Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

アイソン彗星が消滅してガックリ、せっかく望遠鏡準備したのに、

2013年11月30日 | 天文

 11月30日(土)

 世紀の大彗星になるかも知れないと言われていたアイソン彗星がどうも太陽最接近時に崩壊、蒸発してしまったらしい。彗星は汚れた氷の塊できているらしいから熱い所へ行けば溶けていくのは仕方ないが、まさか消滅するとは思わなかった。「俺ッチの期待ドーしてくれんだよー。」とガッカリした天文ファンも多い事だろう。

 かくいう私も楽しみにしていた公演を突然キャンセルされたようでチケット代返してくれよー。(チケットは買ってないけど)と言いたい気分だ。

 観望に備えて、いつもは部屋の隅っこで埃を被っている望遠鏡を引張りだして点検整備した。この望遠鏡はタカハシTS65P型という名で、40年以上前に購入したものだ。流石名門タカハシ製作所製だけあって今でもスムーズに動いてくれる。滅多に使ってくれないオーナーに、この望遠鏡も嘆いている事だろう。

 点検中に意外なものを見つけた。望遠鏡に取りつけるカメラの雲台、ズーッと昔これを使って星空写真を撮っていた時期があった。十数万円もしたそのフィルム式ニコン一眼レフF3はこの前数千円で叩き売ったから、もう撮影するカメラが無い。(バカチョンデジカメじゃ長時間露出ができないから)

 雲台を見つけた事で又デジカメ一眼レフでも買ってみようかなとフト思った。しかし星空写真を撮れるカメラは5万円以上はするし、人生の店じまいを準備せねばならぬ私は物を整理縮小していくべき身、無駄な買い物になるのでは、と一寸悩ましい気持ちだ。

 ところで先日私を防衛医大病医院まで連れて行ってくれた山の先輩かつブログの師匠、Iさんから「F君具合はどうなの、痛みのレベル表がないから状況がわからないよ。」と昨日電話があった。「あんな表誰も見てないから止めちゃいました。」と答えたら、「俺は見ていたよ。」と言ってくれたので、今日から復活させます。本日の痛みレベル「朝7~昼5」、最悪時に比べたら随分改善しました。

  望遠鏡に装着したカメラ雲台

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我が家から富士山と谷川岳を撮ってみた。

2013年11月29日 | 日記

 11月29日

 私の住む町は関東平野のど真ん中(都心からすごく離れた郊外という言い方もある。)にあるので、マンション9階の我が家からは都心の高層ビル群と共に富士山や谷川連峰なども遠望する事ができる。今朝方見ると、その山々が白く輝いて見えたので写真に撮ってみた。

 私のMyカメラはオリンパスTG-620という1万円ちょっとで買えるバカチョンコンパクトデジカメだが、それでも生意気に最大20倍のズーム機能がある。高倍率で撮ろうとして問題なのはシャッターを押す事で映像にブレが生じる事、そこでフト気付いた。

「そうだ。セルフ機能を使えばシャッターブレは起きない。」(注:こんな事は誰でも知ってるのかな?)2秒セルフにして撮ったのが、下記の写真、何せ谷川岳まで約110キロ、富士山までは90キロ以上あるので相当ぼやけているが、以前撮った時よりシャープに写った気がする。今は遠くに行く事ができないから、こんな小さな発見でも嬉しくなってくる。

 富士山(正面に吉田大沢)

 万太郎山(左)から谷川岳に続く稜線

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整形外科医のT先生は言う事がコロコロ変わる。

2013年11月28日 | 日記

 11月28日(木)

 一週間に一度のペースでT整形外科に通院している。前回の診察では「椎間板が右にはみ出ているから神経に当たって右足が痛くなるんだよ。」とT先生の説明だったので、てっきり「椎間板ヘルニア」と思い込んだ私は、今日改めて問い直すと「いや、はみ出てはいないよ。腰椎の隙間が狭くなって神経を圧しているから痛いんで脊柱管狭窄症だよ。」と違う事を言う。

