本日のところは、少しも練れていませんが、ともかく投稿します。
神武天皇の皇子の綏靖(すいぜい)天皇は、古事記では神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)、(日本書紀では神渟名川耳命(かむぬなかはみみのみこと)です。
崇神天皇の時の四道将軍の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)(意富比垝・大彦命の子)(大彦命と武渟川別命は会津で出会います)
糸魚川市一の宮・天津神社と奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)は同じ場所にあります。
この《奴奈川》も渟川や渟名川と関連がありそうに思えます。
≪敏達天皇・・・渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)
天武天皇・・・天渟中原瀛真人天皇(あめのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
以前もやりましたが、天武天皇の第一皇子の高市皇子は《胸形尼子娘を母とする。母の父は胸形君徳善である。≫
この「胸形・むなかた」と神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)の「む(ぬ)なかは」は似ています。
ということを以前やりました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/aafeb4100b47f7307fd9802711daaf53
肝心なことは、いまだわかりませんが、糸魚川市一の宮・天津神社・奴奈川神社と会津・大塚山古墳とは関連があってもいいでしょう。
そこで、この二地点と東国三社の位置とみて見ますと、直角二等辺三角形に近いのではないかと思えます。
私の感触では、天智天皇系、天武天皇系、それ以前の卑弥呼臺与(トヨ)の子孫ではないけれどもスサノヲの系統の王朝を結びつけるといえばいいのか、つなげるといえばいいのか、わかりませんが、そういう三角形ではないでしょうか。・・・あてになりませんが、投稿します。
しかし、北陸と会津には、土器のうえでも関連があるんだそうです。
会津大塚山古墳→糸魚川市一の宮《天津神社》奴奈川神社
Ⅰ254°45′01.56″ Ⅱ73°29′26.24″ Ⅲ191,776.795(m)
会津大塚山古墳→糸魚川蓮台寺
Ⅰ254°41′42.76″ Ⅱ73°26′20.55″ Ⅲ191,274.257(m)
会津大塚山古墳→息栖神社
Ⅰ161°10′14.42″ Ⅱ341°34′39.75″ Ⅲ190,550.089(m)
会津大塚山古墳→香取神宮
Ⅰ163°41′11.04″ Ⅱ344°02′08.93″ Ⅲ187,948.250(m)
会津大塚山古墳→鹿島神宮
Ⅰ160°04′57.96″ Ⅱ340°29′38.41″ Ⅲ182,024.317(m)
糸魚川市一の宮《天津神社》奴奈川神社→息栖神社
Ⅰ116°32′27.21″ Ⅱ298°10′55.21″ Ⅲ278,639.744(m)
糸魚川蓮台寺→息栖神社
Ⅰ116°35′14.69″ Ⅱ298°13′29.81″ Ⅲ278,146.697(m)
糸魚川蓮台寺→香取神宮
Ⅰ117°27′12.64″ Ⅱ299°02′01.43″ Ⅲ270,491.496(m)
会津大塚山古墳-糸魚川蓮台寺-香取神宮
会津大塚山古墳での角度
254°41′42.76″-163°41′11.04″=91°00′31.72″≒91.0088度
糸魚川蓮台寺での角度
117°27′12.64″-73°26′20.55″=44°00′52.09″≒44.0147度
香取神宮での角度
344°02′08.93″-299°02′01.43″=45°00′7.50″≒45.0021度
会津大塚山古墳-糸魚川蓮台寺-息栖神社
会津大塚山古墳での角度
254°41′42.76″-161°10′14.42″=93°31′28.34″≒93.5245度
糸魚川蓮台寺での角度
116°35′14.69″-73°26′20.55″=43°08′54.14″≒43.1484度
息栖神社での角度
341°34′39.75″-298°13′29.81″=43°11′09.94″≒43.1861度
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ee/abb27f6fc880e2700410d797fa753ed4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/09/ea6aa66ab5f5d2797fff7efa626934ba.jpg)
http://www.fsinet.or.jp/~amatsu/
奴奈川神社本殿
《奴奈川神社の祭神は、奴奈川姫命で後年に八千矛命を合祀した。
天津神社本殿と並んで、西にある奴奈川神社本殿 (1間4尺×2間) は、寛政十(1798)年に改築されている。
糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷にあったが、元暦二(1185)年 秋に山崎の地に移り、その後現在地に移ったと伝えられる。》
柳谷の位置がわかりませんが、もっと直角に近くなるはずです。
糸魚川蓮台寺
北緯37度02分23.41秒、東経137度52分12.86秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370223.41&l=1375212.86
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/90/c6c6b112e43bb6c679f9b6836464c7d8.jpg)
会津大塚山古墳
北緯37度30分46.82秒、東経139度56分38.84秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=373046.82&l=1395638.84
香取神宮
北緯35度53分09.89秒、東経140度31分43.46秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355309.89&l=1403143.46
息栖神社
北緯35度53分08.94秒、東経140度37分30.54秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355308.94&l=1403730.54
鹿島神宮
