Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

日本三百名山回顧№7、北海道、羊蹄山(百名山)

2017年06月29日 | 三百名山回顧

 平成4年8月中旬 

平羅夫登山口→ 羊蹄山→ 真狩登山口  

 

 蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山に登ったのは、平成4年の夏だ。この年は日高の幌尻岳を登りたくて北海道に渡ったのだが、額平川を遡り幌尻山荘に泊った夜から大雨となり、山荘の管理人さんに「早く降らないと下山できなくなる。」と脅され、翌日早朝宿泊者全員が増水した川沿いを必死の思いで下山退却したのであった。

 この時は7名程の仲間と一緒だったが、幌尻岳登山が中止になった時点で3名の人は帰る事になり、残るS子さんとA子さん、我々夫婦の4人は「せっかく北海道まで来たのに、このまま手ぶらで帰れない。」と目標を羊蹄山に変更し登山口のある倶知安町へ向かったのであった。

 倶知安町内のユースホステルに泊ったはずだが、ネットで調べると該当する宿が見つからない。既に潰れてしまったか、名前が変わったのかも知れない。

 倶知安町から羊蹄山

 翌朝我々4人は、半月湖畔近くの登山口バス停から比羅夫(倶知安)コースを登ったが、標高差1600m余もあるハードな道で相当キツイ思いをしたはずだが、勿論そんな辛い記憶は残っておらず辿り着いた羊蹄山山頂(1893m)はガスっており何の展望も無かった。

 比羅夫コース登山口

 山頂火口縁に着く。

 羊蹄山山頂

 降りは真狩コースを下山したはずだ。途中に在る避難小屋へ立寄った時、人懐っこいエゾリスが何匹か餌欲しさに纏わりついてきたのを想い出す。アルバムから推定すると、下山した我々はその後ニセコ連山に登る為ニセコアンヌプリ山登山口近くにある五色温泉の宿に泊ったのだと思う。

下山道から避難小屋

 避難小屋にいたエゾリス

 

 思う・・・思う・・・ばかりで中身の無いブログだが、何せ25年も前の事で記録も無く、アルバムと薄れゆく記憶だけが頼りなのでご容赦願いたい

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日食前夜の宿泊地がやっと見つかった。

2017年06月27日 | 日記

 6月27日(火)

 前々回のブログで「日食前夜の宿が見つからない。」と書いたが、その後ネットのホテルス・コムというサイトを利用して日食ゾーンに近い街のホテルを片っ端からサーチしてみたら、デンバーから北東に180キロ程離れたスターリングという街のホテル「オークウッド・イン」に空き室があるのを見つけた。

 ツアーのリーダー I さんへ早速メールしたけれど、このホテル若干問題有りで日食ゾーンから190キロ程離れているのだ。(だから空いてたとも言えるが)普通なら車で2時間もあれば楽に到着できる距離だが、日食当日は大混雑が予想される。しかも道路事情の分からぬ異国の地、ヘタしたら日食に間に合わない恐れもあるのではと心配になった。

 すると翌朝 I さんから、「日食ゾーン内のDivite・Ranch牧場でキャンプ&車中泊の予約が取れた。」と嬉しい電話があった。さすがリーダー、この場所ならば当日はジタバタせずにジックリ観測に専念できる。あとは当日の空模様次第で、こればかりはどうにもならぬからお天気の神様に精一杯お願いするしかない。

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小林摩央さんの訃報

2017年06月25日 | 読書

 6月25日(日)

 ガン闘病中であった市川海老蔵さんの妻、小林摩央さんの訃報を聞いた。彼女のブログ「KOKORO」を頻繁に拝見させてもらい、直向きな生き方に深い感銘を受けきっと回復すると信じていただけに残念・無念と言う言葉しかない。

 ブログの最後は亡くなられる二日前、「皆様にも、今日笑顔になれることがありますように。」と綴られている。自分の命が正に尽きようとする寸前に、他者への気遣いを発するなんて何という凄い事だろう。

 僅か1年ほどの短いブログだが、彼女の珠玉のような言葉に病と闘う多くの人々が勇気づけられ生きる力を与えてもらったのではないだろうか。そんなブログも、もう更新される事は無いと思うと寂しい気持ちが募る。奇跡を信じて闘った一人の気高い女性の旅立ちに、心からご冥福を祈ります。

