Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

垣谷美雨さんの「別れてもいいですか」という小説は熟年夫の必読本

2024年07月20日 | 読書

 ありふれた日常生活の悲喜こもごもを描いた作品で定評のある垣谷美雨さんは、私の大好きな小説家の一人です。彼女が書いた「もう別れてもいいですか」という小説が図書館に在ったので、早速借りて読んでみた。

 小説の主人公原田澄子」は定年間際の夫と暮らす熟年世代の主婦、外面こそ良いけれど、夫の孝男は妻を召使いのようにこき使う思いやりの無いモラハラ男。澄子はそんな夫を心底嫌い別れたいと思うだが、老後の生活不安や狭い世間の噂、夫に対する恐怖心などの難関を前にして中々離婚に踏み出す事ができない。

 そんな澄子を救ってくれたのは、親しい女友達との絆だった。彼女達の友情と支援で澄子は幾多の障害を乗り越えて、めでたくモラハラ夫とオサラバする事ができ、新たな人生に希望の光が見えたのだった。・・という熟年離婚のサクセスストーリーです。

 こんな感じの熟年夫婦、世間にはゴロゴロ転がっていそうです。私が昔居た職場にも、「頭に来たから、女房をぶん殴ってやった」と、自慢げに話すバカな男が居ました。そいつがその後どうなったかは知らないが、間違いなく惨めな老後を彷徨っているでしょう。

 翻って我が家も、超がつく熟年夫婦です。孝男みたいなモラハラ夫に比べたら私は遥かにモラルのある夫という自負はあるのだが、正直なところ妻がどう思っているかは分からない。聞いてみたい気もするが「藪をつついて蛇を出す」では困るし、世の中には知らない方が幸せ・・って事も多々あるので、「知らぬが仏」いる方が良さそうです。

 日本の熟年離婚件数を少しでも減らす為、世の熟年男性にぜひこの本を読んでいただきたいと思います。

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「タクシードライバーぐるぐる日記」という本が面白くて2度読み

2024年03月19日 | 読書

 図書館から借りた「タクシードライバーぐるぐる日記」という本を読み始めたら、アレッこの本以前読んだぞ?と気付いたが、面白いのでそのまま一気に読んでしまった。

 この本は元タクシードライバーだった著者の内田正治氏が、自らの体験に基づいて書かれたタクシー業界の実録本です。タクシードライバーになった事情とは?タクシードライバーにはどんな苦労があるのか?タクシー業界のいろいろな内幕が淡々とした筆先で書かれています。

 そしてタクシーに乗るお客さん達も、「始末に負えない酔っ払い」「強面のヤクザ風」「優しい水商売のおネーサン」「乗り逃げする詐欺師野郎」など様々な人物が登場します。

 経営するお店が倒産して50歳の時タクシードライバーになった内田さんは、15年間タクシーの運転手として働き続け、最後は眼の病気で運転ができなくなった為、タクシードライバーを辞めたという事です。

 この本は彼がタクシードライバーとして実際に体験した様々な出来事が書かれているが、悲喜こもごもの人間ドラマがとても面白くて興味深く読む事ができました。この類の実録本は、「交通誘導員よれよれ日記」「派遣添乗員ヘトヘト日記」「非正規介護職員ヨボヨボ日記」など、いろいろ出版されているようなので、機会があったら読んでみたいものです。

 私も以前1年間ほど「遺跡発掘のアルバイト」を経験した事があるので、「遺跡発掘作業員のホレホレ日記」何て表題で書いてみようかと思ったが、文才が無いから止めときます。

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殺人犯、市橋達也の「逮捕されるまで」という逃亡記を読んで

2024年01月17日 | 読書

  市橋達也という男の名前を覚えておられるだろうか。2007年に英国人女性リンゼイさんを殺害し、長期逃亡を続けた後逮捕された殺人犯人です。

 今は獄中にいる彼が自身の筆で書いた「逮捕されるまで」という本が、図書館の棚にあったので借りて読んでみた。これが実に奇想天外なストーリーで、面白くて一気に読んでしまった。。

