Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

壁に飾った、デ・シモーネの陶器

2017年07月31日 | 日記

 7月31日(月)

 最近何処へも出掛けてないので、「ブログネタが無いゾ。困ったな。」何て思っていたら、妻が都内に出掛けた折りに買ってきたアクセサリーの陶器を「壁に取り付けたいから手伝って。」と声を掛けてきた。

 どんなアクセサリー?と妻に訊ねたら、イタリア製でデ・シモーネの陶器と呼ばれるものだと言う。何でもデ・シモーネという人は世界的画家のピカソと一緒に活動したイタリア人の陶芸家で、彼の没後はその娘たちが後を引き継いでデ・シモーネの陶器として創作活動を続けているそうだ。そんな事柄を聞いていたら、ハウ・マッチと聞く勇気が無くなった。

 正直言えばアクセサリー何て実用性の無いものには全く興味が湧かず、私にとっては「猫に小判」、「豚に真珠」の類、だけどせっかく壁に飾ったので有難くブログのネタで使わせてもらいます。

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「翔ぶ少女」という小説は何度も泣けます。

2017年07月29日 | 読書

 7月29日(土)

 「原田マハさんくらい読者を泣かせる作家は他にいない。」と思うくらい、私の中で原田マハさんは最も好きな小説家の一人だ。だから図書館を訪れると真っ先に彼女の作品コーナーへ向かう。(スミマセン。身銭を切って買う本は月刊誌「山と渓谷」や地図くらいなもので、単行本は全て図書館で借りて読んでます。)

 そして先日図書館へ行った時、彼女の小説「翔ぶ少女」を見つけて借りた。読み始めると、これがマア面白くて、原田マハワールドにはまり込み半日で読み終えた。彼女の作品はどれも感動するけれど、この小説が一番泣けたかも知れない。

 物語の舞台は、阪神淡路大震災が発生した神戸市長田区、長男「逸騎」、長女「丹華」、次女「燦空」の三兄弟は、パン屋を営む両親の元で幸せな日々を過ごしていたが、突然の大地震が彼らを悲劇のどん底に落とし込む。

 住む家は全壊し炎に巻かれて両親は亡くなってしまい、三兄弟は震災孤児となってしまう。そんな兄弟を倒壊家屋から救ってくれたのが、「ゼロ先生」と呼ばれるオッチャンだ。オッチャンも震災で自分の妻を亡くし、それが原因で実の子とも断絶して孤独の身の上だ。

 精神科医であったゼロ先生は、孤児となった三兄弟を養子として引き取り、被災した地域の為に奔走する。そんなゼロ先生の深い愛情に育まれて、三兄弟は悲しみの淵から徐々に立ち直っていく。

 しかし、ゼロ先生がある日突然心臓の病で倒れてしまう。命の恩人であるゼロ先生を救おうと、いつも優しく見守ってくれる女医の由衣先生と共に三兄弟は必死の行動を起す。

 そして最後は最も感動的な結末を迎えるのであるが、それは実際に読んで感動してください。私のように図書館で借りて読む何てセコイ事せず、ぜひ本屋さんで購入して読んでいただければと思います。登場人物の健気さに泣ける事間違いなしです。

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加計学園問題「国民は怒ってる。」と言われても・・

2017年07月27日 | 日記

 7月26日(水)

 森友学園や加計学園問題で、安倍内閣の人気は凋落の一方で一時は60%近くあった支持率も今や20%台まで下がっている。先日の国会審議を見ていても野党の鋭い追及に安倍首相は苦しい答弁の連続だった。

 ところで野党の追及質問の中で、「国民は怒っている。」、「国民は納得していない。」という言葉がよく使われるけれど、まあ私も国民の一人ではあるのだが、この言葉には今一つピンとこない。

 というのも私、今まで安倍さんや加計学園長に直接会った事や見た事は無いし、愛媛県に獣医学部が出来たって特段に困る事も無い。安倍さんが口添えしようとも、「長年の親友だったらそれくらいするだろネ。」と思う程度でさほど腹も立たない。