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アメリカ皆既日食ツアー、8月20日の宿が見つからない。

2017年06月24日 | 日記

 6月24日(土)

 8月のアメリカ皆既日食ツアーを企画してくれた山の先輩 I さんが、ネットを駆使して練り上げた行動計画を携え奥さんのE子さんと共に我家を訪れてくれた。

 見せてもらった計画は日食観測の他、サンフランシスコやヨセミテ渓谷観光等が網羅され、宿や交通手段等漏れが無く充実した内容だ。しかし唯一空白なのが8月20日の宿泊で、翌日の皆既日食を見物に大勢の人が押寄せているのか、観測地域のホテルは全て満室で予約が取れない。

 宿が取れなきゃ野宿するしかないが、物騒な銃が溢れたアメリカでテント泊何てしたらギャングに襲われるか、それとも砂漠のガラガラ蛇に噛まれちゃうかも知れない。そんな事考えたら野宿も不安になる。

 「日食観測地近くの宿に空室が無いかFさんネットで調べておいてよ。」と私に言い残し I さんは帰って行った。希望的観測なんだけど、今は旅行会社が仮予約してホテルをキープしているけれど、間際になればキャンセルが続出するんじゃないかという気がしないでもない。出発までまだ日数があるから諦めずに探してみよう。

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信州、根子岳~四阿山登山

2017年06月23日 | 山歩き

6月22日(木)    天気=曇り後晴れ

 

08:24菅平牧場登山口→ 09:14~20根子岳まで800m地点→ 10:06~29根子岳→ 11:33~40小四阿分岐→ 11:53~12:25四阿山→ 11:34小四阿分岐→ 13:14小四阿→ 14:05菅平牧場登山口

 

 先日、岳友Fさんから「休みが取れたので、一緒に四阿山登山いかがですか。」とメールが届いた。Fさんと私は若い頃に冬の八ヶ岳や西穂高、中央アルプス等一緒に登った山仲間で彼は私より10歳年下だ。忙しい営業職で中々山へ行けなかった彼も定年前でようやく休暇が貰えたらしい。

 登山前夜は登山口に程近い菅平高原の「自然回帰線」という変わった名のロッジにF夫妻と三男のY君、我々夫婦で泊った。今朝は朝食を済ました後、登山口へと向かう。根子岳・四阿山の登山口は菅平高原牧場の中にあり200円の入場料を徴収される。

 出発前、ロッジ「自然回帰線」玄関にて

 菅平牧場駐車場

 8時半頃根子岳に向かって歩き始めるが、昨日の低気圧の影響か吹く風が身震いするほど冷たい。牧場の中をしばらく登ると東屋のある展望台に着く。眼下に菅平高原が広がり信州の高峰がグルリと見渡せる。

 牧場内の登山道

 東屋の展望台から菅平高原

 展望台付近から標高1800m地点位までツツジの花が満開で見事に咲き誇っている。展望台を過ぎると笹原と樹林の登山道になる。緩やかな道なので歩き易い。天気は回復傾向で風は治まり陽射しも出てきた。「根子岳まで0.8キロ」の標識を過ぎると森林限界を越え、たおやかな笹原の中に続く道を登って、登山口から1時間40分で根子岳(2207m)に着いた。若いY君は実に身軽で、口笛を吹きそうな余裕だ。

 根子岳まで0.8キロ地点

 森林限界を抜ける。

 山頂まで0.5キロ地点

 山頂からの眺めは素晴らしく、北アルプスが端から端まで横たわり、八ヶ岳や南アルプス、浅間山遠くには富士山まで望む事ができた。山頂での小休憩を終えると東隣の四阿山へ向う。

 根子岳に到着(遠くに北アルプスの稜線が見える)

 根子岳山頂

 四阿山へは鞍部の笹原まで標高差200mほど降り、四阿山に向けて300余登り返す。降りは快適だったが登りは急登の連続で、妻は息切れして随分辛い登りになったようだ。

 鞍部へ向かう途中の大岩(右側を巻く)

