Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

テレビショッピングの不思議?

2014年03月31日 | 日記

 3月31日(月)

 世の中不思議に思う事が時折あるが、先日もテレビを観ていて「ん?」と思う事があった。それは、あるテレビショッピングの宣伝だった。

CM担当の男性が、かん高い声で「今新発売で大人気〇〇のご紹介です。今回はこれを特別に先着1000名様に限り、何と9,980円のお値段で販売させていただきます。数に限りがございますので、お早目のお電話お待ち申しております。」

 と、まあこんな宣伝内容だった。対象商品をデジタルカメラとしよう。この文句からすると1000台限りのカメラを販売する訳だ。と言う事は1千台×約1万円として売上総額は約1000万円になる。

 安値販売してるだろうから利ざやを1割とみて儲けは100万円、個人には大金だがこんな金額じゃ何千万もするであろう全国ネットのテレビCM料金何て払えっこ無い。精々キンキン声で宣伝する「ジャパネットたかた」社長の日当代くらいにしかならないのではないか。

 では通販会社はどうして儲けているのだろう?・・・「出荷現場と営業の意思疎通が無いか、出荷担当者がズボラで数を把握せず無制限に出荷している。」、「ジャパネットたかたが、赤字覚悟の出血大サービスをしている。」、「何かの事情でテレビ局がCM料金を大まけしている。」それとも「テレビCM何てイイ加減で、こんな嘘を言っても法に触れる事は無い。」エトセトラ・・・・

一体どれが真実なんだろうと思い悩んでいたら、夜眠れなくなってしまった。

 「ジャパネットたかた」のテレビCM

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みんなの党、渡辺代表の疑惑

2014年03月30日 | 日記

 3月30日(日)

 政治資金規正法に抵触した疑いで、「みんなの党」代表、渡辺喜美氏の足元が大きく揺らいでいる。先般都知事を辞職させられた猪瀬直樹氏と酷似する疑惑である。テレビで釈明する姿も自信なさげで眼が泳いでいるようだった。

 実のところ、以前私は選挙において幾度となく「みんなの党」に支持票を投じてきた。自公政権下で行政改革担当大臣として本気で官僚とぶつかる渡辺氏を見て、この人は本物かも知れないと好感を持ったのだ。

 自民党と袂を別ち野に身を置いてから、「官僚支配打破」を旗印にコツコツと「みんなの党」を育て上げた。これこそ既得権力に媚びない健全な市民政党の誕生ではないかと大いに期待した。

 しかし、氏がやたら「アジェンダ」と凡人には意味不明の言葉を連発するようになった頃から何となく雲行きがおかしくなってきた。「ゆいの党」分裂騒ぎ前後には、リーダーとしての資質にも疑問が生じてきた。

 そして今回の騒動である。疑惑に塗れた野党のリーダーが権力批判などしても、「臍が茶を沸かす」と言うかお話にもならない。痛々しい姿を晒すより、スッパリ党首の座を辞して禊を済ました方が、党の為にも氏の為にも良策ではなかろうか。「みんなの党」の存在意義はまだ充分にあると私は思っている。・・・・しかし、本物の人物って中々いないものですね。

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消費税アップ前の駆け込みで、カーナビ地図ソフトを買っちゃった。

2014年03月29日 | 日記

 3月29日(土)

 いよいよ消費税が8%へUPする日が間近になってきた。先日駅の改札を通った時、運賃掲示板が付替えられるのを見てヒシヒシとそれを実感した。

 駆け込み需要とやらで、何処も売上高がアップしているらしい。私が価格の低下を待ってネット通販で買おうと思っていたキャノンの一眼レフカメラも、最近は価格がジリジリ高騰し、購入時期を逸してしまった。

 どうせ消費税8%になったら一気に需要が冷え込み物が売れなくなるのは確実で、メーカーや販売店は売れなければどうしょうも無いから、製品価格を大幅に値下げするのではないだろうか。案外この時期を狙った方が賢い買い物ができるような気がする。

 と、偉そうな事を言いながら、私も駆け込み購入してしまった。それは何かと言いますと「カーナビの地図ソフト」、今の地図ソフトは2年前のものでそんなに古く無いから、買おうか買うまいかウジウジ悩んでいたのだが、雰囲気に押されるようにネットの注文をクリックしてしまった。

