドストーリー、それにアメリカ映画とか飛行機の機内上映だったらカットされるじゃないかという辛口のユーモアを交え、味わい深く仕上げています。
大富豪が現在の地位を築いた背景への説明はなく、しかもパリの町中でスーパーリッチな生活が営まれているというのも、この映画を自然にしているのに一役買っています。
これがアメリカ映画だと、なぜ大金持ちかの説明が必要だったり、世間と隔絶した生活を送っていたりしそうなので、どうしても不自然になりそうです。
善悪や好悪や強弱は相対的で流動的だということが徹底しているところが、見ていて気持ちいい小品だと思います。
PS
Earth Wind & Fireの曲が大事な役回りとして出てくるのも良しw

原題は"The Descendants"。
「祖先」だと固くなるのでこのような邦題になったのでしょうか。
家族と先祖から受け継いだものをめぐる誠実なファミリードラマです。
goo映画からあらすじ
ハワイ・オアフ島で生まれ育った弁護士のマットは、妻と二人の娘たちと何不自由なく暮らしていた。カメハメハ大王の血を引く彼は、祖先から受け継いだ広大な原野を所有しており、それを売却し巨額の富を得るか自然を守るかの決断に迫られていた。そんな中、妻がボートの事故でこん睡状態に陥ってしまう。さらに妻には恋人がいて、離婚を考えていた事が発覚する。そればかりか娘が妻の浮気を知っていたと告白、マットは動揺する…。
ハワイの自然と、今のアメリカの家族の悩みが描かれています。
主人公は遺産を除いても裕福であり、悩みといっても妻の事故を除けば生活に関わるほど深刻なわけでもなく、まあ贅沢な方に分類される悩みではあるのですが、そこを丁寧に描いているところにリアリティがあります。
ハワイの自然と遺産についての問題の側の描かれ方がちょっと足りない感じもしますし、原住民とアメリカ人の混血と文化の混合、資産を持つ層と持たない層の生活の差などについては、冒頭部分に少しと登場人物や舞台の設定で触れられているものの、それではメインランドの人には伝わらないのではないか、という感じもしますが、そこまで求めるのは酷でしょう。
安心して見られる家族の物語です。
『アフリカ 動き出す9億人市場』で取り上げられていた映画。
南アフリカにおける映画製作の新時代到来とまで言われた、南アの作家の小説を原作とし、南ア出身の監督がメガホンをとった作品。
2006年アカデミー賞最優秀外国映画賞など数々の賞に輝き、南アフリカでの興行成績を塗り替えたそうです。
南アフリカといえば2003年にノーベル文学賞受賞したクッツェーの小説『恥辱』 しか読んだことがないのですが、日常生活に暴力、治安の悪さが普通に同居しているところが、印象的でした。
本作は、その暴力の側にいる主人公の話。
貧困と暴力・犯罪の連鎖、貧富の格差、そしてそれが再生産されてしまう状況が背景として描かれて印象的です。
結末をどのように持っていくのかに興味がありましたが、救いの光を見せて終わっています。
この映画に関して『アフリカ・・・』に興味深いくだりがあります。
ヒット映画の例に漏れず、南アフリカの映画『ツォツィ』の海賊版が路上に出回ると、それが国民の怒りを買った。そのようなことは初めてではなかっただろうか。海賊版の値段は50ランド(595円)で、粗雑な編集作業により、オリジナルとは異なるエンディングになっていた。現地の映画が盗まれたことで、知的財産に対する懸念が身近なものになったのだ。
よくできた海賊版だったらどうだったのかも興味のあるところです。
とても面白かった。
パッケージに「ワケわからんが面白い」とありますが、筋立ての基本はオーソドックスな映画です。
天才科学者が作り上げた外見が瓜二つのロボット。感情を持つようにプログラムした結果、科学者の恋人に恋をしてしまう。しかしロボットは恋に破れ失意のうちに失敗を犯し廃棄処分とされてしまうが、悪役科学者の手で冷酷なターミネーターとして蘇る・・・
というような話ですが、ロボット三原則を破るとどうなるか、というあたりからきちんと押さえたストーリーになっています。
