(ネタバレあり)
アカデミー賞作品賞受賞効果(自分もその一人)で映画館は満席
突拍子もない設定ではあるが、マイノリティが今以上に差別され、悪役は悪役然としていた1960年代を舞台にすることで、ストーリーに厚みと妙なリアリティが出ている。
伏線の回収もしっかりしていて、派手なストーリー展開がなくても楽しめる。
映画に登場する当時の音楽に詳しければもっと楽しめたと思う。
最後「(逆)蒲田くん」がオチだったとは。
★3.5
女性の労働参加率の低さ、出生率の低下という日本が直面している課題を、スウェーデンとアメリカという「大きな政府」と「小さな政府」という正反対に位置する国が、それぞれ比較的良好なパフォーマンスを示してきたことを過去に遡って分析しながら、日本においてどのような政策が有効であるのかを論じた本。
著者は「労働力と出生力の維持拡大」を目標として政策を選択すべきと説く。
日本では1970年代以降の経済不況を背景に、政府が福祉を「企業と家族」に委託する政策をとったため、企業は無限定な働き方を前提とする安定雇用を通じて男性の所得を維持させ、上の両国と異なり「共働き」社会への移行のチャンスを逃すことになったと分析する。
そして、無限定な働き方を前提としながら導入された均等法が結果的に女性の活用を遠ざけてしまったことなどを指摘する。
それ以外にも、未婚化の原因分析、日本で男女の家事分担の進まない理由、ケアワークなどが大幅な効率化が見込めない理由、家族間の格差の問題など示唆に富む指摘が多い。
★5
前半ではAIにできること、できないことを、世間の誤解も含めて明快に解説している。
後半では本来AIに対して優位に立つべき「意味を読み取る力」が落ちている現状を大規模に実施したリーディングスキルテストの結果をもとに厳然たる事実として提示している(大人も含めてなので今に始まったことではないのかもしれない)
印象的だったのが、AIは観測も数量化もできないことは無視してサンプルとの差を最少となることを目標とする、すなわち真の世界と確率を意図的に混同しているというところと、「学」から始まる単語を見ると「学級」でも「学年」でも「学業」でも全部「がっこう」と読む生徒になぜか、と訊ねたところ「その方がよく当たるから」と答えた、という話。
ドリルと暗記だけでそこそこの大学までは行けてしまう(のでそこそこの会社には入れてしまう)という現状は「AIに淘汰される仕事」以前に「人間がAIのレベルに下りて行っている」という自殺行為であり、それを止めないとAIが進歩しなかったとしても先がないように思える。
「東ロボ君」プロジェクトを主導し、現在は中高生の読解力をあげるための研究開発をしている著者の、現状へのいらだちが伝わってくる。
★5
共著者の伊勢崎賢治氏は最近メディアやtwitterなどで盛んに情報発信しているが、本書は日米地位協定と今の日本の主権のありようについて、過去の歴史や他国の事情も含めて詳しく説明している。
憲法改正について考える前に必読の書だと思う。
憲法とは、国家の骨格を決めるものです。しかし、今の日本は、日米地位協定によって、国家から主権が骨抜きにされている状態です。主権を回復せずに改憲を論じても仕方がありません。国論を二分する改憲論議をする前に、まずは政府と国民が一つになって地位協定の根本的な改定に取り組み、主権国家としてアメリカと「対等」な関係をつくりなおすべきではないでしょうか。
ちなみに、自民党内でも2003年に「日米地位協定の改定を実現し日米の真のパートナーシップを確立する会」という議連が日米地位協定の改定案を出したことがあった。その時の議連の幹事長が現外務大臣の河野太郎衆議院議員であり、当時の発言からも地位協定の問題点は十分認識していると思われる。
憲法改正議論になった時に河野太郎外務大臣の身の処し方に注目したい。
★5
朝の「おはよう」という挨拶や、「ありがとう」と言う、言わないというのは、個人の性格だけではなく、地域性に根ざした「ものの言い方」すなわち基本にある考え方である、ということを、豊富な事例から解き明かした本。
言い回しの違いなら単に「方言」ですませられがちだが、「言い方」にまで遡った分析が面白い。
『大阪的』で言及された「話の水位の調整」のような、話者の姿勢に関わるところである。
本書ではさらに分析的に以下のような切り口を用意している。
・口に出して言う地域と言わない地域
・決まった言い方をする地域としない地域
・細かく言い分ける地域と言いわけない地域
・間接的に言う地域と直接的に言う地域
・客観的に話す地域と主観的に話す地域
・言葉で相手を気遣う地域と気遣わない地域
・会話を創る地域とつくらない地域
前者は近畿圏を中心とした地域(と東京圏)、後者は北関東・東北と九州・沖縄地方に特徴的だという。
このへんは社会的・文化的背景、県民性、行動様式などの要素が混然となっているので、因果関係についての想像力がふくらむ。
著者の指摘で示唆に富むのは「難しいのは、ものの言い方は礼儀やたしなみの問題として、しつけや教育の対象とされる点である」というところ。
ものの言い方の地域差を大切にするといっても、現代人のこうした価値観や規範意識があるかぎり、なかなか難しい。しかし「メンコイ」や「ハンナリ」は味わい深い言い方だから残しておこう、でも、ものの言い方は変えていかなければいけない、というのはある種のご都合主義である。方言は総体として存在する。発音も単語も文法も、そしてものの言い方も揃っていてこそ、その土地の方言と言える。もし、そのうちのどれかの要素、例えばものの言い方が変えられてしまえば、方言の他の側面もそれと連動して、一気にその土地らしさを失っていく恐れがある。
この問題は、保護・継承と教育・しつけとの狭間にあって、簡単には結論が出せない。ただ、一つの価値観や基準でものの言い方を強引に変えていこうとすれば、それは地域文化の衰弱につながることは確かである。
★3.5
『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 』の著者の25年ぶりの続編
今回は動物の形態に焦点をあてている。
何年か前「ウニは何で五角形なんだろう」という話を寿司屋の大将としていたが、有力な仮説自体1976年という新しいものだったことに驚く。
地上でもっとも繁栄している昆虫から、著者の専門のナマコ(上記のウニも棘皮動物門なのでおこぼれに預かってヒトデとともに一章を割かれている)から脊椎動物まで、現在の形態を得るに至った進化の過程を詳しく説明してくれている。
末尾に考えさせられるひとことがある。
恒温動物になって体温を一定に保てるのも、体が大きいおかげである。相対的に表面積が小さいと、乾燥しにくいだけでなく、熱が出入りしにくくなる。そして体が大きいから長い毛をはやして断熱でき、氷河期にも耐えてきた。われわれヒトが脳をもてるのも、体が大きければこそである。陸で成功した二大動物の一方である昆虫は小さいサイズで成功し、もう一方の四肢動物は大きいサイズで成功したのだ。