 随分昔のテレビで、「逃亡者」という米国発のドラマが放映されていた。主人公の医師リチャード・キンブルが無実の罪に着せられて、逃亡を続けるというドラマです。その緊迫した展開に、毎週ハラハラしながら見ていたものでした。

 市橋達也の「逃亡記」もそれに比類するような内容で、実録であるだけにドラマを上回る迫力と緊迫感があった。彼は逮捕の現場を逃れた後、北は青森から南は沖縄まで各地を転々と彷徨い逃げ回った。四国ではお遍路姿になり、沖縄の離れ小島では自給自足のサバイバル生活で身を隠した。

 大阪の飯場で土方となり逃走資金を調達、そのお金で顔の整形手術を受けたのが仇となり、最後は大阪港のフェリーターミナルから沖縄へ逃亡するところを逮捕され、2年7カ月にも及ぶ長い逃亡生活を終えた。

 緊迫した逃亡の連続に、逮捕間際のシーンでは思わず市橋達也のサイドに立ち、「今逃げなきゃ捕まるぞ」と思わず彼を擁護してしまうほどだった。

 この本を読んで感じたのは、市橋達也という人間の並外れた体力、気力、生活力です。殺人を犯したのだから精神的な問題を抱えていたのでしょうが、もし罪を犯していなければ、彼は一角の人物として人生を歩む資質があったのではと伺えます。

 現在無期懲役囚としては服役している市橋達也ですが、いつの日か出所できる日はあるのだろうか。もし娑婆に出たとしても、彼に陽の当たる人生を送る資格は無い。

 しかし市橋達也の並外れた能力を、刑務所に埋もれさせたままというのも惜しいような気がする。彼が人生の最期に罪を悔いて社会に何がしかの貢献をすれば、被害者や迷惑を掛けた関係者への幾ばくかの償いになるのではないだろうか。

 

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大田仁史氏の「団塊と介護」という本を読んで

2023年09月27日 | 読書

  先日図書館で、「団塊と介護」というタイトルの本を見つけた。「介護崩壊が団塊世代に襲いかかる」というのが副題で、正しく自分がその世代なので興味を惹かれ借りて読んでみた。

 著者はリハビリ医療のパイオニアである茨城県立医療大学名誉教授の太田仁史先生です。序文の中で先生は「団塊世代が80歳を超える2030年代に、日本は歴史上例を見ない超高齢社会を迎え、様々困難な問題が噴出するだろう。そしてそれを如何にすれば克服できるのか」などと警鐘を鳴らしている。

 我が身に起きる近未来の出来事として興味深く読み終えたが、本文の中に印象に残った文言が幾つかあったので下記に抜粋してみます。

①介護予防の二つの線(1守るも攻めるもこの一線、2越えねばならぬこの一線)

1守るも攻めるもこの一線

 守るも攻めるもこの一線とは、「寝ている」と「座っている」の間の線である。人間の基本姿勢は「立っている」「膝立ちしている」「座っている」「寝ている」の4種類ある。何故「座っている」と「寝ている」の間に線が在るかと言うと、両者の違いは骨盤が立っているか横になっているかです。

 実は骨盤が立っているか否かは人間の尊厳に大きく関わってくる。具体的に言えば自力でトイレに行けるか否かの違いです。座る事ができれば車椅子を利用してでも自力でトイレへ行き排泄行為ができます。

 しかし骨盤を立てる事ができなければ自分で排泄行為はできず、オムツや便器などを使用して他人様のお世話になるしか道はありません。この自力でトイレをできない事が、人間の尊厳を深く傷つけるのです。

2越えねばならぬこの一線

 越えねばならぬこの一線とは、家に籠るか外出するかの間の線です。外出して人と接する事が大切で、特に高齢者は家に籠ると「閉じ籠り症候群」と言って、どこも悪い訳では無くても次第に体力気力が落ちて、寝たきりや認知症になりやすいのです。

