5月24日(土)朝のうち晴れ、後曇り、夜にいりて雨。
夕方5時過ぎ、TVの前にすっ飛んで座った。琴奨菊が巨漢の若乃鵬に立会い猫じゃらしのような仕草をされて突っ込んだと思ったら上から叩きこまれて、あっというまに土俵に這わされてしまった。琴欧州と同部屋の力士の敗戦。嫌な予感…。
だが、続いて土俵に上がった琴欧州の表情。今日は違っていた。
苦手の安馬とにらみ合っての立会い。鋭く踏み込んだと見た次の瞬間、安馬は 琴欧州の巨体の下に潰されていた。館内の喚声。カメラはこの日故国ブルガリアから駆けつけた父親が不自由な身体を傍の人に支えられて、立ち上がりブルガリアの小旗を何か叫びながら打ち振る姿を映し出した。
控えに戻る琴欧州は通路で待ち構える佐渡ケ嶽親方の手を両手でおしいただくようにしてにっこり笑って頭を深々と下げた。良い師匠と弟子だ。佐渡ケ嶽親方、元関脇琴ノ若も好きな力士だった。身体だけ見るといつ横綱になっても良いような気がしたが、性格が穏やからしく惜しくも関脇で終わってしまった。
しかし、今、同部屋からは琴欧州、琴光喜、琴奨菊を抱え親方としてはすばらしいではないか。
先場所までの琴欧州の不甲斐ない相撲を見ていて、これは親方が優しすぎるためではないかと見ていたが、どうやら愚見のようだった。
怪我してからの琴欧州には、若いころのレスリングの癖が出てその癖を直すのが課題であったとのこと。これを直すために、親方は、目先の勝負に囚われず腰を下ろすことから始めろと指導したという。その成果がこんなに早く出るとは思わなかったとの親方の談話を聞いた。
どこかの弟子をビール瓶で殴り殺すような師弟関係とは、天と地の相違だ。
何処の世界でも、身を託したところの人間関係、環境で人間の運命は明暗二分するということをまざまざと見せ付けられる思いだ。
それにしても今場所の琴欧州の強さは見違えるばかりだ。
一昨日の朝青龍戦など、こんな弱い横綱に何でみんな勝てないのだろうかと思わせられた。昨日の白鵬戦にしても同様に感じた。
いよいよ来場所は綱取りだ。今場所の自信。体調を維持できれば難なく達成できそうに思うがどうだろうか。
日本の国技、相撲は今や日本人のものだけではなくなった。わが国の土俵の上で、世界各国の力士が、丁髷をつけて、裸一つにまわしを締めて全力を尽くす姿は世界平和、世界協調の象徴として誇れるものとなるのではないだろうか。
世界連邦、世界を一つの政治的な枠組みにというと、人は、皆夢物語とかそんなことは不可能と言う。
だが、私はそうは思わない。
世界中で生まれてくる子どもは、生まれてきた時はみんなその頭のなかはまっしろなのに、その親や周囲の大人たちがよってたかって他人への憎しみの感情の種をまきつけているのだ。
成人するまで20年足らずのうちに育つその根は、案外思うほど根深いものではないのではないか。
それが何より証拠には、私たちの親の世代の多数が、鬼畜米英を連呼しながら、敗戦忽ち米国隷従の徒と化して未だに恥じないではないか。
戦争も、貧困も、独裁権力の跋扈も、地球温暖化も、原油価格の安定も、もはや国境線を死守墨守していたのでは、何も解決できないのでないか。
人類は座して滅亡をまつだけではないか…。
琴欧州の初優勝の先に私はそんな思いをめぐらしてしまうだが、これは寝酒の飲みすぎだろうか…。
―追記―
琴欧州が大関に昇進した翌年、新春だったかの全面広告で、大きなタンカーの舳先に大漁羽織(?)を羽織ってにっこり笑ってすっくと立っている琴欧州の雄姿が、何故か鮮明に残っている。
広告主は日本郵船だったか。同社が三井商船との差を挽回せんがための意気込みを込めた広告ではなかったか。
ところがそのごの琴欧州の低迷ぶり…。これでは日本郵船もしまったと思ったのではないだろうか。同社の業績も株価も同様ではなかったのだろうか…。
さて今後は同社の業績もどうなるのだろうか。そんなこと同社の一株主でもない我が身には全く無関係だがなんだか気になる…。これこそまさに蛇足というべきか。
