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熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

国宝ー大法寺三重塔

2019-01-19 23:10:40 | スケッチ

長野県には上田市にある安楽寺八角三重塔の他にもう一つ国宝の三重塔がある。

小県郡青木村にある大法寺の三重塔

塩田平を見下ろすことのできる小高い丘の中腹に大法寺はありました。

「見返りの塔」という名で親しまれている(塔の姿があまりにも美しいので思わず振り返るほどである)という説明を読み、

是非とも一度見ておきたいと思い、冬の初め、小雪の舞う中、行って来ました。

存在感が違う。

重厚感が違う。

見れば国宝に指定される理由が分かる。

そんな三重塔でした。

自分自身はもちろんのこと

両親二人とも90歳を過ぎ、この年になってから人生初めての物を見たり聞いたりすることは、

格別楽しい事である。


記憶の風景ー今はなき・・・

2019-01-07 00:05:34 | スケッチ

90歳になった叔父が病気になって半年。

父の兄弟が一人、また一人と亡くなり、

6人いた兄弟も2人きりになった後、どちらかが病気になるとそれはそれは心配になる。

 

父や叔父の育った地は、今や山に還り叢となり、

叢の中に、その地を切り開いた初代が積んだ石垣と記念に植えた桜と石碑。

人が通る事もない山の中で人が住んだ気配だけを残している。

それでも・・・だ!

この地は立派に6人の子供を育んだ。

父や叔父の記憶が記録に残せるうちに聞いておかなくては・・。

書いておかなくちゃ!!

山を耕し、山の上に家を建て、

村中で一番早く日の出が見えるからって朝日屋という屋号を付けた。

家の前の小さな沼には蓮根畑、急斜面に蒟蒻を植えて、

お蚕様の桑と梅の木、

梅の木の横には大豆や小豆やもろこしや、

牛舎には数頭の乳牛がいて、時々、子牛の誕生を祝った。

大事な馬は家族同様で、家の中に厩があり、

水神様の奉ってある井戸の中には、家主の様にイモリが泳いでいた。

年の離れた小さな妹は、いつも4人の兄達を追いかけていたが、

そんな時代は長くは続かず、戦争が兄弟をバラバラにした。

大切な馬もお国の為に泣き泣き差し出し、

4人の兄弟は皆戦地へ・・・。

話がそこまで行くと父も叔父も言葉がなくなり

「楽しい思い出なんてなんにもない」と黙る。

 

こんな穏やかな時代は僅か数年だけど、

父が言った。

「確かにこんな時代もあった・・・」


記憶の風景ーばあちゃん

2017-12-25 01:16:04 | スケッチ

最近、腰の曲がったおばあちゃんを見る事が少なくなった。

80歳になっても90歳になっても腰も曲がらず矍鑠としているお年寄りが多くなった。

 

山の家のばあちゃんは、直角よりももっともっと腰が曲がって、

左手は左足の膝の上に置き、木の棒を杖にして歩いてくる。

小学校の一年生くらいの時だったか、本家に遊びに行った時もそうだった。

それよりずっと、ずっと前から腰が曲がっていたらしい。

それでも転んだ事などなく、そんな体で良く動く。

お百姓の事も、昔の事も、何にも知らない小さな子は

「何でそんなに腰が曲がっちゃったの?」と聞いたりした。

 

ばあちゃんは大正の初めの頃、わりと裕福な家からたくさんの長持ちに布団や着物や子どもの産着やなど、

たくさんの嫁入り道具を持って、この山の家に嫁いで来たんだって。

だけど、男の子4人と、女の子2人の子供に恵まれ、

この山の中で大勢の子供を育てて行くには、朝から晩まで働いて、働いて、働いて・・米を作り、

昭和に入ると戦争が続き、

毎日毎日、ばあちゃんの小さな背中で背負い上げた稲を、米搗き場まで背負って行って米を搗き、

又、背負って地主に年貢を納めに行き、

そんなふうに毎日毎日汗水流して働いて、

少しばかりの保有米で大勢の子どもたちを育てたんだって。

 

もともと150cmに満たないばあちゃんは、腰が曲がって110cmくらいしかなかった。。。

 

 


記憶の風景ー飼い犬の死

2017-01-29 08:45:32 | スケッチ

小さい頃、自宅で飼っていた犬が交通事故で死んだ。

父が言った。

「本家の山に埋めてやるかなぁ」

私は段ボール箱に入ったミルキー(愛犬の名)を抱えて、父の運転する50ccのバイクの後ろに乗った。

もう薄暗くなり始めた山道をおよそ15kmも走り、父の育った山に向かった。

初夏だった気がするけど、

バイクの荷台で動かなくなったミルキーを抱えて受ける風は冷たく、

次第に暗くなっていくのが心細かった。

父の実家を通り過ぎ、バイクを乗り捨て、ミルキーを抱えて小高い山の上まで来た。

父が言った

「ここはいいぞ。あったかいし、花が咲くし、家が見えるし・・・。」

「ここはいいぞー」と、父は何度もつぶやきながら穴を掘った。

 

小さい頃の父は、

弟や妹とそこに座って家を眺めながら昼寝でもしていたのかもしれない。