 外出して家族以外の人と接し会話を交わせば、脳に刺激を与えて認知症にもなりにくいと言われています。たとえ車椅子でも積極的に外出する事が大事なのです。

②健康長寿の為の「健康十訓」

1小肉多菜=肉(コレステロール)を少なめ、野菜を多く摂る。

2小塩多酢=塩分を控えめにして、アルカリ性食品である酢を多めに(高血圧の予防)

3小糖多果=甘いものは控え、摂るなら果実を。

4小食多咀=よく噛んで食べ少ない量でも満腹感を得る。

5小衣多浴=薄着を心掛け日光浴をしよう。お風呂によく入って清潔を心掛ける。

6小車多歩=車に乗るのはほどほどに、よく歩く事。

7小煩多眠=煩わしい事を減らしてストレスを少なくする。そしてよく眠る。

8小憤多笑=怒ってばかりでは身も心も擦り減る。逆によく笑えば免疫力が高まる。

9小欲多施=欲はほどほどに、ボランティアなど他人の為に活動すれば気持ちも豊かになる。

10小言多行=理屈ばかり言わないで、実行を心掛ける。

補足、節酒禁煙=煙草は吸わない。お酒は控えめに。

 健康長寿の為に何かの参考になればと思い書いてみましたが、団塊世代の方々健康十訓の幾つを実行できていますか?生涯現役ピンピンコロリであの世へ逝ければ、高齢者にとって無上の幸せと言えるでしょう。

    ・・「団塊の、最後の願いはピンコロリ」・・

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小野寺史寛さんの「みつばの郵便屋さん」は心温まる小説です。

2022年09月09日 | 読書

 私が第一の趣味とする読書の中で、今一番はまっているのが小野寺史寛さんの小説です。彼の作品の良いところは登場人物の殆どが善良な人々で、優しさと人情満ち溢れたストーリーだから、読み終えて心が温かくなるからです。

 今回図書館で借りて来て読んだ「みつばの郵便屋さん」という本も。彼らしい優しさと人情に満ち溢れた小説でした。物語の主人公は郵便物を配達する郵便局員、25歳の心優しき青年です。郵便局員何て地味な設定だが、そこを小野寺史寛らしい温かくホッコリとした作品に仕立ています。

 郵便局員の「平本秋宏」はどこにでもいるような平凡な青年だが、真面目で優しい人柄が誰にでも好かれている。そんな彼には他人とは違う秘密が一つある。それは彼が、芸能界で誰もが知る超人気タレント「春行」の弟だという事実です。

 兄の栄光に惑わされる事も無く、秋宏は日々地味な郵便配達の仕事に励む。そんな彼といろんな事情を抱えた地域の人々との心触れ合う交流と絆に、読んでいて心が温かくなってきます。

 兄から芸能界への誘いを受けたけれどそれを断った秋宏君、ラスト―シーンになっても相変わらず真面目に郵便局の仕事に励んでいる。配達先のアクシデントで知り合った、三好たまきさんとの小さな恋の炎が実ればいいなあと思いつつ本を読み終えました。

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小野寺史宜さんの「まち」という小説に心温まる。

2022年05月28日 | 読書

 図書館で見つけた小野寺史宜さんの「まち」という小説は、冒頭シーンが尾瀬の山小屋へ荷物を運ぶ歩荷(ボッカ)さんの話だったので、そこに惹かれて読んでみる気になった。

 この本の主人公江藤俊一は、尾瀬の麓、片品村で生まれ育った若者、両親は彼が小学校3年生の時に火事で命を落とし、その後は尾瀬の山小屋へ荷物運ぶ歩荷(ボッカ)として働く祖父の手で育てられる。

 高校を卒業した俊一は、「僕も歩荷をやろうかな」と祖父に打ち明ける。しかし祖父は「駄目だ。この仕事に未来は無い」、そして「俊一は東京に出ろ。東京に出て、他所の世界を知れ。知って人と交われ」と諭される。

