Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

街の図書館がようやく貸出を再開

2020年05月31日 | 日記

 5月31日(日)
 自分で言うのも何ですが、何も考えていなさそうな外見とは裏腹に、私はかなりの読書好きです。読みたい本が手元に無いと、気持ちが落ち込んでしまうほどです。だから緊急事態宣言で図書館が閉鎖されたのは、けっこう淋しい事でした。
 その図書館が宣言の解除を受けて、先週から本の貸し出しを再開した。そうは言っても図書館内での閲覧はまだ停止されており、ネットで予約した本の貸し出し&返却だけの業務ですが、先日図書館からメールが届いて、予約した本をようやく借りる事ができました。少しづつだが以前の日常が戻って来るようで、喜ばしい限りです。
 フレイル高齢者の私が言うのも僭越ですが、読書の醍醐味というのは活字を読むだけで、自分の見知らぬ世界へ想像を誘える事ではないでしょうか。宣言解除と言われてもまだ遠出は控えなきゃならない今のご時世、居ながらにしてバーチャルの世界を堪能できる読書のありがたさを、一段と感じるこの頃です。

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行きつけの10分カットの理髪店が大混雑

2020年05月29日 | 日記

 5月29日(金)
 緊急事態宣言以前に散髪して以来ズッと髪を切って無かったので、久し振りに行きつけの10分カット全国チェーン理髪店を訪れたが、驚いた事に店の前には長い行列ができていた。
 思うにこの混雑、緊急事態宣言解除で今まで我慢していた人達が一挙に押し寄せたからだろうか。それからコロナ自粛で収入が減った人達が増え、少しでも安い料金を望んでこの店へ来たからだろうか。
 私は髪形が少々乱れても誰に文句を言われる身では無し、長時間待ってまでやる気はなかったので、さっさと店を後にした。しかしこの混雑はしばらく続きそうだ。あんまり長いようなら、いっその事先日亡くなったロックシンガーの内田裕也さんみたいにロン毛にでもなってみようか。(彼の場合、ザンバラ髪の落ち武者みたいで、あんまりカッコ良くなかったが)
 そうすりゃ散髪代は浮くし気分はロックミュージシャン、世間が何を言おうと無職のジーサンに怖いものはない。それに世の中にはロン毛になりたくたって坊さんヘアーしか選択できないオジサンだって大勢いるんだから・・(この言葉、一部老人勢力を敵に廻すかな?)・・マア次回お店へ行って、あんまり混んでるようなら、真剣に検討してみましょう。

 

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膝痛治療の後、今日は川越観光巡り

2020年05月28日 | お出掛け

 5月27日(水)
 膝痛の治療で2週間ぶりに北区十条の永振クリニックを訪れた。緊急事態宣言中に比べると、都内へ向かう電車内がコロナウイルス以前と同じような混み具合だったのでチョット驚いた。宣言が解除された事は喜ばしいが、本当にこんなんで大丈夫かなと不安な思いもする。
 病院で診察室に呼ばれて陳先生から具合を聞かれ、「すっかり良くなりました。」と応えたが、そのあと先生が私の右足を掴みグイッと折り曲げると、膝にピリッと痛みが走った。まだ完治という状態では無さそうで、2週間後も治療を受ける事になった。早く膝痛とはおサラバしたいのだけれど、中々決着がつかない。
 前回通院した後は、JR川越線の指扇駅から東武東上線の川越駅まで歩いたので、今日は川越駅から我が家へ向かおうと考えた。しかし川越と我が家の間は、飽きるほど歩いているのでつまらない。そこで川越の市内観光巡りをした後に、我が家へ戻る事にした。
 川越は「小江戸」と呼ばれ城下町の風情を残し、蔵造りの街並みで有名です。都心からのアクセスが良く、最近は手軽な日帰り観光地として大変賑わっていたのだが、ご多聞に漏れずコロナウイルスの影響で客足がパッタリと途絶えてしまった。・・・と先日テレビで報じていた。
 私のブログに掲載すれば少しは観光振興のお役に立てるかなと思っているが、過疎集落のように人影稀なブログなのでナノミクロンほどの影響も無いでしょうが、以下の写真で紹介します。

川越駅前のショッピングセンター「アトレ」(フードコートは大部分閉鎖中)

川越一の繁華街「クレアモール」(人出はいつもの三分の一くらいか)

クレアモールにある老舗のデパート「丸広」ここは営業してます。

西武新宿線の終着駅「本川越駅前」

川越観光の要「小江戸蔵里観光館」は休館中

喜多院境内にある川越藩主、松平家の菩提所

蔵造り通りと共に川越の人気スポット「喜多院」も人影まばら

喜多院の門前街にあるこじんまりとした「川越歴史博物館」は休館中

川越で一番人気の「蔵造り通り」(人出はいつもの四分の一くらい)

