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日本創業の原点・神武天皇

2012年04月03日 18時04分02秒 | 無題

新田均のコラムブログからの転載です。

新田均教授の講演より、一部抜粋したものです。アメリカやフランスなどの西欧は国民の一体感を育む方法として、国旗国歌を制定し、建国記念日を制定したのですが、日本も、近代国家として歩み始める時に、これに習いました。

しかし日本と西欧で大きく違うのが、その内容であり、西欧は国王に反抗したり、あるいは本国に反抗して独立したという、人民の反抗の歴史を、国民の一体感の醸成に利用しているのですが、日本だけは、江戸幕府などよりはるか以前に、国民が一体感をもって国を考えた神武創業の歴史に帰ることで、いわば神話という民族の原点に帰ることで一体感をもたらしたのです。

歴史の中心を貫く天皇という皇統連綿を国民の一体感の根っこと感じたということです。これこそが、日本を特徴付けるものであり、今も東日本大震災で、被災者の心を支え、被災地域でない国民も、同じ日本人であるという感覚を振起させる大きな力になっていると思います。

 

近代日本と神武伝承との関わり

それでは早速、神武天皇のお話に入ります。神武天皇の存在が日本の歴史に大きな影響を与えた最近の例は明治維新です。その明治維新について、神武天皇に関 わる話が二つあります。一つは「王政復古の大号令」の中で、これからめざす理想として神武天皇の時代に帰るのだ、ということが宣言されたこと。もう一つ は、明治六年三月に日本は暦法を太陰暦から太陽暦に変えましたが、それに合わせて「紀元節」、すなわち建国記念日を定めます。その建国記念日の日にちが神 武天皇即位の日とされることによって、日本の建国=神武即位と公式に定まりました。

 明治維新には日本を近代国家にするという大きな目標 がありました。近代国家とはその特徴を一言で言えば国民全体が国を支えていくということで、ですから、国民国家と言われるわけです。その国民国家を作り上 げていく場合にどんなことが必要かというと、当たり前のことですが、国を支える一人一人が自分はこの国の国民であると自覚し、国民としての一体感、仲間意 識をもっているということです。これは非常に大事なことです。何故なら、そういう意識がないと、「あなたはこの国の国民ですから、国を支えるために、兵役 や教育の義務を果たして下さい」と言われても、「何故自分がそんなことをしなくてはいけないのだ。国は武士が守ればいいではないか。俺は農民なんだから、 関係ない」ということになりかねません。このように、国民全体に仲間意識、主体者意識がなければ、国民全体が国家を担うことなどできないわけです。

  この意識を「国民意識」と呼ぶとすれば、皆さんは国民が国民意識をもっているのは当たり前だと思われるかもしれません。ところが、この国民意識を当たり前 に思わせるということは、実は非常に難しいことだったのです。例えば、封建時代であった江戸時代には国というのは藩のことでした。私は薩摩、私は長州と、 武士にとって一番大切なのは藩であり、薩摩がイギリスと戦争しても他藩から見ると、あれは他国のことだという意識であったわけです。このように、江戸時代 は地域ごとにバラバラであったばかりでなく、身分ごとにもバラバラでした。警察や軍事は武士の仕事で農民は関係ない、といった感じです。このようなバラバ ラの意識を乗り越えて、私たちは同じ国民なのだから同じように義務を負担しなければならないという気持ちをもってもらうことは非常に難しいことでした。

  それは日本にとってだけ難しい仕事だったわけではなく、諸外国にとっても難しい仕事でした。そこで、各国が考えた方法の一つが国旗、国歌の制定でした。国 旗を掲げ国歌を歌うことによって、国民としての意識を高めていこうというわけです。さらに、国の記念日を定めて繰り返し繰り返しそれを祝うことによって自 分たちの一体感を高めていきました。そのような意味で国の記念日も近代国家になってつくられたわけです。

 ここで日本に特徴的なことが一 つあります。国の記念日の中でも特に重要なのは国の誕生日、すなわち建国記念日ですが、アメリカの建国記念日は独立記念日です。アメリカは、イギリスから の独立がすなわち建国ですから、それに相応しい日が記念日に選ばれています。フランスは国王の支配に抵抗して市民が起ち上がった革命を記念するのに相応し い日を、革命記念日=建国記念日にしています。大雑把に言って、欧米の場合、国王に反抗して国民が起ち上がった日を建国記念日としているわけです。ところ が日本の場合は正反対で、初代の天皇が即位された日を建国記念日にしたわけです。それだけではなくて、明治六年以降に定められた国の記念日は、いずれも皇 室に関係の深い日が選ばれています。なぜ同じ近代国家を目指しながら、外国は国王に反抗した日を選び、日本は皇室に関係の深い日を選んだのでしょうか。実 はここに日本の近代化の特徴が現れているのです。

 すなわち、バラバラの封建意識を乗り越えて国民としての一体感を持つことが必要となっ た時に、先人たちは封建時代よりももっと古い時代に帰ろうとしたのです。それはつまり古代です。一人の天皇のもとに国民が一致団結して中央集権体制をとっ ていた時代。その時代を思い出し、そこに帰ることによって国民の一体感を生み出そうとしたわけです。その時代には中心者としての天皇と、国家を支える公の 民、すなわち「元元(おおみたから)」あるいは「公民(おおみたから)」としての国民とがいた。このような考えに立つと、日本においては、天皇に対する尊 敬心を高めるということと国民の一体感を深めることは同じコインの裏表のような関係になります。ですから、国家・国民の記念日にはすべて皇室と関係の深い 日が選ばれたわけです。その中でも特に重視されたのが紀元節です。つまり神武天皇即位の記念日です。




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