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日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十五)台湾人は漢民族ではなかった

2012年09月11日 11時42分22秒 | 中国韓国

 美し国(うましくに)からの転載です。

前回の日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十六)台湾人と中国人の対日観の決定的な違いからのつづきです。もっとも元記事は、これより前の記事です。

台湾は中国の一部という位置づけになっているので、台湾人も漢民族だと思っている人が多いようですが、台湾人は、血液型検査によっても、まったく漢民族とは関係のない人種であり、別な人種であり、台湾に澄んでいる漢民族つまり本省人というのはごく僅かです。これは科学的な検査結果であり、台湾人が歴史上も、漢民族の支配されていた時期があっても、政策的に漢民族という仮の地位を得て税金を安くしてもらったという事はあったようですが、人種が変わったわけではないし、また漢民族にとって、台湾は風土病が怖くて、移住しても七割が死んでしまうというほど、生活しにくい土地だったようです。

日本の統治時代には、漢民族はそのほとんどが大陸に引き上げて残っていなかったといいます。戦後蒋介石が一派を連れて台湾に移ってきたといっても、それでも本来の台湾人のほうが圧倒的に多いのであり、台湾は、漢民族の土地ではなく、台湾人の土地であるのですから、本来は、台湾人が独立して台湾という国として運営していきたいと考えるのは当然のことです。

中国人は、歴史上もっとも版図を広げた時代である、元の時代の国土を中国の領土にしても構わないという意図で、まわりの少数民族の土地もすべて中国だとして支配していますが、これは大きな間違いです。民族は民族自身が自分の進路を決定する権利があるはずです。すべてを中国という漢民族の国に飲み込んでしまうことが、少数民族達の幸せにつながるはずはありません。また結局は漢民族自身の幸せにもつながらないのではないでしょうか。互いに独立しあって、尊重し合う事の中にお互いの幸福もあると思います。

チベットやウイグル人に対しては、漢民族との混血と漢民族の移住によって、その土地の民族を滅亡に向かわせるような政策をとっているという話も聞きます。そこまでして、漢民族にすべてを奪い取るようなやり方で、進んでゆく中国という国を、日本は信頼出来るのでしょうか。

 

 

 

台湾人医師の直言  林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十四ノ三)い いまだ滅びぬ日本人のサムライ精神より続きます。



1.台湾人は漢民族ではなかった

●台湾人と中国人は同じ民族だと誤解する日本人

台湾という国を、日本人は知っているようで知らない。どうせ中国と同じ民族なのだから仲良くやればいいじゃないか、と言う人が少なくない。一般の日本人ばかりでなく、台湾について勉強している学者や研究者でさえ、同じようなことを言う。

つまり台湾人は、二パーセントの原住民、一三パーセントの外省人(蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、残り八五パーセントの本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)なのだから、九八パーセントはもともと漢民族ではないか、と。

これは誤解でしかないが、ほとんどの日本人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である 中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、日本人がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、これは間違いなのである。

台湾が世界史に登場してきたのはつい最近で、一七世紀になってからである。では、それ以前の台湾にはほんの一握りの人間しか存在していなかったのかというと、そうではない。

台湾が歴史に登場したのは一六二四年で、オランダがアジアとの貿易をするうえでの中継点として登場した。ご承知の通り当時のオランダは、非常に航海技術が 優れていて、貿易が盛んだった。今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくられた。当時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるいは 東洋のものをヨーロッパに売っていた。オランダはその中継点として、台湾と中国のあいだにある島で、大きさは新潟県の佐渡島の五分の一ぐらいの澎湖島とい う島を選んだ。

当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、結局は和解したが、明朝の条件としては、澎湖島は返してもらう、その代わりに台湾をあげるからというもの だった。台湾は中国にとって、そのくらい無用のものだった。そして一六二四年、オランダ人が台湾を統治することになる。それが台湾人が体験した初めての国 家としての権力であった。

著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は五〇万人だったという。今から一〇年ほど前までは、台湾では原住民のことを 「山胞」、つまり山に住んでいる民族と呼んでいた。しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野である。住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり 住んでいるなどというおかしなことはない。実は、当時の台湾人のうち二〇万人は山に、三〇万人は平野に住んでいたのである。

余談だが、当時の台湾でいちばんの資源は鹿だった。台湾産の鹿の皮がとても綺麗だったので、日本の武士は好んで兜の飾りにしていたという。

●台湾に来たがらなかった中国人

オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。その数は七〇〇〇人から八〇〇〇人で、五〇万人のなかの八〇〇〇人だ。人口の一・六パーセントにすぎない。

鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが一六六一年であるから、オランダの統治は三八年間つづいたことになる。今、台湾人が中国人の子孫であり後裔である という根拠は、鄭成功が多くの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。しかし、一六六一年の台湾の人口は六二万人であり、中国からやってきた B成功一族と彼の軍隊はそのなかのたった三万人なのである。

その一族が台湾を統治したのは二二年間で、清朝によって滅ぼされた。当時の台湾の人口は七二万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千 人だ。なぜ中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だったからだ。瘴癘とは風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チ フス、百日咳など、ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。「台湾に一〇人行けば七人死んで一人逃げ帰る。残るのはせいぜい二人」という中国のことわ ざが残っているほどだ。

実際、清朝は二〇〇年間にわたって台湾を統治するが、その間、統治者は三年交替だった。三年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、一〇人を超 えていない。もちろん統治者としてやって来るわけであるから、いちばんよい食事、いちばんよい環境、いちばんよい住まい、つまりいちばんよい衛生状況を保 てたはずだったが、その彼らがほとんど台湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。

そして、一八九五(明治二八)年に日本が台湾を領土としたときの人口は二五〇万人だったが、そのとき、清朝出身者のほとんどは中国に引き揚げている。だか ら、このように歴史をたどってみれば、われわれ台湾人が漢民族であるという認識はいかに間違っているかがよくわかるのである。

●税金のために漢民族になろうとした原住民

清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。漢人、つまり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。この戸籍制度は、日本の統治時代まで使われている。

熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない原住民を指す。山に住んでいる原住民は首を狩る。そのことを「出草」という。自分が一人前の男であ ることの証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。 私のなかでときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかもしれない。

生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前 は林にしましょう。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。苗字のない原住民は競って苗字のある漢民族になろうとしたのである。生蕃もできるだけ熟蕃に なろうとした。だから、台湾人が漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。要は名前を漢人風にしただけのことであり、表面だ けを見て漢人と言っていたのである。

●血液学からも台湾人は漢人でない

台湾の人口は、一六二四年の五〇万人から一九四五年にはざっと六〇〇万人になった。環境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。清朝統 治の二〇〇年間には、台湾に渡るなという禁止令があった。それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になっていたので、人が増えることは好ましくなかったから で、できるだけ台湾に渡らせないようにしようというのが清の姿勢だった。

日本が統治した当時の人口は二五〇万人で、もちろん日本統治の五〇年間に中国から台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、五 〇年間で六〇〇万人になったのである。ただ一九四五年以降、台湾から引き揚げた日本人は約四〇万人いたから、総数としては六四〇万人ということになる。そ のなかにもし中国人がいたとしても、ごくわずかなのだ。

血液学的調査でも、台湾人が漢人でないことは証明されている。台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明しているのだ。

台湾人は漢民族ではなかったのだ。



3年前に放映された『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」 第1回「アジアの“一等国”」』
でも領有直後から、【漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人】が日本の支配に対して激しい抵抗運動を起こしたと紹介していましたが、大きな誤りです。

多くの日本人に知っていただきたいですね。

 



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