蔵造り通りのシンボルタワー「時の鐘」にも観光客がいない。

蔵造り通りにある「川越まつり会館」は休館中

蔵造り通りに隣接する人気の菓子屋横丁は殆ど人影が無い。

川越市街地をグルリと囲むように流れる新河岸川

 

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奥秩父、四阿屋山ハイキング

2020年05月26日 | 山歩き

5月24日(日)      天気=曇り

08:00花ショウブ園駐車場→ 08:05鳥居山コース登山口→ 08:58~09:03送電線下→ 09:26両神神社奥社→ 09:43~10:10四阿屋山→ 10:27両神神社奥社→ 10:51送電線下→ 11:25花ショウブ園駐車場

 「不要不急の外出を控えよ」という世間の流れに逆行し、絶賛強行中の県内の山登山シリーズ第3弾として、奥秩父の四阿屋(アヅマヤ)山を登って来ました。
 四阿屋山は奥秩父の名峰、両神山から東へ延びる支稜の末端上にあり、信仰の山でもあります。このところ秩父詣でを続けているが、埼玉県の主な山域は秩父地方に限られており、県内の山に拘るとどうしても行かざるを得ないのです。
 朝6時過ぎに車で我が家を出発し、国道299号~140号と経由して8時前に四阿屋山の登山口がある花ショウブ園の駐車場に着いた。此処にはキャンプ場も併設されているが、コロナウィルスの影響なのか閉鎖されていた。

 花ショウブ園の駐車場
 準備を終えると駐車場を出発する。今来た車道を少し降った地点が鳥居山コースの登山口で、チャイナタウン風の派手な門が建っていた。舗装された遊歩道を少し登ると、中華風の展望台があって、眼下の集落が望まれた。

 鳥居山コース登山口

 中華風の展望台

 登山道が始まる地点
 展望台の直下から鳥居山コースの登山道が始まる。樹林帯の緩やかな尾根を幾度かアップダウンを繰り返しながら登って行く。今日は幾分蒸し暑い天気だが、新緑に輝く心地よい道が続く。道沿いにはモミジの木が多く、秋には素晴らしい紅葉も見られそうだ。

 樹林帯の道

 同 上
 登山口から50分余で尾根を跨ぐ高圧送電線の下に着いた。此処で初めて展望が開き、西に埼玉・群馬県境の山々が望まれた。送電線下から再び樹林の道をしばらく進むと、柏沢集落からの道と合流し、左へ曲がって階段状の急坂を登って行く。
 息を切らせながら急坂を凌ぐと、やがて両神神社奥社が建つ薬師堂コースとの合流地点に着いた。此処にはベンチもあり、お参りがてら休憩するのには丁度良い場所だ。

 高圧送電線下(鳥居山コース)

 柏沢コース分岐

 奥社へ向かう階段の道

 両神神社奥社

 奥社から四阿屋山の山頂までは僅かな距離だが、山頂部は岩場なので簡単には登れない。奥社から少し進むと「直登禁止」と書かれた通行止めの標識があり、左へトラバースし、左手から岩場混じりの急坂をジグザグに登って行く。

 直登禁止の標識

 左手をトラバースする。

 岩場の道
 やがて標識が立つ尾根に着き、此処で上級者コースのつつじ新道が合流する。合流地点を右に曲がって急坂を一登りすると、四阿屋山(772m)の狭い山頂だった。

 つつじ新道合流地点

 山頂直下の急登      
 山頂は北側に展望があったが、今日は今にも雨が降りそうな曇り空で、群馬県境の山々がボンヤリと望めるだけだった。山頂で30分程休憩し、同年配のご夫婦が登って来たので、入れ替わるようにして山頂を後にした。

 四阿屋山山頂
 岩場の道を慎重に降って奥社へ戻ると、下山は薬師堂コースを降って行く。こちらが表参道なので、整備された歩き易い道が続く。10分程降るとコンクリート造りの休憩舎があり、此処でも北側に展望があった。

 薬師堂コースの下山道

 休憩舎
 休憩舎からしばらく緩やかに降ると高圧送電線の下に着いた。此処も展望があり、東側に武甲山や大持山が望まれた。送電線下から更に降ると、山の中腹を巻く車道が交差していた。此処にも駐車場があって何台かの車が停まっていた。

 山頂からの別ルートと合流

 気持ちの良い薬師堂コースの道

 送電線下(薬師堂コース)

 車道と奥に駐車場
 車道を渡って更に登山道を降って行く。参道の名残りなのか道沿いには小さな祠が祀られている。だんだん日差しが出てきて、木洩れ日の中を降って行くのは気持ちがいい。

 登山道沿いの祠

 木洩れ日の下山道
 やがて小さな東屋に着いた。此処で道が分かれ右手は薬師堂へ降る道で、我々は花ショウブ園へ降る左手の道へ進む。緩やかな道をジグザグに降って行くと沢音が聞こえ始め、花ショウブ園に隣接するキャンプ場に降り立った。

