4月16日(月)雨。冬に舞い戻ったような肌寒い一日。
こんな吝嗇(ケチ)な記事が、目についた。
『4月16日12時56分配信 毎日新聞
人気落語家の林家正蔵さん(44)=本名、海老名泰孝=が東京国税局の税務調査を受け、襲名披露時の祝儀約2200万円を申告していなかったことが分かった。この所得隠しを含め、申告漏れの総額は05年までの3年間で約1億2000万円に上り、追徴税額は重加算税を含め約4500万円とみられる。
関係者によると、正蔵さんは05年3月、林家こぶ平から現在の名前を襲名したが、その際に後援者などから受け取った祝儀袋が自宅の地下から見つかり、所得隠しが発覚した。
こぶ平時代にはテレビのバラエティー番組などで活躍していたが、正蔵襲名後は古典落語にも積極的に取り組み、最近の落語ブームをけん引。襲名時に行われた東京・上野から浅草までのパレードには約14万5000人が詰め掛け、襲名披露公演は全国約60カ所で行われたという。父は故・林家三平さん。【高島博之】 』
林家正蔵、故林家三平の長男。人のよさそうな顔して、あちこちのTV画面でよくお目にかかる。一度、そのTVで彼の落語を聞いたことがあるが、あまりうまいとも思えなかった。何かのコメントを聞いても、なるほどなーともうならせてくれるほどのもはない。何で、あんな程度で、あれほどTVでもてるのかといつも不思議でしょうがなかった。
そこへ、この記事である。やっぱりそんな程度のおひとだったのか…と、思った。
人間、誰しも表・裏があってあたりまえではないか。だが、せめて世間様の表舞台に出ている間ぐらいは、品よくお行儀よくしていていただけないものなのだろうか。
こうした著名人の表・裏。世間知らずの私が、今は昔の現役の頃、直に経験したことで一番腹がたったのは、落語界の天才とかもてはやされている○○師匠氏のことである。
彼も何かでコメントを求められると、ぼさぼさ頭に鉢巻(?)締めて、酔っ払いがしゃべっているようなべらめー口調でもっともらしいことをおっしゃる。
それまでは、小気味好いことをおっしゃると時には感心もした。
この師匠を、ある時、私が所属した組織の管理職研修講座で講師にお迎えすることになった。
貴重な午後の半日、一、二時間をかけて各職場から、200人前後の組織の幹部があげて、多忙な仕事の調整をして会場に集まった。
今日は、どんな面白いお話が聞けるのかと私は、期待に胸を弾ませて師匠のご出座を待った。だが、定刻を過ぎても、30分待ってもいくら待っても、当の師匠はお出ましにならない。
会の担当者の当惑振りは目もあてられなかった。
たまりかねた担当者が、ご自宅に約束外のお迎えにあがったところ、天才師匠は、在宅ながら、たった一言、「今日は、調子が悪いからいけねいや」とのことだったとか。
事前に何回か打ち合わせての結果がこれである。溝鼠(ドブネズミ)ルックの名も無い木っ端役人の研修など、眼中にないのである。
一体、この○○師匠は、何様のつもりなのだろうか。多数の他人の二度と還らない貴重な時間をなんと思っているのだろうか。
こんな人間としての最低の約束も守れず、まともな挨拶もできないような男が、庶民の人情話を語って天才なんておこがましいにもほどがあるってものではなかろうか。
要は、カメラやマイクの向こうに多数の視聴者というお得意様に向かっては、人並みの対応をなさっても、何の発信力もないサービス官庁なんか人間相手にしなくても痛くも痒くもないということか。
また、これもその頃のこと、屋根にぺんぺん草かなんかを植え込んだおうちを建てて、物好きな審査員のお目にとまって、なんとか建築賞をおとりになったとか、はたまた建築○○とかで著名なT大教授閣下。
あるイベントの委員をお願いしての会議であった。事前に秘書の方にも連絡を取り出席の確認を得ていたにも拘らず、定刻になり他の委員先生方がお集まりになっても、この大先生はとうとう最後まで姿をおみせくださらなかった。
そして、先方からは、当のご本尊はもとより秘書の方からも一言の弁明も挨拶も無いじまいであった。
それからというもの、この先生が、TVに出てさも庶民のお友達ぶった語り口でにこやかにコメントされるのを見聞きしても、なにをこいつ人前では、ええかっこしてと見てとれ、虫唾がはしって急いでチャンネルを切るしだいとなった。
