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てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

なぜ、哲学カフェに集うのか?【その6】

2015年02月14日 13時43分52秒 | 参加者感想
なぜ、哲学カフェに集うのか?
続々と参加された皆様より、ご回答をお送りいただております。
哲学カフェの意義とは?
皆様の文章を読みながら、日長考え込んでいるところです!


「『てつがくカフェ@ふくしま』にせっせと通う理由」

「てつがくカフェ」という集いが福島市で開催されていることは、新聞か何かで時々目にしていた。
哲学的なテーマについて珈琲片手に話し合うという試みを、面白そうだと感じていたものの、実際に参加するには今ひとつタイミングが合わなかった。
しかし2013年の冬、「てつがくカフェ@ふくしま」が『茶色の朝』を題材に開催すると、やはり何かで目にしたとき、今回はタイミングを言い訳にせず参加した方がいいのではないか、そう思った。

高校の教員をしている僕は、全体主義への警鐘を鳴らすこの本を教材として何度か取り上げたことがあった。
「他人の思考をなぞるのではなく、自分の頭で物事を判断すること」、「社会に違和感を抱いたとき、日常の多忙を言い訳にせず違和感を表明すること」、「自由とは無条件で与えられるものではないこと」。
この本がフランスで出版されたときの社会状況と、日本の社会状況にどこか重なるところがあるように感じていた。
でも、その理由もわからなければ、何をすればいいのかもわからない。
閉塞感と無力感を持っていた気がする。
何かできることはないのか、そう考えていた頃だった。
『茶色の朝』について話し合うらしい。
その本に興味のある人がいるかもしれないし、自分にも何か言えることがあるかもしれない、そう思って出かけた。

「てつがくカフェ」は楽しい。
「てつがく」とひらがなになっているだけあって敷居が低く、専門知識や哲学的知識の多寡を問うわけではないらしい。
よかった。そんな知識はないし。
会場で、木戸銭代わりに幾ばくかの小銭で珈琲代を払う。
幾ばくかの小銭というのもまた、敷居が低くていい。
そして、木戸銭と違って興行を見るのではなく、自分がその一部になる。

約2時間、テーマについて考え、何度かは発言をしてみる。
あらかじめ考えてきたことであったり、その場の流れで思いついたことであったり。
でも圧倒的に、他の参加者の方の発言を聞いている時間が長い。
自分と他の方とでは考え方がこんなにも違うものかと毎回驚き、それが当たり前なのだと今更ながら気付く。
一つのテーマに対して、実に多くの切り口があり、多くの意見がある。
決して共感できないとか、理解できないとかいうことはないのだけれど、それにしてもこの違いはどこからくるのだろうと話を聞きながらつい考えてしまう。
「育った環境が違うから」と山崎まさよしが歌う。
「そうか、おまえは、そこからやって来たのか。」と自分の立場のふるさとを見つけることもある。

結論がないことも気に入っている。
カフェが終わると、会場にあるホワイトボードは(それが電子黒板であったり、時にホワイトボードがなかったりもするが)、僕の意見も含め、その日に出された意見で埋め尽くされる。
でも、結論が出されるわけではない。
そもそも僕自身が、カフェが始まる前よりもずっと混乱している。
自分の意見が揺れ、自分の論拠を疑うようになっている。
心の中で反発を覚えていた他の方の意見に、いつの間にか共感していたりもする。
不思議だ。
でも、その混乱の中、「(どこかが)開いた」、「(何かが)深まった」、そういう感じが間違いなくある。
だから、混乱は不快ではない。

僕は「対話」を、「自分の意見を口にし、意見交換をしながら、自分の考えを確かなものとして深めていく過程」だと考えていた。
でも「てつがくカフェ」の「対話」から思ったことは、他の方の話を聞くことの方がずっと自分の考えを深めるきっかけとなる場合があるということ。
いきおい、自分のささやかな発言も誰かの深まりのきっかけになることを願う。
カフェが終わった後に拍手が自然と起こるのは、もしかして、そういうお互いがお互いを深め合っていくことへの感謝とか、そういうものだったりもするのだろうか。
ファシリテーターが「解散後もずっと考え続けていきましょう。」と言う。
実際にその後も考え続けることが多い。
運転中に思いついた考えを、慌ててボイスメモに録音することもある。
そうすると、一つのテーマに対して、かなり長い時間考え続けていることにもなる。
それなのに、結論は出ないし正答もない。
でも、それでかまわない。
ある物事に対して、性急に結論を出さず、じっくりと時間をかけて考える機会がある。
それは幸せなことかもしれない。

閉塞感や無力感は消えていないし、未だに震災について語ることは難しい。
でも、「どこかが開いた」、「何かが深まった」その感じを求めて、またせっせと「てつがくカフェ@ふくしま」に通う準備をしている。
「ずいぶんはまってるのね。」と、ある女の子に言われた。
そうなのかもしれない。

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