 リハビリについても前回は「今は1時間程歩いている。」と言ったら、「そんな事するから直りが遅いんだよ。」と注意され、今日は私が歩かず「サイクリング」してると言ったら「歩いた方がいいんだよ。私なんか時速6キロの速歩で歩いているよ。」と自慢された。

 言う事がコロコロ変わるので、どこまで信じていいのか判らない。毎日イナゴの大群みたいに患者が押寄せる病院だから、私一匹など気に掛けていられないのだろうが・・・

 3種類の飲み薬と週に一度の数分間の電気マッサージや牽引だけで本当に効くのかなと疑わしい。イワシの頭でもトカゲのシッポでもいいからこれが効くというのを知りたい。

 

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15年前登ったモンブラン登山

2013年11月27日 | 山歩き

平成10年8月8日~8月15日

 

 今は山に行けないので15年前に登ったモンブラン登山について振り返ってみます。その頃仕事で出世コースとは無縁だった私は、職場で嫌な顔されながらも厚かましく9日間の休暇をとりアルパインツアーサービス社のモンブラン登山ツアーに申し込んだ。私にとってこれが初の海外旅行でもあった。参加者は12~13名いた。(記憶が不鮮明?)飛行機は成田~香港~ヒースローを経由してジュネーブに着いた。シャモニーまではバスで移動した。

  1日目はル・ブレヴァン展望台までロープウェーで上りアルプスの大景観を堪能する。初めて見るボソン氷河の威容と聳え立つモンブランの高さに圧倒される。2日目もロープウェーで標高3842mのエギーユ・デュ・ミディ展望台まで行き、高度順応を兼ねてヴァレ・ブランシュ氷河を数時間歩く。モンブランやグランドジョラス遠くにはマッターホーンなどの名峰がズラリと見えて感激だった。

 ル・ブレヴァン展望台からモンブラン

 ヴァレ・ブランシュ氷河からモンブラン針峰群

 3日目いよいよモンブランへ向かう。登山電車を乗り継ぎ終点のニ・デーグル駅(標高2386m)で下車、ここからガイドと共に歩き始める。私のガイドはフランコという優しい中年の人だった。

 登山電車終点のニ・デーグル駅

 テート・ルース小屋(標高3167mまでの登山道は、雪もほとんど無く夏の北アルプス稜線を歩くような気分で気楽に登って行ける。左側足下には、シャモニーの街並みが絵本ように美しい。テート・ルース小屋からグーテ小屋(標高3817m)までは岩尾根の急登が続きます。

 テート・ルース小屋へ向かう登山道

 登山道からシャモニーの町並み

 ここからヘルメット。ハーネスを装着しガイドとザイルを結びあう。最も危険なのは岩尾根基部の岩溝で、夏場は上部の氷河が溶けて落石が頻繁に発生する。毎年何名もの人が命を落としているそうだ。

 バイヨ岩稜の急登(白くなった岩溝が落石多発帯)

 

  我々の前を行く登山者が通過中にも、その至近距離を大きな石が弾丸のように落ちていった。それを見たガイド前進を断念し、一旦テート・ルース小屋まで引き返す。落石の頻度が下がる夕方のPM6時過ぎに再び登り始める。緯度の高い当地では、まだこの時間でも充分に明るい。

 テート・ルース小屋(ガイドが相談している。)

 危険な岩溝は幅70~80m位で、ガイドの「ゴー」という掛け声とともに死にもの狂いで走り抜ける。まるで最前線で戦う歩兵のようだ。バイヨ岩稜の急登は標高差650m程で遠くから見ると岩壁のようだが、ワイヤーやハシゴが整備され以外と容易に登って行ける。

