本ブログ281の項で、『悪なるひとのことは項をあらためて』と言いました。そのことを今回は取り上げます。
師走も半ば、いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。師走の語源はいくつかあるということのようですが、わたしなどは年が果つる(シハツ)というのがそもそもの意味ではないかと素人考えしています(あてになりませんが)。また、お坊さんが一年のシメの法施のために急ぎ歩いて檀家をまわることから来ているとも言われます。
そのように近所の家々をまわるのではなく、流罪や布教のために国のあちこちをまわった僧のひとりに浄土真宗の祖親鸞がいます。彼の『善人なほもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という言葉は有名ですが、そこには既成の価値観をひっくり返した特別な思いがこめられています。悪人正機説といわれるものですが、ここでいう悪人とは決して悪事をはたらいた人という意味ではありません。
仏教ではもともと自分の努力で修行を成し遂げる、それが悟りや往生につながると教えています。それが日本にあっては、位の高い人や裕福な人のあいだに、修行とは関係なく財物を寺に寄進したり、はては寺そのものを建立したりすることで救済に与ろうとする風潮が出てきました。要するに、善人とは信仰に基づきそういう努力をしたり仏のために能力、財力を提供できる人々のことです。
しかし現実の世の中は、だれもがそのようにできるわけではなく、多くは今以上の努力や財力を求められてもとてもできる境遇にはありません。それは今も昔も同じです。仏教(正確には寺や僧)に寄与することが少なく、したがって救済から最も遠いところで生きているのが大方の民衆であり、親鸞はそのような人々を既成の基準から見て『悪人』と呼んだのです。
ここから親鸞の革命的というかコペルニクス的転回の経文解釈が生まれてきます。彼は阿弥陀経などの経典の解釈を通じて、そのような無力な悪人こそが阿弥陀如来による救済の本来の対象、すなわち正機であると説いたのです。仏教に貢献している人を措いて悪人を救うなど、それはおかしいじゃないかという勢力は当然ありましたし、そのために生涯苦労もしましたが、この親鸞の思想が生まれたおかげで日本仏教は間口と奥行き、そして厚みをを大きく増したといえます。(ちなみに当方は曹洞宗の檀家で、浄土真宗とは特に縁がありません。念のため)。
ここまで書いてくると、うすうすお気づきの方もいらっしゃると思いますが、そのような親鸞的発想を合気道に持ち込んだのが他ならぬ黒岩洋志雄先生であると不肖の弟子は考えています。開祖に全幅の信頼を寄せながら、弟子の間に定着した既成の合気道理解や硬直した価値観に異議をとなえ、他からの圧力も受け流し、疑問を感じている後進には開眼のための明確な根拠を示すなど、いくつもの共通点があるように思います(その詳細については古い項を見ていただければよいのですが、それもまた面倒でしょうから機会をみてもう一度まとめてお伝えしようと考えています)。
一点違うのは、親鸞の生んだ『悪人』の集まりが後々日本一の大教団になったのに対し、黒岩先生を慕う者たちの数は全合気道家の中のほんのひと握りでしかないということです。これは、黒岩理論が一般の理解を越えていて、したがって、それに基づく特徴的技法の意味が伝わりにくかったのではないかと、わたしなどは考えています。
また、こちら側が誰にでも門戸を開いているといっても、一般の方がわざわざ未知の領域に一歩を踏み入れるにはそれなりの勇気も必要で、まして現状に特段の疑問を抱いているわけでもない人ならなおさらです。そういうことも考慮し、先生の教えを受けた人の中にはその遺産を守り広めたいと考えて稽古会を主宰している方もいますので、ご縁があればどうぞ参加してみてください。必ず新しい発見があるはずです。
わたしは良師を探し求めたすえに黒岩合先生に巡りあったのですが、そのおかげで恥ずかしながら今でもいっぱしの合気道家面をしていられるわけです。もっとも、『あなたたちが師匠を選ぼうとするのと同じように、わたしにだって弟子を選ぶ権利はあるんですからね』と言われたわたし自身が黒岩合気道における『正機』であるかどうかは未だにわかりません、はい。
ちなみに、日本仏教の偉人でいうと、空海のような天才肌の人、最澄のようなまじめで包容力のある人、道元のような純一無雑の人、日蓮のように曖昧さを許さない闘士のような方々が合気道界にもいらっしゃいました。わたしにもそれぞれに心当たりがありますが、皆さんのまわりにもいらっしゃるのではありませんか。合気道が個性を尊重する武道であることの証です。
