Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

御嶽山噴火遭難事故から早や9年

2023年09月29日 | 日記

 9月27日(水)

 63名もの死者行方不明者が出た、御嶽山噴火遭難事故から早や9年の歳月が流れた。あの日の事は今でもはっきり覚えている。前日私は新潟県の焼山を登る為、笹ヶ峰高原に在る登山口駐車場で車中泊をしていた。

 その時カーラジオのニュース速報で、御嶽山が噴火して多くの死傷者が発生したとアナウンサーの緊迫した声が流れた。明日登る予定の焼山は御嶽山と同じ活火山で、過去に噴火で死傷者も出た山で、これは他人事では無いと思った。

 翌日火打山を越えて焼山の頂上に立った時、新潟の頂から、遠く木曽の御嶽山から立ち昇る噴煙の存在を確認する事ができた。それは何とも言えぬ衝撃的な眺めであった。

 これ程大規模な遭難事故となったのは、「火山警報が不適切」とか「避難施設が不十分だった」などいろいろ取沙汰されているが、私には「人間が御嶽山を、誰でも簡単に日帰り登山できる低山ハイクレベルの山に変えてしまった」という事が、多くの犠牲者が出た最大原因と思えるのです。

 普通なら標高3千mを超える高峰に、誰でも簡単に登れるものではありません。しかし御嶽山では麓から中腹に架かるゴンドラや観光道路を利用すれば、数時間歩いて山頂でランチを食べる事が可能です。そんな日帰りハイクで登れる山で大勢の人と一緒に居れば、まさか我が身に死の危険が迫っているなどとは誰が思うでしょう。その虚を突いて御嶽山が噴火し、多くの死傷者が出たのです。

 私はゴンドラや観光道路が悪いとか、利用するなと言うつもりはありません。文明の利器があるからこそ、より多くの人が山の自然や美しさを楽しめて、私もその恩恵を浴する一人なのですから。

 山は神の宿る場所・・と言っては大袈裟かもしれませんが、我々の普段の生活から離れた非日常の領域です。例えどんな山であろうと、山に対する怖れと自分の命は自分で護るという強い覚悟を持って登らねばと思います。

 それができない人は山へなんぞ登らずに、里から眺めるか映像の世界で眺めて満足するに留める事をお勧めします。

昭和58年1月の厳冬期、単独で御嶽山に登った。誰も居ない凍てつく山頂は朝日に輝き、正に神の宿る領域でした。

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大田仁史氏の「団塊と介護」という本を読んで

2023年09月27日 | 読書

  先日図書館で、「団塊と介護」というタイトルの本を見つけた。「介護崩壊が団塊世代に襲いかかる」というのが副題で、正しく自分がその世代なので興味を惹かれ借りて読んでみた。

 著者はリハビリ医療のパイオニアである茨城県立医療大学名誉教授の太田仁史先生です。序文の中で先生は「団塊世代が80歳を超える2030年代に、日本は歴史上例を見ない超高齢社会を迎え、様々困難な問題が噴出するだろう。そしてそれを如何にすれば克服できるのか」などと警鐘を鳴らしている。

 我が身に起きる近未来の出来事として興味深く読み終えたが、本文の中に印象に残った文言が幾つかあったので下記に抜粋してみます。

①介護予防の二つの線(1守るも攻めるもこの一線、2越えねばならぬこの一線)

1守るも攻めるもこの一線

 守るも攻めるもこの一線とは、「寝ている」と「座っている」の間の線である。人間の基本姿勢は「立っている」「膝立ちしている」「座っている」「寝ている」の4種類ある。何故「座っている」と「寝ている」の間に線が在るかと言うと、両者の違いは骨盤が立っているか横になっているかです。

 実は骨盤が立っているか否かは人間の尊厳に大きく関わってくる。具体的に言えば自力でトイレに行けるか否かの違いです。座る事ができれば車椅子を利用してでも自力でトイレへ行き排泄行為ができます。

 しかし骨盤を立てる事ができなければ自分で排泄行為はできず、オムツや便器などを使用して他人様のお世話になるしか道はありません。この自力でトイレをできない事が、人間の尊厳を深く傷つけるのです。

2越えねばならぬこの一線

 越えねばならぬこの一線とは、家に籠るか外出するかの間の線です。外出して人と接する事が大切で、特に高齢者は家に籠ると「閉じ籠り症候群」と言って、どこも悪い訳では無くても次第に体力気力が落ちて、寝たきりや認知症になりやすいのです。

 外出して家族以外の人と接し会話を交わせば、脳に刺激を与えて認知症にもなりにくいと言われています。たとえ車椅子でも積極的に外出する事が大事なのです。

②健康長寿の為の「健康十訓」

1小肉多菜=肉(コレステロール)を少なめ、野菜を多く摂る。

2小塩多酢=塩分を控えめにして、アルカリ性食品である酢を多めに(高血圧の予防)

