数日後、友人ら3人で法華道を歩いてみることにした。
芝平(しびら)の入り口から入り(8:37)マンドーを過ぎると(8:42)
法華道 御所平・入笠山に至る・・・という立札があり、細いロープを潜って歩き始めた。(8:49)
法華道は元々法華経の布教のため開かれた道と伝えられているけれど、
山菜やキノコ採り、山仕事や炭焼きなど、山で暮らす芝平の人々の生活道でもあり、
(今は何もない山の中ではあるけれど)昔は村の人達が頻繁に利用し、地名として呼ばれていた事は生活していた証で、
その場所には立札が立てられていた。
地名 龍立場 (古くは猟師のことをなまって龍師と呼んだ。その龍師が狩りをするためここに立ったため
龍立場と呼んでいる)(9:18)
薄暗い林の中だけれど、立札の脇を細い道が続いている。
地名 爺婆の石(昔より現在まで旅人はこの自然石を守り神として通行の度に小さな小石など供え通行安全祈願をした)(9:55)
木の間を縫うように細い道はまだ続いている。
地名 厩の平(武田の一軍が高遠城攻略のため、ここに馬を休め、時を待っていたとされる平。
後に馬具、槍など出土したとされる)(9:58)
厩の平を過ぎるとしばらく人工的に作られたしっかりした道が残っていて、
この道を宗良親王御一行や武田軍が馬に乗って行き来したり、僧侶が布教の為に修行の様に歩き、そして村人が生活道としてキノコを採ったり、猟をしたりしていたかと思うと、
驚きと何に対してか分からないけれど感動を覚える。
地名 ハバキアテ (上人や旅人はこの平らで錫杖を置き、ハバキをあて直し、休息した場所。)
(10:10)
この辺りまでは道を見失うことはなかったが・・、
お助け小屋と呼ばれる サンショウゴヤ 跡(10:16)
この辺から微妙に道が分からなくなり、獣道なのか法華道なのか・・・?
(10:48)
頼りはこの赤い法華道という木に付けられた札だけれど、それほど多くはなく、人の道と同じくらいしっかりした獣道が縦横に走っている場所もある。
見落とすと四方木々に囲まれた深い森の中で道を失うことになるので、行動には十分な時間や、万一の安全のため懐中電灯などは里山歩きの必需品と実感する。
時々、獣道に騙されながらもようやく御所ヶ池、御所平に近づいてきた感じはしたのだけれど・・・
御所ヶ池に・・の看板 (11:09)
御所ヶ池の看板までは行けたものの、3人で付近をあちらこちらを探してみても御所ヶ池は見つからず、
どうも御所平まで行ける時間もなさそうなので、この日は水場を経て、荊口の登山口に下山した。
しかし・・どうしても御所ヶ池を見たかったので、秋にもう一度‥いや二度、この辺りを散策し、
春から数えて三度目でようやく秋色になった御所ヶ池に辿り着いた。
御所ヶ池に・・の看板からは細い道が続いているのだけれど・・次第に道がなくなり林の中に入る・・
けど、もう少し頑張って進むと池があった!!
周りには看板などもなく、GPSで位置を確認して戻らないと道に迷うこともある・・というか、道がない所もある。
実際、この3回目はほとんどGPSで現在位置を確認しながら池を探し、御所平まで辿り着いた感じだった。
それでも、この御所ヶ池、宗良親王を隠れ住まわせるために村人が作った池だと言われているだけに、どうしても見たかった。
こんな山の中でも今も水を湛えている。
ここなら確かに身を隠せるかも・・と思うほどに、道に迷う。
秋も深まり、日も短くなったので急がなくては・・。
御所ヶ池を見た後、入笠山近道という矢印に沿って入笠山まで行ってみようという事になり登り始めた。
近道だけに急登が続き、登り切った辺りに御所平があった。
地名 御所平
宗良親王 甲州白須にて戦いに破れ、蔦木より佛平峠を越え、ここに一時身を潜めていた親王の仮住まいの跡と言われている。
・・・・と書かれている。
それにしても、弘妙寺の檀家衆や芝平の人たちが荊口や芝平の集落からこの御所平まで食事を運び、御所ヶ池で水を汲んでこの平らまで上って来るのは大変なことだったろうと思う。
大鹿村の大河原にある御所平も、最終集落から歩いて1時間半ほどある南アルプスの麓にあり、時の大河原城主、香坂高宗とその家臣によって朝晩の食事を運び、
宗良親王を匿い守ったという話を大鹿村で聞いた。
御所平を過ぎ、御所平峠まではすぐだったはずだけれど、ここも道に迷ったのか入笠牧場の脇に出た。
入笠山山頂まですぐの所まで来ていた。