北緯35度58分07.82秒、東経140度37分53.44秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355808.81&l=1403751.90
神武天皇の皇子の綏靖(すいぜい)天皇は、古事記では神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)、(日本書紀では神渟名川耳命(かむぬなかはみみのみこと)です。
崇神天皇の時の四道将軍の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)(意富比垝・大彦命の子)(大彦命と武渟川別命は会津で出会います)
糸魚川市一の宮・天津神社と奴奈川神社(ぬながわじんじゃ)は同じ場所にあります。
この《奴奈川》も渟川や渟名川と関連がありそうに思えます。
≪敏達天皇・・・渟中倉太珠敷天皇(ぬなくらのふとたましきのすめらみこと)
天武天皇・・・天渟中原瀛真人天皇(あめのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
以前もやりましたが、天武天皇の第一皇子の高市皇子は《胸形尼子娘を母とする。母の父は胸形君徳善である。≫
この「胸形・むなかた」と神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)の「む(ぬ)なかは」は似ています。
ということを以前やりました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/aafeb4100b47f7307fd9802711daaf53
肝心なことは、いまだわかりませんが、糸魚川市一の宮・天津神社・奴奈川神社と会津・大塚山古墳とは関連があってもいいでしょう。
そこで、この二地点と東国三社の位置とみて見ますと、直角二等辺三角形に近いのではないかと思えます。
私の感触では、天智天皇系、天武天皇系、それ以前の卑弥呼臺与(トヨ)の子孫ではないけれどもスサノヲの系統の王朝を結びつけるといえばいいのか、つなげるといえばいいのか、わかりませんが、そういう三角形ではないでしょうか。・・・あてになりませんが、投稿します。
しかし、北陸と会津には、土器のうえでも関連があるんだそうです。
会津大塚山古墳→糸魚川市一の宮《天津神社》奴奈川神社
Ⅰ254°45′01.56″ Ⅱ73°29′26.24″ Ⅲ191,776.795(m)
会津大塚山古墳→糸魚川蓮台寺
Ⅰ254°41′42.76″ Ⅱ73°26′20.55″ Ⅲ191,274.257(m)
会津大塚山古墳→息栖神社
Ⅰ161°10′14.42″ Ⅱ341°34′39.75″ Ⅲ190,550.089(m)
会津大塚山古墳→香取神宮
Ⅰ163°41′11.04″ Ⅱ344°02′08.93″ Ⅲ187,948.250(m)
会津大塚山古墳→鹿島神宮
Ⅰ160°04′57.96″ Ⅱ340°29′38.41″ Ⅲ182,024.317(m)
糸魚川市一の宮《天津神社》奴奈川神社→息栖神社
Ⅰ116°32′27.21″ Ⅱ298°10′55.21″ Ⅲ278,639.744(m)
糸魚川蓮台寺→息栖神社
Ⅰ116°35′14.69″ Ⅱ298°13′29.81″ Ⅲ278,146.697(m)
糸魚川蓮台寺→香取神宮
Ⅰ117°27′12.64″ Ⅱ299°02′01.43″ Ⅲ270,491.496(m)
会津大塚山古墳-糸魚川蓮台寺-香取神宮
会津大塚山古墳での角度
254°41′42.76″-163°41′11.04″=91°00′31.72″≒91.0088度
糸魚川蓮台寺での角度
117°27′12.64″-73°26′20.55″=44°00′52.09″≒44.0147度
香取神宮での角度
344°02′08.93″-299°02′01.43″=45°00′7.50″≒45.0021度
会津大塚山古墳-糸魚川蓮台寺-息栖神社
会津大塚山古墳での角度
254°41′42.76″-161°10′14.42″=93°31′28.34″≒93.5245度
糸魚川蓮台寺での角度
116°35′14.69″-73°26′20.55″=43°08′54.14″≒43.1484度
息栖神社での角度
341°34′39.75″-298°13′29.81″=43°11′09.94″≒43.1861度
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ee/abb27f6fc880e2700410d797fa753ed4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/09/ea6aa66ab5f5d2797fff7efa626934ba.jpg)
http://www.fsinet.or.jp/~amatsu/
奴奈川神社本殿
《奴奈川神社の祭神は、奴奈川姫命で後年に八千矛命を合祀した。
天津神社本殿と並んで、西にある奴奈川神社本殿 (1間4尺×2間) は、寛政十(1798)年に改築されている。
糸魚川市蓮台寺の奥・柳谷にあったが、元暦二(1185)年 秋に山崎の地に移り、その後現在地に移ったと伝えられる。》
柳谷の位置がわかりませんが、もっと直角に近くなるはずです。
糸魚川蓮台寺
北緯37度02分23.41秒、東経137度52分12.86秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=370223.41&l=1375212.86
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/90/c6c6b112e43bb6c679f9b6836464c7d8.jpg)
会津大塚山古墳
北緯37度30分46.82秒、東経139度56分38.84秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=373046.82&l=1395638.84
香取神宮
北緯35度53分09.89秒、東経140度31分43.46秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355309.89&l=1403143.46
息栖神社
北緯35度53分08.94秒、東経140度37分30.54秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355308.94&l=1403730.54
鹿島神宮
北緯35度58分07.82秒、東経140度37分53.44秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355808.81&l=1403751.90