熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

熨斗と水引の起源

2010-01-07 20:55:00 | 熨斗
■簡易の熨斗紙には熨斗(のし)と水引がセットで印刷されているものが多くありますが、
熨斗と水引は最初から一緒に使われてきたのでしょうか。


今日は熨斗と水引の起源について触れてみたいと思います。

■熨斗の起源


「熨斗」とは魚類やその他のいわゆる「なまぐさ」と言われる物の代表です。
昔、高級品の代表であった鮑(あわび)を細く剥き、薄く伸して、干し、
細く裂いたものが「熨斗」となりました。
現在の熨斗にも必ず黄色(黄土色)の芯がどの熨斗にも添えられています。
これが、紙に包まれた「鮑」を意味しているのです。

鮑は縄文時代から希少価値が尊ばれ、珍重され、慶事の意味を表しています。
また古代中国では「不老長寿」や「延命若返り」の薬として扱われ、
日本でも薬として使われた食物のひとつです。
さらに、のしあわびを作る工程から「長く延ばす」ことは、延命を意味し、
それゆえに、おめでたい儀式や武家の出陣などで祝肴として必ず添えられるようになりました。

昔は正式な会食には、冷たいかわいた食物を出すことが通例とされていました。
細く長く伸ばし、乾燥させた鮑はその代表であり、鮑は貴重な栄養源だったためです。
時代とともに食料事情は変わりましたが、古来の式を守る意味で、
のしあわびを正式な祝宴に用意するようになりました。
質素な家庭では、式が終わると大事にしまい、次の式に新しい紙を使い包んだそうです。
この包み方から作法が生まれ、明治時代にさらに普及し形式化され現在の熨斗の形が生まれました。

このような起源から熨斗は祝い事に限らずどんな時でも相手方に心を込めて
正式に差し上げる「象徴」であり、贈り物に「のし」を添えるのは、
贈り主の心情と品物の無害を示すシンボルで、穢れがないことをあらわすようになりました。

■水引の起源

飛鳥時代(607年)遣随使小野妹子が帰朝した際、随の答礼使からの贈り物に、
航海の無事と平穏を祈り紅白の麻紐が結ばれていたことが始めと言われています。
それがもととなり鎌倉から室町時代に宮中の儀式「反物包み」と言う、
宮中への献上品や貴族間で紅白の麻をかけるのが習慣となりました。
反物包みとは宮中の儀式の礼法で、金品の包み方の一つで、
白い和紙で掛け包み、水引を慶弔ともに結び切りをしていたそうです。

これが現在の贈り物に添える水引の起源です。


■このように、熨斗と水引は別々のルーツを辿って、今の形になったのです。
言ってみれば、
熨斗は庶民や武家から発祥したものであり、
水引は宮廷から発祥したもの、 と言えますね。

私はこの歴史からみても、
熨斗と水引は必ず一緒になければいけないと言うものではないと考えています。
親しい間柄での贈り物では、熨斗紙は使わず熨斗を添えるだけでも
贈る相手への敬意と気持ちは伝わりますので、
ご自分で自由に熨斗を選んで一つ添えてみてもよいのではないでしょうか。

また、時代とともに熨斗も水引も変化してきたように、
和物でなければ熨斗をつけてはいけない、という決まりもありません。
リボンのついたような洋風の包装にも熨斗をつけてはいけないわけではないのです。

とは言え、熨斗と水引が一緒にあると気持ちが2倍込められますし、
やはり一緒にあるときれいなので、特別な贈り物や目上の方への贈り物は、
慣例を守って熨斗紙をつけて贈り物をするのがよいと思います。

世界的な和紙アートの一人者<堀木エリ子さん>は
「熨斗(熨斗紙や熨斗袋などの包みを指していると思います。)は品物を白い和紙で包んで浄化して差し上げるという行為」
とおっしゃっていますので、やはり白い和紙も重要なのですね!
⇒堀木エリ子さんインタビュー


みなさんも、熨斗や水引をその歴史に思いを馳せながら、
色々な使い方を楽しんでみてくださいね!


上田屋のし店


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