 グーテ小屋は氷河台地の崖っぷちにへばりつくような感じで建っている。規模の割に登山者が多過ぎて小屋は超満員状態だ。予約している我々はベッドを確保できたが、トイレや通路で寝ている人も多い。小屋の中は暑くて中々寝つかれなかった。それでもベッドで寝れるだけありがたい。

 グーテ小屋

 翌日はAM2時に起床、私はシャモニーの日本料理店で買ったオニギリ弁当を食べて栄養補給する。屋外に出ると寒気が強烈だ。アイゼンとハーネスを付け、私と同年輩の男性(名前を失念した)の二人がガイドとザイルを結びあう。

 同じツアーの参加者達と前後しながらヘッドライトの灯りを頼りに氷河のトレイルを登って行く。しばらく進んだら、私のアイゼンの片方が折れてしまった。スペアがある訳じゃなし、そのまま進んで行く。顔を上げると前方を行く登山者達のライトが点々と見える。スイスのガイドは急ぎはしないものの何時間も休憩せずに歩いて行く。その歩きに追いていけなければ下山を宣告される。

 モンブランへ続く道

 徐々に周囲が明るくなってくる。モンブラン山頂まで続く雄大なアルプスの山容が広がる。今日は無風快晴、絶好の登山日和だ。こんな壮大な風景は初めての体験で、寒さと感激で身体が震えてくる。

 登山コースからの眺め

 ゆるやかな雪稜のドーム・デュ・グーテ(標高4304m)ピークを越え、バロー小屋(避難小屋)辺りでやっと一息入れる。高山病なのか若い登山者が苦しげな様子、付き添うガイドに以上無理なら下山だと告げていた。

 山頂までもう少し

 更に雄大な雪稜を登って行くと雪道は徐々に傾斜を増し狭くなる。悪天になれば、この辺りで遭難する人も多いという。グランド・ボス4513mとプテット・ボス4547mのコブを左右に捲いてラ・トゥルネットの岩場を右に見ながら最後に狭い雪稜を頑張り、AM7時30分待望のモンブラン(4803m)に到着した。グーテ小屋から山頂まで4時間半の道程だった。思わずガイドや相棒の男性と抱き合って感激を露わにする。

 モンブラン山頂

 モンブラン山頂は何の目印も無い丸い雪のピークだが、周囲はアルプスの山又山の絶景が広がる。南のイタリア側には緑の谷間や集落も見えた。登山者が次から次と登り着き、スケールこそ違えまるで7月の剣岳山頂にいるようだ。

 下山は往路をニ・デーグル駅(標高2386m)まで一気に降る。その標高差は2400m余で、甲斐駒の黒戸尾根と同程度だ。大部分樹林帯で展望の無い黒戸尾根に比べ、このコースは大展望の道だから気分がすこぶるいい。それでも下山は7時間余の時間を費やし駅に着いたのはPM3時過ぎだった。

 参加者全員の無事に下山し、夕刻シャモニーのホテルに戻った。夕食は全員が参加して地元レストランで祝宴となった。登頂の余韻に浸りながら飲む本場のビールは実に美味かった。

 下山後の祝宴

 モンブラン登山を終えた感想だが、ガイドがサポートしてくれるせいもあるけれど、技術的には困難は感じなかった。まず長時間歩き通す体力が必要だろう。それから高山病に対する順応も大事だ。レベル的に言えば、残雪期の槍穂高同程度ではないだろうか。

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800万人が認知症という重い現実

2013年11月26日 | 日記

 11月26日(火)

 先日放送されたNHKスペシャル「認知症800万人時代」は衝撃的な内容だった。現在国内で800万人者人が認知症を患っているという。日本人の15人に1人が認知症という重い事実に愕然とする。我が町の行政マイクが毎日のように高齢者の行方不明を放送しているのも無理はないと納得させられた。

 中でも深刻なのは一人暮らしで認知症を患う高齢者の急増だ。意志の疎通ができないから行政のサポートを頑なに拒否する。しかし自活出来ないから一人では生きていけない。放送の中で、老いた女性が介護を勧める担当者に怒りを露わにしてゴミ屋敷の部屋で痩せ衰えていく。

