蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

晩夏、血に彩られた北京オリンピック終幕の寂寥!

2008-08-25 00:33:33 | 日常雑感
 8月24日(日)雨のち曇り、やや肌寒い一日。

  約、2週間余のオリンピックお祭り騒ぎが終焉した。新聞、TVは連日オリンピック関連ニュースでてんこもりだった。
  お陰で甲子園での高校野球もいつ始まって、いつ終わったのやら影が薄かったように感じた。原油高、不況対策で無策の政府への怨嗟の声も掻き消えたかのようだった。
  
  天邪鬼の私にとって、国威発揚競争の感むんむんのオリンピックへの関心は、シラーっとしたものの筈であった。
  だが、いざ始まってみれば、女子柔道、レスリング、バレー、サッカー、ソフトボールとめぼしい所はほとんど見落とさなかった。大和ナデシコ、日本女性の素晴らしさに改めて感じ入った。
  特に最後のソフトボールの優勝が決まった瞬間には、思わずしらず目頭があつくなった。感動した。
  それに比べ、金メタル鳴り物入りの男子野球の結果には、不甲斐なくて腹が立った。先発投手が1インニングはともかく、2回目からは素人目にも危なく見えたというのに、星野監督は微動だにしなかった。投手は総力戦と聞いていたにも拘らずである。結果は、案の定だ。
 
 今回のオリンピックを見ていた、つくづく感じたのは、日本男子の線の細さ、ねばりのなさだ。もっとも、フェッシングの大田、水泳の北島、男子400Mリレー、柔道男子の2人は別として…。
  そして、良い結果を出した選手の周りには、家族やチームメイト、コーチや指導者との人間関係が濃密で良好なことである。特に浜口選手などその最たるものに感じた。
  男子野球など、プロチームから幾らめぼしい選手をひっぱてきても、10日やそこらの合宿で一体感を持てと言うほうが、きっと無理なのだろう。

  ところで競技とは別に残念なのは、大会初日、グルジアとロシアの武力衝突だ。これこそ水を差す、水をぶっかける以外のなにものでもなかった。
しかし、その翌日だったかの女子射撃でロシアとグルジアの選手が二人ともメタルに輝きながら肩を組んで、「私たちは前からの友人同士、戦争なんか関係ない。あれは政治家同士が自分たちの利害だけで勝手にやっていること」と突き放したコメントをした。
  とてもよかった。せめてもの救いであった。

  今回の北京オリンピック、端からチベット問題が暗雲を呼んでの大会だった。中国国内では四川省での数万人の死者をともなった大震災被害。オリンピック施設建設のために巨大国家権力のブルトーザーで引きしゃがれた多数の中国国民大衆。

  所詮、オリンピックなどというものは、その掲げる崇高な理想・理念とは程遠く、国家の威信を内外に示し、世界各地で民衆の政治的、社会的不満を一時的にガス抜きしたり、目をそらしたりさせる道具にされてしまっているのではないだろうか。

  今、石原都知事大閣下は、胡散臭い新東京銀行の震源から、都民の目をそらすため、恐らくはご自分の座る席があるかないかも覚束ない2016年東京オリンピック開催に向けて、恐れ多くも皇太子殿下まで、己が宣伝活動の一端をお担い戴こうと躍起のありさま。
  果たしてその成果や如何?

  この地球から、国家が無くなり、国境線が消滅して、世界中の人々が、同じ立場で,自らの鍛錬努力だけで各種種目の月桂冠を競い会い、表彰式には人類讃歌・地球讃歌の流れる日は、いつになったらくるのだろうか。
  その日は、ただ待つだけでなく、日本国憲法第9条の墨守を金科玉条に叫ぶだけでなく、新たな世界政府統治機構の構築に向けて、皆で声を挙げ智恵を絞り一歩を踏み出すときではないのだろうか。
 DNAをひもとけば、現在の地球上の人類は、約15万年前とかに一人のイヴを母として、アフリカのサバンナから歩み出た500人足らずの末裔とか…。


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