 この地図ソフトはメーカー(㈱ゼンリン)の直販品なのでディスカウントはせず、定価(¥16,000)販売だ。4月以降に購入すれば消費税分480円高くなる。たかが480円、されどこの金額で吉野家の「牛丼、けんちん汁、お新香セット」が食べられる。良い買い物をしたのだと自分に言い聞かせている。

 ゼンリン地図ソフトのSDカード

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セレンゲティ国立公園でサファリ(平成14年)

2014年03月28日 | 旅行

 セレンゲティ国立公園は大サバンナ地帯に広がる世界遺産で、関東地方と四国を合わせたよりも広くタンザニア国最大の自然公園です。まあとにかく広大で、土埃の道を時速100キロで何時間すっ飛ばしても乾燥した荒野の眺めは変わらず、日本の箱庭的風景とは真逆の世界です。

 公園内に幾つかある宿泊施設はいずれも高級豪華な造りばかりです。サファリ何て以前は欧米のお金持ちだけの遊びだったようだから、その名残なんでしょう。それが今ではアジアの端っこに住む私みたいな貧乏人でも来れるのだから、良い時代になったものです。

 セレンゲティ公園入口ゲート

 40~50センチのトカゲ(こいつは至る所でチョロチョロしてる。)意外に愛嬌がある。

 公園内の豪華なホテル

 野生動物は暑い日中は休息し朝夕に活動するそうなので、我々もその時間帯に合せサファリ見物をした。公園を熟知したガイド兼運転手が次々と野生動物の居る場所を探知し、最初のうちは「ワー凄い。」、「何だーあれは」とか大騒ぎだったのが、午後になると見物疲れでガイドが「ヒョウだ。」「ライオンだ。」「チーターだ。」と教えてくれても、皆さん寝ぼけ眼で顔を向けるだけになった。

 それでもエキサイティングな光景を数々見た。「襲ったキリンを食べるライオンのファミリー」、「インパラを捕まえるチーター」、「樹の上で休むヒョウ」、「意外に怖くて強いというバッファローの群れ」エトセトラ・・・

 マントヒヒのボス(近寄るとちょっと怖い)

 獲物(キリン?)を食事中のライオン家族

 休憩中の雌ライオン

 獲物を狙うチーター

 優雅なキリン

 

 百獣の王ライオンのオスは、メスに狩りをやらせ捕った獲物は自分が真っ先に食う典型的な亭主関白だというのも判った。一番感動したのは、二十数頭からなる象の集団だった。弱い小象を間に挟み、地平線の彼方から草原の中を一直線に進んでくる。ゆったりした歩みから想像するよりその速度は意外に速く、人間など見向きもせず我々の眼の前を堂々と通り過ぎて行った。その姿には畏敬の念すら覚えた。

 悠然と行進する象の集団

 サバンナの夕日

 サファリというのは車に乗って野生動物を見物するだけなんだけど、半日荒地の中をガタガタ揺られて過ごすから以外と疲れる。ホテルに着いた時はいつもクタクタで、お蔭で夕食&ビールが美味しく堪能できた。

 最後に見学したのはオルドヴァイ峡谷、此処は最初の人類の足跡や化石が発見され人類進化の上で大変重要な場所らしい。しかし訪れた資料館は埃っぽくてみすぼらしく、日本で言えば過疎地の誰も訪れぬ資料館レベルで有難味が湧かなかった。学識ある人が見ればその価値が判るのだろうけど、所詮私にとっては「猫に小判」だったのかも知れない。

 オルドヴァイ峡谷

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アフリカサファリでンゴロンゴロ自然保護区へ(平成14年)

2014年03月27日 | 旅行

 キリマンジャロ登山を終えた我々一行は、楽しみだったアフリカサファリへ出発する。どんな野生動物と出会えるかとワクワクする。まず出会ったのは思わぬ奴だった。バスでアルーシャの町を出て郊外の陸軍基地の傍を走る頃、路上に3~4mはあろうかという大蛇が横たわっていた。たぶん車に轢かれて死んだのだろう。最初から度肝をぬかれ嫌なものに会ってしまった。