夕方5時過ぎ、TVの前にすっ飛んで座った。琴奨菊が巨漢の若乃鵬に立会い猫じゃらしのような仕草をされて突っ込んだと思ったら上から叩きこまれて、あっというまに土俵に這わされてしまった。琴欧州と同部屋の力士の敗戦。嫌な予感…。
だが、続いて土俵に上がった琴欧州の表情。今日は違っていた。
苦手の安馬とにらみ合っての立会い。鋭く踏み込んだと見た次の瞬間、安馬は 琴欧州の巨体の下に潰されていた。館内の喚声。カメラはこの日故国ブルガリアから駆けつけた父親が不自由な身体を傍の人に支えられて、立ち上がりブルガリアの小旗を何か叫びながら打ち振る姿を映し出した。
控えに戻る琴欧州は通路で待ち構える佐渡ケ嶽親方の手を両手でおしいただくようにしてにっこり笑って頭を深々と下げた。良い師匠と弟子だ。佐渡ケ嶽親方、元関脇琴ノ若も好きな力士だった。身体だけ見るといつ横綱になっても良いような気がしたが、性格が穏やからしく惜しくも関脇で終わってしまった。
しかし、今、同部屋からは琴欧州、琴光喜、琴奨菊を抱え親方としてはすばらしいではないか。
先場所までの琴欧州の不甲斐ない相撲を見ていて、これは親方が優しすぎるためではないかと見ていたが、どうやら愚見のようだった。
怪我してからの琴欧州には、若いころのレスリングの癖が出てその癖を直すのが課題であったとのこと。これを直すために、親方は、目先の勝負に囚われず腰を下ろすことから始めろと指導したという。その成果がこんなに早く出るとは思わなかったとの親方の談話を聞いた。
どこかの弟子をビール瓶で殴り殺すような師弟関係とは、天と地の相違だ。
何処の世界でも、身を託したところの人間関係、環境で人間の運命は明暗二分するということをまざまざと見せ付けられる思いだ。
それにしても今場所の琴欧州の強さは見違えるばかりだ。
一昨日の朝青龍戦など、こんな弱い横綱に何でみんな勝てないのだろうかと思わせられた。昨日の白鵬戦にしても同様に感じた。
いよいよ来場所は綱取りだ。今場所の自信。体調を維持できれば難なく達成できそうに思うがどうだろうか。
日本の国技、相撲は今や日本人のものだけではなくなった。わが国の土俵の上で、世界各国の力士が、丁髷をつけて、裸一つにまわしを締めて全力を尽くす姿は世界平和、世界協調の象徴として誇れるものとなるのではないだろうか。
世界連邦、世界を一つの政治的な枠組みにというと、人は、皆夢物語とかそんなことは不可能と言う。
だが、私はそうは思わない。
世界中で生まれてくる子どもは、生まれてきた時はみんなその頭のなかはまっしろなのに、その親や周囲の大人たちがよってたかって他人への憎しみの感情の種をまきつけているのだ。
成人するまで20年足らずのうちに育つその根は、案外思うほど根深いものではないのではないか。
それが何より証拠には、私たちの親の世代の多数が、鬼畜米英を連呼しながら、敗戦忽ち米国隷従の徒と化して未だに恥じないではないか。
戦争も、貧困も、独裁権力の跋扈も、地球温暖化も、原油価格の安定も、もはや国境線を死守墨守していたのでは、何も解決できないのでないか。
人類は座して滅亡をまつだけではないか…。
琴欧州の初優勝の先に私はそんな思いをめぐらしてしまうだが、これは寝酒の飲みすぎだろうか…。
―追記―
琴欧州が大関に昇進した翌年、新春だったかの全面広告で、大きなタンカーの舳先に大漁羽織(?)を羽織ってにっこり笑ってすっくと立っている琴欧州の雄姿が、何故か鮮明に残っている。
広告主は日本郵船だったか。同社が三井商船との差を挽回せんがための意気込みを込めた広告ではなかったか。
ところがそのごの琴欧州の低迷ぶり…。これでは日本郵船もしまったと思ったのではないだろうか。同社の業績も株価も同様ではなかったのだろうか…。
さて今後は同社の業績もどうなるのだろうか。そんなこと同社の一株主でもない我が身には全く無関係だがなんだか気になる…。これこそまさに蛇足というべきか。
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