 登山道分岐の東屋

 キャンプ場へ下山
 駐車場へ戻り車に乗ると、登山口近くに在る県文化財の法養寺薬師堂を訪れた。戦国時代に建てられたというお堂は目の病に霊験あらたかだそうで、歴史を感じさせるお堂だった。 

 法養寺薬師堂
 四阿屋山は800mにも満たぬ標高だが、埼玉百名山にも数えられる県民にはソコソコ人気の山だ。私はズーッと以前に登っているものとばかり思っていたが、それは間違いで今回が初の登頂だった。
 美しい樹相の尾根道や歴史を感じさせる参道、山頂付近の岩場など多彩な趣きがあって、とても楽しい山歩きができた。狭いと思っていた埼玉だが、こんな山が残っていた何て、我が埼玉県もまだまだ奥が深い。

 

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今年もベランダにアマリリスの花が咲いた。

2020年05月24日 | 日記

 妻が丹精込めて育てているベランダの花壇に、今年も艶やかなアマリリスの花が咲いた。花言葉は「誇り」「おしゃべり」「輝くばかりの美しさ」と言うんだそうです。←(これ2年前のブログでもつぶやいたかも)
 確かに輝くばかりに綺麗な花だが、高山に咲く可憐な花々と比べたらなんともド派手で、リオのカーニバルのダンサーか、厚化粧の叶姉妹を見ている感じがしないでもない。
「花より団子」の私は植物にあまり興味は無いけれど、誰に言われるでも指示をされるでも無いのに、何があろうと毎年同じ時期に綺麗な花を咲かせる植物達の律儀な生態に、自然界の摩訶不思議を感じます。
 もしも私が子供だったら「どうして植物は、毎年同じ時期にお花を咲かせるの?」と、ラジオの「子供電話相談室」に電話して教えを乞うところなのですが。

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私は日本歩け歩け教会の信者です。

2020年05月23日 | 日記

 新年早々から猛威を振るったコロナウィルスですが、日本では徐々に収束へと向かいつつあるようです。それより少し以前に悪化した私の膝痛も、同じ足跡を辿るかのように少しづつ快方へと向かっています。
 私は「歩く事が健康の源」という固い信念を若いころから持っており、非公認組織「日本歩け歩け教会」の隠れ信者なのです。「悩める者は歩きなさい。歩いていれば(ジョギング可)救われる。」更に故浪越徳次郎先生のお言葉を借用し「歩く心は母心、歩けば命の泉湧く」こんなお教えを信じて、コロナに負けず毎日ウォーキングに勤しんでいます。
 しかし最近はマスクの着用が問答無用に義務付けらる風潮で、自粛警察の目もある事から、下記写真の「いつでも銀行強盗スタンバイOK」というスタイルで歩かねばならぬのが、チョット辛いところです。

 埼玉でこんなオジサンを見かけたら、気軽に声をかけてくださいね。決して不審者ではありませんから。
 そんな篤い信仰心があってか、最近は軽いランニングぐらいならできるようなりました。でもまだジョギングするのは怖いので、快速ウォーキングと自称して、近隣の街をあちこち彷徨っています。先日の天気の良い日も坂戸市の郊外を巡ったので、その時撮ったプチ見どころをサクッとご紹介しましょう。

田んぼに憩う鴨の家族

春の枝垂れ桜(今は緑)で有名な慈眼寺

去年水害が発生した東坂戸の越辺川支流(普段は魚が泳ぐ清流)

農家のビニールハウス内に咲いていた花々

日本一大きな道教のお寺、聖天宮

若葉台工業団地から若葉駅まで1キロ以上続く直線の車道

工業団地で一番大きな明治製菓(年に数回直販会がありお菓子が安く手に入る)

工業団地の横に1キロ続く樹林の遊歩道

 人気のラーメン店(花さんしょう)には行列ができていた。

 

 

追信=日本歩け歩け教会は私の妄想内にあり、且つ日本歩け歩け(ウォーキング)協会は何の関係もございません。

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日本三百名山回顧№78、栃木・群馬県境、袈裟丸山(3百名山)

2020年05月21日 | 三百名山回顧

 平成4年5月4日(月)~5日(火)


 袈裟丸山は、栃木・群馬県の日光連山と赤城山の間に挟まれた目立たぬ山域の山です。その袈裟丸山へ登ったのは平成4年5月の事です。この時は当時所属していたK山岳会の会長だったHさんと我々夫婦の3人で登りました。
 Hさんは多趣味多才な人で、登山だけで無く天文マニアでもあり都内にある天文同好会の会長もしていました。世話好きで心優しく私が大変お世話になった人でもあります。
 さて本題の袈裟丸山登山ですが、わたらせ渓谷鉄道の沢入駅まで電車で行って、駅から袈裟丸山を目指した。塔の沢コース登山口までの林道は、歩いて行ったのかそれともタクシーだったのか、今は定かに思い出せない。
 登山口を出発してしばらく歩くと、石で刻まれた大きな寝釈迦像に着く。あまり名を知られて無いが、中々立派なお姿のお釈迦様で一見の価値がありです。