 まず向かったのは世界最大級カルデラ火口内部にある世界遺産、ンゴロンゴロ自然保護区です。JR山手線内側より広いというカルデラ内に人が住む事は許されず、野生動物の王国になっている。火口外輪山上にホテルやロッジが幾つかあり我々はそこに宿泊した。

 ホテルから双眼鏡でカルデラ内部を見下ろすと、象を始め多くの野生動物が動き回る姿を直に眺める事ができる。何か夢に見る世界を覗くようで陶然とする景色だ。滅多に感謝の言葉など口にせぬ妻が「つれて来てくれてありがとう。」と言ったくらいだから、よほど感激したのだろう。

 ホテルから見下ろすンゴロンゴロ自然保護区

 広大なカルデラ内部のンゴロンゴロ自然保護区

 

 翌日サファリカーに分乗しカルデラ内部に降って行く。カルデラ内には森林や川、湖等が点在し此処で暮らす動物の殆どは隔離され外部に出る事は無いと言う。巨体で陽気な黒人のヴェテラン運転手が的確に動物のミートスポットへ案内してくれる。

 森の中には象の家族、川辺にはカバやワニが群れ、砂塵舞う荒野にヌーの大群、中央の塩湖にはピンクが鮮やかなフラミンゴの大集団、珍しいという白サイが一頭孤高に歩む姿も見る事ができた。

 ゼブラの群れ

 ヌーの大群

 カバとワニが共生する沼

 フラミンゴが舞う湖

カルデラ内部は動物にとって適した環境なのか動物達の密集度合が凄い。サファリの見物疲れを感じた頃、自然保護区を後に外輪山の外へ出る。次に向かったのはマサイ族の集落。精悍な狩猟民族というマサイの若者が伝統の衣装と槍を手に、パオパオの樹の下で集団ジャンプして出迎えてくれる。

 マサイ族の集落

 集落内の彼らの家を見学したり、彼らと一緒に写真を撮るのは全て有料である。少なくともこの集落は観光地で、ここのマサイ族も狩猟から観光民族へ商売替えをしたようだ。白けた気分の私は、此処で金を使う気にはならなかった。

 翌日からタンザニア最大の国立公園セレンゲティに向かう予定だが、それは次回のブログで・・・・・

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平成14年キリマンジャロ登山、4~6日目

2014年03月25日 | 山歩き

 キリマンジャロ登山四日目

 朝ホロンボ・ハット(標高3720m)出発してしばらく行くと「ラスト・ウォーター」と書かれた看板があり、此処がマラングルート最後の水場となる。これから上は全く植物の無い砂漠のような荒野が続く。

 最後の水場

 その中を白い踏み跡が一直線に伸びている。右手に見えるマウエンジ峰(5194m)は、標高こそキボ峰に劣るものの剣を突き立てたような山容が素晴らしい。

 キボ・ハットへ向け伸びる登山道

 荒涼とした風景の中を約4時間半歩いて最終キャンプ地のキボ・ハット(標高4730m)に着いた。2棟の建物があり室内は鉄製の2段ベッドが備えられ軍隊の訓練所にいるようだ。

 時間があったので、高度順応を兼ねてキャンプ地の少し上まで登ってみる。流石にこの標高では空気の薄さが良く判り少しの運動で息切れする。宿舎に戻ると早めに食事を済ます。食欲は無くビールを飲もうという気にならない。

 キボ・ハットを見下ろす。

明日の出発が早いので、食後すぐにベッドにもぐるが中々寝付けない。空気の薄さが影響しているのだろう。

 

 

 キリマンジャロ登山五日目

 深夜12時に起床、簡単な食事を済ますとキャンプ地を後にする。屋外は凄い寒気で身体が身震いする。空を見上げると満天の星、あれが南十字星と教えられたが、あまりにも星が多過ぎてよく判らない。

 キャンプ地から最初の目標キボ峰のギリマンズ・ピークまでは岩稜の急登が続き、やっと登山をしているという実感が湧く。ちょうど富士山の7~8合目を登っているような感じだ。

 危険な場所は無く恐いのは高山病だけ、ツアー参加の女性が2度続けて転び、それを見たガイドは「登りたい。」という彼女を強制的下山させた。高山病で命を落とす人がけっこういるらしい。