 鞍部への降り

 鞍部から四阿山への登りに入る。

 40分程の急登を凌ぐと小四阿ピークを経由する登山道と合流し、そこから四阿山までは僅かな距離で緩やかな道を辿って日本百名山の一つ、四阿山(2354m)に到着した。

 登山道合流地点

 四阿山山頂が見えてきた。

 この山頂からの展望も見事で、根子岳では見えなかった白根山等志賀高原の山々も望まれた。浅間山も随分近く見え火口から盛んに噴煙を上げてあり、一度「ポン」と聞こえたのは噴火の衝撃音だったような気がする。

 四阿山山頂

 山頂から志賀高原方面

 山頂から根子岳

 山頂でのランチタイムを終えて下山は中四阿ピーク~小四阿ピーク経由の道を降る。この道は実に緩やかで気分の良い道だ。上半部では四阿山や根子岳の眺めが良く、樹林帯に入るとツツジの花々が艶やかに咲いている。

 下山途中「ポン」という音が聞こえ浅間山から噴煙の上がるのが見えた。

 小四阿経由で下山する尾根道

 小四阿から四阿山方面

 下山道沿いではツツジが満開

 沢を渡ると菅平牧場もわずか

 四阿山から1時間40分程で登山口の菅平牧場に戻って来た。登る時は気付かなかったが、牧場内には乳牛の他に羊やウサギ等も飼われており、自然動物園みたいで中々楽しい所だ。売店で売ってたソフトクリームは牧場で生産された物では無く大して美味く無かった。

 牧場に戻って来た。

 牧場のウサギ達

 同じく羊

 登山口でFさんの車に乗り込むと、何処にも寄る事無く高速道路をひた走り夕刻前には我が家へ戻り着く事ができた。実を言うと私、前日に己のミスでアクシデントを起し登山する気分では無かったのだが、美しい風景や花々を眺めて随分気持ちが癒された。今日山歩きして本当に良かったなあと実感、座を和やかにしてくれたY君そしてFご夫妻、一緒に登ってくれてありがとうございました。

 

コメント (4)
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日本三百名山回顧№6、北海道、十勝岳(百名山)

2017年06月20日 | 三百名山回顧

 平成3年8月12日 

 

十勝岳温泉→ 上ホロカメットク山→ 十勝岳→ 十勝岳温泉  

 

 三浦綾子の小説「泥流地帯」の舞台にもなった北海道中央部に聳える十勝岳は、活発な活火山で今も盛んに噴煙を上げている。平成3年の夏、大雪山~トムラウシ山の登山を終えた我々夫婦は、十勝岳の山麓に建つ十勝岳温泉凌雲閣に投宿した。

 ここの温泉は茶褐色の湯質で、鉄分?を多く含み如何にも効能有りそうだ。又露天風呂から眺める十勝連峰の展望も素晴らしい。そしてここは混浴風呂でもあり、私が入浴していた際に子供連れの若いお母さんが入浴し、彼女の白い背中が今でも瞼に焼き付いて忘れられない記憶になっている。

 十勝岳温泉凌雲閣から十勝岳連峰

 翌朝朝食を済まし妻と二人凌雲閣から歩き始める。すぐに三段山経由で十勝岳へ向かう道が左に分岐するが、我々は直進する道を進む。しばらく行くと次の上ホロ分岐に着く。右は富良野岳へ行く道で我々は左のD尾根の急坂を登って行く。

 1時間余の急登を凌いで稜線に達した地点がかみふらの岳(1893m)で、十勝岳や富良野岳の眺めが素晴らしい。ここから荒々しい崩壊壁上にある上ホロカメットク山(1920m)までは僅かな距離で、十勝岳が一段と大きく見える。

 かみふらの岳から富良野岳

 かみふらの岳から上ホロカメットク山(手前)と十勝岳(奥)

 上ホロカメットク山から三段山への下山道が分岐する大砲岩を越え、荒れた砂礫の道を登って十勝だ(2077m)に到着した。ここも360度の眺めだが、我々が着いた時はガスっていたのか展望を楽しんだ記憶が無い。

 十勝岳山頂

 その後山頂を後に大砲岩の分岐から三段山経由の道を下山し十勝岳温泉へ戻ったのだが、ネットで調べると現在この道は廃道になっているようだ。火山地帯の脆弱な地形なので、崩壊し易いのかも知れない。

