蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

土浦8人無差別殺傷事件、岡山駅突き落とし殺人事件…一体、何故なんだ!?

2008-03-27 00:13:53 | 日常雑感
3月26日(水)晴れ、暖。

 茨城県、土浦市で私服警官が8人も張り込んでいる目の前で、咄嗟の間に8人もの無関係な通りがかりの人たちが殺傷される事件が報じられている最中、今度は夜の岡山駅で残業帰りの38歳の県庁職員が、18歳の少年にホームから突き落とされて、入ってきた電車に轢かれて亡くなったという。

 何と言うことだろうか。

 最初の事件報道を聞いただけでは、ああまたかという思いはしたが、何か書いてみようとまでの気にはなれなかった。

 だが、今夕のニュースで被害者の男性が、二人の幼い姉妹の父でマイホームを建てようとしていた矢先の子育ての真っ最中だということ。
 そして加害者の18歳の男の言い分が「人を殺して刑務所に入りたかった…」というのを聞いて黙っていられなくなった。

 この男には、はなから人を殺しても、たかだか何年か刑務所に入れば済むんだという安易な観念しか無いということだ。人を殺したら自分の命も引き換えだという観念は皆無なのだ。誰がこんな考えを植えつけたのか。今の日本の刑法の犯した罪に対する罰の軽さではないか。

 そして今、最近、またまた死刑廃止論がたかまりつつある。私は死刑廃止には、断固反対だ。現在の人間の知的レベルは、死刑廃止に値するほど高いとは思えないからだ。応報刑がどうしていけないのか。殺したら殺される。これこそが最低限の殺人の抑制力になるのではないか。少なくとも、このことが万人の社会通念となっていれば、今回の岡山の事件は起こりえなかったのではないか。

 死刑廃止論を言う前に、戦争撲滅こそが先決ではないか。人類が戦争行為を廃絶することができて初めて、死刑廃止論が説得力をもつのではないか。戦争を抑止することのできない人類の知的レベルでは、死刑廃止は時期早少というものではないか。

  ところで、被害者のお父さんは「加害者に対してはらわたが煮えくり返る」と言われながら、他方で「罪を償って更生して欲しい」と寛大な心を示されている。
  これをどう受け止めたらいいのだろうか。今の私には言葉が無い。
 
  しかし、どうして絶望するには早すぎる年齢で、こうした事件が立て続けに起こるのだろうか。

  それは、今の社会の前途について、若い人々が希望を見出せないからではないか。
さらに言えば、それは、企業利益を上げるためには、人間一人一人の価値を極限にまで切り刻んで屁とも思わぬ企業繁栄至上主義価値観の蔓延に対する儚くも虚しい抵抗の牙ではないのか。


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