 マウエンジ峰の左から御来光

 やがて東の空が白み、マウエンジ峰の奥から真っ赤な太陽が現れ我々の冷え切った身体を暖めてくれる。大自然の荘厳な瞬間だ。ピーク間近になって妻の歩みが急速に落ちた。高山病の兆候がでたようだ。何とか騙し騙し登ってキリマンジャロ山火口外縁のギルマンズ・ピーク(5685m)に到着した。

 ギルマンズ・ピーク

 ここまで登ればキリマンジャロに登頂したという証明書が貰える。ツアー参加者の大半は、此処を最後にキボ・ハットへ向け下山して行った。妻も限界のようで、一緒に降っていった。

残る人は火口外縁を辿って最高地点のウフルピークを目指し、思い思いのペースで進んで行く。この高さでは意識して呼吸しないと息が途切れる。私は実に体調が良く先陣を切ってウフルピーク(5895m)に到着した。

 ウフルピークへ向かう途中で見える氷河

 キリマンジャロ最高地点、ウフル・ピーク

 山頂の氷河

 周囲に氷河が横たわる山頂からの展望は絶景の一言、今までの苦労が一気に報われた。正に天上の世界にいるような至福の一時だ。記念の写真を撮り終えると下山を開始する。すれ違う人にエールを送りながら足を速める。

 登りに苦労したギルマンズピークからキボ・ハットへの急坂も、富士山の砂走りを降るように一直線に降って行く。同行したガイドが「ユー・アー・ストロング」と褒めてくれた。

 気懸りだった妻の体調も、キボ・ハットで再会したら元気そうだったので一安心した。今日はこのまま一気にホロンボ・ハットまで下山する。長時間の行動に最後の方は流石に脚が重い。ホロンボ・ハットの小屋が見えた時はホッとした。

 夕食を終え登頂の余韻に酔いながら下界を見下ろすと、広範囲なエリアで山火事が発生している。そこには明日我々が降る道がある。下山できるのだろうかと不安になってきた。

 

 

 キリマンジャロ登山六日目

 ホロンバ・ハットを出発し、しばらく降ると昨日目撃した山火事現場に着いた。周囲はまだ火の手が上がっており、青白い煙が辺りに充満している。我々は湿らせたタオルを口に当て、山火事の中に通じる道を一気に駆け抜けて、全員安全地帯まで無事に脱する事ができた。

 山火事現場

 一時はどうなる事かと思ったが、過ぎてみればこれも得難い体験である。その後も緩やかに続く長い道をひたすら下り、登りで泊ったマンダラ・ハットも通過して、足取りも軽く登山口のマラングゲートに戻ってきた。

その後、登頂した人は登頂証明書を授与される。妻はギルマンズピーク登頂、私はウフルピーク登頂と書かれた紙をそれぞれに貰う。登頂の証なので笑顔がこぼれる。

 登頂証明書をもらう妻

 そして行動を共にしたガイドやポーター達とのお別れ式、彼らはキリマンジャロを称える現地の歌を歌い、我々日本人も「さくら、さくら」と日本の歌を歌って一人1人握手した後、解散となった。

 我々は地元の中心都市アルーシャまでバスで移動しホテルに泊る。久しぶりにバスタブで垢を落とし豪華なディナーに舌鼓をうった。明日から楽しみにしていたイゴロ・ンゴロやセレンゲッティーのサファリが始まるのだが、それは次回のブログで載せるつもりです。

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平成14年キリマンジャロ登山、1~3日目

2014年03月24日 | 山歩き

 キリマンジャロ登山一日目

 早朝登山口のマラングゲート(標高1820m)へ着く。此処で入山記録に記入し、ガイドやポーターの紹介を受ける。大きな荷物はポーターが運んでくれ、我々は必要最小限の荷物だけ持てばよいから楽ちん登山もいいところだ。

 登山口のマラングゲート

 ゲート潜り出発する。現地の子供達がまとわりついてくるので、笑顔で手を振ったら「ギブ・ミー・マネー」、「ギ・ミー・○○」とうるさくてしつこい。ガイドが「何も渡すな」とアドバイスをくれたので無視する。

 深い樹林帯の中に登山道は続く。道幅が広くて歩き易い。傾斜が超ゆるくて登ってる感じがしない。森林ウォーキングをしている感じだ。重荷を頭に載せたポーター達の足の速い事速い事、我々をドンドン追越して行く。