前半はオーソドックスな展開で、インド人の口論の理屈っぽさとか女性の社会進出が進んでいる反面因習も残っているなどのお国柄が垣間見えます。
間にインド映画お約束のダンスシーンが入りますが、「スラムドッグ$ミリオネア」の音楽も手がけたA・R・ラフマーンの曲は今風で楽しめます。
なにより恋人役の女性がものすごい美人(1994年のミス・ワールドだそうです)なだけで大概のことは許せます。
ラジニカーントは、何でこのオッサンがスーパースターなんだ、というのはいまひとつ不思議なのですが、日本で言っても自分的には石原裕次郎もかっこいいとは思えないし(「太陽にほえろ」の頃は単なる人相の悪い太ったオッサンだったし当時の映像も二枚目じゃないと思う)「嵐を呼ぶ男」でのドラムソロをボクシングに見立てた一人芝居も今から見るとインド映画のダンス以上にイタいように思うので、まあ流行の違いとして受け入れられる範囲だと思います。
見所は後半のロボットが大暴れするところ。
ここはSFX使いたい放題でコテコテの演出が楽しめます。
SFX自体はレベルが高いのですが、それをハリウッド映画のようにリアリティのあるギリギリのところにとどめるのでなく、あえてリアリティをちょっとはずした荒唐無稽な使い方をしているところが魅力だといえます。
139分の長編ですが、一気に楽しめます。
インドでのオリジナル版はさらに40分ほど長いらしいですがw

ジョン・ル・カレの小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の映画化。
「サーカス」というのは英国情報部を指す隠語で、ゲイリー・オールドマン演じる主人公が幹部の中にいるソ連(舞台は1970年頃です)への内通者を探し出すというストーリー。「ティンカー、テイラー、ソルジャー」というのは、幹部それぞれにつけた略称です。
ヨーロッパの映画(英独仏共同制作)だけあって派手さはなく、緻密な作りになっています。
盗聴などのハイテクギミックも派手なアクションもなく、淡々と資料に当たり証人に話を聞き謎に迫っていく主人公をゲイリー・オールドマンが好演。もともと表情の動かしかたは上手い役者ですね。
登場人物も中年から老境に差し掛かった人が多く、それぞれの人生が微妙にからみあっているところも奥行きを増しています。
飲みながら見ていたら途中で筋を見失ってしまいそうになり、少し巻き戻したことを告白しますw
原作の小説は同じ主人公の三部作の1作目だったようですので、次回作も期待したいところです。
ジョン・ル・カレはちょうど僕が海外ミステリを沢山読んでいた頃、コーナーの一角を占めていたスパイ小説の大家ですが、不思議と今まで読んだことがありませんでした。
これを機会に読んでみようと思います。
PS
車好きにはシトロエンDSがメインの車として登場するのも見逃せません。

前から見たかったのですが、期待にたがわず面白かった。
なにより野球のプレーがしっかりしていて(スタントマンとして本物の選手を使った?)、しかもテレビ画面を通して見るところで実際の映像と合成(たぶん)したりして、リアリティ十分でした。
実際、野球映画で野球のプレーがしっかり描かれているのって初めてじゃないでしょうか。
関心のない方向けにあらすじをgoo映画から
メジャーリーグの野球選手だったビリー・ビーンは、引退後オークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャーとなる。しかし、財政が苦しいアスレチックスでは、せっかく育てた有望選手を、強豪球団に引き抜かれるという事態が続いていた。チームの立て直しを図るビリーは、統計データを使って選手の将来的価値を予測するという「マネーボール理論」を導入。イェール大卒のピーター・ブランドと共に、チームの改革を進めていく。
これは2002年の実話で、アスレチックスの成功を受け、ビリービーンが導入した野球を統計学で分析する手法(セイバーメトリクス、詳しくはこちら参照)は各チームで取り入れられました。(その結果「割安」な選手がいなくなって予算の乏しいチームはより不利になっているという皮肉な現状があるようですが)