袈裟丸山の寝釈迦像

 寝釈迦像の前で

 更に進むと登山道沿いに小さな避難小屋が有り、そこから急登をしばらく頑張ると賽の河原と呼ばれる尾根に達する。此処で弓の手コースが合流し、眺めの良い休憩ポイントです。

 賽の河原


 賽の河原からゆったりとした尾根を登って行くと、やがて小丸山(1676m)の山頂へ着く。ここも袈裟丸山から皇海山に連なる山波の眺めが素晴らしい所です。小丸山から西へ少し下った鞍部の明るい雑木林の中に、かまぼこ型に造られた鋼鉄製の小丸山避難小屋が建っている。

 小丸山山頂

 小丸山山頂から皇海山(右奥の山)方面

 小丸山避難小屋
 今日はこの避難小屋泊りです。お昼過ぎに着いたので、午後の時間はノンビリと過ごした。近くには水場も有り今宵は我々だけの貸切だったので、中々快適な一夜を過ごせました。
 翌朝は軽装で袈裟丸山へ向かう。朝冷えの凍れる大気の下、1時間余の急登を頑張って前袈裟丸山(1878m)へ着く。ここの山頂標識には袈裟丸山と書かれているが、実際の最高峰はこの奥に聳える後袈裟丸山です。

前袈裟丸山山頂

 山頂から赤城山方面

 山頂から後袈裟丸山

 山頂から皇海山へ続く稜線


 前袈裟丸山と後袈裟丸山の鞍部には八反張という難所があり、お役所は八反張を歩かせたくない思惑で前袈裟丸山を袈裟丸山と記したのでしょう。
 二人には前袈裟丸山で待ってもらい、私一人で後袈裟丸山までピストンした。写真を撮っただけで引き返したのであまり覚えていないが、山頂の展望は前袈裟丸山に比べあまり良くなかったように思う。八反張の難所は記憶に無いので大した事なかったのだろう。

 後袈裟丸山山頂


 袈裟丸山から下山の道は、賽の河原から弓の手コースを降った。降り着いた折場登山口まで車道が通じているので、袈裟丸山へ登るなら弓の手コースが一番楽なコースだと思う。しかし時間はかかるが寝釈迦像のある塔の沢コースの方が味わい深くてお勧めできるコースです。
 折場登山口から長々と続く車道を歩いて沢入駅まで降ったのだが、その後はどうしたんだろうか全く記憶は無い。Hさんはお酒好きだったから、きっと何処かの温泉辺りで打ち上げをやったんでしょう。
 Hさんが故人となられて久しいが、袈裟丸山の避難小屋で一緒に過ごした楽しい一夜は、彼の笑顔と共に忘れ難い山の思い出です。

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ベランダで、リゾート気分になってみた。

2020年05月19日 | 日記

 39県で緊急事態宣言が解除され、少しづつ賑わいを取り戻しつつあるようです。しかしながら去年は映画「翔んで埼玉」で大ブレイク?した埼玉は、東京や千葉、神奈川と共に今だ特別警戒都道府県の枠から抜け出せないでいます。
 青空が広がる天気の良い日は何処か遠くへ出掛けたくなるが、県外への移動は強く自制を求められ、それを無視して他県へ出掛けようものなら、「来んで、埼玉」と地元の人から冷たい言葉を浴びせられる。
 そんな事情もあってか、最近世間では「お家ナニナニ気分」なんてのが流行っているようです。なので私もチョット流行にあやかってみた。午前中ウォーキングで汗を流した後、ベランダに野外用の椅子を持ち出し、テーブルに缶ビールやつまみ類を載せてプチキャンプの気分です。


 自慢じゃないが我が家のベランダからの展望はけっこう抜群で、北は茨城の名峰、筑波山が望め、時計回りに埼玉副都心や都内の高層ビル群(針先のように小さいが)、所沢の西武ドーム、神奈川の丹沢山系そして白雪の富士山などが望める。
 椅子に座るとベランダの柵が邪魔してそれらの眺望は妨げられるが、それでもほろ酔い加減で青空にポカポカ浮かぶ白い雲を眺めていると、何やら満ち足りた気分になってきます。まっ昼間っからビールを飲むのは気が引けるので毎日という訳にはいかないが、たまにはお家リゾート気分もいいもんです。

 追信:先日私がブログで嫌味を書いたせいか、今日「10万円特別給付」の申請書類が届きました。我が町のお役所は自粛もせずに、ちゃんとお仕事をしていました。でも欲しくも無いが、アベノマスクはまだ届かない。

 