3小糖多果=甘いものは控え、摂るなら果実を。

4小食多咀=よく噛んで食べ少ない量でも満腹感を得る。

5小衣多浴=薄着を心掛け日光浴をしよう。お風呂によく入って清潔を心掛ける。

6小車多歩=車に乗るのはほどほどに、よく歩く事。

7小煩多眠=煩わしい事を減らしてストレスを少なくする。そしてよく眠る。

8小憤多笑=怒ってばかりでは身も心も擦り減る。逆によく笑えば免疫力が高まる。

9小欲多施=欲はほどほどに、ボランティアなど他人の為に活動すれば気持ちも豊かになる。

10小言多行=理屈ばかり言わないで、実行を心掛ける。

補足、節酒禁煙=煙草は吸わない。お酒は控えめに。

 健康長寿の為に何かの参考になればと思い書いてみましたが、団塊世代の方々健康十訓の幾つを実行できていますか?生涯現役ピンピンコロリであの世へ逝ければ、高齢者にとって無上の幸せと言えるでしょう。

    ・・「団塊の、最後の願いはピンコロリ」・・

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秋晴れのお彼岸、青梅市の宗建寺まで墓参り

2023年09月25日 | お出掛け

 9月24日(日)

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、今日は今までの暑さが嘘の日涼しい秋晴れとなった。絶好の墓参日和なので、妻の実家のお墓がある青梅市の宗建寺までドライブがてら車を走らせた。

 11時頃青梅市に着いたので、墓参りの前に昼食を済ませる事にした。今までは墓参りの都度、奥多摩の御嶽駅近くにあった和食店「いもうと屋」でお昼を食べていたが、このお店が数年前に閉店した為、ここ数年は梅の名所、青梅吉野梅郷に在る甘味処「紅梅苑」でお昼を食べている。

紅梅苑近くにある神代橋から望む多摩川と奥多摩の山々

橋の袂に在った中曾根康弘元総理の石碑「澄める空あり雁渡る」と書かれているようだ。

 紅梅苑は「平家物語」などで有名な作家の吉川英治が愛したという老舗の和菓子店で、喫茶スペースも在り店内で食事ができる。メニューは和菓子のスイーツ中心だが、ランチタイムに「栗おこわ御膳」というご飯もの定食が唯一あって、これが実に美味いのです。

甘味処「紅梅苑」

紅梅苑の栗おこわ御膳(¥1700円也、梅酒が付くと+200円)

 昼食を終えた後途中でお花とお線香を買って、青梅市内に在る宗建寺へ向かう。お彼岸とあってお寺の駐車場はほぼ満車で、境内にはお線香の煙と臭いが漂っています。

青梅市、宗建寺本堂

墓所入口で参拝者を迎える六地蔵

 誰かがお参りしてくれたのか、実家のお墓は既に綺麗に掃除され、お花が供えられていました。持参した花を供えて両手を合わせ、あの世で待つご先祖様の御霊に、「もう少しこの世で奮闘努力したいので、どうかお守りください」とお願いした。願いが通じるか否かは神様だけがご存じだが、お参りを済ませた事で心の中が少しばかり晴れ渡りました。

 余談ですが、宗建寺は青梅七福神の一寺でご本尊は毘沙門天様、墓地には江戸時代に俊足の義賊として知られた「裏宿の七兵衛」が葬られています。足が速かった七兵衛さんを拝むと足腰が丈夫になると言われがあり、マラソンや登山で頑張りたい人は、お参りするとご利益がある・・・かも知れません。

 

        ・・「秋風が誘い青梅へ墓参り」・・

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日本三百名山回顧№120長野・富山県境、鹿島槍ヶ岳(百名山)

2023年09月23日 | 三百名山回顧

 信州安曇野の西側に屏風のように連なる後立山連峰の中で、一際目立つ優美な山が鹿島槍ヶ岳です。吊り尾根を挟んで南峰と北峰二つのピークが並び立つ双耳峰で、その美しい山容は後立山連峰の盟主と言うべき存在です。

 そんな鹿島槍ヶ岳を最初に登ったのは昭和52年の夏、白馬岳から後立山連峰を縦走した時に山頂を踏みました。2回目は昭和54年9月末に後立山連峰の唐松岳から針ノ木岳まで縦走した時で、アルバムにその時の写真が幾つか残されていました。

昭和54年9月28日(金)~30日(土)

唐松岳~五竜岳~鹿島槍ヶ岳~針ノ木岳

鹿島槍ヶ岳北側直下の難所八峰キレット

鹿島槍ヶ岳山頂

鹿島槍ヶ岳から冷池小屋に向かう尾根

 

