てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

てつがくカフェ@ふくしま特別編2021 報告「コロナ禍の中でいま震災・原発事故の〈教訓〉を問い直すー〈3・11〉から10年、私たちは何を聴き、語るべきかー」

2021年03月14日 08時30分00秒 | 〈3.11〉特別編記録
3月13日(土)オンラインで開催された

てつがくカフェ特別編2021について世話人の石井が報告させていただきます。


新型コロナウイルス感染症の影響もあり

ここ最近はオンラインで開催しておりましたてつがくカフェですが、

zoomの様子を録画したり、参加者の発言をメモしたりといった

記録を残すことはしておりませんでしたが、

今回の特別編から参加者の意見を

「マインドマップアプリ」で打ち込みながら

上記ツールを画面共有して進めさせていただきました。





震災から10年という節目の年ということもあって

オンライン開催にもかかわらず

20名の方にご参加いただきました。


ここで参加者の方の発言の一部を抜粋して紹介させていただきます。

【3.11の教訓について】
「果たして教訓は得たのだろうか?」
→震災以降、国や行政、政治家、マスコミ、学者への不信感が増した
→風評被害は、依然としてコロナ禍でもある
→10年間で貧富の格差はさらに拡大した

「教訓とは何か?」
→政府にとっての教訓=「何とか今をやりすごせばいい(問題の先送り)」ということでは?
→個人的な教訓としては、自分が被災者・被害者になったらと考えるようになった
→国際的な教訓として、ドイツなどでは国家レベルでフクシマの教訓を活かしている

「未来に向けての教訓」
→津波に関する教訓は伝えられているが、原発事故に関する教訓が伝えられていない (津波の恐怖は映像や写真で伝えられる=教訓として残る)

【コロナ禍との関係】
「震災との共通点」
→「これはホントなのか?」=政府の発表、マスコミの報道を疑問視 (福島原発で水素爆発が起きたことを政府と東電が情報を隠していた)
→コロナ禍になって震災の話をできる場がなくなった

【震災・原発事故の忘却】
→「忘れてしまわないようにしよう」という想いもあるが、忘れてしまう方にも共感できる
→被災者への接し方として「触れないようにする?/無理にでも聞いてみるべき?」(震災の体験を根掘り葉掘り聞いても良いのかという遠慮)

【温度差の問題】
→普遍的問題 (アイヌ・沖縄・LGBT・在日コリアンetc.)として、当事者・被災者・被災地と第三者には温度差がある
→(震災等の)話の席で居心地の悪さを感じる
→「寄り添う?」という言葉が安っぽく使われてしまっている
→当時から福島に住んでいるが放射能被害だけで、津波の被害はなかった(被災者意識があまりない)



さて、次回は4月17日(土)16時から

福島市市民活動サポートセンターで開催いたします。

また参加にあたっては、新型コロナウイルス感染症の感染対策のため、

マスク着用の上、ご来場いただきますようお願い致します。

テーマは「翻訳はどこまで可能か?」です。

それでは皆様また次回の「てつがくカフェ」でお会いしましょう。