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電車の中で化粧をする女性

2020年05月17日 | 日記

 これは先日通院で都内へ出掛けた時の、電車内での出来事です。私が出掛ける時間帯はいつも遅いので乗客は少なく、概ね皆さん感染防止の為か座席の中央か両端に分散して座っています。
 私がシルバーシートの端に座っていると、向かいの一般席の端っこにそれなりに可愛い娘さんが一人座った。そしてマスクを外すや、おもむろに小道具を取り出して化粧を始めた。
 車内での化粧についてはいろいろ批判される向きもあるが、私は女性に(特に若い?)優しく寛容な人間なので、「オッ、今日のデートに備えて戦闘モードに入っているんだな」とむしろ微笑ましく眺めていた。
 ところがしばらくすると彼女は化粧を止め、スっと立ち上がった。「ここで下車するのかな」と思ったら私の前を通りすぎ、シルバーシートの私の横の席へ座り直した。そして再び化粧を始めたではないか。
 何だこの不可解な行動は?と周囲を見渡して、何となく事情が判明した。彼女が座っていた前の席の対面には若い男性が座っており、多分彼女はその彼氏の目が気になって私の横へ移動したのだ。
 このシチュエーションを推察するに、彼女は横に座る私の事など眼中に無く、車内に架かる吊り輪や吊り広告くらいにしか思っていないという事なのか。そりゃ無いぜベイビー、確かに今では白髪頭にシワシワ顔のオッサンだけど、若い頃にゃギャルどもからキャアキャア言われた・・・事は無かったけど、それなりにイイ男だったんだぜ。
 そんなおじさんの純な心を傷つけやがって絶対に許せん。・・そんな私の怒り等どこ吹く風で、化粧を終えた彼女は、とある駅でソソクサと電車を降りて行った。
 その時私はすかさず、不幸の怨念が混入されたレーザービーム光線を、ドアから出て行く彼女の背中目がけて発射した。これで彼女の今日のデートは、悲惨な結果に終わるだろう。フン、ザマー見ろだ。

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私の街は本当に日本なんだろうか?

2020年05月15日 | 日記

 5月15日(金)
 我が国のリーダーが速やかに実施しますとお約束をしてくれた「アベノマスクの配布」と「10万円の給付」だが、私の住む街では一向に音沙汰が無い。ひょっとしたらこの街は日本じゃないのだろうか?と不安になってきた。
 それとも我が街のお役所は、国の自粛要請を受けて休業中なんだろうか。イヤ私の納税額があまりに少ないので、嫌がらせでワザと通知を遅らせているのであろうか。はたまた私の名前が住民台帳からスッポリ抜け落ちているのではないかなどと疑いたくなってくる。
 マスクだって市場へ出回り始めた今頃、評判の悪いアベノマスクが届いたって意味ネーじゃん。だったらマスクに使った四百数十億円を、国民一人一人に割りふって、給付金へ上乗せしてくれた方が使い出があってよっぽどありがたいってものだ。
10万円給付も、モタモタしてたらどうなるかわかったもんじゃない。善良な市民として窓口の混雑が収まるまでと黙って待っていたら、ある日突然役所から「アッ、給付金の締切期限は昨日までで、もう給付金の受付は締め切りました。」何て事も言われかねない。皆さん「沈黙は金」では無くて「沈黙は損」ですから、役所の動きを注視して、絶対に10万円をゲットしましょうね。

アベさん、私と同じでチョット顔がでかいかな?

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膝の治療を終えて、今日は指扇から川越までウォーキング

2020年05月14日 | お出掛け

 5月12日(火)

 今日のウォーキングコース
 2週間ぶりに膝の治療で都内北区十条の「永振クリニック」へ通院した。治療と言っても陳先生に「膝の調子はどうですか?」と問われ、「随分良くなってます。」と応えた後に注射を1本ブスリと打てば終了です。
 日常生活では支障を感じないほどに回復してるので、治療を終えてもおかしくないが、一方それを望まぬ気持ちもある。なぜかと言うと治療を終えたら都内へ出掛ける合法的な名目が無くなるからだ。(こんな事書くと自粛警察にチクられそう)「2週間後に又注射を打ちましょうか。」と陳先生に言われ、ホッとしたようなしないような気分でクリニックを後にした。
 さて前回通院した後はJR武蔵野線の西浦和駅から川越線の指扇駅まで歩いたので、今日は指扇駅から歩き始める事にした。このまま荒川沿いに遡ると我が家へのアクセスが悪くなるので、川越市経由で我が家へ向かうコースにした。歩き始めて気づいたがは蒸し蒸した天候で、暑さに慣れてない身体がやけに重い。

 指扇駅北口を出発
 駅を出発して大宮と川越を結ぶ幹線道路の国道16号にぶつかると、ここを左折して国道沿いに川越市を目指す。やがて荒川に架かる上江橋に着く。嘘か真か判らぬがこの橋の長さは1610mで、標識には「日本一長い橋」と書かれている。