 3回目は昭和60年5月の連休に岳友F君と二人で残雪の五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳を縦走しました。これも私の山歴の中で、想い出多き忘れ難い山行でした。その時の記録が当時所属していた山岳会の古い会報に載っていたので、鹿島槍ヶ岳の部分を抜粋して下記に転載してみます。

昭和60年5月3日(金)~5日(日)

五竜岳~鹿島槍ヶ岳~爺ヶ岳       参加者 Y・F、 H・F 男2名

 ・・五竜岳から、稼いだ高度を勿体ないほど落としながら小さいピークを次々と越えて行く。途中で人見知りしない雷鳥たちが絶好の被写体となって、単調な歩みの我々を楽しませてくれる。

 キレット小屋で再びアイゼンを装着し、「さあ、これから難関の八峰キレットだ」と心を引き締める。キレットへの降りはシュルントの裂け目に落ちそうで、登りは嫌らしいトラーバス、固定ロープが無ければザイルのお世話になるところだ。

 反対から来た大学生パーティがザイル操作にもたついたお陰で、中々前へ進めない。夏のキレットは話ほど大した事無いが、雪が付くとさすがに厳しい。

 キレットを抜け、いよいよ鹿島槍への登りだ。重荷に喘ぐ我が身に「これが最後だ」と言い聞かせながら、やっとの思いで吊り尾根のコルに着いた。北峰を空身でピストンし、南峰に着くとたくさんの登山者が思い思いに周囲の景色を楽しんでいた。

 我々も今までの疲れと緊張を解きほぐしながら、歩いて来た五竜岳からの尾根を安堵の思いで眺める。正月以来の雪山で随分心配もしたが、やっぱり来て良かったなあとつくづく思う。

鹿島槍ヶ岳から爺ヶ岳方面

 その晩、冷池のテント場で大きな満月に照らされて寝たのだが、翌朝目覚めて空を見ると三日月になっている。しばらくキツネにつままれた思いでいると、「月食だ」と言うF君の声で原因が分かった。

冷池テント場から鹿島槍ヶ岳

 な~んだとも思ったが、これも今まで頑張った我々に対する天のささやかなプレゼントかなと柄にもない気分になった。「月食と鹿島槍」これも山行の忘れられない思い出となるだろう。

 あれから40年以上の歳月が過ぎましたが、F君とは今でも古き良き山友です。

 

 

 4回目は平成7年8月に山仲間のF子さんと我々夫婦の三人で、テントを背負い鹿島槍ヶ岳から五竜岳~唐松岳まで縦走しました。今より随分若かったとは言え、キレットなど危険な岩場の多いコースを思い幕営装備を背負ってよく歩いたなあと思います。

平成7年8月11日(金)~13日(日)

鹿島槍ヶ岳~五竜岳~唐松岳

鹿島槍ヶ岳南峰から爺ヶ岳方面

鹿島槍ヶ岳山頂

山頂から五竜岳方面

北峰直下の北壁とカクネ里の雪渓

難所、八峰キレットの通過

 

 最後となる5回目は、平成17年5月に単独爺ヶ岳を経由して鹿島槍ヶ岳を登りました。この時の山行記録が古いホームページに載っていたので、下記に転載してみます。

5月22日(日) 天気:曇り後雨

05:53柏原新道登山口→06:47南尾根分岐→08:50~09:09南尾根JP→10:10~10:30爺ケ岳南峰→11:20赤岩尾根分岐→11:32冷池山荘

 前夜は扇沢の駐車場で車中泊し、AM6時柏原新道登山口より歩き始める。「午後から雨」の天気予報にあまり気分が乗らない。途中から夏道を離れ尾根筋の道に入る。笹や枝の煩い歩き辛い道だ。樹林の中、我慢の急登を続けポッと雪原に出た。
 視界が開け行く手に爺ケ岳の稜線が聳え、背後には安曇野平が見渡せる。緩やかな雪道をしばらく歩き最後に岩屑の道を急登し爺ケ岳南峰に辿り着いた。
 高曇りの空の下、鹿島槍を始めとする後立山の山々が残雪をまとい連なって見える。爺ヶ岳を出発した頃からポツポツ雨が降り出したが、衣服を濡らさぬうちに何とか冷池山荘に到着した。今日はテント泊の予定であったが雨に濡れるのが嫌で小屋泊まりに変更した。

 

5月23日(月) 天気:晴れ後曇り

05:57冷池山荘→06:50~06:59布引山→07:38~08:00鹿島槍ヶ岳→08:26布引山→09:00~09:26冷池山荘→09:40赤岩尾根分岐→10:39~10:48爺ケ岳中央峰→11:04~11:18爺ケ岳南峰→11:58南尾根JP→12:40~12:44 1920m地点→13:44柏原新道登山口

