熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

上田ー安楽寺・前山寺

2018-12-22 21:02:47 | スケッチ

昨年の今頃だった、

雪が降る前に上田市にある国宝ー八角三重塔を見に行こうと両親を誘った。

 

安楽寺ー八角三重塔(国宝)

 

前山寺―三重塔(国重要文化財)

別名「未完成の塔」と呼ばれている魅力的な塔で簡素な造りが特徴。 


記憶の風景ーばあちゃん

2017-12-25 01:16:04 | スケッチ

最近、腰の曲がったおばあちゃんを見る事が少なくなった。

80歳になっても90歳になっても腰も曲がらず矍鑠としているお年寄りが多くなった。

 

山の家のばあちゃんは、直角よりももっともっと腰が曲がって、

左手は左足の膝の上に置き、木の棒を杖にして歩いてくる。

小学校の一年生くらいの時だったか、本家に遊びに行った時もそうだった。

それよりずっと、ずっと前から腰が曲がっていたらしい。

それでも転んだ事などなく、そんな体で良く動く。

お百姓の事も、昔の事も、何にも知らない小さな子は

「何でそんなに腰が曲がっちゃったの?」と聞いたりした。

 

ばあちゃんは大正の初めの頃、わりと裕福な家からたくさんの長持ちに布団や着物や子どもの産着やなど、

たくさんの嫁入り道具を持って、この山の家に嫁いで来たんだって。

だけど、男の子4人と、女の子2人の子供に恵まれ、

この山の中で大勢の子供を育てて行くには、朝から晩まで働いて、働いて、働いて・・米を作り、

昭和に入ると戦争が続き、

毎日毎日、ばあちゃんの小さな背中で背負い上げた稲を、米搗き場まで背負って行って米を搗き、

又、背負って地主に年貢を納めに行き、

そんなふうに毎日毎日汗水流して働いて、

少しばかりの保有米で大勢の子どもたちを育てたんだって。

 

もともと150cmに満たないばあちゃんは、腰が曲がって110cmくらいしかなかった。。。

 

 


記憶の風景ー飼い犬の死

2017-01-29 08:45:32 | スケッチ

小さい頃、自宅で飼っていた犬が交通事故で死んだ。

父が言った。

「本家の山に埋めてやるかなぁ」

私は段ボール箱に入ったミルキー(愛犬の名)を抱えて、父の運転する50ccのバイクの後ろに乗った。

もう薄暗くなり始めた山道をおよそ15kmも走り、父の育った山に向かった。

初夏だった気がするけど、

バイクの荷台で動かなくなったミルキーを抱えて受ける風は冷たく、

次第に暗くなっていくのが心細かった。

父の実家を通り過ぎ、バイクを乗り捨て、ミルキーを抱えて小高い山の上まで来た。

父が言った

「ここはいいぞ。あったかいし、花が咲くし、家が見えるし・・・。」

「ここはいいぞー」と、父は何度もつぶやきながら穴を掘った。

 

小さい頃の父は、

弟や妹とそこに座って家を眺めながら昼寝でもしていたのかもしれない。

 

 

 


昔の話ー狐に憑りつかれた話

2016-12-26 23:03:48 | スケッチ

『これは父(91歳)と父の弟(88歳)の子供の頃の話です。』

 

いつも、ばあさんのお茶飲み友達として訪ねてきたのがサトばあさん。

サトばあさんがある日からおかしくなり、真昼間だというのに提灯を下げて上がって来る。

「塩を貸してくれんかな?」

そんなことを昨日も言ってきたが、又言い出した。

ばあさんが

「昨日、貸したのにどうしたんナ?昨日持って行ったじゃぁねぇかな。」

そんなことを言いながらお茶を飲んで、サトさは又提灯を下げて家に帰ったと思ったが・・・・

そのまま家に帰らなかった。

中が大騒ぎ、どうしたものかと思案した末、

「神様の仰せで狐が憑いたんだ」と、峰さが高鳥谷神社の前で神主の真似をして祈祷をした。

お盆に散らした45枚の方角の書かれている小さな紙切れにご幣を近づけ、

偶然に付いて来た紙に書かれている方角にばあさんがいるーという神の仰せだということで

たった五戸のは俄かに大騒動となり、その方角を中心にそこらここらの聞き込みから始まった。

もう秋は深まり、霜も来るような日も続いた。

聞き込みの話で、

「胡桃沢の辺りで小さなばあさんが首に手ぬぐいを巻いて、昼間だっちゅうに提灯を下げて下って行ったに」

・・・誰かが聞いて来た。

それが神様の仰せの方角であったのかどうかは知らないが、

三日目くらいにどこかの田んぼの藁塚で見つかった。

履き物はなく、足は霜焼けが激しく、衆が戸板に乗せて担いで来た。

狐に憑かれておったので、峰さが家の戸間口で狐を払う祈祷を施した。

寝床に運んだ時には狐もすっかり抜けており、軽くなっていたという。

それは神様の言う事だからほんとだに・・・中の人が口々に言っていた。