 又、夫婦であっても連れ合いが認知症になると孤立化してしまうという。放送で紹介された老夫婦の場合、奥さんが認知症になり夫が介護するのだが、妻は夫以外の支援を拒絶するので夫は妻から解放される事がない。終わりの無い介護に老いた夫の苦悩が痛ましく見える。

 認知症は70歳を過ぎると急激にその比率を増すという。60歳台半ばの私も他人事ではなく差し迫る問題だ。だからと言って予防する手立てもない。極端な本音を言えば自分が認知症になったら、速やかに安楽死させてもらえればありがたいけれど、現実そうもいかないだろう。残される日々に感謝して淡々と生きていくしかないという事か。

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立山、真砂岳の雪崩遭難事故について

2013年11月25日 | 日記

 11月25日(月)

 私が今年の夏歩いた真砂岳で、雪崩が発生し7名の人が亡くなった。真砂岳は立山連峰の中央部にあり、丸い穏やかな山容なので雪が積もれば山スキーには絶好のゲレンデとなるのかも知れない。

 雪の北アルプス稜線は、体力・気力・技術が揃った卓越した登山者しか立入る事の許されない聖域となるが、立山だけは特別で、黒部アルペンルートを利用すれば誰でも労せずに標高2300mの室堂平へ来る事ができる。この安易さが立山で度々起きる山岳事故の大きな要因となっているのではと思う。

 今回亡くなられた7名の方は、いずれも山やスキーのベテランばかりと聞いている。計画や装備にも不足は無かったらしいが、安易に入山できる気軽さが気構えに隙を生じ、事故に繋がったのではと勝手に推測している。

 雪崩現場の真砂岳斜面

 夏の真砂岳斜面

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柳田邦夫氏の「人生の答えの出し方」という本に勇気づけられる。

2013年11月24日 | 読書

 11月24日(日)

 僅かづつだが私の足腰痛も回復の兆しを見せているようです。しかし進捗状況があまりにも緩慢なので、このまま症状が恒常化するのではと懸念する思いもある。そんな私が今読んでいるのは、柳田邦夫氏の「人生の答えの出し方」という本なのだが、ここに紹介される人々の凄烈な生き方に圧倒される。

 

 ALS「筋萎縮性側索硬化症」を発症し全身麻痺の身体ながら、妻と能登半島一周の旅やホームコンサートの企画を実現させ「死ぬことに自信がついたコンサート」と言い残して逝った西尾健弥氏。

 

 ハンセン病の為、隔離疎外されながらも「いのちの初夜」という小説を書きあげ23歳で夭折した小説家、北条民雄氏。

 

 自らも癌に侵されながら終生を「終末期医療システム構築」に力を注ぎ末期患者や阪神大震災被害者の為身を捧げた河野博臣医師。

 

 中でも、自らの癌闘病生活を2002年の臨終まで記録した元毎日新聞記者、佐藤健氏の「生きる者の記録」というドキュメンタリー特集記事は、当時毎日新聞を購読していたから毎回食い入るように読んだ記憶があり、後にも先にもあれほど感動・衝撃を受けた新聞記事はなかったと思う。

 

 脳ミソカラッポで登山やマラソンなど首から下のガテン系趣味しか持ち合わせぬ私にとって身体が不自由という現実は一寸辛いものがあるが、この本に登場する人々の死をも超越した凄まじい生き様を垣間見ると、「私の苦悩など如何ほどの事があろうか。」と心を勇気づけられる。

 

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私の愛車は英国製ミニ・ローバー

2013年11月23日 | 日記

 11月23日(土)

 写真の自転車はミニ・ローバ社製の折畳み自転車で、私の密かな自慢の愛車です。私が登山に行く時は殆どマイカーなので、登山コースを選択する際にどうしても車を停めた地点を基点に同じ道を上下するか周回コースに限られます。