 変化の少ない樹林の道を約4時間程歩いて樹林の中に切り開かれた1日目の宿泊地マンダラ・ハット(標高2730m)に着いた。売店や幾つもの小屋が建つ賑やかなキャンプ地だ。人馴れた猿が辺りをうろついている。我々夫婦はもう一組の夫婦と4名でバンガローに泊れたからグッスリ快眠できた。

 マンダラ・ハットキャンプ地

 

 登山二日目

 マンダラ・ハットを出発してしばらくすると樹林帯を脱し、広大な荒野の中を進んで行く。所々巨大サボテンのようなジャイアント・セネシオの木が点々と立ち異様な景観だ。

 ジャイアント・セネシオの木

 やがて前方右手に針山のように険しい山容のマウエンジ峰が見えてきた。更に進むと今度は左前方に白い雪帽子を被ったキリマンジャロ最高峰のキボ峰が小さく見えた。こちらはゆったりとした山容だ。

 険しい山容のマウエンジ峰

 登山道からキボ峰

 雄大なキボ峰

 今日も距離は長いがゆったりとした登山道なので疲れる事は無くハイキング気分でノンビリ歩いて行ける。約6時間歩いて二日目の宿泊地ホロンボ・ハット(標高3720m)に着いた。ここも売店や小屋の設備が整い快適なキャンプ地だ。

 ホロンボ・ハットキャンプ地

 ただ標高が富士山頂と同程度なので人により高山病の症状がでる。我々が着いた時も一人の白人男性が担架に担がれ下山させられていた。ガイドに勧められ私は高山病対処薬のダイアモックス(血流が増進し酸素取入れ効果が増すらしい。)を飲んだが、妻は飲まなかった。これが後で悪影響を及ぼす事になるのだが。

 

 登山三日目

 今日は高所順応の為、マウエンジ峰山麓の標高4000mを超えた地点まで軽いハイキングをする。この辺りまで来ると何となく息切れし空気の薄さを体感する。

 最高地点からキボ峰

 今日の最高地点からは、最高峰キボ峰の雄姿が真正面に見え壮大な眺望と言う他は無くしばらくウットリと眺めた。往路を戻り早めにホロンボ・ハットへ帰着すると午後はノンビリと静養した。明日は最終キャンプ地のキボ・ハットを目指すのだが、続きは次回のブログにて・・・・

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平成14年のキリマンジャロ登山

2014年03月23日 | 山歩き

 今から11年前にアフリカ最高峰のキリマンジャロを登った事があり、その思い出を振返ってみたいと思います。この時はアルパインツアーサービス㈱の登山ツアーに参加しました。これが妻と二人では初の海外旅行でした。

 窓際族の身とはいえ職場の冷たい視線に耐えて、よくも16日間の休暇をあの時取れたものだと自分の厚かましさに驚きものです。この実行力が良い方向で使われていれば、私の人生も又変わっていただろうに。

 成田を出発した飛行機はバンコック~アジスアベバを経由してタンザニアのキリマンジャロ国際空港に到着した。そこからバスで赤土の道を埃をあげながらキリマンジャロへ向かう。

 車窓から見るアフリカの大地は、赤茶けた荒野に疎らな樹林帯そんな風景が延々と続く。時折西部劇に出るような集落が現れる。そこには必ず物を売る女性達と暇を持て余して屯する男達の姿があった。

 約2時間ほどで登山口のマラングに着いた。キリマンジャロ登山と観光で潤っているせいか、ここは豊かそうな集落だった。今宵は麓のロッジに宿泊する。案内された部屋はヤモリがチョロチョロするのが気になる以外、小ざっぱりとして快適だった。

 外国人仕様なのだろうがロッジの食事は案外美味くて、タンザニアビールも口に合い満足のディナーだった。さて翌日から登山開始だが、それは明日のブログで・・・

 マラングのロッジ玄関にて(私の色黒はアフリカでも十分通用しそうだ。)

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お墓参りと奥多摩ドライブ

2014年03月21日 | 旅行

 3月21日(金)        

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、今日のお彼岸は北風が強く滅法寒かった。そんな中、妻の実家のお墓がある青梅市、宗建寺へお墓参りに向かった。