 祖父の言葉に東京へ送り出された俊一は、江戸川区荒川河川敷傍のアパートに部屋を借り、コンビニ店や引っ越しのアルバイトなどで生計を立て生きて行く。

187センチの巨漢で力持ち、でも心優しく善良な俊一は、誰からも好かれる好青年だ。職場で理不尽な理由で解雇になった友を救い、アパートでは暴力を振るう元夫から母子家庭の親子を救う。

 「現実の世界にこんなナイスガイ居るわけないだろ」とツッコミたくもあるが、これは小説の中でのお話です。ドラマチックな物語ではないけれど、純朴で他者を思いやる俊一の誠実な生き様に、読み終えて心温まる気持ちになりました。

 作者の小野寺史宜さんは2019年に本屋大賞第2位を受賞した人ですが、こんなほのぼのとした小説を書くんですね。彼の他の作品も読んでみたくなりました。

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林真理子さんの小説「下流の宴」を一気読み

2022年04月15日 | 読書

 林真理子さんはあまり好みの作家では無いが、図書館で彼女の小説「下流の宴」という本が目に止まった。下流階級の私としては表題が気になったので、借りて読んでみたらこれが意外と面白くチョット紹介してみたくなりました。

 物語の主人公、福原由美子は中継管理職の夫と娘(加奈)、息子(翔)の子供二人を持つ専業主婦、彼女は医者の娘というプライドと上流階級への執着から、子供達にはエリートの道を歩んでほしいと教育熱心な母親であった。

 娘の加奈は、有名女子大を卒業して外資系のエリートサラリーマンと結婚し母親の願いに応えたが、息子の翔が頭痛の種だった。上昇志向に背を向けた翔は勉強嫌いで無気力、高校をドロップアウトしてその日暮らしのフリーター生活だった。

 そんな翔がある日突然、珠緒という女性と結婚すると言い出した。珠緒は沖縄から単身上京し、アルバイト生活を送る女性だった。初めて珠緒と会った由美子は、「私の実家は医者で、飲み屋をやってる貴女の家庭と格が違う」と彼女を罵倒する。その言葉を聞いた珠緒は「医者がそんなに偉いんですか。だったら私は医者になります。医大に入ったら翔ちゃんとの仲も認めてくれますね」と啖呵を切る。由美子は「貴女なんか百年かかっても無理でしょうね」とけんもほろろだったのだが・・・

 由美子の言葉に奮い立った珠緒はその後死に物狂いの受験勉強で、2年後に見事地方の国立医大に合格し由美子の鼻を明かしたのだった。しかし無気力な翔は医者の道を目指す珠緒と一緒になるのは無理と、彼女から身を引き実家へ戻ってしまった。

 悪い事は続くもので、幸せな結婚生活を送っていたはずの加奈も、夫が鬱病を患って会社から解雇され三重県の実家へ戻る事になった。義理の親との同居を拒んだ加奈も、夫と別居し自分の実家へ出戻って来た。

 二人の子が戻った我が家で、「娘は子持ちの出戻り、息子はプータロー、あと10年もすれば福原家は下流の家になってしまう」と由美子は嘆き悲しむのだった。

 家柄と学歴だけで人を判断する、主人公の由美子みたいな人間が私は大嫌いだ。もし私が小説の登場人物の一人だとしたら、間違いなく下流の人間と由美子にバカにされてただろう。良識人の仮面の下の高慢ちきで狭量な性格が腹立たしくてならなかった。

 だから珠緒が国立医大に合格して由美子をぎゃふんと言わせた最終章は実に痛快で、物語の大きな見せ場だった。少しだけ心残りだったのは珠緒と別れてしまった翔のその後、彼なりの生きる道を見つけて、実りある人生を送ってほしいと応援したくなった。

