古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

八咫烏(やたがらす)で結ぶ三地点

2013年09月28日 12時45分35秒 | Weblog
《蜂子皇子はこの後、海岸から三本足の烏(ヤタガラスか?)に導かれて、羽黒山に登り羽黒権現を感得し、出羽三山を開いたと言われている》
さて、八咫烏(やたがらす)といえば、熊野を思いだします。

http://www.hongutaisha.jp/yatagarasu.html
神紋 八咫烏(やたがらす) 
八咫烏とは熊野の大神(素盞鳴尊)のお仕えです。
日本を統一した神武天皇を大和の橿原まで先導したという故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。
日本の歴史に於ける八咫烏の出現はきわめて古く、『古事記』『日本書紀』『延喜式』を始め、 キトラ塚古墳の壁画や福岡県珍敷塚古墳横穴石室壁画、千葉県木更津市高部三〇号噴出土鏡、世界最古の油絵である玉虫厨子(法隆寺蔵) の台座にも見ることができます。
八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。

そこで、八咫烏でもう一つ思い出されるのが、韓国ドラマの朱蒙(チュモン)。

http://erik.atnifty.com/vocation/jumong/jum07
三足烏(サンソクカラス)と八咫烏(ヤタガラス)
「扶余の太陽を遮る三足烏」と巫女ヨミウルが予言したのは当初ヘモスを指していたわけだが、そのヘモスが亡くなった際、三足烏は消えずに羽ばたいていった。これが朱蒙だったわけだが、その予言のとおり、後に扶余は朱蒙の建国した高句麗に滅ぼされることになる。

http://blogs.yahoo.co.jp/nakamushyh/32661239.html
朱蒙にみる三本足のカラスと日本神話の関係
韓国ドラマ朱蒙の37話を見ていたら、英雄である朱蒙に三本足のカラスが映し出された云々と占い師(ヨミウル[神女])が話していたのを聞いた。
日本の神武天皇が三本足のカラスである八咫烏(やたがらす、やたのからす)によって案内された話を思い出した。
『新撰姓氏録』では、八咫烏はカミムスビの曾孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身であり、その後鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとする。

そこで、単純にこの三地点を結びたいわけです。
(いわゆる天武天皇系は高句麗《いつの高句麗のことか、というと面倒ですが》から戻ってきた卑弥呼臺与(トヨ)の子孫で、いわゆる天智天皇系は百済から戻ってきた卑弥呼臺与の子孫だと考えています。
200~300年あれば十分に可能です。浦島太郎の話に、ほのめかされているというか、応用・適用されたと思っています。)

高句麗の首都の位置は、もっと北の方から、後に427年平壌(ピョンヤン)に移っています。

一応、平壌(ピョンヤン)と熊野本宮大社と出羽三山神社結んでいます。


安鶴宮-熊野本宮大社-出羽三山神社
安鶴宮
北緯39度03分34.32秒、東経125度49分31.79秒
熊野本宮大社
北緯33度50分25.9秒  東経135度46分23.5秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=335025.9&l=1354623.5
出羽三山神社(羽黒山)
北緯38度42分9秒  東経139度58分51.8秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=384209&l=1395851.8

熊野本宮大社→安鶴宮
 Ⅰ305°53′17.45″ Ⅱ119°57′44.02″ Ⅲ1,062,331.251(m)
熊野本宮大社→出羽三山神社
 Ⅰ33°47′49.34″ Ⅱ216°17′21.99″  Ⅲ658,613.506(m)
安鶴宮→出羽三山神社
 Ⅰ87°22′55.99″ Ⅱ276°17′43.26″ Ⅲ1,227,695.210(m)

熊野本宮大社での角度
360°-305°53′17.45″+33°47′49.34″=87°54′31.89″≒87.9089度
出羽三山神社での角度
276°17′43.26″-216°17′21.99″=60°00′21.39″≒60.0060度
安鶴宮での角度
119°57′44.02″-87°22′55.99″=32°34′48.03″≒32.5800度

90度、60度、30度の直角三角形を思い出させますが、ちょっと90度には欠けます。

平壌(ピョンヤン)にすると
北緯39度01分54.89秒、東経125度45分13.31秒

熊野本宮大社→平壌(ピョンヤン)
 Ⅰ305°34′38.07″ Ⅱ119°36′37.38″ Ⅲ1,066,202.644(m)
熊野本宮大社→出羽三山神社
 Ⅰ33°47′49.34″ Ⅱ216°17′21.99″  Ⅲ658,613.506(m)
出羽三山神社→平壌(ピョンヤン)
 Ⅰ276°09′56.25″ Ⅱ87°12′34.83″ Ⅲ1,234,048.719(m)

熊野本宮大社での角度
360°-305°34′38.07″+33°47′49.34″=88°13′11.27″≒88.2198度

そこで、色々試しましたが月山神社にすると
月山神社
北緯38度32分48.7秒 東経140度1分32.8秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=383248.7&l=1400132.8
熊野本宮大社→月山神社
 Ⅰ34°58′57.75″ Ⅱ217°29′48.52″ Ⅲ647,133.297(m)
熊野本宮大社→平壌(ピョンヤン)
 Ⅰ305°34′38.07″ Ⅱ119°36′37.38″ Ⅲ1,066,202.644(m)
平壌(ピョンヤン)→月山神社
 Ⅰ87°59′20.32″ Ⅱ276°57′29.56″  Ⅲ1,239,892.235(m)

熊野本宮大社での角度
360°-305°34′38.07″+34°58′57.75″=89°24′19.68″≒89.4055度
平壌(ピョンヤン)での角度
119°36′37.38″-87°59′20.32″=31°37′17.06″≒31.6214度
月山神社での角度
276°57′29.56″-217°29′48.52″=59°27′41.04″=59.4614度

一応この三地点を結ぶと90度、60度、30度の直角三角形にはなりそうです。
もちろん偶然だと思う方のほうが大多数でしょう。
また、高句麗から戻ってきた卑弥呼臺与(トヨ)の子孫が関係するとしたとしても、意味はつかみかねます。
大伴、石川、その他、藤原、物部とどういうつながりがあるのか、ないのか全然わかりません。・・・そのうち・・・・。
八咫烏(やたがらす)のつながり、というだけ。
・・・・・・・・・・・・・
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