 実際の話、テレビ・新聞等のメディアが提供する情報でしか状況を知り得ないし、メディアが批判してるから「へー、そうか。」と便乗して思うだけで、「怒ってるでしょ?」と問われても「エッ、まあ・・そうですね。」と戸惑ってしまうのが正直なところだ。

 更に正直ついでに言わせてもらえば、未来安泰・問題皆無の国ならとも角、人口減少・少子高齢化・財政悪化・度重なる自然災害等と難問山積の日本で、国の運命を担う国会のやってる事は相も変わらず足の引っ張り合いと権力争いのドタバタ劇ばかり、んでもって結末は大方の予想通りハッキリしないウヤムヤのうちに幕を閉じる。

 そんな事やってる最中も、水害で被災した秋田や福岡の県民は生活基盤を奪われて困窮の極みにいる。獣医学部の云々よりも、現に困っている人を救済する方が先だろが。・・・とこれは国民の一人として本当に怒っている。

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日本三百名山回顧№12、北海道、羅臼岳(百名山)

2017年07月25日 | 三百名山回顧

 平成6年8月9日~10日      

 

岩尾別温泉登山口→ 羅臼岳→ 羅臼平(幕営)→ 硫黄山→ カムイワッカの滝

 

 北海道の登山では羆の存在が気になるけれど、特に知床は羆の生息数が多いので注意を要する。岩尾別温泉の登山口には「羆出没中!!注意」の大きな看板があり、「どうか遭遇しませんように」と念じながら山仲間のUさん、O子さん我々夫婦の四人で羅臼岳へ向かった。

 ウトロ港から知床連山(右端は羅臼岳、左端が硫黄山)

 登山道は概ね緩やかで途中には弥三吉水や銀冷水の水場もあり、登山者の人影も絶えないので快適に登って行ける。最後は沢沿いの雪渓を登って広々とした羅臼平のテント場に着き、一息入れた後、溶岩ドーム状の羅臼岳へ向かいます。

 羅臼岳への登りから知床半島

 岩だらけの道を登って羅臼岳(1661m)に到着したが、ガスに覆われた山頂からは何も見えなかったように思う。山頂から羅臼平まで戻ると、この先どうするか皆で検討する。

 羅臼岳山頂

 硫黄山まで縦走するので、二ツ池キャンプ地まで行けばベターだけど羆が怖い。他の登山者のテントが幾張りか在ったから、時間は早いけれど羅臼平にテントを張る事にした。

 羅臼平のテント場(背後は三ツ峰)

 寝静まった深夜、ガサガサッと音がして突然テントがユサユサゆれた。ビックリして飛び起き、「羆襲来」とばかり懐中電灯を振り回し全員大声で叫ぶと、テントの外は静かになった。あれは一体何者だったのか正体はわからない。案外北キツネや鹿の類だったのかも知れない。

 翌日は天気に恵まれて硫黄山へ向って縦走路を進む。三ツ峰やサルシイ岳等幾つかのピークを越えて行く。サルシイ岳の登りから振返ると三ツ峰ピーク越しに見える羅臼岳がユニークな形をしている。

 サルシイ岳の登りから三峰(双耳峰)と羅臼岳(中央奥の小さなピーク)

 サルシイ岳から羅臼岳方面

 オッカバケ岳を越えて二ツ池キャンプ地に着いた。美しい所だが誰もおらず、こんな寂しい所にテントを張らなくて良かったと思った。二ツ池からは硫黄山に向けて小さなピークを幾つも越えて行く。

 南岳山頂?から知円別岳方面

 知円別岳から硫黄山へ向う真っ白な細尾根は強風が吹き、けっこうスリリングな降りだった。硫黄山は凄く尖がった山で男性陣のUさんと私の二人で登った。硫黄山からは急な沢の長い降りで、今日はロングコースを歩いたので疲れが溜り辛い降りだった。

