一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ミレニアム 1 ドラゴン・タトゥーの女』

2012-02-06 | 乱読日記
週末をつぶしてしまった。

そもそもはと本書のスウェーデンでの映画化の予告編(こちら)を見て原作を先に読もうと思っていたのですが、ハリウッド版リメイク(予告編はこちら)を機に文庫になったのでようやく購入。

早く読んでおけばよかったというのが正直な感想です。
できれば映画を観る前がいいと思います。

あらすじは本や映画の解説がいっぱいあるので省略しますが、登場人物のキャラクター、舞台設定、謎解きのストーリー展開のすべてが絶妙で、そして次回作への期待をさせる終盤まで一気に読ませます(早速2と3を買ってしまいました)。


スウェーデンのミステリといえば、中学の頃マイ・シューヴァルとペール・ヴァールーによる「刑事マルティン・ベック」シリーズにはまっていたのですが、それに通じる雰囲気があります。
(1970年MWA(アメリカ探偵作家クラブ)のエドガー賞受賞作の『笑う警官』など、角川文庫からまだ出ています。数年前に書店で見かけて手に取ったときは昔の版組みのままだったので懐かしい気分になれるかもしれません)

双方ともミステリとして上質という以外に、単なる謎解きではなく社会への批判精神にあふれていること、そしてスウェーデンの国柄を反映しているのか登場人物がそれぞれ徹底して自由かつ個人主義的であるところが共通しています。


余談ですが、僕はスウェーデンに行ったこともスウェーデン人の知人もいないのですが、これらの本で描かれているのがスウェーデン人の国民性の一部を象徴しているのならば、その「高負担・高福祉」の社会というのは実はものすごい個人の自立と個人主義(不干渉)というメンタリティに支えられている、つまり「公助・共助・自助」でいえば誰しも老いたり病んだりして「自助」ができなくなったときは一足飛びに「公助」に行く、という発想があるんじゃないかと思います(補足:個人レベルで「共助」をしないのではなく、他人に依存したり他人を助けるということを制度設計の前提にはしないんじゃなかろうか、ということです)。一方日本で「高負担・高福祉」を目指すという場合、おそらくそれは間に一度「共助」を前提にするイメージだと思うので、スウェーデンなどを見本にするのはいいかもしれませんがまったく同じ制度を取り入れるとどこかに無駄やひずみが出るように漠然と思います。


話を元に戻すと、登場人物同士の関係についての暗黙の共通理解のようなものが徹底してなく読む側にダレずに気持ちのいい緊張感を与えます。
(特に本シリーズの主人公になるであろうリスベット・サランデルは「特異なキャラ」ですが、しそれは一貫しすぎていることの結果でもあることがわかってきます。それにしてもこの副題はどうにかならんのかw)
またそれは逆に翻訳しやすく、映画化しやすいということにつながるのかもしれません。

作者は本シリーズ3作を書き上げたあと急逝したそうですが惜しまれます。
(そういえばペール・ヴァールーも早死でした。)







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