twitterのフォロー先の一部で評判になっていた映画ですが、普通は映画館でもレンタルでも観そうにない映画を観る機会があるのが飛行機のいいところ。
コンテクストを共有する同士しかコミュニケーションができない高校生活においてコンテクストが喪失したらどうなるか、という映画と感じた。
若者が相手の話を拒絶するときに「はぁ?」っと語尾を上げて話すようになったのはいつの頃からだろうか。
自分が高校生のときにはなかったのだが、この映画でも時折出てくるこの「はぁ?」には、相手の話をとりあえず理解しようとする姿勢の不在を感じる。
そこには、コンテクストを共有できる人間としかコミュニケーションは成り立たない、ということが前提にされているようだ。
「桐島」は皆に共有されるコンテクストの最大公約数のような存在であり、映画ではその喪失と、周囲の桐島の復活への過剰なまでの期待が、「桐島に近いが桐島未満」の主人公を狂言回しにして、コンテクストの外にいる映画部の連中、野球部のキャプテン、吹奏楽部のキャプテンと対置されながら描かれる。
そんな映画じゃないかと思った。
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