 知円別岳からの急な降り

 硫黄山

 硫黄山山頂

 硫黄山からの下山道

 硫黄採掘跡地まで降ると登山口まで僅かな距離で、降り立った登山口から少し歩いたカムイワッカ滝のバス停付近では多くの観光客で賑わっていた。登山口近くを流れるカムイワッカ沢は文字通り温泉が川となって流れている観光名所、あまりに気持ち良くて服を着たまま川に身を浸した。

 降り立った硫黄山登山口

 ウトロへ戻るとUさんやO子さんと別れ我々夫婦はしばらく道東の観光地を巡った後、我家へ戻ったように思う。(登山のアルバムしか残ってないので詳細は判らない。)この登山で北海道の日本百名山は全て登り終えたので、その後しばらくの間北海道を訪れる事は無かった。

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日本三百名山回顧№11、北海道、斜里岳(百名山)

2017年07月23日 | 三百名山回顧

平成6年8月9日      天気=曇り  

 

清岳荘→ 旧道(沢コース)→ 斜里岳→ 新道(尾根コース)→清岳荘

 

 書き出しから恐縮だが、斜里岳登山については本当に記憶が薄い。遠い昔の事というのもあるが、前後に登った阿寒岳と羅臼岳の印象が強すぎたせいもあるかも知れない。

 前日阿寒岳を下山して弟子屈駅から清里駅に向う途中、揺れる列車の中で髭剃りしていたら誤って大出血した事だけ何故か覚えている。清里駅からはたぶんタクシーで登山口の清岳荘に向かったのだろう。

 斜里岳登山では沢沿いの旧道を登り尾根コースの新道を降るパターンが多いけれど、勿論我々もそのコースを歩いた。沢コースとは言っても登山靴でも楽に登れる道で、涼しげな清流が逆に心地よかった。

 旧道にある羽衣の滝?かな。

 馬の背から斜里岳へ向かう道

 新道が合流する上二股から急な道が馬の背まで続きそこから稜線沿いにしばらく登ると斜里岳(1547m)だった。アルバムの写真から察するとその時は雲が多くて山頂からどんな眺めもそれ程良くは無かったようだ。中身の無い内容だが本当に記憶が残っていないのでご容赦願いたい。

 斜里岳山頂

 山頂からの眺め

 山頂を後に尾根沿いの新道を降り清岳荘に戻った我々は、慌ただしく羅臼岳の登山口がある知床半島のウトロへ向かった。ちょうど夏の観光シーズン真っ盛りであったから、ウトロの町で泊れる宿が中々見つからず、一軒だけOKだった民宿もあまりに汚くて泊る気がせず、やむなく登山口に建つ木下小屋近くでテントを張って一夜を過ごしたのであった。

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日本三百名山回顧№10、北海道、阿寒岳(百名山)

2017年07月21日 | 三百名山回顧

  平成6年8月8日      天気=晴れ

 

野中温泉→ 雌阿寒岳→ 阿寒湖湖畔  

 

 平成6年の夏は北海道に残る未踏の百名山、阿寒岳、斜里岳、羅臼岳の三つを一挙に登ってしまおうと計画し北海道へ渡った。アルバムを見るとこの時の参加者は山仲間のUさんとO子さんと我々夫婦の4名、同じく百名山を目指していたS子さんが何故か参加していない。

 羽田空港からアッという間に着いた釧路空港は30度越えの猛暑で東京と変らぬ暑さ、初日の宿阿寒湖湖畔のユースホステルは冷房設備が一切無いもんだから暑苦しくて眠れなかった。

 阿寒湖湖畔

 翌朝オンネトー湖行きのバスに乗り、野中温泉(現在は雌阿寒温泉となっている。)で下車、ここから雌阿寒岳目指して登り始める。最初は深い樹林帯の道で、しばらく登ると森林限界を越え、眼下にオンネトー湖が望まれる気持ちの良い登山道だった。