そしてまだある。これは文化勲章まで授与された作家先生の叙勲前のことだ。ある短文をお願いしたら、何か資料になるようなものをとのお求めで、こちらで下原稿を用意して、お持ちして、後日、これをと有り難く頂戴してみれば、何と、下原稿にそのままご自分の署名が加わっているだけではないか。それでいて、薄謝はきっちりお納めになった。
ご自分の著作が他人に無断で引用されたら、そら著作権の盗用と直ぐにお騒ぎになるだろうに、これも地方自治体の下っ端小役人の書いたものなど、何のあいさつがいるものかということらしかった。
これでは、先生のお作も小説家志望の編集者が下書きしたものに、ちょいと署名をされた代物かと、勘繰ってもみたくなるというものではないだろうか。
それにしても、この世の中、一度、名前を得てしまった御仁に対しては、何と渡る世間の評価の甘いことだろうか。小説家然り、絵描き然り、政治家然り、評論家然り…
それでも、立場を心得て品よくお振る舞いになっていれば、こちらとしては、何の文句のつけようもありはしない。
だが、よくよく、いささかの天分に恵まれて世に名を成された方々の何人様にお一人かの割合で、人と人との最低の仁義もお忘れになる方々がなんと少なくないことだろうか。
そして影響力大きいメディアには、こびへつらっても、無力無名の輩には傍若無人に振舞っていることには、とんとお気づきにならない。
こうしたお歴々様が庶民の味方顔して、何かあれば、いっぱしのもっともらしいコメントをお吐きになる。
スーダラ節を借りて言うなら「これじゃ世の中いいわきゃないよ!」ではないか。
こうしてみると、この世で何よりも有り難く、尊いお銭(アシ)を、いつまでいただけるかは、人気次第とあってみれば、戴ける時にたっぷり戴いたご祝儀を、地下室深くお蔵いになっておくなど、その名の正蔵に恥じないお振る舞いというべきか。
さて、故三平師匠は、この愛息の様を見て、文字通り地下の泉下で何とおつぶやきになっていることだろうか。
「まったくもう、しょうぞうだからってしょうがないんだからもう…どうしょうぞう!」ってとこだろうか。
これをしも、才無く名も無き負け犬の遠吠えと、ご憫笑くださるだろうか。嗚呼!やんぬるかな!やんぬるかな!
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
こんな吝嗇(ケチ)な記事が、目についた。
『4月16日12時56分配信 毎日新聞
人気落語家の林家正蔵さん(44)=本名、海老名泰孝=が東京国税局の税務調査を受け、襲名披露時の祝儀約2200万円を申告していなかったことが分かった。この所得隠しを含め、申告漏れの総額は05年までの3年間で約1億2000万円に上り、追徴税額は重加算税を含め約4500万円とみられる。
関係者によると、正蔵さんは05年3月、林家こぶ平から現在の名前を襲名したが、その際に後援者などから受け取った祝儀袋が自宅の地下から見つかり、所得隠しが発覚した。
こぶ平時代にはテレビのバラエティー番組などで活躍していたが、正蔵襲名後は古典落語にも積極的に取り組み、最近の落語ブームをけん引。襲名時に行われた東京・上野から浅草までのパレードには約14万5000人が詰め掛け、襲名披露公演は全国約60カ所で行われたという。父は故・林家三平さん。【高島博之】 』
林家正蔵、故林家三平の長男。人のよさそうな顔して、あちこちのTV画面でよくお目にかかる。一度、そのTVで彼の落語を聞いたことがあるが、あまりうまいとも思えなかった。何かのコメントを聞いても、なるほどなーともうならせてくれるほどのもはない。何で、あんな程度で、あれほどTVでもてるのかといつも不思議でしょうがなかった。
そこへ、この記事である。やっぱりそんな程度のおひとだったのか…と、思った。
人間、誰しも表・裏があってあたりまえではないか。だが、せめて世間様の表舞台に出ている間ぐらいは、品よくお行儀よくしていていただけないものなのだろうか。
こうした著名人の表・裏。世間知らずの私が、今は昔の現役の頃、直に経験したことで一番腹がたったのは、落語界の天才とかもてはやされている○○師匠氏のことである。
彼も何かでコメントを求められると、ぼさぼさ頭に鉢巻(?)締めて、酔っ払いがしゃべっているようなべらめー口調でもっともらしいことをおっしゃる。
それまでは、小気味好いことをおっしゃると時には感心もした。
この師匠を、ある時、私が所属した組織の管理職研修講座で講師にお迎えすることになった。