 登場人物がそれぞれユニークで波乱万丈でテンポの良いストーリー、イヤー面白くて一気に読んでしまいました。ネットで検索したら、この小説は黒木瞳さん主演で11年前にテレビドラマ化されていたんですね。それを見てたら又違った印象になったかも知れません。

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八幡橙さんの「いつかたどりつく空の下」という小説に心惹かれた

2021年10月19日 | 読書

 新聞、テレビなどで著名人の訃報に接すると、さほど私と違わぬ年齢の方々が次々と亡くなっておられる。そんな報道を見聞するたびに、いよいよ死後の世界が身近になってきたんだなあと実感させられる。

 そんな折、八幡橙さんという女性作家が書いた「いつかたどりつく空の下」という葬儀社の世界を描いた本を読んだ。大変心に沁みいる内容だったので、チョット紹介してみます。

 物語の主人公の睦綾乃(ムツアヤノ)は小さい頃から家族に見放され、生きる価値を見出せぬまま孤独で薄幸の人生を送ってきた。そんな彼女が幾つもの転職を経て、葬儀社で働くようになった。

 尊敬する先輩の民代と一緒に働きながら、綾乃の心に納棺師としての気構えや生き甲斐が少しづつ芽生えてくる。そして先輩の民代が末期ガンに侵されたと偶然知った綾乃は、最後まで一人暮らしの民代に寄り添い彼女の死を看取る。その後綾乃は、民代の後を継ぐように納棺師として一人立ちしていく。

 この本は死者を見送る納棺師として生きる綾乃を心の揺れを通して、生きる意味とは死ぬ事とは何かと読者へ訴えかけてくる。生きる事は荒波を航海するが如く難しいが、悔いなく死ぬ事もこれまた甚だ難しい。

 最終章で、天国の民代から「睦ちゃんは、まだあの世に逝きたいの」と囁かれ、「生きたいよ」とつぶやく綾乃の言葉が、一人気丈に生きようとする彼女の心の叫びのようで深く印象に残った。

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垣谷美雨さんの「うちの父が運転をやめません」という本を読んで高齢者運転を考える

2021年04月29日 | 読書

 垣谷美雨(カキヤミユ)さんは、身近な社会問題を題材にした小説を何冊も発表している私の好きな作家さんの一人です。先日図書館へ出掛けた時、彼女の作品で「うちの父が運転をやめません」という本を見つけたので、さっそく借りて読んでみました。

 2年前に高齢の元高級官僚が、池袋で親子を死亡させる交通事故を起こして高齢者運転が問題になりましたが、これは正に高齢者運転の問題点を提議した社会派小説です

 小説の主人公、猪狩雅志は東京近郊に住む中年サラリーマンで、妻と一人息子の3人暮らしをしている。彼の目下の悩みは、田舎の実家で暮らす高齢の父親が車の運転をやめない事だ。実家は過疎地で公共の交通機関は殆ど無いに等しく、車が無ければ通院や買い物など日常生活に支障をきたすので、止めろとは強く言えない。

 と言ってローンが残るマンション暮らしなので、家族で実家へ引っ越す事もできない。彼の取った最後の決断は、仕事を早期退職して単身で実家の両親と一緒に暮らす事だった。

 実家へ戻っていろいろな紆余曲折はあったけれど、彼は軽トラックでの移動販売で地域の住民に貢献するという新たな仕事に生き甲斐を見出す。そんな息子を見て、父親も車の運転を止める決断をする。・・というハッピーエンドの物語です。

 垣谷ワールド全開で、読み応えある面白い小説でした。読み終わって、これは自分の問題でもあるなと思った。昔に比べれば私の視力や反射神経、状況判断力が衰えているのは薄々気付いている。

 取り返しのつかない交通事故を起こす前に、免許証を返納した方が無難なのは分っちゃいるが、車は行きたい時に行きたい場所へ私を連れて行ってくれる魔法の杖のようなありがたい存在だし、それに運転するのは本当に楽しい。