 雌阿寒岳への登り

 登山道からオンネトー湖を望む。

 野中温泉から山頂まで標高差は780mほどだから、2時間半くらいで最高峰の雌阿寒岳山頂(1499m)に着いたはずだ。山頂からの眺めは素晴らしかった。山頂周辺幾つかの火口から噴煙が噴出し、阿寒湖やオンネトー湖、雄阿寒岳の風景が絵葉書のような眺めだった。

 雌阿寒岳山頂

 山頂から阿寒湖方面

 雌阿寒岳火口壁

 雌阿寒岳火口

 下山は緩くて長いダラダラした道を降って、阿寒湖湖畔へ降り立った。下山後はどうしたのだろう?多分バスで弟子屈駅まで行き、そこから鉄道で斜里へ向かい斜里駅からタクシーで斜里岳登山口に建つ清岳荘に宿泊したはずである。その時は昔ながら素朴な山小屋であったが、ネットで現在の清岳荘を見るとモダンな建物に建て替えられていたので、時代の流れを痛感した。

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我家に新車がやって来た。

2017年07月19日 | 日記

 7月19日(水)

 我家の愛車が2回目の車検時期を迎え、使い勝手の良い車なのでまだ乗り続けようと思っていた矢先、魔が差したようにつまらぬ物損事故を起こしてしまった。

 一時は落ち込んで車の運転は止めちゃおうかなとも思ったが、まだ惚けている訳じゃないし?行きたい所もアチコチあるので思い切って新車購入を決意した。我が家の場合、大人二人が車中泊できるコンパクトカーというのがコンセプトなので、買うなら絶対最近売り出しのホンダフリードプラスと決めていた。

 最近の車は、車線維持システムや衝突軽減ブレーキ等安全技術の進歩には目覚ましいものがある。ケチで貧乏性の私だが、事故の教訓で安全面の装備だけはケチらない事にした。

 そして一昨日我が家にピカピカのホンダフリードスパイクがやって来た。さて何処へ行こうか。車内のレイアウトはどうするかと、夢と希望が膨らんでくる。新車に乗るといつも「絶対傷つけないで大事に使おう。」と思うのだが、その通りになった例が無い。でも今度こそ「絶対キズ一つつけないからネ。」と堅く誓う私であった。

 納車されたホンダフリードプラス

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奥秩父、雲取山登山(2日目)

2017年07月17日 | 山歩き

 7月15日(土)     天気=晴れ

 

05:48雲取山荘→ 06:12~38雲取山→ 07:10奥多摩小屋→ 07:46~08:06七ツ石山→08:17七ツ石小屋08:43~49堂所→ 09:43登山口(車道出合)→ 10:04鴨沢バス停

 

 疲れていたのか朝の4時半頃までグッスリ熟睡し、爽やかな朝を迎えた。具の無いラーメンと漬物だけの質素な朝食を終え、朝6時前にテント場を出発する。山荘から雲取山まではコースタイム30分程の登りで、昨夕の雨で登山道の所々で水溜りができている。

 朝の雲取山荘

 雲取山への登山道

 樹林帯の中を25分程登ると突然展望が開き、そこが雲取山(2017m)の山頂で、5~6名の登山者が思い思いに憩っていた。今年の西暦年と雲取山の標高が同じ2017だと、山頂に建つ記念の標柱を見て初めて気がついた。今日登っておいて良い記念になった。

 山頂の西暦2017年記念の標柱

 雲取山一帯は殆ど樹林に覆われているが、山頂部だけは素晴らしい展望で、富士山や奥秩父の高峰、南アルプス等が望まれる。今朝は強烈な陽射しで標高2千mに居ても暑さを感じる。下界ではどれだけ暑いのか想像すると降りるのが嫌になる。

 山頂の立派な石柱標識

 山頂から富士山方面

 山頂から西の飛龍山方面

 展望を楽しみながらのコーヒーブレイクを終え、山頂を後に石尾根を降って行く。七ツ石山の手前ブナ坂までは、緩やかな起伏の尾根で展望もあり快適な道だ。途中の奥多摩小屋辺りでは2張り程テントが残っていた。ここのテント場展望は良いが、水場が離れているのと小屋のサービスが雲取山荘より悪いのが難点だ。