 日本一長いと書かれた上江橋
 堤防内の河川敷は広々としたゴルフ場で、プレーを楽しむゴルファーの姿がポツポツと散見された。ここは川の合流地点でもあり、橋の下には東側に荒川、西側に入間川がゆったりと流れている。本流・支流いずれもさして変わらぬ川幅に見える。

 荒川河川敷のゴルフ場

 荒川の本流

支流の入間川


 川の端まで来ると遠くに川越の市街地が望まれた。単調でバカ長い橋を歩いていると、車の騒音と排気ガスを浴びて歩くのが苦痛になってきた。朝方出掛ける前に妻から「スーパー成城石井の川越駅店でHERSHEY’Sのチョコレートを買って来て」と、指令も出ていたので、今日は東武東上線の川越駅をゴールと決めた。

 橋を渡り遠くに川越市街地が望まれた。
 歩いているうちにお昼の時間を過ぎてしまったが食堂やレストランの類は見つからず、仕方ないので道沿いのファミリーマートで弁当を買って昼食にした。ついでに缶ビールも欲しかったのだけど、国道沿いのこの店では販売していないようだ。 
 国道16号と交差する国道254号に架かる歩道橋を越え、川越市内の住宅街を通り抜けて賑やかな川越駅前に到着した。指扇駅から此処まで約2時間ほどの道程だった。もちろん妻から出された指令は忘れておらず、成城石井の川越駅店で頼まれたチョコ(タケーなあ。)を購入し、早々と我が家に戻って妻へ手渡し無事任務を完了した。

 国道407号に架かる歩道橋を渡る。

 川越駅前に到着

 スーパー成城石井の川越駅店で買ったチョコレート

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日本の感染者や死者数が少ないのは上履き文化にあるのでは?

2020年05月12日 | 日記

 国内の感染者数と死亡者数の推移をみると、徐々にピークを越えつつあるように見えます。しかし政府は殆ど無策に等しい対策で、国民だって大して危機感を持っておらず自分勝手な人が多いのに、どうして日本はこんな低い数値で収まっているのだろうかと、誰もが疑問に思っているのではないでしょうか。
 その理由について「日本人は清潔好きだから」とか「協調性があって手洗い、うがいを励行するから」などといろいろ推測されてますが、誰もが言わないけれど私はもう一つ大きな理由があるように思えます。
 それは外出から自宅へ戻った時、履いていた靴を玄関で脱いで室内靴へ履き替えるという日本では当たり前の習慣です。欧米などでは、概ね外靴のまま自宅の中へ入りますよね。
 考えてもみてください。トイレや繁華街、混みあう商店などを出歩いた後の靴底には、どれ程ウィルスや雑菌がくっついているか想像に難くありません。そんな靴で家の中をうろついたら、家中が汚染されるのは当然の理です。つまり日本の住宅では靴を履き替える事により、玄関でウィルスをシャットアウトしているのではないでしょうか。
 ややもすると日本人は欧米の白人文化に、憧れと劣等感を抱き過ぎる感があるように思います。だから漫才コンビの「タカ&トシ」から、「オーベイか」とたしなめられるのです。
 コロナウィルスの感染防止という観点からも、上履き文化の良さが実証される事でしょう。これを機に、日本文化の優越性を世界へ発信していこうではありませんか。きっと遠くない未来の地球では、世界の人がこう言うでしょう。 ジャポーンか と

 

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奥武蔵、武川岳ハイキング

2020年05月11日 | 山歩き

 5月8日(金)      天気=晴れ

08:02名栗げんきプラザ下駐車場→ 08:25名栗元気プラザ→ 08:45林道出合→ 09:15~25見晴台→ 09:35登山道分岐→ 09:58~10:20武川岳→ 10:31前武川岳→ 11:17山伏峠下→ 11:25名栗げんきプラザ下駐車場

 「不要不急の外出は極力控えてください。」と言われる中、不要不急の最たる「山登り」へ行くなど不謹慎もいいところで、自粛警察にタレこまれても文句は言えないと分かっちゃいるが、それでも自然が「カ・モーン」と私を呼んでおり、どうしても山へ行きたくなってしまう。
 そんな強引な理由で先日の「志賀坂諏訪山」に引き続き、県内の山シリーズ第2弾として奥武蔵の武川岳を登って来ましたので、ササっとご紹介します。
 朝食後の7時過ぎ車で我が家を出発し、国道299号をひた走り約1時間ほどで登山口の名栗げんきプラザへ着いた。此処から以前沢沿いのコースで武川岳へ登った事があるので、今日は尾根道コースを登ろうと思ったが、登山口の入り口が見当たらない。

名栗げんきプラザ下の注射スペース
 10分ばかりウロウロしたが見つけられず、閉館中のげんきプラザ事務所へ行って職員の人に尋ねたら、登山口はプラザ建物内を通過した奥にあった。ここからは明瞭な道が樹林帯の尾根に続いている。