さて、年内中にもう一回くらい書けるかもしれませんが、どうなりますか。いずれにしろお元気で年の瀬をお過ごしください。
師走も半ば、いよいよ年の瀬も押し詰まってきました。師走の語源はいくつかあるということのようですが、わたしなどは年が果つる(シハツ)というのがそもそもの意味ではないかと素人考えしています(あてになりませんが)。また、お坊さんが一年のシメの法施のために急ぎ歩いて檀家をまわることから来ているとも言われます。
そのように近所の家々をまわるのではなく、流罪や布教のために国のあちこちをまわった僧のひとりに浄土真宗の祖親鸞がいます。彼の『善人なほもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』という言葉は有名ですが、そこには既成の価値観をひっくり返した特別な思いがこめられています。悪人正機説といわれるものですが、ここでいう悪人とは決して悪事をはたらいた人という意味ではありません。
仏教ではもともと自分の努力で修行を成し遂げる、それが悟りや往生につながると教えています。それが日本にあっては、位の高い人や裕福な人のあいだに、修行とは関係なく財物を寺に寄進したり、はては寺そのものを建立したりすることで救済に与ろうとする風潮が出てきました。要するに、善人とは信仰に基づきそういう努力をしたり仏のために能力、財力を提供できる人々のことです。
しかし現実の世の中は、だれもがそのようにできるわけではなく、多くは今以上の努力や財力を求められてもとてもできる境遇にはありません。それは今も昔も同じです。仏教(正確には寺や僧)に寄与することが少なく、したがって救済から最も遠いところで生きているのが大方の民衆であり、親鸞はそのような人々を既成の基準から見て『悪人』と呼んだのです。
ここから親鸞の革命的というかコペルニクス的転回の経文解釈が生まれてきます。彼は阿弥陀経などの経典の解釈を通じて、そのような無力な悪人こそが阿弥陀如来による救済の本来の対象、すなわち正機であると説いたのです。仏教に貢献している人を措いて悪人を救うなど、それはおかしいじゃないかという勢力は当然ありましたし、そのために生涯苦労もしましたが、この親鸞の思想が生まれたおかげで日本仏教は間口と奥行き、そして厚みをを大きく増したといえます。(ちなみに当方は曹洞宗の檀家で、浄土真宗とは特に縁がありません。念のため)。
ここまで書いてくると、うすうすお気づきの方もいらっしゃると思いますが、そのような親鸞的発想を合気道に持ち込んだのが他ならぬ黒岩洋志雄先生であると不肖の弟子は考えています。開祖に全幅の信頼を寄せながら、弟子の間に定着した既成の合気道理解や硬直した価値観に異議をとなえ、他からの圧力も受け流し、疑問を感じている後進には開眼のための明確な根拠を示すなど、いくつもの共通点があるように思います(その詳細については古い項を見ていただければよいのですが、それもまた面倒でしょうから機会をみてもう一度まとめてお伝えしようと考えています)。
一点違うのは、親鸞の生んだ『悪人』の集まりが後々日本一の大教団になったのに対し、黒岩先生を慕う者たちの数は全合気道家の中のほんのひと握りでしかないということです。これは、黒岩理論が一般の理解を越えていて、したがって、それに基づく特徴的技法の意味が伝わりにくかったのではないかと、わたしなどは考えています。
また、こちら側が誰にでも門戸を開いているといっても、一般の方がわざわざ未知の領域に一歩を踏み入れるにはそれなりの勇気も必要で、まして現状に特段の疑問を抱いているわけでもない人ならなおさらです。そういうことも考慮し、先生の教えを受けた人の中にはその遺産を守り広めたいと考えて稽古会を主宰している方もいますので、ご縁があればどうぞ参加してみてください。必ず新しい発見があるはずです。
わたしは良師を探し求めたすえに黒岩合先生に巡りあったのですが、そのおかげで恥ずかしながら今でもいっぱしの合気道家面をしていられるわけです。もっとも、『あなたたちが師匠を選ぼうとするのと同じように、わたしにだって弟子を選ぶ権利はあるんですからね』と言われたわたし自身が黒岩合気道における『正機』であるかどうかは未だにわかりません、はい。
ちなみに、日本仏教の偉人でいうと、空海のような天才肌の人、最澄のようなまじめで包容力のある人、道元のような純一無雑の人、日蓮のように曖昧さを許さない闘士のような方々が合気道界にもいらっしゃいました。わたしにもそれぞれに心当たりがありますが、皆さんのまわりにもいらっしゃるのではありませんか。合気道が個性を尊重する武道であることの証です。
さて、年内中にもう一回くらい書けるかもしれませんが、どうなりますか。いずれにしろお元気で年の瀬をお過ごしください。