三段山へ下山する尾根

 十勝岳下山した我々はその後どうしたのかサッパリ記憶が無い。多分休暇日数も尽きて、札幌市内でラーメンでも喰って千歳空港から帰宅したのであろうと思う。

 ・・・・三百名山回顧もこれで6座目、このペースだと生きてるうちに(若しくはボケない前に)終わらぬかも知れない。

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山梨百名山、春日山登山

2017年06月18日 | 山歩き

 6月16日(金)    天気=晴れ

 

08:15登山口駐車場→ 08:22西尾根登山口→ 09:55~10:03稲山→ 10:27~42春日沢ノ頭→ 11:04~36春日山→ 11:58~12:08春日沢ノ頭→ 12:22~37稲山→ 13:33登山口駐車場

 

 いつもの山仲間達(K夫妻、Y氏、S氏、Iさん、我々夫婦の計7名)で、山梨百名山の一つで、石和温泉の南近郊に聳える春日山を登りに出掛けた。Yさんの車と私の車に分乗し、一宮御坂インターで中央道を降りると、カーナビに導かれて登山口の稲山けやきの森にAM8時頃着いた。

 登山口の駐車場(右の建物はトイレ)

 トイレ横の空き地に車を停め、準備を終えると出発する。舗装された狭い林道を10分足らず歩きヘアピンカーブを2度曲ると、西尾根の登山口へ着いた。ここから登山道を登って行く。

 西尾根登山口

 自然林の中の浅い沢状に続く道をしばらく登ると西尾根に達し、その後は西尾根沿いに登って行く。今朝は梅雨時とは思えぬ真夏のような暑さだが、緑の木々が日差しを遮り辛い登りも少しは凌げる。

 西尾根登山道

 標高1000mを越えた辺りから緩やかな道に変り、身体も山に馴染んで幾分足取りが軽くなった。やがて登山道の左手が伐採された地点に達し、その先に稲山(1112m)の山頂標識があった。

 稲山山頂

 伐採地からは、甲州盆地はもとより奥秩父、八ヶ岳、南アルプスの山々の眺めが素晴らしい。ここが今日の登山で唯一の好展望地であった。稲山付近は踏み跡が不明瞭だったが、山頂標識から僅かに東の地点から春日沢ノ頭へ続く薄い踏み跡があった。

 稲山から甲府盆地の眺め(奥の山は奥秩父)

 稲山から春日沢ノ頭に続く尾根道

 幅広い樹林帯の尾根を緩やかに登って行くと、黒坂峠から鳥坂峠に続く縦走路に合流した。合流地点のすぐ横に春日沢ノ頭(1235m)の山頂標識があった。

 春日沢ノ頭山頂

 ここが今日の登山の最高地点だが、周囲を樹木で覆われ展望は全く無い。我々が山頂に着いた時、春日山の方から熊避けのラジオを盛大に鳴らしながら単独の男性がやって来た。彼が今日出会った唯一の登山者だった。

 春日沢ノ頭から急坂を10分程降った鞍部が小峠で、此処から5分程登ると右から荒れた林道が合さりその先に電波塔施設があった。電波塔施設奥の樹林が、春日山(1158m)の山頂だった。

 春日沢ノ頭と春日山の鞍部「小峠」

 春日山手前の電波塔施設

 この山頂も展望は全く無く、標識が無ければ山頂とは気付かぬであろう。取りあえず山梨百名山の一つを踏破する事ができた。ここでランチタイムにする。

 春日山山頂

 30分程で休憩を終え山頂を後に来た道を戻って行く。稲山からは東尾根経由で下山する。登りで歩いた西尾根に比べると東尾根の道は踏み跡も薄く荒廃している。尾根道を50分程降ると沢沿いの荒れた林道となり、その林道沿いに降ると車を駐車した地点から100mほど下の車道に降り立った。

 小峠から春日沢ノ頭に向かう急登の道

 稲山の東尾根下山道分岐地点

東尾根の下山道

 駐車場下の車道に戻って来た。

 車に乗ると一宮御坂インター近くの「ももの里温泉」に向かう。ここは素朴な雰囲気の日帰り温泉で広々とした露天風呂がとても心地よかった。温泉を出ると時間が早かったので国道20号をしばらく走り大月インターから中央道で帰宅の途に着いた。