 朝、外へ出ると青空が広がっている。昨日の雨が雪に変ったのか、稜線の山々は真っ白に変貌している。天気予報が悪かっただけに嬉しい誤算です。
 朝食を済ますと慌しく出発。辿る雪道はアイゼンとピッケルが良く効いてまるで冬山気分。周りの景色を楽しみながら登り鹿島槍ヶ岳へ到着、吹く風があまりに寒くて自撮りする事ができない。山頂からは二昔前、F君と歩いた五竜岳の鋭い山容が姿を現し懐かしい。しばらく周囲の眺めを堪能した後往路を下山する。

登山コースから左より布引山、鹿島槍南峰、北峰

登山コースから西に望む立山(左)、剣岳方面(右)

布引山より鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳山頂(南峰)

南峰より望む北峰

山頂より爺ヶ岳方面

下山の道より振り返る布引山

 冷池山荘で荷物を回収し、爺ケ岳経由で扇沢に下山、途中爺ヶ岳の降りで右靴底が剥がれたが、テープで固定してさほど支障はなかった。
 下山後大町温泉の露天風呂で後立山連峰を眺めると、稜線は既に厚い雲の中であった。温泉を出ると池田町に住む山友のF子さん宅を訪ね、久し振り旧交を温めた。その後中央道を経由して帰宅の途についた。

 

 鹿島槍ヶ岳は超健脚で無ければ一日で辿りつけぬ遠い山、今後里から眺める事はあっても山頂を踏む事は無いでしょう。

 

    ・・「双耳の、姿麗し鹿島槍」・・

 

 

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奥日光、千手ヶ原~西ノ湖の森歩き

2023年09月21日 | 山歩き

9月15日(金)  天気=曇り後一時雨

 11:15千手ヶ浜バス停→ 11:20~25千手ヶ浜→ 11:55~12:10西ノ湖→12:30西ノ湖入口バス停

 奥日光の戦場ヶ原には何度も来ているのだが、中禅寺湖西岸の千手ヶ原や西ノ湖はまだ訪れた事は無かった。ホテルのパンフレットで戦場ヶ原の赤沼車庫から中禅寺湖畔の千手ヶ浜まで、低公害バスが運行していると書かれていたので乗ってみる事にした。

 赤沼茶屋隣の駐車場に車を停め、赤沼車庫バス停で確認すると次のバスは10:45発だったので、これに乗る事にした。このバスに乗り合わせたのは、我々以外に年配のご夫婦とインドネシア人らしき娘さんの三人だけだった。

 バスは途中の小田代湿原でご年配のご夫婦を下ろし、狭い山道を約30分走って終点の千手ヶ浜バス停へ着いた。次のバス便まで1時間20分あるのでブラブラ散策する事にした。

 最初にバス停から約300m程東へ歩くと、中禅寺湖畔西端の千手ヶ浜に着く。観光客で賑わう湖畔の東側とは対照的に、千手ヶ浜は自然保護団体の建物がポツンと一軒あるだけで人影の無い静寂の浜辺です。

中禅寺湖の千手ヶ浜(左奥の山は男体山)

 千手ヶ浜からUターンすると、柳沢川の渓流沿いに続く森の小道を西ノ湖へ向かって歩いて行く。この一帯は千手ヶ原と呼ばれる美しい森で、森林浴にはもってこいの実に快適な散歩道です。

森の中の静かな小道

 心配なのは注意の看板が出ていた「熊さん」で、背負った小さなサブザックには水と行動食しか携行していないので、もし本当に遭遇したら「森の中、熊さんに出会った~タララ・・」などとノンキに唄ってなんぞいられません。

熊出没注意!の看板

森の中の巨木

 千手ヶ浜から30分足らずで、柳沢川に掛かる吊り橋に着いた。橋を渡ってしばらく歩くと、森の向こうにヒッソリ佇む西ノ湖が現れた。湖畔には人工物の類は一切無く、奥深い山中の秘境という佇まいです。水不足で干上がっているのか、湖は地図で予想したよりも小さかった。

柳沢川に架かる吊り橋

奥深い山中にヒッソリ佇む西ノ湖

同 上

 西ノ湖から吊り橋まで戻り、そこから白樺林などが点在する静かな林道を15分ほど歩いて西ノ湖入口バス停に着いた。待つ事10数分で赤沼車庫行きバスがやって来て、バスの人となり、午後1時過ぎ赤沼車庫へ戻って来た。

林道沿いの白樺林

西ノ湖入口バス停に到着

赤沼車庫行きバスがやって来た(バス路線の道は一般車通行禁止)

 今日の千手ヶ原での森の小道は、昨日の登山疲れを癒す程よいリハビリになって心地よい一時でした。高い山へ登れなくなったら、自然豊かな森を彷徨い歩くのも悪くないなあと思いました。

 

    ・・「森の道、森林浴で西ノ湖へ」・・

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奥日光の観光巡り

2023年09月18日 | 旅行

  9月15日(金)