 青梅七福神の一つでもある宗建寺の境内は、お彼岸とあってお参り人の列が絶えず静謐の中に賑わいがあった。我々もお花を供え線香をあげて両手を合わせ平穏と安泰を願った。

 青梅、宗建寺

 お参りを終えて時間があったので、ドライブがてら多摩川上流へ向かった。三連休初日とあって、梅の花を見物する人々で吉野梅郷付近は大渋滞になっていた。

 御嶽駅近くにある懐石料理の「ままごと屋」で昼食をとる。此処は清酒・澤乃井の直営店で、値段も手頃なので時々訪れる。店のそばを流れる多摩川では、多くの人が寒さに負けずカヌーやゴムボートに興じていた。

 カヌーやボートを楽しむ人々

 奥多摩の山の状況を知りたかったので、その後奥多摩湖まで行ってみた。ダムの堰堤から眺める三頭山や御前山の稜線には、まだ大量の雪が残り冬山の出立ちだ。新緑の春山ハイキングを楽しむには、まだしばらくの時が必要だろう。

 奥多摩湖から三頭山方面

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映画「ライフ」を観た。

2014年03月20日 | 映画・コンサート

 3月21日(木)

 久しぶりの雨の中、映画「ライフ」を観てきた。これは予告編を観た時からとても面白そうな映画だと期待していたのだ。ベン・スティラー演ずる主人公ウォルター・ミティは、写真誌「ライフ」のフィルム管理という地味な仕事をする妄想癖のある冴えない中年男である。

 不振のライフ誌は休刊に追いこまれてしまう。そんな中、上司から無能と思われているウォルターは、最終号の表紙に使う写真のネガを紛失してしまう。窮地に陥った彼は、ネガを送った写真家を探しに北極圏やヒマラヤの巡る旅に出る。

 映画で描かれる壮大な大自然が素晴らしく、観ていてウットリする。旅の果てウォルターはやっと写真家に出会い、ネガの行方を知る。それは意外な所にあった。旅から戻った彼はライフ社を解雇され、ネガを残して会社を去る。

 ベン・スティラー演ずる冴えない中年男ぶりと、壮大な大自然が妙にマッチして映画の魅力になっている。最後に主人公は街中の街頭販売でライフ最終号の表紙を眼にするが、それは意外な写真であった。

 ラストも実に粋な展開で、感動のシーンとなっている。私が最近観た中では、この映画が満足度ナンバーワンである。

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私がご贔屓のタイヤキ屋「たい陽」さん

2014年03月19日 | 日記

 3月19日(水)

 先日も少し触れたが私がジョギングやウォーキングに出掛けた時よく立寄るタイヤキ屋さんがある。場所は東武東上線鶴ヶ島駅東口を出た所にある間口二間の小さな店「たい陽」さんです。

 近くに駅伝で有名な東洋大学の巨大キャンパスがあるので、そこの学生さん達が主なお客さんのようだ。以前は若いご主人がお店に立っていたが、病気勝ちだとかで、最近は若い奥さん?が一人で切り盛りしている。

 私がこのお店によく立寄るのは若奥さんがNHK女子アナ、廣瀬智美さんに似た美人だからじゃなくて、単純に運動中小腹が空いて甘いものを欲するからです。

 それに若い人が頑張ってるお店を応援したいという気持ちも強くあります。私のブログに載せたところで宣伝にもならないが、近くに行った時は必ず買うようにしています。

 ただ常人より小さい私の胃は、タイヤキ一匹(¥130円)食ったら満腹になってしまうので大して売上に貢献出来ないのが残念だ。近隣にお住いの方ぜひ買ってくださいね。外はカラッと焼き上がりお腹のアンは甘さ控えめで実に美味しいタイヤキです。I LOVE タイヤキ50年の私が保証します。

 

 

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街中で見かける政治家のポスターに一言

2014年03月18日 | 日記

 3月18日(火)

 最近又腰に痛みが走ったものだから、ジョギングからウォーキングに切り替えて街のアチコチを彷徨っている。これで帰る場所が判別しなくなったら徘徊と言われるのだろう。

 そんな彷徨い中にふと気付いた事がある。それは街中のアチコチで見掛る政治家の先生方のポスターです。そのポーズがあまりにも画一的、「党のエライさんとニッコリ笑って握手する。」か「満面の笑みで拳を振りあげる。or空を見上げる。」のパターンばかり、