 山頂直下の下山路

 七ツ石山に続く石尾根

 町営奥多摩小屋

 ブナ坂から急な坂を一登りし、七ツ石山(1757m)の山頂に着いた。ここにも雲取山と同じ形の立派な山頂標識が新たに建っており流石金満の東京都、これは外添前知事の功績かな。振り返ると雲取山が随分遠くに見える。

 ブナ坂手前

 七ツ石山山頂

山頂から雲取山方面

 誰も居ない山頂で20分程休憩の後、七ツ石小屋に向かって下山を開始する。けっこう急な降りをしばらく降ると凄烈な水場があり、その下に七ツ石小屋だった。古い建物だが整頓されて雰囲気は良さそうだ。

 石尾根縦走路から七ツ石小屋へ向かう分岐

 七ツ石小屋

 小屋から更に急な尾根を降って行くと、やがてブナ坂からの巻き道と合流した。そこから先は緩やかな尾根の降りで街道と見紛う程の快適な道だ。今日から三連休のせいか次から次と登る人の列が絶えない。堂所を過ぎた辺りで、以前職場で一緒だったT氏と突然遭遇してビックリした。名前が一瞬思い出せずお互い名乗りあって偶然の再会を喜び合う。

 ブナ坂からの巻き道(左側)との合流地点

 江戸時代の街道みたいに立派な登山道

 T氏と別れ登山口近くまで降っても登山者の列は絶えない。今宵の山小屋は大変な混雑となるだろう。車道と合流する登山口に着くと路肩は車で一杯だ。登山口近くの町営駐車場は既に満杯、今日から三日間奥秩父分水嶺トレイル大会が開催されるので、それも混雑に拍車を掛けているのだろう。

 登山口(車道合流地点)

 満杯の町営駐車場

 マイカーの無い私は更に登山道を20分程歩き炎天下の鴨沢バス停に到着した。タイミングよくすぐに奥多摩駅行のバスが来たので乗車してお昼前に奥多摩駅に到着し、早速ビール注文し一人祝杯をあげる。今回の三峰神社~雲取山~鴨沢コースは何度も通って馴染んでいるが、春夏秋冬いつ歩いてもも山歩きの楽しさが堪能できる星三つの素晴らしいトレイルコースだ。

 鴨沢バス停に到着

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奥秩父、雲取山登山(1日目)

2017年07月16日 | 山歩き

7月14日(金)    天気=曇り後雨

 

10:40三峰神社バス停→ 11:54~12:05霧藻ヶ峰→12:13お清平→ 12:56前白岩山→ 13:11~24白岩小屋→ 13:40~49白岩山→ 14:18~20大ダワ→ 14:35雲取山荘(テント場)

 

 最近スッキリしない天気で山へ行きそびれていたが、猛暑続きに嫌気が差し東京都の最高峰、雲取山を目指した。三峰神社側からだと平日始発のバスは西武秩父駅を09:10に出発する。標高1060mの三峰神社バス停には10:30到着した。

 三峰神社バス停

 準備を済ませて10:40バス停を出発する。階段を一登りしてビジターセンターに出て、そこから石畳の気持ちの良い緩やかな道を進む。やがて大きな鳥居に着き、そこに登山計画書のボックスが置かれていた。

 石畳の登山道

 登山計画書ボックスのある鳥居

 鳥居の先から登山道らしくなるが緩やかで心地よい道が続く。しばらく行くと三峰奥ノ院に向かう道が左に分岐するが、尚も緩やかな道を直進し、平坦な炭焼き平を越え、急坂を登りつめると休憩所が在る霧藻ヶ峰ピーク(1523m)だった。ジュースでも買いたかったが、ここの売店は週末しか営業していないようだ。ピークからは西の和名倉山方面に一部展望はあるが、雲が多くて和名倉山は見えない。それより時折雷鳴が遠くに聞こえ雨がパラッと降ったりするので、雲取山荘に着くまで雨に濡れないだろうかと気が急いてくる。