 尾瀬の至仏山登山を終えた後、奥日光湯元温泉の休暇村日光湯元で宿泊した。標高1500mの湯元温泉は暑さ知らずの別天地、都会の猛暑が嘘のような涼しさです。白く濁った源泉風呂と美味しい料理で、登山の疲れが癒されました。

 せっかく自然豊かな奥日光までやって来たので、今日は幾つかの観光名所を巡って旅行気分を満喫しました。その概略を、下記の写真でザッと紹介してみたいと思います。

金精トンネル東出口から望む県境尾根の岩壁

日光湯元ビジターセンター(奥日光の自然が紹介されている&カフェコーナーもある)

宿泊した休暇村日光湯元(源泉と料理が美味しい良いホテルです。外国人従業員が多くてビックリした)

湯元温泉の源泉(温泉街の奥まった所に在り、亜硫酸ガスが漂っている)

山影を映す湯ノ湖

湯ノ湖から戦場ヶ原に流れ落ちる落差70mの湯滝(奥日光三名瀑の一つ)

湯ノ湖と中禅寺湖の中間部に広がる戦場ヶ原

戦場ヶ原から中禅寺湖へ流れ落ちる優美な竜頭ノ滝(奥日光三名瀑の一つ)

ご存じ中禅寺湖から落差97mで一気に流れ落ちる華厳ノ滝(奥日光三名瀑最大の滝)

中禅寺湖畔に建つ老舗金谷ホテルのレストランでランチを食べる

ランチメニュー¥2800円也の野菜カレー(旅行の時くらい値段は気にしない・・と妻にく釘を刺される)

 

    ・・「人誘う、出湯と滝の奥日光」・・

 

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尾瀬、至仏山登山(詳細)

2023年09月17日 | 山歩き

9月14日(木)    天気=曇り時々晴れ

06:36鳩待峠→ 07:39原見岩→ 08:16笠ヶ岳分岐→ 08:41~56小至仏山→ 09:41~10:16至仏山→ 11:02~09小至仏山→ 11:48笠ヶ岳分岐→ 11:56悪沢岳→ 12:05笠ヶ岳分岐→ 12:28原見岩→ 13:14鳩待峠

 

 秋雨前線が来る前に、何処か山を登って温泉に入りたい。何て考えで尾瀬の至仏山登山&日光湯元温泉泊りの計画を考えた。前日午後に我が家を出発し、昨夜は関越道、赤城高原サービスエリアで車中泊した。高原だから少しは涼しいだろうと思ったが、意外と暑くて寝苦しい夜を過ごした。

 今朝は早々と尾瀬の玄関口、戸倉に着いて朝6時発の鳩待峠行きシャトルバス第1便に乗る事ができた。久しぶりの鳩待峠には6時半頃着いた。計画書をポストに投函し、此処から至仏山登山の開始です。

尾瀬戸倉第1駐車場の鳩待峠シャトルバス乗り場(片道大人=1000円)

鳩待峠の尾瀬ケ原入口

 秋雨前線の影響か山はスッポリ霧に包まれて、緩やかな樹林帯の道を粛々と登って行く。1時間ほどで尾瀬ヶ原が望めるという原見岩に着いたが、展望は全く無い。

樹林帯の緩やかな道

 原見岩から30分ほどで、森の中に広がるオヤマ沢田代湿原に着く。湿原の周囲は鹿除け防護柵が張り巡らされていた。湿原から僅かな距離で、笠ヶ岳への道が左に分岐していた。

オヤマ沢田代湿原の鹿除け柵入口

笠ヶ岳分岐

 分岐を過ぎると、小至仏山への急登が始まる。嬉しい事に、この頃から霧が薄れて上空に青空が広がってきた。辿り着いた小至仏山(2162m)の山頂は、360度の展望で、流れゆく雲の向こうに至仏山のピークが見えた。 

小至仏山への登り

同 上

小至仏山山頂(奥の山が至仏山)

 小至仏山から一旦鞍部に降って、至仏山へ登りに入る。岩の多い歩き難い道が続く。陽射しも強くなったので、暑さも堪えてきた。小至仏山から45分で、待望の至仏山(2228m)に到着した。

至仏山への登り

山頂間近の道

至仏山山頂

 山頂は多くの登山者で賑わっており、我々も片隅で休憩&ランチタイムとする。山頂からは360度の展望だが、雲海が広がって周囲の山々を隠している。眼下の尾瀬ヶ原やその奥の尾瀬沼は雲の合間にチラリと望む事ができた。

山頂眼下に尾瀬ケ原が広がる

遠く雲の合間に尾瀬沼が小さく見えた

 40分ほど滞在し、山頂を後にする。下山の道も霧に覆われたが、小至仏山を通過する頃には再び晴れ、尾瀬ケ原や燧岳を明瞭に望む事ができた。笠ヶ岳分岐に着いた時、私一人で分岐を右に曲がって悪沢岳(2043m)まで往復したが、何の展望も無い山頂だった。

