「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「ゲゲゲの鬼太郎  千年呪い歌」

2008年07月30日 23時28分24秒 | 映画
 
 前作の 「ゲゲゲの鬼太郎」 が 大したことなかったので、

 期待していなかったのですが、今回は かなりよくできていました。

 鬼太郎が人間を助けても 何も報われないことに 嫌気が差していたり、

 単なる勧善懲悪でもなく、きれいごとでもありません。

 妖怪ぬらりひょん (緒方拳) が 人間を破滅させようとするとき、

 自然を破壊して 争いを繰り返す人間の 愚かさを述べます。

 これに対する鬼太郎の言葉、普通なら 「それでも人間には、優しさや希望もある」

 とか言うようなところでしょうが、ちょっとひねりが利いていました。

 CGも効果的で、鬼太郎の髪の毛針や 砂かけ婆のしょぼい武器も、

 スケールアップされています。

 終盤の 巨大な骸骨の化け物も 見応えはありました。

 妖怪・ぬれ女 (寺島しのぶ) と 人間 (荻原聖人) との愛情も、

 ぐっと涙を誘います。

 憎しみを抱き続けるのは 虚しいということも思わされましたね。

 それにしても、ウエンツ瑛士は どうしてもミスキャストだと思われてなりません。

                  *

 ところで、「妖怪」 というのは元来は、「起こる」 ものなのだということです。

 僕が所属している 「ユング心理学研究会」 の、

 「妖怪学」 のセミナーで聞きました。

(参考:http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29076643&comm_id=1454900)

 例えば、寝ているときに足音が聞こえる という 「現象が起きる」 とします。

 これは 「ざしきわらし」 がいるからだ、という 「名前」 が付けられます。

 足音という 「起こった現象 (=事) 」 に 名前を付けることによって、

 不思議な 「事」 を記述してきたのです。

 昔からの妖怪の話は 言葉によるものだけで、目に見えないものでした。

 水木しげるが描くキャラクターは、コミックの中だけのものです。

 在る  「コト」が、居る 「モノ」 に 成っていったということです。

 妖怪は、この世的なものと あの世的なものとが 交わる領域に現れるものです。

 「物」 と 「心」 の間にある 「事」 として現れるのが、妖怪なのだそうです。

 人間は それに名前を付けることによって 人格化し、

 相手が何者か 特定して語り合います。

 妖怪と人間の付き合いは、「事」 と 「名」 の間に あるというお話でした。