蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

「八重の桜」―会津戦争に涙する―そして思うことは…

2013-06-16 23:59:08 | 日常雑感
6月16日(日)梅雨晴れなれど雲多き一日。

 今年の大河ドラマ、ここ最近の大河にしては出色のできでは…。今夜も白河藩少年隊、僅か12歳から14、5歳の少年武士がまるで修学旅行に行く気分だったといって、勇み立って戦場に出たものの、官軍の近代装備に比べるべくもなくまるでわら人形がなぎ払われるように戦死していくさま…。その健気さと無残さにおもわず涙が止まらなかった…。

 この会津藩の悲劇、なにか先の世界大戦で、米英に追い込まれていくなかで窮鼠猫を噛む勢いで無謀無計算の戦争に突入し、最後は前途ある若人による特攻隊と原爆投下の犠牲者で幕を閉じたその後の昭和日本の命運を暗示しているような気がしてならなかった。

 終わり近く京都の太政官府内でか、松平春嶽が岩倉具視に向かって、「再三提出している会津助命嘆願を何故取り上げない、その結果、内乱騒ぎとなって無辜の民を殺している…。これが新政府の目指す新しい国づくりか…。これでは最初から間違っている…」と厳しく難詰するところがある。

 明治維新、結果そのとおりとなったのだ。
 薩長藩閥を主柱とする新政府は、自由民権運動の激しい世論におされるかっこうでなんとか、それをなだめるために明治欽定憲法を定めたが、これがとんでもない代物だったのだ。
 国民の生殺与奪の権をはじめ全ての政治権力を天皇の大権として、その実は、時の政府の実力者の自由自在に運用できるようにしたのだ。
 
 会津を始め多くの犠牲者のうえに実現した明治維新の果実を、あまねく日本国民全ての者のためとせず、このような明治憲法による巧妙な仕組みをつくりあげて、維新の成果を簒奪し国家権力を欲しいままにしたその日本史上にも稀な凶悪の首魁こそは、山縣有朋だ。

 このゆがみと歪がその後の日本の歩みを誤らせ、600万にも国民の命を失わせる結果となった。だが、その足取りの誤りは今も十分に検証されることなく、それは今日も、そして明日へと続いていくのだ。

 今、被災の苦しみの中にある国民を小馬鹿にしあざ笑うような物言いで、国民の顰蹙をかっている水野某参事官は、その典型のきれっぱじのようなものではないか。
 しかし、そのもっともっと根源の大物は、現憲法を何とかして、天皇陛下を元首に祭り上げ、自分たちが存分に国政をほしいまにできる昔日の大日本帝国憲法体制に名実共に戻すことに身命を賭さんとのたまわる安倍総理大臣閣下こそではないのか…。

 まさに幕末維新長州(山口県)の大先輩、山縣有朋公爵閣下の夢よ再びとばかりに…。

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