 こんなワザとらしいポスターで有権者の心を惹きつけられると思ってんのだろうかとその鈍い感性には呆れてしまう。(これはあくまで私の勝手な見解なんで暴論と思った方聞き流してください。)

 私が政治家だったらこんなポスターにしますね。背景は福島第一原発周辺の汚染地区か伊豆大島の土砂災害地区、そこでヘルメット・長靴姿で黙々と瓦礫の撤去作業をする男、ホッと息をつき汚れたタオルで顔を拭く。

 その瞬間の横顔をパチリとモノクロで撮る。気分は高倉健さんになったつもり、タイトルは「男は黙ってやるしかない。」どうです。渋いポスターじゃないですか。

 アッ言っときますが、ただ現地に行って衣装だけ着替え、霧吹きスプレーで汗顔作って「ハイポーズ」では駄目ですよ。最低でも一週間は本当にボランティア作業をやらないとリアルな写真、本物のポスターはできません。

 でも我が選挙区で先の衆議院選挙に当選したG党のY先生は、小太り・薄毛(ハゲは禁止用語なので不可)・狸顔、青森のリンゴ農家を40年といった風貌だから、このシチュエーションだと単なる出稼ぎ親父さんにしか見えないから、ちょっと無理かも知れませんね。(Y先生、面識も無いのに勝手にブログネタに使って済みません。)

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現役時代はズーッとヒラだったのに、今頃役員に

2014年03月17日 | 日記

 3月17日(月)

 私が現在所属するT山の会は地元に根付いた中高年主体の会で、約20数名が在籍し月1回山行で活動している。毎年3月には総会が行われ、その席で運営役員やら山行計画等主な事項が決定される。

 舟に乗ったら誰しも漕ぐより乗客でいる方が楽なように、例年役員のなり手が無く人選にはいつも苦労している。私も出来れば避けたくて、要請されたら「しばらく日本三百名山登山に専念したいので」を理由に断る腹積もりでいたのだが、テニス仲間でもある代表Fさんの苦労奮闘する姿に打たれ、彼の要請を「NO」と言う事ができずに新年度運営委員の一人となった。

 私は以前から参加する障害者スキークラブでも役員になっている。振返ってみると現役時代はオンリー・フラット(和訳=ズーッとヒラだったという意味です。)のまま定年となり、やっと自由になったと喜んだのもつかの間、皮肉な事に今頃役員(誰もが望まぬ。)という立場が回ってきた。

 生涯変わらぬ私の世渡りベタは、気弱で争いを好まぬ性格によるものだろう。まあ刺激の少ない脳ミソは早くボケるというから、少しはストレスを抱えた方が私の痴呆症防止&遅延の為には良いのかも知れない。そういう視点で頑張ろうかな。

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奥武蔵、城山(大築山)

2014年03月16日 | 山歩き

3月15日(土)    天気=晴れ

 

08:40麦原入口→ 09:18~29麦原分岐→ 10:20~26小築山→ 10:38~48城山(大築山)→ 11:33~49上谷の大クス→ 12:55ウェルサンピア埼玉おごせ

 

 所属する山の会の3月山行は、梅林で有名な越生町近郊の城山(大築山)だった。冷気が心地良い早春の晴天に恵まれ16名の参加者が集った。東武越生線の終点、越生駅から黒山鉱泉行きのバスに乗り麦原入口バス停で下車、準備体操の後、鄙びた山麓の集落沿いを三々五々出発する。

 麦原入口バス停を出発する。

 

 城山へ向かう車道はアジサイ街道と呼ばれ、しばらく行くとアジサイ公園の広い駐車場とトイレがあった。アジサイの開花時期には相当の見物客が訪れるのだろう。

 道沿いに咲いていた福寿草のお花畑

 40分程歩いて麦原集落の分岐点に着いた。ここを右折して高度を上げていく。道沿いの家々には春の花々やゆずの実が咲き、自然豊かな風景を織りなしている。

 車道が尽き、樹林帯に続く登山道に変わる。ハイキングの道というより山仕事の作業道という感じがする。進むと幾つか分岐があり、2番目の分岐を右折するとやがて道が途絶え、高みに向け樹林の中を強引に直登したら小築山(448m)に着いた。