 三峰奥ノ院への道が左に分岐する。

 霧藻ケ峰の休憩所

 霧藻ケ峰から和名倉山方面

 霧藻ヶ峰からお清平へ降り、その先から前白岩山に向かって長い登りが続く。お清平の先から白岩山までの区間が今日のコースの頑張りどころだ。前白岩山(1776m)は展望は無いが、平坦で休憩したくなる気持ちの良いピークだ。前白岩山から痩せた岩稜の道を幾度かアップダウンして白岩小屋に着く。

 前白岩山山頂

 木の根の多い白岩山への登山道

 小屋は無人で荒廃しており、此処に泊ろうという気にはならない。小屋の前のベンチで充分に水分補給して、いよいよ白岩山の登りに掛かる。急な登りだが差して長く続かず白岩山(1921m)山頂に着いた。

 白岩小屋

 この山頂も平坦で気持ちの良い場所だが、本降りの雨が降ってきたので、慌ただしく雨支度をして出発する。この先は芋ノ木ドッケの山腹を巻いて大ダワに向かって緩やかに降る道なので、足取りも軽くなる。

 白岩山山頂

 芋ノ木ドッケを巻く大ドッケへの道

 左折する長沢背稜に向かう道を過ぎると、芋ノ木ドッケと雲取山の鞍部大ダワに着く。ここから大雲取谷を降り日原へ向かう道が左に分岐するが、現在通行止めとなっているようだ。

 大ダワ

 大ダワから雲山荘まではそんなに遠くないので脚を速める。15分程の登りで今宵の泊り場「雲取山荘」に到着した。雷鳴の音がだんだん頻繁になってきたので、慌ただしくテントを設営する。

 雲取山荘

 山荘は水が豊富でトイレも綺麗、とても快適なテント場だ。それに都会の猛暑が嘘のように涼しくて言う事無し、一息入れた後のビールが実に美味く{クゥ~}これがやりたかったんだなあと思う。

 テント設営完了

 夕食を終えソロソロ寝る準備でもと思った18時頃、至近距離の落雷と共に凄まじい土砂降り雨となった。しかしこの雨は実に潔い雨で1時間後にはピタリと止んだ。夜中天の川でも見えるかと思って外へ出たが、月明かりが強くて大した星空では無かった。

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雲取山登山

2017年07月14日 | 山歩き
7月14日(金)

三峰神社バス停1040→1435雲取山荘

このところの暑さうんざりしたせいもあるが、涼しい山に行きたくなり、雲取山に向かった。
陽が差したり雨が降ったり雷が鳴ったりと変な天気だったが、雨に濡れぬうちに雲取山荘のテント場に着いた。
テントの設営を終えると冷たいビールをグイっと飲む。さすがに標高1800mは涼しくて今夜はぐっすり眠れそうだ。明日雲取山を越えて奥多摩湖の方へ降りる予定です。
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安田祥子・由紀さおり姉妹の美しい歌声

2017年07月12日 | 日記

 7月12日(水)

 NHKの歌謡番組「ゴゴうた」に由紀さおり・安田祥子の姉妹が出演していた。彼女達が長らく続けている童謡コンサートを、随分前に新宿文化センタ―まで聴きに行った事がある。

 ピアノ伴奏だけのシンプルな舞台設備で、懐かしい童謡の数々を瑞々しいハーモニーで歌い上げ素晴らしいコンサートだった。アンコールが終わり余韻に浸りつつ退場する観客達を、先程歌い終えたばかりのお二人が出口でお見送りする姿に随分好印象を覚えたものである。