 げんきプラザの奥から登山道が始まる。

 緩やかな尾根道が続く。
 20分ばかり登ると、武川岳の東側山腹を巻く林道が交差していた。林道を越えると見晴台ピークまでは展望の無い急登の道が続く。あまり歩かれていないようで、踏み跡は薄くやや荒廃気味の道だ。

 山腹を巻く林道

 大岩の横をトラバースする。

 急登の道
 林道から約30分で見晴台ピークに着いた。周囲の樹木が育ちすぎて名前の割には眺めは良くない。見晴台からは一転して、緩やかな尾根道が続く。途中の鞍部で左手から沢コースが合流し、その後はハッキリとした明瞭な道になる。

 見晴台ピーク

 武川岳へ向かう尾根道

 沢コースの合流地点
 幅広い緩やかな尾根を気持ちの良く登って行くと広々とした尾根上に達し、その奥に武川岳(1052m)の山頂標識が建っていた。広々とした樹林の中の山頂は、ベンチもあって絶好の休憩ポイントです。展望は南面にのみ広がり、八王子市街地辺りが望まれた。

 武川岳へ向かう緩やかな道

 武川岳山頂

 山頂から南面の展望
 20分程休憩して山頂を後にする。山頂標識から少し戻り登山道標識の所で右に曲がって名郷集落へ向かう道に入る。約10分程の歩きで緩やかな前武川岳(1003m)に着く。樹林に囲まれて山頂からの展望は全く無い。

 標識を右に曲がって天狗岩方面へ向かう。

 前武川岳へ向かう尾根道

 前武川岳山頂

 
 此処を直進すれば名郷集落へ至るが、左に曲がって山伏峠への道を降って行く。植林帯の道はよく整備され適度な傾斜で歩きやすく、膝に爆弾を抱える私でも気持ちよく降って行ける。

 山伏峠へ向かう杉の植林帯の道
 やがて登りの時に出合った山腹を巻く林道と交差する。林道を渡って更に降って行くと、前方に奥武蔵でハイカーに一番人気の伊豆ケ岳がこんもり聳えて見えた。

 山腹を巻く林道に出る。

 前方にこんもりと伊豆ケ岳が見える。
 伊豆ケ岳との鞍部、山伏峠近くまで降ると、「名栗げんきプラザへ」と書かれた標識があり、標識を左へ曲がって降り小さな沢を渡ると、そこは「駒大の森」と書かれた広場で、植林作業員の人達が数名のんびりと休憩していた。

 「名栗げんきプラザへ」と書かれた標識

 小さな沢を渡る。

 駒大の森広場
 広場から荒れた林道をしばらく降ると県道「青梅秩父線」へ出る。左へ曲がって県道沿いに10分程降ると、車を停めている名栗げんきプラザ下の駐車場だった。

 県道「青梅秩父線」に出る。

 県道を名栗げんきプラザへ降る。
 今日は膝のリハビリを兼ねた約3時間ほどの軽い山歩きだったが、春の爽やかな青空の下、新緑のイオンをたっぷり浴びて気持ちの良いハイキングができました。膝の調子は今のところ問題なく、今後は徐々に山歩きのグレードアップを図っていくつもりです。

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日本はコロナウィルス対策の劣等生?

2020年05月09日 | 日記

 5月9日(土)
 世界中で繰り広げるコロナウィルスとの戦いは長期戦の様相になって、日本でも緊急事態宣言が延長された。陣頭指揮を執る安倍政権はその拙い対策ぶりがやり玉にあげられ、テレビや新聞などのメディアから連日連夜厳しい批判の嵐にさらされている。
 「どうして対策を上手くやってる韓国やドイツのように日本はやれないのか。これらの国から学ぶべきなのではないか。」という声も、有識者?からなるテレビのコメンテーターなどから聞こえてきます。
 コロナウィルス対策の成果は、如何に感染者数と死者数を低く抑えるかに尽きる。日本はそんなに言われているような酷い国なのかと思い、総人口当たりのコロナウィルスの感染者数と死者数の発生比率を表にして、対策優等国の韓国やドイツと比較してみた。
 すると驚くべき事に一番劣等生のはずの日本が、表の中では一番低い数値に抑えてるではないか。これじゃまるで自分より成績の悪い奴から「オメー本当にアッタマ悪いなあ~、俺がチョット教えてやろうか。」と上から目線で見下されているようなものではないか。やたら自己卑下したがる癖がある日本人とはいえ、何で日本はそこまで卑屈にならなきゃいけないんだろう。
 諸外国が都市封鎖などの強硬手段をもってコロナ封じに躍起になる中、日本はひたすら「自粛をお願いしま~す。」とペコペコ頭を下げるだけのユルユルの手綱捌きもいいところ、それでこんな低い数値を叩き出しているというのはある意味凄い事ではないか。
 私が何処か他の国の人間ならば、これを見て思わず「アメージング」と叫んでしまうだろう。「名騎手は、馬に鞭を入れずにレースで勝つ。」と何処かで聞いた事があるが、あんまりカッコは良くないけれど、これぞアベノマスクならぬアベノマジックの不思議。・・・・何て事を考えてしまう私の頭の中が、アベノマジックに感染してるのだろうか。