 まだ大丈夫(実はこれが一番怪しいのだが)と自分じゃ思っているので、今のところ車の止め時は判断がつかない。まだ現役で車を運転中の某先輩を道しるべにして、あの人が止めたら俺も何て考えているのだが。

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「百名山の人深田久弥伝」という本を読んで

2020年10月23日 | 読書

 深田久弥氏と言えば山岳紀行の著者として、我々中高年登山者には馴染みの深い作家です。代表作の「日本百名山」をバイブルと言うか目標として、山を目指す人も多いのではないだろうか。かくいう私も大いに影響を受けたその中の一人で、三百名山登頂もこれが切っ掛けとなったような気がします。

 そんな深田久弥氏の生涯を綴った「百名山の人、深田久弥伝」という本を図書館で見つけた。作者はノンフィクション作家の田澤拓也さんで、読んでみたら中々面白い内容なので、チョットご紹介してみたくなりました。

 深田久弥氏が急逝したのは山梨県の茅ケ岳山中で、昭和46年3月の事だった。この本の第1章はその終焉の場面から始まります。その当時20歳過ぎだった私はちょうど山に興味を抱き始めた頃で、テレビや新聞で彼の死を報じた事は薄っすらと記憶にあります。

 深田久弥氏の山岳紀行に関する本しか読んだ事のない私は、彼の事を「浮世離れした愚直で一本気な山男」とイメージしていた。しかし本に描かれた彼の人生は、中々波乱万丈なものでした。

 献身的な妻の協力を得て作家として順調に歩みながら、愛人問題が発覚して夫婦の仲は修羅場と化す。そんな妻から逃れるように軍へ招集されて中支戦線へと向かう。帰国して終戦後は愛人だった女性を妻とし、戦後の厳しい経済状況の中、念願だったヒマラヤ遠征の夢が叶う。

 そんな荒波のような人生で、終生変わらなかったのは山へ対する強い憧れと思入れだった。そんな一途な思いを書き綴ったのが、山岳紀行として不朽の名作「日本百名山」でした。

 読み終えて、山の魅力に憑りつかれ山に殉じた男、深田久弥という人物のバイタリティー溢れる強靭な生き様が深く心に残りました。

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箒木蓬生さんの長編小説「逃亡」は読み応のある本です。

2020年10月04日 | 読書

 先日の北海道ツアーでは長旅の退屈しのぎに、ぶ厚い長編小説を2冊借りて読んだ。そのうち1冊が箒木蓬生の小説「逃亡」だった。この本は622ページにも及ぶ長編で、最後まで読めるだろうかと危ぶんだが、戦争の真実を掘り下げたスリリングな内容で実に面白く寸暇を惜しんで読んだ。

 時は終戦末期、物語の主人公守田軍曹は占領地「香港」に勤務する優秀な憲兵隊員だったが、日本が敗戦し地元民に憎まれていた憲兵隊員は、収容所送りとなり死刑など重い懲罰を受ける可能性が高かった。

 敵軍から武装解除される日の朝、守田軍曹は思いを同じくする同僚と結託し、憲兵隊の施設を密かに脱出する。それから彼の長い逃亡生活が始まる。身分を偽り何とか日本への帰還を果たし、再び妻や子との慎ましやかだが平穏な生活を得るが、それもつかの間戦犯として警察の追及を受け、家族の元を離れ再び孤独な逃亡者となる。

 長い流浪の末、妻が送ってくれたコートを質屋に持ち込んだ事から足が付き、彼は警察に逮捕される。巣鴨の戦犯刑務所へ送られて、このまま香港へ送還され処刑されるだろうと覚悟を決めた彼は、憲兵勤務の中で犯した自分の罪と向き合う贖罪の日々を過ごす。

 そんなある日、檻の前に米軍兵士らが立ち彼を檻の外へと連れ出す。この後の守田軍曹の運命は如何に、・・・意外な結末はこれから読み人の為に言わない事にしましょう。

 戦犯となった加害者側の立場で戦争の過酷さを描いたこの小説は、国や社会、そして軍隊とは何だったのか、戦争の不条理を読む人に深く考えさせてくれる力作です。

 

