大晦日の日
他界した義理の両親は、毎年、餅を搗いて数件の家へ差し上げていました。
お世話になった数件の家にそのお餅を持って行くのは私の役目だったのですが、
大きなお盆に乗せられた伸し餅の上に、白い紙を乗せ、
包装したあさりの缶詰に、義父によって達筆な毛筆で「なまぐさ」と書かれた白い紙を付けて、
そのお餅の上に乗せて持って行きました。
柳田國男は1875年(明治8年)~1962年(昭和37年)に生きた日本民俗学の開拓者ですが、
柳田國男の「のしの起源」の中に次のような文章があります。
「~略~それよりももっと根源に遡って尋ねて見るべき事は、どうして日本人がこのようにごく有りふれた物を遣り取りする事を悦び、
それには又必ずある種の「なまぐさけ」を添える事を忘れなかったかという事である。
我々の食事は、常の日には何でも有合わせを以て間に合わせているが、一年のある決まった節の日だけは、
こしらえて食べるものが少なくとも地方毎に一様である。甲家で餅を搗く日は乙家でもきっと作って食べている。
それにも拘らず是だけは隣近所、近い縁者の家へ持って行かぬと義理が欠ける。
是を無意味なことだとこの頃は止めた者も少しはあるが、実はこのめでたい食物は、家に内の者ばかりで無く、
ひろく平生頼りにしている人々と共に分かち食して、目に見えぬ互いの身の連鎖関係を作ろうとしたらしいのである。
婚姻、誕生のような或る家限りの喜び事のあった場合に、多くそういう人たちを招いて、
家で作った色々の食物を一緒に食べてもらうのと、本来は全く同じ趣意であった。」
私は、両親が毎年続けてきたこの「ならわし」ー(お餅を搗いて伸した餅に、なまぐさと呼ばれる貝を添えてお世話になった人に
差し上げる)の真意が、柳田國男のこの文章を読んで初めて分かりました。
これは、贈答品に熨斗をかける以前から行われていた事だったのです。
この我が家の行事は、義母が亡くなるおよそ10年前まで、まさしく、平成の世になっても続けられていた事なのです。
時代が進み、この「なまぐさ」は「包み熨斗」へと変わってきたのですが、
又、柳田國男はこうも述べています。
「長い間の習わしによって、今でも我々は熨斗を付けていないと、本当に物をもらったような気がしない。
熨斗を付けて来ぬ時には、付いているものとみてくれというような言葉を、是非とも添えないと気が済まぬ人々も
まだ多い。
ところが、これほど欠くべからざる(アワビ)熨斗というものを、付けてはならぬ場合が3つまでは確かにあるのである。
その一つは贈り物が魚鳥であるとき、二つには何か簡単な動物質の食糧、例えば鰹節などが添えられている時、
三つ目は、葬式法事などの精進の日、すなわちなまぐさい物を食べてはいけない日の贈り物である。
そして、次第に「熨斗」も吉事に使うアワビ熨斗、仏事に使う昆布熨斗として使われるようになり(熨斗の話ー2参照)、
共に贈り物の中身を問わずに、贈り主の「心」を象徴するシンボルとして変わって来たのです。
矢野憲一著「鮑」の中では、このように書かれています。
「何度も書いたように本来は酒の肴に添えて持参した美味な熨斗アワビが、次第に精進と清浄を示す
めでたいシンボルと化し、神を招きもてなし、神々とともに喜びの集いをするめでたい飾りとなり、やがて
「包み熨斗」の装飾となった。そして極言すれば、贈り物の中身を問わず印刷した「のし」でも
それ自身が贈り物の心の象徴となって今日にも生き続けているのである。」
最後に「鮑」の著者、矢野憲一氏はこう結んでいる。
『「アワビ」を包んだ意味は不明になっても、めでたい日本の伝統はいつまでも残るであろう』と。
できれば日本古来からの伝統的習慣の意味が不明にならない様にするのも、
現代人の役目かもしれない。