 あれから20年くらいの歳月が過ぎたけれど今テレビで聴く彼女達の歌声はちっとも変っておらず、相変わらず美しいハーモニーであった。ネットで検索すると由紀さおりさんが68歳、安田祥子さんが75歳となっている。天性の歌声は年齢を凌駕するものであろうか、プロシンガーの凄さというのを見せつけられた思いがする。

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我家から、サンフランシスコまで9240㎞

2017年07月10日 | 日記

 7月10日(月)

 昨日 I さんが我家を訪れ、あと一箇月余に迫ったアメリカツアーの計画を進めた。 I さん曰く「今日の目標はツアールートの要所々々に設定したポイントを、二人が持っているGPSに入力する。」との事。

 パソコンを使って行うこの作業、口で言えば簡単だがけっこう大変だった。・・・。まずグーグルアース上にポイントを設定する。それをカシミール地図ソフト上にコピする。コピーしたカシミール地図ソフトのポイントをGPSに入力する。・・・

 という作業行程だがそのやり方は I さんしか判らず、私は脇で大人しく見守るのみ、殆どの作業は I さんがパソコンと格闘しつつ半日がかりで作業を完了させた。

 私のGPSには日本地図ソフトしか搭載されておらず、外国を表示する事が今まで出来なかった。しかしカシミール地図ソフトを入力した結果、アメリカ西海岸の姿が薄らと浮かび上がった。

 ディスプレーに映るSF-21の記号はサンフランシスコのゴールデンゲート(金門橋)で、GPSによるとその距離は我家から約9.240kmとなっている。

 以前私が日本縦断ウォーキングをやった時、一日平均30キロを歩いていたので、もし太平洋に道が在ると仮定して歩いたら約10カ月で到達できる事になる。何だ意外と近いじゃないか。だんだんアメリカ大陸が現実味を帯びてきた。

 GIPに表示されたSF21ポイント

 グーグルアースのSF21ポイント

 

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ヨセミテ観光等のルート図を作ってみたが。

2017年07月08日 | 日記

 7月8日(土)

 8月のアメリカ皆既日食ツアーまであと40日、だんだん出発日が迫ってきた。先日旅のリーダーIさんから「Fさんサンフランシスコからキングスキャニオン~ヨセミテ~サンフランシスコのルートを調べておいてよ。」と課題を出されチンプンカンプンの横文字に苦労しながらネットのグーグルマップを利用して概略のルート図を作成した。

 想像し難い異国の地だが、今はグーグルアース何て便利なものがありネット上でバーチャルのドライブ体験ができ、これが随分役立った。そして完成したのが下記の概略図で、トータル走行距離は約550~560マイル(キロ換算で900キロ)になる。

 日本で言えば東京から九州までの距離にあたるであろうか。これでカリフォルニアルニア州の一部分に過ぎないのだからアメリカと言う国は実に広いと実感させられる。実際に運転したらどんな感じになるのかワクワクするより不安の方が大きい。

 明日はIさんが我家を訪れて私の作ったルート図を見てもらうのだが、「こんなの役に立たないよ。」と言われそうな気がして試験の結果を待つ劣等生みたいな気分だ。

 概略ルート図

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白馬村のペンションから届いた寂しい便り

2017年07月07日 | 日記

 7月7日(金)

 信州白馬村にあるペンション「ヴィヴァルディ」からハガキが届いた。このペンションは栂池スキー場と岩岳スキー場の中間地点に在り、スキー客がよく利用する宿で、我々夫婦も年に一度は訪れている。私より幾分高齢のご夫婦が経営し、親しみ易い人柄と地産地消の料理が美味しい小じんまりとしたアットホームな雰囲気の宿である。

 ハガキの内容は「・・・8月23日をもってペンション経営を卒業する事になりました。・・・今後はもう少し雪の少ない地で、第3の人生を夫婦で歩んでいきます。・・・ペンションにつきましては新しく若い夫婦が・・そのまま継いで営業してくれますので、・・・長い間本当にありがとうございました。・・・」と書かれていた。