 御坂山塊の北端に位置する春日山一帯は、訪れる人も少ない不遇な山域だが、豊かな自然林と静寂な雰囲気が好ましく、充実した山歩きを楽しむ事ができた。

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認知症老人を描いた「老乱」という本を読む。

2017年06月15日 | 読書

 6月15日(木)

 久々に恐ろしい本を読んだ。それは医師で作家の久坂部 羊さんが書いた「老乱」という小説です。何が恐ろしいって?それをザックリ説明しましょう。

 この小説の主人公、五十川幸造は78歳の老人である。4年前に妻を亡くし、今は古びた自宅で一人暮らし、娘の登喜子は遠い地へ嫁ぎ、息子の知之は近くに住んで居るけれど狭いマンション暮らしで父親を引取れない。

 一人暮らしの生活にも慣れた幸造は、自分ではしっかりしてるつもりであったが、ある日立入禁止の駅構内に踏み込みトラブルを起こす。又ある時は、自炊中に火事を起しかけたりと思わぬ事が続く。

 そんな義父の姿に認知症の疑いを持った息子の妻雅美は、知之をけし掛け幸造を病院へ連れて行こうとするがガンとして受付けない。息子夫婦に憤慨した幸造は誰にも告げず旅に出るが、旅先で自分の居場所が判らなくなってしまう。

 旅先の宿から連絡を受けた息子夫婦が再会した幸造は、すっかり呆けて以前の姿ではなかった。病院で「レビー小体型の認知症」と診断され、その後徐々に症状の悪化した幸造は、生きる意欲を無くし最後は寝たきりになっていく。・・・

 というある認知症老人の姿を描いたドキュメンタリ―風小説です。この本を読んでいくと、団塊世代の我が身と置き換えて身につまされる。これはフィクションでは無くて将来の自分に充分起こり得る現実なのだ。それを思うと不安が募る。何だか今夜は嫌な夢を見てしまいそうだ。

 

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日食グラスを購入

2017年06月14日 | 日記

 6月14日(水)

 8月にアメリカで皆既日食を見る事になったので、アマゾン通販で「日食グラス」を購入した。980円の品物だから大したものじゃなかろうと想像していたが、送られてきた実物は子供雑誌の付録に付いてくるようなチャチな代物ものだった。

 多分原価は定価の数%にも満たないボッタクリ品と想像できる。でも日食何て滅多に見れぬ現象だし、需要も少ないだろうから仕方ない面もあるんでしょう。

 このグラス太陽光以外の光は全く通さず、視界は真っ黒で何も見えない。だが太陽にグラスを向けると白い円盤状のものが見え、黒点や模様など何も見えない。小さな白熱電球を見てるようで、ハッキリ言って面白くもなんともない眺めです。

 厚紙でできており、子供の工作品みたい

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海外ホテルへの予約初体験

2017年06月13日 | 日記

 6月13日(火)

 8月の米国ツアー打合せの為、岳友 I さん宅を再び訪れた。米国での諸手続きは全て I さんがやってくれると甘い考えでいたら、「自分で担当する宿の予約はFさん自分でやってね。」と冷たい言葉。

 私自慢じゃないが、英語の文面を見ると脳ミソがフリーズする。「そんな殺生な」と思ったが、 I さんの指導を受けつつ四苦八苦しながら半日がかりで何とか2軒の宿の予約を完了した。

 小さなパソコンのキーボードを叩くだけで、こんな私でも地球の裏側にあるホテルの予約が瞬時にできる。エライ世の中になったもんである。これでツアーに係わる殆どの予約が終り、二ヶ月先の事ではあるけれどアメリカ旅行がだんだん現実味を帯びてきた。何かワクワクするようなハラハラするような落ち着かぬ気持ちである。

 最初は嫌々だった海外サイトへの予約作業、終わってみれば貴重な体験ができた・・・と思わぬでないが。それを言えば「じゃ、他の予約もやってもらおうか。」何て I さんに言われかねないから、もうコリゴリだ。という事にしときます。

 私が初めて予約した海外の宿「Motel6 Sunnyvale South」

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忖度(ソンタク)してどこが悪い。

2017年06月11日 | 日記

 6月11日(日)