霧の中の小至仏山

小至仏山山頂付近

小至仏山山頂下の降り

下山の道から笠ヶ岳方面

悪沢岳山頂

 オヤマ沢田代湿原を通過して原見岩まで降ると、今度は尾瀬ケ原の展望を得る事ができた。樹林帯の道を降って午後1時過ぎに鳩待峠へ戻って来た。次のバス便は午後2時だが、ジャンボタクシーが随時運行していたのですぐに乗車する事ができた。

オヤマ沢田代湿原

原見岩から尾瀬ケ原と燧岳

鳩待峠に戻って来た(バス乗り場は100m程下にある)

 午後2時前に戸倉の第1駐車場(駐車料1日=1000円)へ戻って今日の登山を終えた。至仏山へは何度も歩いた道だから、もっと楽勝かと思ったが意外と手強く感じた。それは我々の脚力が衰えたという証でもあるのだろう。

 でもまずまずの好天に恵まれて、心地よい山歩きを楽しむ事ができて満足の一日でした。これから日光湯元へ向かい、源泉風呂で登山の疲れを癒します。

 

    ・・「尾瀬ヶ原、見下ろす至仏雲の上」・・

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突然ですが、尾瀬の至仏山を登ってきました。

2023年09月14日 | 山歩き

9月14日(木)

天気=曇り時々晴れ

0636鳩待峠→0941~1016至仏山→1314鳩待峠

9月に入り山へ行きたい虫が騒ぎ始めたので、久々に尾瀬の至仏山へ出掛けました。

昨夜は関越道の赤城高原SAで車中泊、残暑で寝苦しい一夜を過ごしました。今朝早く尾瀬戸倉の駐車場に着いて、シャトルバスで6時半過ぎ鳩待峠に到着、ここから登山開始です。

秋雨前線の影響なのか今日は雲の多い天気、しかし登るに連れて陽が差し始め3時間かけて至仏山に着いた時には青空が広がった。山頂は雲海の孤島で、合間から尾瀬ヶ原や尾瀬沼も見える。

夏が来なくても思い出していた遥かで遠い空の尾瀬にやって来る事ができて、今日も良い一日でありました。

尚登山の詳細は、後日のブログで紹介したいと思います。

 

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毛呂山町のテニス仲間とバーベキュー

2023年09月13日 | 日記

 9月9日(土)

 毛呂山町のテニス仲間Mさんから、「今度の土曜日に、テニスコートでバーベキューをやりましょう」とLINEが届いた。毛呂山町の仲間達は昔の職場の古い友人達で、皆さん畑をやったりテニスを楽しんだりと悠々自適の年金生活を過ごしている。

 当日朝は台風13号の影響で、生憎小雨が降っていた。最寄りの武州長瀬駅から傘を差してコートへ向かうと、既にテントが張られバーベキューの準備が整っていた。雨に濡れたテニスコートは滑って危険なのでプレイができず、お昼前から早々と祝宴が始まった。

 汗も掻かずに昼間から飲むビールは大して美味く無いなあ・・・何て思いつつ焼き肉をお供にチビチビ飲んでいると、お昼過ぎから雨も上がりコートが乾いてきた。

 その後はテニスをしながら合間にビールと焼き肉を飲み食いする、「酒池肉林」の一時を過ごした。酔っぱらってやるテニスは、気分が大きくなって「アレっ俺ってけっこう上手いじゃん」などと錯覚し、意外とテニスを楽しめる。猛暑の中でやってたら多分具合が悪くなっていたであろうが、幸い今日は涼しい風が吹いている。

 飲酒運転と違い飲酒テニスは違法でないが、酔っぱらったオッサン達が歓声をあげて興じるテニスに、道行く人の中には眉をひそめた方もいたのではないでしょうか。

 だけどあと何年こんな事ができるだろうと思えば、例え嫌われたってやったモン勝ちです。今日はたらふく頂いて、テニス仲間の皆さんお世話になりました。一か月分の肉を一度に食ったから、もう当分肉は食いたくない気分です。

 

・・「ほろ酔いで、テニス気分はジョコビッチ」・・

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山田洋二監督の最新作「こんにちは母さん」は人情味溢れる映画です。

2023年09月11日 | 映画・コンサート

 9月8日(金)

 関東平野に台風13号が近づく今日は朝から雨だったので、暇つぶしに近所の映画館へ出掛けた。観たのは久々の山田洋二監督作品「こんにちは母さん」という映画、御年91歳になる山田洋二監督の遺作になるかも知れぬと少し気に掛かっていたのです。

