古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

月読宮-出雲大社の測地線上に聖武天皇陵

2011年07月28日 11時32分05秒 | Weblog
月読宮と公山城(コンサンソン)・武寧王陵(ムリョンワンヌン)の測地線上に大山守命墓がありました。
ほぼその線上に日御碕神社もあります。
そこで、月読宮と出雲大社を結んでみました。
すると、その測地線上には聖武天皇陵がのりました。











月読宮
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342825.00&l=1364344.78

出雲大社
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352406.95&l=1324106.88

聖武天皇陵
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344136.55&l=1354946.69

A月読宮→出雲大社
 Ⅰ286°43′43.61″  Ⅱ104°24′43.89″ Ⅲ383,488.378(m)
B月読宮→聖武天皇陵
 Ⅰ286°43′14.71″  Ⅱ106°12′36.72″ Ⅲ86,053.530(m)
C聖武天皇陵→出雲大社
 Ⅰ286°13′13.97″  Ⅱ104°24′52.25″ Ⅲ297,434.848(m)

86,053.530(m)+ 297,434.848(m)=383,488.378(m)・・ぴったり一致
私は、これはうまくできていると感心しているのですが、いかがなのでしょうか。

AⅠとBⅠがほぼ一致で、AⅡとCⅡがほぼ一致します。
以前、この角度の違いが外宮と内宮の二つを造った理由だと考えましたが、あてにはなりません。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月読宮-大山守命墓-公山城... | トップ | 月夜見宮-出雲大社の線上に... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事