 以前は聞いた事も無かった「忖度」という言葉が最近頻繁に使われ、ひょっとしたら今年の流行語大賞との噂もあるほどだ。その「忖度」マスコミの報道から推察すると「エライ人の意向を酌んで、依怙贔屓する。あるいはズルをする。」何て悪い意味合いの言葉として使われているようだ。

 だが辞書で「忖度」を繙けば「他人の心中をおしはかる事」と書いてあり、これ自体そんなに悪い言葉では無いように思える。というか私が現役で働いていた頃、上司や先輩からよく言われた「気が利かないなあ」、「もっと気を配れよ。」、「空気を読めよ。」、「上司の意図を察しろよ。」、「言われてやるのは誰でもできる。」等々の小言叱責は、これ全て忖度ではなかったか。

 要領悪く「忖度」できない私は上司の評価も低く、出世とは無縁の人生だった。つまり日本の職場では「忖度」できる奴=仕事ができる奴と言っても過言ではないのだ。

一流大学出身の超エリート、文科省官僚の方々は当然仕事もおできになるだろう。今回の一連騒動にあたっても、持てる「忖度」の才覚を存分に発揮されたに違いない。

 それを感謝されるどころか「お前忖度しただろう。」と非難される何て、「そりゃ話が違うじゃないか。」と、文科省官僚の方々は怒りと戸惑いを覚えておられるのではなかろうか。

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胃と大腸は特に問題なし何だが、

2017年06月10日 | 日記

 6月9日(金)

 先週受けた胃と大腸内視鏡検査の結果を聞きに、都内世田谷区の病院を訪れた。私を担当するK先生が、内視鏡で撮った映像を展示しながら穏やかな口調で説明してくれた。

「 胃は少し胃炎ポイところもありますが特に問題ないでしょう。大腸は綺麗ですね。これなら検査は2年に1回でいいでしょう。」そうか私はナーバスで繊細な性格?だから胃にくるんだな。

 そして毎年12月に受けているCT・エコー検査の予約を依頼すると、「CT検査だけで大丈夫でしょう。」とエコー検査が外された。若しかして以前のブログで「エコー検査がエロっぽい。」何て記事を載せたのから、K先生が見咎めて「セクハラの恐れ有り」と判断したのかも知れぬ。

 病状が疑われる訳でも無いのにむやみに検査を受けるのは、医療費高騰の観点からも不適切だと頭で判っちゃいるが、個人的には検査を減らされるのは心許なくて寂しい。お年寄りが何かと言えば病院に通いたがる気持ちが何となく理解できるのだった。・・・(テカッ、お前も年寄りだろが)

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西武ドームの西武~巨人戦を観戦

2017年06月08日 | お出掛け

 6月7日(水)

 新聞販売店からタダ券を貰ったので、一年ぶりに西武ドーム開催のプロ野球を観に出掛けた。タダ券と言えばロッテやオリックス等人気の無い球団が普通だが、今回は何と西武~巨人戦。タダ券の対象になる何て、巨人の人気も実力とともにすっかり凋落してしまったようだ。しかし落ちぶれたとは言っても流石はジャイアンツ、球場は一塁側・三塁側共に満員で、観客の熱気が不人気カードと全然違う。

 観客席でいつも感心するのがビールなどを販売する売り子ガール達だ。重いタンクを背に、笑顔を絶やさず広い球場内のアチコチを売り歩いている。ビールの値段は700円と山小屋よりも高くボッタクリもいいとこだが、一生懸命働く姿に感銘しボランティア精神のつもりで飲みたくも無い?ビール一杯を頼んでしまった。

 試合はメヒアや中村のホームランなどで3-0と西武の一方的な快勝に終わり、埼玉県民&西武ファンの私としては嬉しい試合結果であった。一方、球団連敗ワースト記録を更新した巨人軍選手の不甲斐なさは、喜びを通り越して憐憫の情さへ覚えアンチの巨人の私でも一抹の淋しさを覚える。

 しっかりせんかい。ジャイアンツ

 巨人ピッチャー吉川、西武バッター中村の対決

 メヒアの先制ホームランで西武ファン大興奮

 ジャイアンツのマスコットキャラクター「ジャビット君」も心なしか元気が無い。

 盛り上がる西武のラッキーセブン

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「アメリカへ日食を見に行かないか。」と I さんから突然の電話

