12月3日に書いた脚本家の清水喜美子さんが、「境界に生きた心子」を読んでご自分のブログに記事を書いてくださいました。
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_6a74.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_4dbd.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_e221.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_a326.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_d40f.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_52e7.html
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2005/12/post_2e17.html
清水さん自身、心子と同じように「愛が欲しい」という欲求に苛まれながら、苦しい人生を送って来られたそうです。
しかしある時、挫折のどん底で自分で自分の存在を認めることができ、
「今まで、よく頑張ってきたね」
と、自身に言うことができたのだそうです。
そして長いトンネルを抜け、心がとても楽になったといいます。
一種の“悟り”の体験だったのでしょう。
「いつかきっとトンネルを抜ける時が来る」
と信じ、カウンセリングの普及を望んでおられます。
心子は、トンネルの中に光明を見たと思っても、その翌朝には再び暗闇の地獄に落ちたりしていました。
自分自身に慰謝の言葉をかけることはできませんでしたが、今は静かで安らかな眠りについています。
しばらくはゆっくり心を休めて、次はもっと生きやすい人生を生きていってほしいと願っています。
〔追伸〕
この記事をアップしようとしたとき、清水さんはさらに新しい記事を書かれていました。
いま苦しんでいる人たちに対して、出口もはけ口もなく辛く苦しいのは分かる
「でも、死んじゃだめだよ
死にたいと思うエネルギー以上に、心は生きたいと叫んでいるはずだから」
と、先輩として訴えています。
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清水さん自身、心子と同じように「愛が欲しい」という欲求に苛まれながら、苦しい人生を送って来られたそうです。
しかしある時、挫折のどん底で自分で自分の存在を認めることができ、
「今まで、よく頑張ってきたね」
と、自身に言うことができたのだそうです。
そして長いトンネルを抜け、心がとても楽になったといいます。
一種の“悟り”の体験だったのでしょう。
「いつかきっとトンネルを抜ける時が来る」
と信じ、カウンセリングの普及を望んでおられます。
心子は、トンネルの中に光明を見たと思っても、その翌朝には再び暗闇の地獄に落ちたりしていました。
自分自身に慰謝の言葉をかけることはできませんでしたが、今は静かで安らかな眠りについています。
しばらくはゆっくり心を休めて、次はもっと生きやすい人生を生きていってほしいと願っています。
〔追伸〕
この記事をアップしようとしたとき、清水さんはさらに新しい記事を書かれていました。
いま苦しんでいる人たちに対して、出口もはけ口もなく辛く苦しいのは分かる
「でも、死んじゃだめだよ
死にたいと思うエネルギー以上に、心は生きたいと叫んでいるはずだから」
と、先輩として訴えています。