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深い絆と夫婦愛を綴った「娘になった妻、のぶ代」という介護の本

2020年07月15日 | 読書

 7月15日(水)

 「今日も雨、いつまで続く梅雨空よ」そんな俳句が浮かんできそうな天気が続いています。晴れマークが出たら山へ行くぞと思いつつも、仕方なく読書三昧の日々を過ごしています。人生の黄昏時なのに、こんなに教養を身につけたって意味ねーんですがね。

 と、どうでもいいような前置きを書いたところで、今回もチョット感動した本があったので、前回のブログに引き続きご紹介したいと思います。それは「娘になった妻、のぶ代」という題名で、著者はタレントの砂川啓介さんです。

 砂川さんの奥さんと言えば「ドラえもんの声」で有名な大山のぶ代さんです。お二人は芸能界のおしどり夫婦として知られていましたが、のぶ代さんが認知症を発症し、それを砂川さんが世間に公表した事で大きな話題となりました。

 この本は砂川さんが認知症の妻のぶ代さんを介護した日々の記録をまとめたものです。読み進んで行くと、認知症の介護が如何に過酷なものであるかヒシヒシと感じ取れます。砂川さん自身も介護に疲れ果て、「一緒に死んでしまいたい」、「何処かへ逃げ出したい」などと赤裸々な言葉で苦悩を綴っています。

 何より一番辛いのは、愛する人の人格が日々壊れていく、その現実に直面しなければならぬ事ではないでしょうか。しかし砂川さんは苦悩しながらも介護の日々の中に小さな希望を見出しながら、献身的に介護を続けるのです。

 そんな厳しい介護のストレスもあったのでしょうか、先年砂川さんは愛妻を残しまま突然お亡くなりになってしまいました。どれ程心残りであったでしょうか。認知症という過酷な運命の中にあっても結ばれた深い絆と夫婦愛、涙無しには読めない本です。ぜひご一読をお勧めします。

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「山小屋ガールの癒されない日々」は、山好きには興味深いエッセイ本です。

2020年07月13日 | 読書

 7月13日(月)

 このところ鬱陶しい雨模様の天気が続きます。アウトドア派を自称する私も外出の機会が無く、インドア派に様変わりして図書館から借りた本で読書三昧の日々を過ごしています。

 最近読んだ中で「山小屋ガールの癒されない日々」という本が、中々面白かったのでご紹介してみます。作者の吉玉サキさんは実際に北アルプスのとある山小屋で10年間働いて、その山小屋生活をドキュメンタリー風に綴ったのがこの本です。

 登山愛好者にとって山小屋は無くてはならぬ存在ですが、私の若い頃の40年ぐらい前の山小屋というのはそりゃ酷い状態でした。「従業員は横柄」「寝床は狭くて汚くて薄っぺらな煎餅布団」「食事は不味くて食堂は混雑する」と、今だったら口コミ評価マイナス100ぐらいになりそうな小屋ばかりでした。

 全部が全部そうだったとは言いませんがそんな状態に嫌気がさして、その頃の私はよほどの事が無い限り山中で一夜を過ごす時は、テント泊か精々避難小屋泊りでした。

 その後、登山界の主流が若者から中高年に移り変わった事が影響したのでしょうか、山小屋もそれに対応すべく近年は驚くほどサービス環境が向上しました。(宿泊費も高騰したが)今じゃヘタな人里の旅館やホテルより、山小屋の方がよほど快適だと言う人が増えました。(室内は綺麗になり食事は美味で布団も軽くて暖かい)

 厳しい自然と不便な環境の中、お客をもてなそうと一生懸命頑張っている山小屋従業員の大変さは傍から見てても分かります。そんな従業員の喜びや悲しみなどが本音の言葉で書かれたこの本は、一人の山好きとしてとても興味深く読めました。今後の登山や山小屋泊りの楽しみが少し増したような気がします。