2017年06月06日 | 日記

 6月6日(火)

 今年の夏は車で北海道の旅巡りでもしようかな何て漠然と思っていたら、数日前、山仲間の I さんから「Fさん、今年の8月アメリカで皆既日食があるんだけど、その時アメリカへ一緒に見に行かないかい。」と電話があった。

 突然の電話にビックリしたが、実は幾つかある私の人生ドリームの中に「皆既日食を見る事」と「アメリカ大陸の土を踏む事」がノミネートされている。「この旅で、その二つの夢が現実になる。」と俄然希望が湧き「行きたいです。」と力強く I さんに返事した。

 そして今日軽い旅の打合せのつもりで I さん宅へ伺ったのだが、話はトントントンと順調に進み、JTBを訪れて往復航行権の予約までしてしまった。「賽は投げられた。」もうこうなってはアメリカへ行くしかない。旅行会社の団体ツアーで海外に行った事は過去にあったが、個人旅行で海外へ行くのは初めての経験だ。

 本当に夢は叶うのかとワクワクする自分もいるが、根がネガティブな私ロクに英語を喋る事も書く事もできないのに迷子になったらどうしょう。トラブルに巻き込まれたらどうしよう何て心配の種もポツポツと芽生えてきた。ここは元気一発オロナミンCで頑張ろう。

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日本三百名山回顧№5、北海道、トムラウシ山(百名山)

2017年06月05日 | 三百名山回顧

 平成3年8月9日  

姿見ロープウェー駅→ 大雪山、旭岳→ トムラウシ山→ トムラウシ温泉  

  

 大雪山からトムラウシ山の縦走と言えば、2009年に起きたツアー登山の山岳遭難が思い起される。あの時は強い風雨に晒されて低温症で8名もの命が奪われたのだが、天気次第で天国にも地獄にも変わりうる山の恐さを改めて認識させられた事故だった。

 その同じコースを我々夫婦は25年以上前の遠い昔に歩いた。その時は百名山ブーム等は無く、静かな道程で幸い天気に恵まれて山中3日間の楽しい山歩きができた。

 初日が大雪山最高峰の旭岳を越えて白雲岳キャンプ場でテント泊。二日目は広大な山上高原、高根ヶ原を縦断し、ヒサゴ沼避難小屋泊り。そして三日目、いよいよトムラウシ山を目指した。

 広大な山上高原、高根ケ原

 忠別岳(1963m)山頂

 化雲岳(1954m)山頂

 幽玄なヒサゴ沼、遠くの山は石狩岳(左)、ニペソツ山(右)

 避難小屋から尾根上の縦走路へ登り返すと、涙の滴のような形をしたヒサゴ沼が眼下に見えた。そこから沼や巨岩が点在する自然庭園のような眺めの良い登山道を伝ってトムラウシ山頂直下の北沼に着いた。

 トムラウシへ続く登山道

 この辺り一帯が2009年ツアー登山の遭難現場だが、晴れていれば桃源郷のように眺めの良い所で悲惨な遭難事故が起きようとは信じ難く、その時の我々も知る由も無い。

 北沼から遠く十勝岳方面

 沼から岩のゴロゴロした急坂を登って、念願のトムラウシ山(2141m)に着いた。山頂からは十勝岳や石狩岳、二ペソツ山等道内の雄峰が見渡せて、素晴らしい展望であったと思うが既に記憶が薄れている。

 トムラウシ山山頂

 トムラウシ山を後にするとトムラウシ温泉東大雪荘に向けて長い下山の道に入る。途中岩の堆積した前トム平と呼ばれる所では天然記念物のナキウサギを見掛た。下山の道は遠く、宿の東大雪荘へ着いたのは午後3時を過ぎていた。

 東大雪荘は奥深い山中に建つ温泉宿で、源泉掛け流しの大きな湯船に身を浸すと極楽へ舞い降りたような気分になった。我々が宿に到着した直後から本降りの雨となったので、天気の面でとてもラッキーな山行だった。翌朝我々は温泉始発のバスに乗り、新得駅から次の十勝岳登山の為富良野町へと向かった。

 

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