毎年12月、南信州ー遠山郷で行われる重要無形文化財「霜月まつり」
『これは父(91歳)と父の弟(88歳)の子供の頃の話です。』
いつも、ばあさんのお茶飲み友達として訪ねてきたのがサトばあさん。
サトばあさんがある日からおかしくなり、真昼間だというのに提灯を下げて上がって来る。
「塩を貸してくれんかな?」
そんなことを昨日も言ってきたが、又言い出した。
ばあさんが
「昨日、貸したのにどうしたんナ?昨日持って行ったじゃぁねぇかな。」
そんなことを言いながらお茶を飲んで、サトさは又提灯を下げて家に帰ったと思ったが・・・・
そのまま家に帰らなかった。
中が大騒ぎ、どうしたものかと思案した末、
「神様の仰せで狐が憑いたんだ」と、峰さが高鳥谷神社の前で神主の真似をして祈祷をした。
お盆に散らした45枚の方角の書かれている小さな紙切れにご幣を近づけ、
偶然に付いて来た紙に書かれている方角にばあさんがいるーという神の仰せだということで
たった五戸のは俄かに大騒動となり、その方角を中心にそこらここらの聞き込みから始まった。
もう秋は深まり、霜も来るような日も続いた。
聞き込みの話で、
「胡桃沢の辺りで小さなばあさんが首に手ぬぐいを巻いて、昼間だっちゅうに提灯を下げて下って行ったに」
・・・誰かが聞いて来た。
それが神様の仰せの方角であったのかどうかは知らないが、
三日目くらいにどこかの田んぼの藁塚で見つかった。
履き物はなく、足は霜焼けが激しく、衆が戸板に乗せて担いで来た。
狐に憑かれておったので、峰さが家の戸間口で狐を払う祈祷を施した。
寝床に運んだ時には狐もすっかり抜けており、軽くなっていたという。
それは神様の言う事だからほんとだに・・・中の人が口々に言っていた。
東野大獅子 7年の眠りにつく(最後の対峙)ー大宮神社にて
東野大獅子 7年の眠りから覚めるー宮ノ上太子堂にて(以前にも紹介しました)
(父や叔父から聞いた昭和初期の頃のお話です)
ある日、ばあさんが長峰の家に行くという。
長峰の家はじいさんの妹が嫁いだ家だった。
長峰の家は間沢川を越えて、まっすぐ急な松林をハアハア言いながら上り、
急な斜面を耕して作られた畑を越えると、ひょっこり現れてくるかやぶきの屋根の家で、
叔父さんはブリキ職人で柄杓ややかんを作っていて、
いつも鏝(こて)を熱し、はんだを溶かす臭いがしていた。
長峰のばあさんはややかすれ声で世間話が好きだった。
時々、お歯黒の真っ黒な歯を見せて大声で笑う。
長峰の家には「正」という兄と「松、竹、梅」という三姉妹の妹がいた。
ばあさんの用がすんで「さあ、帰るに!」と言うまでは、
シャボン玉を草の生えたかやぶきの屋根まで飛ばしたり、
鬼ごっこをしたりしてばあさんの用の終わるのを待ったものだが、
「さあ、帰るに。」って言ってからも、話好きのばあさん達の話は終わらず、
いつも待ちくたびれていた。