 

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垣内美雨さんの小説「定年オヤジ改造計画」が面白い

2020年06月20日 | 読書

 6月20日(土)
 先日のブログでも書いたけれど、私はかなりの読書好きです。その私が今一番ハマっているのが、垣内美雨さんの小説です。最初に読んだ「避難所」という本が面白くて好きになった。その後も「農ガール、農ライフ」や「70歳死亡法案、可決」など立て続けに読んだが、いずれも興味深く楽しい本だった。
 彼女の作品の真骨頂は、日本の男社会に潜む不条理を女性目線で暴き出す事にあり、登場人物(殆ど男)の頑なな差別意識を痛烈に粉砕するところにある。今回読んだ「定年オヤジの改造計画」も、そんな類の小説だった。
 定年を迎えた主人公の庄司常雄は自分じゃ物分かりの良い優等生の夫を思い込んじゃいるけれど・・・ところがドッコイ、老後は優雅な日々を夢見たのに、妻には避けられ娘からは馬鹿にされて、思いとは裏腹に憂鬱な定年人生となってしまう。
 そんな常雄の日常に幾つもの試練が立ち塞がり、その試練の中で彼は妻や娘を始めとする女性達への考え方に根本的な間違いがあった事を気付かされる。やがて考えや生き方を改めた彼の前から熟年離婚の危機は去り、少しづつ妻や娘との距離が縮まって和やかな人生を取り戻していく。
 「こんな定年オヤジいるいる」と共感したけれど、振り返れば自分の中にもそんなオヤジが棲みついていて身につまされる。そんな現代の男達が現代社会をどう生きるべきか、彼女の小説が教えてくれてるような気がします。特に昭和世代の旦那さんには、推奨すべき本だと思います。

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月刊誌「山と渓谷」昭和60年4月号を読んでみたら。

2020年03月11日 | 読書

 3月10日(火)

 登山愛好者を対象に、「山と渓谷」という月刊雑誌が発行されている。私をこの雑誌を40年以上も前からほぼ欠かさず購入しているので、当然の如く我家の本棚はこの本で満杯になってくる。

 以前余った雑誌をブック・オフへ持ち込んだけれど、買ってはくれなかった。仕方がないので満杯になった都度、古い物から順に破棄処分している。先日も十数冊束ねて処分したのだけれど、その中で一番古かったのが昭和60年4月号で今から35年以上も前の本です。

 チョット懐かしかったので、捨てる前に読んでみた。雑誌の中には当時の登山界の様子が細やかに書かれているが、今と比べて変ってる事もあれば、さして変化のない事もある。広告欄のネパールやヨーロッパへの山旅ツアーでは、当時と今で旅行代金にさほどの違いは無い。なので物価上昇分を考えれば、当時の方が随分高かったと言える。

 それから当時はネットショッピングなど無かったので、店頭販売以外ではテレフォンオンショッピングで売られていた。装備品の中で今は必携品となっているGPSは存在せず、コンパスの宣伝広告が載っていた。

 冬山用登山靴も今では合成樹脂製が主流だが、当時は本革製が殆どだった。そしてヘッドライトも今のように軽くて明るいLEDライトは無く、単2、単3電池を多く使うゴツイ物ものばかりだった。

 又この頃は街の山岳会が全盛時代で、「全国社会人山岳会100」なる特集も組まれていた。私が当時所属していた会も「山と渓谷」社の取材を受けて、私も記事に載せてもらった事があるけれど、残念ながら山岳会100の中に選ばれてはいなかった。

 後は交友を求める文通欄みたいなものもあり、当時はフェイスブックやライン何ていう便利なSNSが存在しなかったんだなあと時代の隔たりを実感させられる。

 そんな移り行く時代の中で、今でも変わらないのは気高く美しい山の姿と山を愛する心だろうか。・・・・・何て最後はキレイにまとめてみました。

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