一般社団法人「いのちを守る親の会」◆京都本部 ◆<公式ブログ>
から転載しました。
中絶児がどれほど残酷な殺され方をされているのか、多くの人は考えません。戦争で、子供たちや赤ちゃんが、残虐な殺され方をした話を聞くと、私たちは非常 な憤りを感じますが、お腹の中の胎児を人工妊娠中絶するということに関しては、まるで病気治療の手術を受けたのと同じような感覚で、それを妊婦さんに勧め たり、本人も仕方のない事だという思いで、それを受けたりします。
しかし、もし戦争における残虐行為と同じくらいひどいことだと思ったら、本当に仕方がないで済まされるでしょうか。手も足も臓器も、6週間で胎児は出来上 がっています。たとえ小さくても、手術後の掻き出された胎児の遺体は、完全な赤ん坊の姿をしていて、しかもそれが切り刻まれた姿で出て来ます。そのあまり の残虐さには、目を覆いたくなります。
胎児は、中絶という言葉を聞くと、心音が上がるという話もあります。まだ言葉もわからないはずなのに、何故か分かるらしいのです。胎内記憶を研究している 池川医師によると、生まれる前の赤ちゃんは、すべて言葉も理解しているそうです。それどころか受胎前からの記憶があるというのですから、人間は目に見える 肉体以前に霊的な存在だということかもしれません。
中絶される胎児は、非常に心音が上がって、中絶器具から、必死に逃げようとあがきます。その悲惨さを、仕方がないなどと容認してもいいのでしょうか。子宮 というのは、子の宮と書きますが、本来神から授かったいのちが宿る神聖な場所であるから、神の命を宿す神の宮という意味だとおっしゃった方もいました。
その神聖な場所で、親から守られるはずの胎児が、親によって殺されるのです。これは胎児にとっても、親、特に母親にとっても、非常な悲しいことであるの は、確かなことです。中絶をした母親の多くは、その悔恨の気持に苦しめられる人が多いのです。それは、自然に反する行為、本来やるべきでない行為であると 心の底ではわかっているからです。
経済的理由で、中絶が行われる日本、一人いるから二人目はいらない、二人いれば、三人目はいらない、そんな理由で親が子を殺す、あるいは外聞が悪いという 事情から殺す、このような中絶で、年間100万人以上の胎児が殺される国は、異例だそうです。平和に見える日本がこのような中絶を繰り返していることを、 マザー・テレサは悲しまれ、日本は貧しい国だと言われました。そして勇気をもって、中絶をやめ、育てられなければ、里親に頼むことで、胎児を殺すことは絶 対にしないようにと、訴えられました。
胎児の悲惨の上に築かれた豊かさなど、本当の豊かさではありません。多くの青少年問題を見てきた人が、非行、いじめ、引きこもり、金遣いの荒さなどの問題児をもつ親は、たいてい中絶経験があるとおっしゃっていました。
霊的な話には、拒否反応のある人もいるでしょうが、そんな話は別としても、下記の記事の悲惨な画像は、文明国を自認する日本において、この胎児殺しが、道義的に決して許されないということを、明確に示しているのではないでしょうか。
妊娠して困っている人は
昨日も1日、2人の方から
赤ちゃん(胎児)は、