 映画の舞台は東京下町、母と息子を中心にした家族の物語です。下町向島で足袋職人の息子として生まれた昭夫(大泉洋)は一流企業の人事部長を務めるエリートサラリーマンだが、会社のリストラや妻との離婚問題で悩み多き日々を過ごしている。

 一方母親の福江(吉永小百合)は足袋職人の夫を亡くし、染み慣れた向島の我が家で気ままな一人暮らしに勤しみ、ホームレスを支援するボランティア活動に生きがいを見つけている。そんな母と息子が家族や周囲の人々を巻き込んで繰り広げる、山田洋二監督お得意の笑いと涙の人情物語りです。

 主演の息子役大泉洋さんは、コミカルで気負わぬ演技がとてもはまり役でした。その娘役の永野芽郁さんもキュートでチョット生意気な演技がとても良かったです。

 母親役の吉永小百合さんは60年以上前に上映された映画「キューポラのある町」以来、ずっと見続けてきた素敵な女優さんで、80歳間近になる今も変わらぬ美貌で、小百合オーラは健在です。

 それ故彼女の「下町の母ちゃん」役には、ちょっと違和感があった。下町の向島にあんな綺麗な母ちゃんは居てへんやろー。主演の大泉洋さんも「吉永小百合さんが僕の母は無理がある」と言ってるぐらいです。

 下町の母ちゃん役と言えば「寅さん映画のオバちゃん役だった三崎千恵子さん」か、「家政婦は見たの、市原悦子さん」辺りが適役だが残念ながらお二人共既に故人・・だったら最近老け役似合ってきた倍賞千恵子さん何かでも良かったかも知れません。

 というような不満はあったけれど、山田洋二監督定番の善男善女が繰り広げる人情味溢れる映画は、観る者をいつもホンノリ幸せな気分にしてくれます。山田洋二監督がお元気なら、この映画もシリーズ化して欲しいものです。

    ・・「サユリスト、なって彼此50年」・・

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ラグビー日本代表、稲垣選手の活躍で日本のモテない男達に勇気と希望を

2023年09月09日 | 日記

  最近団体球技スポーツで、日本チームの活躍が目覚ましい。先日も男子バスケットボールワールドカップで日本チームが決勝リーグへ進出し、オリンピックの出場権を獲得した。そして今度はワールドカップラグビーがフランスで開催され、日本チームの活躍が期待されています。

 NHKテレビのスポーツコーナーでも、連日ラグビー日本代表選手の紹介&インタビューが放映されている。その中で先日出演したのは、「笑わない男」として有名な稲垣啓太選手です。いかつい顔で寡黙な男というイメージだったが、女子アナとのインタビューで流暢なトークだったのは意外な一面であった。

 稲垣選手でもう一つびっくりしたというか羨ましかったのが、元ミス日本グランプリで美人モデルの新井貴子さんが奥様だった事です。まさに「美女と野獣」のシチュエーション、「モテる男は顔じゃ無いよ」というのを実証しています。

 「俺はどうせ不細工な男だから女性には縁が無い」などと、諦め境地の諸兄が世の中には五万とおられるのでは・・・そんな人達に稲垣選手夫妻の存在は、チョットした勇気と希望を与えてくれるのではないでしょうか。

 そうなんです。例えイケメンで無くても男を磨いて光るものがあれば、女性は惚れてくれるのです。歯磨き靴磨きのついでに、頑張って男も磨きましょう。男を磨いてモテ男がドンドン増えて行けば日本の婚姻率もアップして、ひいては少子高齢化の抑制にも貢献できるのではと思います。

 そう言えば私も若い時期、山の雪や岩で磨いたから妻と結婚できたような気がします。ブ男仲間の一人として、私もモテない諸兄の皆さんに熱いエールを送ります。男を磨いて日本の未来を明るくしましょう。

稲垣啓太選手と貴子夫人

 

    ・・「ブ男も、磨けば変わるイケメンに」・・

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見知らぬ女性に「立派な脚ね」と褒められる

2023年09月07日 | 日記

 先日、猛暑の中のテニスを終え、近所の和食店「松善」へ遅い昼食を食べに出掛けた。焼魚定食を食べ終えて店の外へ出たところで、私の後から店を出た高齢女性二人連れから「マア立派な脚をしてるわねぇ。」と突然声を掛けられた。

 続いて「何かスポーツでもやってるの?」と聞かれたので、「エエマア、登山やジョギングとか・・」などと応えた。すると女性が「私も昔は山に行ってたんだけど、今は脚が駄目になっちゃってねぇー・・」とにこやかに語った。

 私の人生の中で、赤の他人の女性から声を掛けられた何て経験は滅多に無い。(ネオン街のネーチャン達は別にして)ましてやお褒めの言葉を頂く何てありがたい限りです。

 しかし少々残念なのは声を掛けてくれたのが、私より随分年増のお姉さま方だった事です。これがお互い半世紀ほど昔の出来事ならどれ程嬉しかった事か、これが切っ掛けで恋の花が咲いたかも知れません。