 リピーターが多かったから宿の経営そのものは問題なかったろうが、豪雪地帯で宿泊施設を営むのは体力気力とも充実していなければ困難で、年齢的にも限界を感じられたのかも知れない。

 現在、信州に限らず日本のスキー場は何処も大勢の外国人スキーヤーを受け入れて利益を維持しているが、あまり商売っ気の無いオーナーは「雰囲気が変わってしまうので、ウチは外国人客をお断りしてるんですよ。」と話していたのが記憶に残っている。そんな心配りのある優しいご夫婦に、もう会えないのかと思うとそこはかと無く寂しい。

 ペンジョン、ヴィヴァルディ(今年2月14日訪れた時)

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日本三百名山回顧№9、北海道日高、幌尻岳(百名山)

2017年07月05日 | 三百名山回顧

 平成5年8月8日~10日  

 

額平川登山口ゲート→ 幌尻山荘→ 戸蔦別岳→ 幌尻岳→ 額平川登山口ゲート

 

 数ある北海道の山の中でも、幌尻岳は最も登りたい憧れの山であった。平成4年の夏、初めて訪れた時は大雨の為、登るどころか幌尻山荘から退却した。翌年の夏、リベンジの思いを秘めて幌尻岳へ向かった。

 この時のメンバーがS子さん。A子さん、O子さんと当時所属する山岳会の会長だったHさんと我々夫婦の計6名、登山前夜は苫小牧市の居酒屋で登頂成功の前祝をした。

 初日の朝、日高本線、豊川駅に到着(現在日高本線は列車が走っていない。)

 今回は大変天気に恵まれて、前年に比べ額平川も水量が少なくて、清流の冷たさが心地よい程だった。労せずして初日の宿の幌尻山荘に着いた。当時は百名山ブーム以前の良き時代だったので山荘もそれ程混んでおらず快適な一夜だった。

 額平川の遡行

 同 上

 幌尻山荘の夕餉

 翌二日目、陽の明けやらぬ未明に出発する。日高の山は概ね沢を遡行して尾根を急登するコースが多いが、戸蔦別岳への道もその例に洩れず六の沢を遡行し標高差900mの尾根を急登する。

 六ノ沢を登る。

 急登の辛い登りに耐え稜線に達すると日高の山並みが一気に拡がる。戸蔦別岳(1959m)山頂からの展望は素晴らしく幌尻岳やカウイエクウチカウシや1839m峰等日高の雄峰が見渡せる。

 戸蔦別岳山頂

 山頂から南の展望(カムイエクウチカウシや1839m峰が望まれる)

 山頂から北の展望(北戸蔦別岳やピパイロ岳が望まれる)

 山頂から幌尻岳(左下が七ツ沼カール)

 戸蔦別岳から幌尻岳を繋ぐ稜線は痩せ尾根で東面には神秘的な七ツ沼カールが在り、Hさんと私の男二人は七ツ沼カール経由で幌尻岳に向かう。痩せ尾根を登ってようやく永年の憧れだった幌尻岳(2052m)に到着、当時の幌尻岳は登る人もそれ程おらず静かでたおやかな山頂であった。

 七ツ沼カール

 幌尻岳へ向かう痩せ尾根

 痩せ尾根から戸蔦別岳を振り返る。

 幌尻岳山頂

 山頂を後にすると広大な北カールの縁を伝う尾根道を降って幌尻山荘へ戻った。その夜は幌尻山荘に泊り、登頂できた喜びに夕食時皆で山の歌を歌って周囲のひんしゅくをかった事を微かに覚えている。(当時の登山者は晩餐の時、やたら山の歌を歌っていたのだ。)

 幌尻山荘へと尾根道を降る。

 素晴らしい天気の下、憧れの山に登れて、私にとっては忘れ難い貴重な想い出の一つである。この時一緒に登った仲間のうち、HさんとS子さんは天国へ召されてこの世にはいない。もし今も存命しておられたら沢山の山を共に歩けただろうに、ちょっと切ない思いが募る。

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