貴重な午後の半日、一、二時間をかけて各職場から、200人前後の組織の幹部があげて、多忙な仕事の調整をして会場に集まった。
今日は、どんな面白いお話が聞けるのかと私は、期待に胸を弾ませて師匠のご出座を待った。だが、定刻を過ぎても、30分待ってもいくら待っても、当の師匠はお出ましにならない。
会の担当者の当惑振りは目もあてられなかった。
たまりかねた担当者が、ご自宅に約束外のお迎えにあがったところ、天才師匠は、在宅ながら、たった一言、「今日は、調子が悪いからいけねいや」とのことだったとか。
事前に何回か打ち合わせての結果がこれである。溝鼠(ドブネズミ)ルックの名も無い木っ端役人の研修など、眼中にないのである。
一体、この○○師匠は、何様のつもりなのだろうか。多数の他人の二度と還らない貴重な時間をなんと思っているのだろうか。
こんな人間としての最低の約束も守れず、まともな挨拶もできないような男が、庶民の人情話を語って天才なんておこがましいにもほどがあるってものではなかろうか。
要は、カメラやマイクの向こうに多数の視聴者というお得意様に向かっては、人並みの対応をなさっても、何の発信力もないサービス官庁なんか人間相手にしなくても痛くも痒くもないということか。
また、これもその頃のこと、屋根にぺんぺん草かなんかを植え込んだおうちを建てて、物好きな審査員のお目にとまって、なんとか建築賞をおとりになったとか、はたまた建築○○とかで著名なT大教授閣下。
あるイベントの委員をお願いしての会議であった。事前に秘書の方にも連絡を取り出席の確認を得ていたにも拘らず、定刻になり他の委員先生方がお集まりになっても、この大先生はとうとう最後まで姿をおみせくださらなかった。
そして、先方からは、当のご本尊はもとより秘書の方からも一言の弁明も挨拶も無いじまいであった。
それからというもの、この先生が、TVに出てさも庶民のお友達ぶった語り口でにこやかにコメントされるのを見聞きしても、なにをこいつ人前では、ええかっこしてと見てとれ、虫唾がはしって急いでチャンネルを切るしだいとなった。
そしてまだある。これは文化勲章まで授与された作家先生の叙勲前のことだ。ある短文をお願いしたら、何か資料になるようなものをとのお求めで、こちらで下原稿を用意して、お持ちして、後日、これをと有り難く頂戴してみれば、何と、下原稿にそのままご自分の署名が加わっているだけではないか。それでいて、薄謝はきっちりお納めになった。
ご自分の著作が他人に無断で引用されたら、そら著作権の盗用と直ぐにお騒ぎになるだろうに、これも地方自治体の下っ端小役人の書いたものなど、何のあいさつがいるものかということらしかった。
これでは、先生のお作も小説家志望の編集者が下書きしたものに、ちょいと署名をされた代物かと、勘繰ってもみたくなるというものではないだろうか。
それにしても、この世の中、一度、名前を得てしまった御仁に対しては、何と渡る世間の評価の甘いことだろうか。小説家然り、絵描き然り、政治家然り、評論家然り…
それでも、立場を心得て品よくお振る舞いになっていれば、こちらとしては、何の文句のつけようもありはしない。
だが、よくよく、いささかの天分に恵まれて世に名を成された方々の何人様にお一人かの割合で、人と人との最低の仁義もお忘れになる方々がなんと少なくないことだろうか。
そして影響力大きいメディアには、こびへつらっても、無力無名の輩には傍若無人に振舞っていることには、とんとお気づきにならない。
こうしたお歴々様が庶民の味方顔して、何かあれば、いっぱしのもっともらしいコメントをお吐きになる。
スーダラ節を借りて言うなら「これじゃ世の中いいわきゃないよ!」ではないか。
こうしてみると、この世で何よりも有り難く、尊いお銭(アシ)を、いつまでいただけるかは、人気次第とあってみれば、戴ける時にたっぷり戴いたご祝儀を、地下室深くお蔵いになっておくなど、その名の正蔵に恥じないお振る舞いというべきか。
さて、故三平師匠は、この愛息の様を見て、文字通り地下の泉下で何とおつぶやきになっていることだろうか。
「まったくもう、しょうぞうだからってしょうがないんだからもう…どうしょうぞう!」ってとこだろうか。
これをしも、才無く名も無き負け犬の遠吠えと、ご憫笑くださるだろうか。嗚呼!やんぬるかな!やんぬるかな!