 城山へ向かう登山道

 小築山山頂

  標識があるから山頂と判るだけで樹林に囲まれて展望は無い。此処から10分程歩いて目指す城山(大築山)(466m)に着いた。山頂標識は無く白い看板があるだけだ。

 城山(大築山)山頂

 樹林の合間から天文台の建つ堂平山や都幾川の集落を望む事ができた。小休憩の後、小築山まで戻りそこから北に延びる道を進む。この辺の地理に疎い私は黙って列伍に追従するだけだ。

 どうも越生町と都幾川町の境を歩いているような感じで、登山道から再び山村の細い車道を進んで行く。途中上谷地区にあるクスの大木を見物する。近在に住みながらこんな名所があるとは知らなかった。中々豪壮な大木で屋久島の縄文杉みたいに展望柵で周りを囲っていた。

 上谷の大クス

 この後も山沿いに続く集落の道を歩いて行くが、小さなアップダウンが多くけっこう汗を掻かされた。現在地が判然としない為、今日のゴールのホテル、ウェルサンピアおごせがやけに遠く感じられる。最後にゴルフ場の縁を辿ってPM1時前やっとホテルの玄関に到着した。

 道沿いの集落(桃源郷のようだ。)

 今日は軽い里山歩きと侮っていたが、イヤイヤけっこうハードな山歩きとなった。リーダーの話だと1時間遅れの到着だったそうだ。この後ホテルで年に一度の山の会の総会が催される。だがその前に山歩きの疲れを癒そうと、皆一斉にホテルのお風呂へ駆け込んだ。

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大震災から3年、石巻市大川小学校を訪れて思った事

2014年03月14日 | 日記

 3月14日(金)

 まる3周年を迎えた東北大震災、当日の3月11日にはメディアも大々的に報道したが、その翌日には変わり映えせぬいつもの番組に戻っていた。薄情なもんだと批判するつもりは無いが、時の流れは移ろい易いものだとつくづく実感する。

 幾度かのボランティア体験しかない私に大震災を語る見識はそれ程ないが、多くの児童教師が犠牲になった石巻市大川小学校の悲劇は、3年前とその翌年に2回訪れており極めて印象が深い。

 最初訪れた時は瓦礫も片付いておらず、仮道の開削が精一杯という感じで、凄惨な雰囲気に同行した人は沈痛な面持ちで涙を流す人もいた。それが翌年訪れると立派な祭壇が供えられ瓦礫もすっかり片づいて、妙にアッケラカンとした光景に変わっていた。

 震災時在校していた児童106名のうち74名、教師11名中10名の方が犠牲になられたという。この時学校の対応が大問題となっており、遺族が学校側を訴える事態までなった。

 裏山へ避難すれば津波からは逃れる術があったのに、何故50分もの間、校庭に留まっていたのかと怒るご遺族の気持ちもよく判る。朝日新聞を始め多くのメディアの報道を見ても、遺族側に心情を傾け学校側の非を論じる風潮が強い。

 しかし、私があの時現場にいた教師の立場であったらと考えると複雑な思いになる。訪れた時受けた説明では、海から5キロ離れた位置にある大川小学校自体が災害時の避難場所に設定されており、実際震災当日には住民の方も避難して来たという。

 又200m程離れた裏山は、度重なる余震で山崩れの恐れがあり、雪の付いた急斜面は大人でも難儀するような地形だ。校舎横の川沿いには堤防も築かれており(結果的にはこの堤防があった為、川の状況が判らず被害を増大させた感がある。)その時現地にいた人の殆どが、学校に津波が押し寄せるという事態など想像もできなかったのではないだろうか。

 それが判っていれば、遺族の親御さんだって我が子を救うべく万難を排して学校へ駆けつけただろう。(実際に我が子を迎えに行った親御さんもいた。)それが可能な時間はあったのだから。

 だから私は遺族に寄り添い一方的に学校側を糾弾する報道の論調には同調し兼ねる面がある。千年に一度の震災は人智の予測をはるかに超えていた。やるべき事はこの悲惨な体験を風化させず、しっかり伝えて後世の人に役立てる事だと思います。

 平成24年訪れた大川小学校

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