 互いに老齢の身炎天下の長話は身体に悪いので、「褒めてもらって嬉しかったですよ」と締めくくり彼女達と別れたが、年金生活久しい中で他人様に褒めて頂く事など無かったので、私にとってはチョット嬉しい出来事でした。

立派ねと褒められた足

 

     ・・「50年、経てば恋花涸れ果てる」・・

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雲の底に穴が空き、そこから雨が降っている。

2023年09月05日 | 日記

 9月2日(土)

 8月から9月に暦が変わっても、真夏の暑さが続いています。それでも今日は雲が多めで、一頃の猛暑に比べれば凌ぎやすい一日でした。暑さに身体が慣れたという事もあるのでしょうか。

 夕方何気なく外の景色を眺めたら、ちょっとレアな、お天気現象と遭遇しました。北の空に灰色の雲が広がっていて、その雲の底の一箇所から雨がピンポイントで降り注いでいたのです。その様子を例えて言えば、「バケツの底に穴が空き、そこから水が抜け落ちている」というような感じでした。

雲の底から降り注ぐ雨

 その後ネットのお天気情報で雨の降っている場所を確認したら、我が家から約20キロほど離れた埼玉県鴻巣市辺りの上空に、赤い雨雲の塊がありました。 

その時間帯の雨雲レーダー

 この夏の埼玉県は少雨傾向だったので、降り過ぎなければ恵みの雨となるかも知れません。関東地方の水瓶である利根川源流部のダムは、貯水量が減り取水制限の危機に瀕しているようです。この雨雲が利根川源流部まで移動して、雨水を注いでくれないものかと一瞬願いました。

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猛暑の夏、8月の空を彩った雲の様子

2023年09月03日 | 日記

 今年の6月~8月にかけては、日本の観測史上最も気温が高かったそうです。偏西風の蛇行により、暖かい太平洋高気圧の張り出しがいつもより長引いた事や、周辺海域の海水温が高かった事が原因と気象庁は発表していますが、地球温暖化の影響もあるのでしょう。

 私が住む埼玉でも今年の8月は晴れの日が多く、毎日午後になると上昇気流により入道雲が高々と湧きあがる。そんな天気が多かったような気がします。

 時には大雨を降らせ災害をもたらす入道雲ですが、夏の風物詩としてダイナミックな風景を我々に見せてくれます。そんな雲の様子を幾つか写真に撮ったので、チョット紹介してみたいと思います。

8月6日、午後の入道雲

8月9日、雲底が地上と低く並行する珍しい雲

8月17日、幾つも塔のように立ち昇る入道雲

8月22日、夕日に紅く輝く勇壮な入道雲

8月22日、我が家の真上に入道雲が湧きあがる

8月27日、入道雲の数カ所から雨が降り注ぐ

8月31日、スーパームーンがおぼろ雲で霞む

 

    ・・「夏空に、入道雲が仁王立ち」・・

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日本の水産物、中国へ全面輸出禁止

2023年09月01日 | 日記

 福島第一原発の処理水を海洋放出した事で、中国が「日本産水産物の全面輸入禁止」を発表した。中国は日本の水産物最大の輸出先なので、日本の水産物業界に大きな打撃を与えるであろうとニュースで報じている。

 その中国は、年間約871億円の水産物を日本から輸入していたそうです。一瞬大きな金額と思ったが、冷静に計算すれば日本国民が一人当たり年間800円分を、余分に消費すれば充分チャラにできる金額です。

 だったらその分は、全て国内で消費しようじゃありませんか。美味しくてヘルシーな日本産水産物を、何も中国人に食べさせる必要はありません。相手が輸入禁止ならば、日本も「中国への国産水産物輸出禁止」を発表しましょう。

 日本人が魚介類をだんだん食べなくなったのは、嗜好の変化というより水産物の値段が高くなったせいもあります。私の大好物である「ナマコ」も、私が子供時代には安価で誰でも買える食材だったのに、その後中国辺りが爆買いを始めて価格が一挙に高騰し、今では庶民に手の届かぬ高級食材へと様変わりしてしまった。

 原発事故を防げなかったのは国や東京電力の責任だから、被害を受けた漁師さんや水産物業界への罪を償う責がある。輸出が減少した分の損失は、国が補償するのは当然の事です。

 補償した補助金で水産物の価格を安く抑制できれば、お魚離れしつつある日本人も再び魚介類を食べるようになり、消費量が増えて無理して外国へ輸出しなくてもよくなるのではないでしょうか。ナマコの価格が再び安くなれば、私も気軽に買って食べられる。真に嬉しい限りです。

一袋70g、これで税込み734円もする。

 

 

 

・・「喰わせネー、日本のナマコ中国に」・・

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