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
とくに林家正蔵
このひとは、なにか勘違いしている。
母親も甘いのだろうけど、「こぶ平」以上でも以下でもない。
だって、単なるミーハータレントなんだもの。
芸というものを全く感じさせない希有な落語家ですな。
林家正蔵。名前が泣いてますね。同じようにお感じになっているかと思うと、この世の中、まだまだ捨てたもんではないと、正直、山家の隠居、まだ生きる希望が湧いてきました。
いかがでしょうか。
著名人の虚名に恐れ入谷の鬼子母神をきめこまず、オカシイと感じたことはどんどん書いていこうではありませんか。
虚名撲滅連盟を結成いたしませんか!(笑)
あの人は自分の弟子の『真打ちトライアル』だろうが自分の独演会だろうが行かなないなんてザラ。
アタシも聞きに行ってなにが気になるって「今日は来るのか?」ですが。
大体芸人に常識を求めるなんて方がおかしい。普段は非日常性、破天荒な振る舞いに喝采するのに、時間に来ないから駄目ってのはある種の矛盾では?
仮に来たとしても、手短に終わらせたら終わらせたで、怒ったのと違いますか?なら来ないことに対する不愉快と来て短い話をしやがった、という不愉快、どっちがマシか?ということにもなるんですがね。
そもそも税金使って芸人呼んで面白い話を聞こうという了見には、問題はなかったと言えるんすかね?
こぶの件はこいつとこの一家が下手うっただけです。芸人に限らず、相撲取りや歌舞伎役者なんかが困っているはず。
一般人だって冠婚葬祭などのの祝儀不祝儀、真面目に申告してる奴なんて何割いるんだってことです。
ところで、<あの人は自分の弟子の『真打ちトライアル』だろうが自分の独演会だろうが行かなないなんてザラ。アタシも聞きに行ってなにが気になるって「今日は来るのか?」ですが。>とのこと。
そんな無礼な客を客とも思わないような御仁とも知らずに、われ等の石頭を少しはほぐしてやろうとの親心から、講師に選んだ我が研修担当が、事前調査不足であり不覚ということだったのでしょう。
なお、私の属していました組織は、主として独立採算で、厳しい費用対効果を常に考慮してやっておりました。私なども暴力団の未納に対して給水停止して未納料金を徴収いたしました。やはな税金などで飯を食ってきた覚えは、ないことを申し添えておきます。
<一般人だって冠婚葬祭などの祝儀不祝儀、真面目に申告してる奴なんて何割いるんだってことです。>とのこと。
これも、一般人のたまにしかないような冠婚葬祭の祝儀不祝儀と、芸人さんや役者さん、お相撲さんのそれとは似て非なるものではありませんか。
後者は名目はともあれ。はなから自己の芸への対価に対する不定期収入みたいなものではありませんか。
でなければ、いくら野暮な国税庁だって、そんなものに目をつけたりはしないのではないでしょうか。
絵描きや小説家にも、ただルーズなだけなのを、面白がって破滅型とか、天才と呼んで珍重する向きもありますが、それはそれ蓼食う虫も好き好きでどうぞご随意にとしか、私には申せません。
虚名?そも人は神にあらず。光があってこそ陰があり、表があって裏がある。それに怒ってなんになるんです?
公務員やサラリーマンみたいな芸人が多いと嘆くくせに、いざ問題が起きれば叩きまくるというハイエナマスコミと同じ反応にしか見えませんね。
ついでに言えばあの方は自分のテレビだろうが行かないときは行きませんよ。
いいときは華やかに、駄目なら野垂れ死にこそ芸人。それを見て一般人は、いいときは喝采をし、野垂れ死にしたら哀れんでやればいい。古代、中世からそうやってきたんだから。
だから芸人風情が偉そうにするな、というのは非常に正しい態度なので、ガンガン差別してください。
私は、何も裏があってはいけないなんて申しません。表があって裏がある。そんなことはあたりまえでしょう。
私が我慢ならないのは、そういう自分の裏には頬被りを決め込んで、お行儀の言い市民の目線から、彼らがもっともらしいコメントをするのが片腹痛く目障りだということです。
「おいらも手前の魂胆に手をおいてみりゃあ、他人様のことに、あれこれ言う何ざーおこがましくていけませんや」とでもコメントしてくれるのなら、拍手喝采申しましょう。
「江戸っ子は、宵越しの銭はもたねー」が売りの御仁が、人目につかない地下室にお銭ざくざくなんて、それこそ落ちにもならないんじゃーないでしょうか。
先日は手話で落語をしていて少し好感がもてた矢先のこの脱税事件。
よく狙いをつけたなぁ~と国税局に座布団1枚!
蛾遊庵様は実際「被害」に遭われたので今回のブログ、納得です!
実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな。
私の意のあるところを、率直にお読み取りいただきありがとうございました。