 

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奥多摩、御岳山ハイキング

2020年05月08日 | 山歩き

4月19日(日)      天気=晴れ

08:21ケーブルカー滝本駅→ 08:51団子堂地蔵→ 09:25~09:35御岳山(神社)→ 10:18ケーブルカー御岳山頂駅(ケーブルカーで下山)

 実は緊急事態宣言が発令されて間もない頃の4月19日に、奥多摩の御岳山へハイキングに出掛けておりました。それを何故今頃載せるのかと言いますと、ひょっとしてその時コロナウィルスに感染でもしていたら世間様に顔向けできないので、2週間ばかり経過期間を取ったのでした。・・・と言う事で以下本文。

 いつも通り朝6時に起きて朝食を済ました後、車で我が家を出発する。圏央道はガラガラだったので100キロ以上でぶっ飛ばし、幸い途中の関所で止められる事も無く、アッサリと東京都へ密入国した。
 青梅インターで圏央道を降りると、青梅街道を遡って8時過ぎには御岳山ケーブル滝本駅の駐車場へ着いた。普段の日曜日なら既に満杯だろうが、今朝の駐車場は50%ほどの混み具合です。

 御岳山ケーブルカー滝本駅駐車場

 ここから歩き始める。
 殆どの人はそのままケーブルカーで山頂駅へ向かうが、我々は一応ハイキングが目的なので、下から歩いて山上の集落へ向かう。山上への道は辛うじてトラックが通れる程の道幅で、杉並木の緩やかな道がつづら折りに続いている。

 緩やかな登山道
 又この道は御岳山神社への表参道となっており、道沿いには「馬立て場」や「なかみせ茶屋」などと書かれた標識が随所に建てられ、昔の名残を留めている。
 大曲と書かれた標識の所から左へ曲がってしばらく行くと、ケーブルカーの線路下を潜る。その先にはお地蔵さまが安置された「だんご堂」の祠がある。だんご堂を過ぎてしばらく進むと、頭上に山上の集落が見えてきた。

 ケーブルカー線路の下を潜る。

 だんご堂の祠
 やがてケーブルカー山頂駅から御岳神社へ向かう道と合流、出発地点の滝本駅から此処まで約40分の道程だった。集落には幾棟もの宿坊があり、昔ながらの伝統を感じさせる。集落内にはビジターセンターもあるが、当然閉鎖中で見る事は出来なかった。

 ケーブルカー山頂駅からの道と合流

 かやぶき屋根の宿坊

 閉鎖中のビジターセンター

 樹齢1000年の神代ケヤキ
 集落内の小道をしばらく進むと、大鳥居前の門前街で道の両側に数軒の食堂や売店などが軒を連ねている。大鳥居から急な石階段の坂が続き、その坂を登り切った所が山頂の御岳山神社だった。

 大鳥居前の門前街

本殿下の大鳥居

 本殿へ向かう石の階段

 本殿直下の階段

 御岳山神社本殿
 現代人はケーブルカーで簡単に神社をお参りできるが、昔の人は遠い里から遥々歩いて此処まで参拝してしたのだろうから、より霊験新たかあらたかを感じただろう。

 本殿からの眺め

 本殿の枝垂れ桜
 本殿の前で妻と二人、「コロナウィルスの収束」とついでに「私の膝の回復」を祈願する。お賽銭をいつもより多めに投じたけれど、果たして我らの願いを神様は聞き届けて下さるであろうか。
 お参りを終えると大鳥居下の食堂「駒鳥売店」で休憩する。お店はまだ営業前だったが、快く店内へ招き入れてくれた。このお店は展望の良さが売りで、食堂から関東平野が一望に見渡せる。確認できないけれど私の住むマンションもきっとあの中にゴマ粒のようにあるのだろう。

 休憩した駒鳥売店
 お店の人の話では緊急事態宣言以降、お客もめっきり減ったそうだ。我々が埼玉から来たと言うと、大いに喜んでくくれた。コーヒーだけの注文では申し訳無いので、帰り際にはお土産も買ってお店を後にした。降りは膝を悪化させそうなので、山頂駅まで行ってケーブルカーで下山した。

 御岳山ケーブルカー山頂駅

 山頂駅から関東平野の眺め

 山頂駅から御岳山神社方面

 御岳山ケーブルカー
 今日は膝のリハビリとエクササイズのつもりで御岳山へ来たのだが、僅か2時間足らずでしたが膝の痛みや違和感を感じる事も無く歩き通す事ができました。これから徐々にグレードアップして、再び元気な身体を取り戻すのが今後の目標です

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