映画ではあまり理論的に難しいことは言わず、その部分はアシスタントのピーターが好演で補っています。
球場もファンも魅力的に取り上げられていて、野球が好きな連中(ほとんどのアメリカ人はそうかw)が作った映画という感じがします。
刑事マルティン・ベックシリーズといえば、60年代から70年代にかけてのスウェーデンの警察小説のはしりで(詳細はこちら)、僕も中学生から高校にかけてはまっていた、と言う話は同じスウェーデンの「ミレニアム」のところで書いたのですが(これとかこれ)、TSUTAYAをうろうろしていたら映画を見つけたので早速レンタル。
(なにしろ100円だし。あ、今気づいたのですが、税込み100円って相当安い・・・)
登場人物については自分なりにイメージを持っていたので、映画のキャスティングに感心したり文句を言ったりというのも原作を読んだものならではの楽しみ方。
原作はシリーズ中のどの作品だったっけと考えつつ見ていたら、「豚の睾丸を声を出させずに切り取る方法」というところで思い出しました。タイトルは忘れていたのですが「唾棄すべき男」。
意外とディテールって覚えているもんですね(というか、昔のことばかり覚えている今日この頃ですw)。
この映画は1976年のスウェーデン映画で、当時のストックホルムの様子がわかるという点でも貴重かもしれません。
どこの国もけっこう地味だったことがわかります。
Youtubeでtrailerを見つけましたので、ご興味があれば。
ということでtsutayaで選んだのが1993年アメリカ映画
邦題とは無関係なシカゴの不動産業者の営業所のセールスマンの話。
売りつけようという物件もアリゾナあたりのインチキ物件だし、摩天楼の「ま」の字も出てきません。
もともとピューリッツァー賞受賞の戯曲の映画化で、アル・パチーノ、ジャック・レモン、アレック・ボールドウィン、エド・ハリス、アラン・アーキン、ケヴィン・スペイシー、 ジョナサン・プライスと豪華キャスト。
本社からの指示で成績トップ2人以外はクビ、と宣告された歩合制セールスマンが不況下のシカゴで悪戦苦闘する中で、営業所長の部屋から顧客名簿が盗まれた、さて犯人は・・・という話。
ストーリーよりも達者な芸を楽しむ映画で、特にジャック・レモンとケヴィン・スペイシーの掛け合いが絶妙です。
印象的なのは、映画の舞台になった1988~90年頃のアメリカがホントに不景気だったこと。
IT化も進んでなく、机にパソコンはないし、当然電子メールもつかってない、携帯電話はトップセールスマンが子供の弁当箱くらいのものを持っているだけで、他は会社の電話か公衆電話から営業の電話をかけています。
セールスマンも皆自信を喪失し、文句ばかり言っています。
そこから20年、特に90年から2000年にかけての技術革新と米国の好景気を考えると、日本もまだまだあきらめてはいけない、と、妙な感慨にふけってしまいました。
twitterのフォロー先の一部で評判になっていた映画ですが、普通は映画館でもレンタルでも観そうにない映画を観る機会があるのが飛行機のいいところ。
コンテクストを共有する同士しかコミュニケーションができない高校生活においてコンテクストが喪失したらどうなるか、という映画と感じた。
若者が相手の話を拒絶するときに「はぁ?」っと語尾を上げて話すようになったのはいつの頃からだろうか。
自分が高校生のときにはなかったのだが、この映画でも時折出てくるこの「はぁ?」には、相手の話をとりあえず理解しようとする姿勢の不在を感じる。
そこには、コンテクストを共有できる人間としかコミュニケーションは成り立たない、ということが前提にされているようだ。
「桐島」は皆に共有されるコンテクストの最大公約数のような存在であり、映画ではその喪失と、周囲の桐島の復活への過剰なまでの期待が、「桐島に近いが桐島未満」の主人公を狂言回しにして、コンテクストの外にいる映画部の連中、野球部のキャプテン、吹奏楽部のキャプテンと対置されながら描かれる。
そんな映画じゃないかと思った。