 この自転車を別の登山コースの下山口に残置しておけば、登りと降り別のコースを歩けるのでより変化に富んだ登山が楽しめます。それが目的で購入しました。

 使用時の寸法、長さ140㎝×高さ100㎝も折り畳めば90㎝×60㎝にコンパクト化され重さも12キロと軽量なので持ち運びも楽です。そしてさすが英国製だけあってブレーキも頑丈にできており長いダウンヒルも安心です。と自慢げに書きましたけどライトとキャリーボックスが無いのが欠点です。

 最近は足腰痛で山に行けない私の日常生活用として活躍してくれてますが、この自転車を車に積んで登山に出掛けられる日が早く来ないかと一日千秋に思いで願ってます。

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アイソン彗星がやってくる。

2013年11月22日 | 天文

 11月22日(金)

 私が小学生の時、理科の授業でハレー彗星が30年後にやってくると教えてもらい、「その時僕は38歳になるから、もうお爺さん何だなあ。」と思った記憶がある。そして38歳になった時の12月に、寒い奥多摩の山中で本物のハレー彗星を見る事ができた。おうし座のスバル星団付近に光る本物は前評判程では無く、小さく滲んだ星にしか見えず少々ガッカリさせられた。

 その後幾つかの彗星を目撃したが、49歳の時夕闇の空に見たヘール・ポップ彗星は実に見事で、背後に流れるガスの尾もはっきり確認でき、これが本物の「ほうき星」何だと魅入ったものだった。

 そして今回接近するアイソン彗星も巨大彗星になる可能性があると言われている。今日未明に痛む足を庇いつつ、東南東の方向を窓から覗いて見たけれど、それらしき星を確認する事はできなかった。私の見方が御座なりか、それとも市街地で見るにはまだ明るさが充分でないのかも知れない。

 近日点通過後の12月初~中旬が一番期待できると言われている。朝早いのが辛いけど、久々に繰り広げられる宇宙の大天文ショーを是非とも拝ませてもらいたいものです。

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映画「四十九日のレシピ」を観てしんみり涙がでた。

2013年11月21日 | 映画・コンサート

 11月21日(木)

 久しぶりに近所のシネコンへ行った。三谷幸喜の「清州会議」も面白そうだったが、今は気分が落ち込み気味なので、喜劇路線よりホンワカ路線の方が良かろうと「49日のレシピ」という映画を観た。

 妻に先立たれた老父と、離婚寸前で実家に戻ってきた娘が主人公の話です。「四十九日を盛大に」と遺言した亡き妻に応えようと、父娘は妻を慕っていた若者達と一緒になってその準備を進めて行くうちに、だんだんと父娘は元気を取り戻していく。そして四十九日の宴は大盛況で終える。

 そんな物語なのだが、父親役の石橋蓮司さんと出戻り娘の永作 博美さんが実にハマり役で、ありふれた地方都市のありふれたストーリーになのに何故か涙ぐみ、何故か和んでしまう。THE ENDが淋しくなる、そんな映画でした。

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小説「天地明察」は実に面白い本です。

2013年11月20日 | 読書

 11月20日(水)

 冲方 丁さんが書いた「天地明察」という小説は以前映画化されたから知ってる人も多いだろうが、読んでみたら実に面白い本だった。

 主人公の「渋川春海」は江戸時代初期の人で、碁の棋士として幕府に召し抱えられる。しかし彼は碁以外に算術、天文学、神道にも秀でた俊才で、その能力を乞われて正確な新暦作成の事業に生涯を掛ける。これがこの小説の主なストーリーです。

 江戸時代というのは何となく地味で変化に乏しい時代と思っていたが、この本は読むとそれが見当違いであり、江戸時代の文化は実に多彩で幾つかの分野では世界に誇るべきものであった事を知る。

 又登場人物も実在者をモデルとしており、それぞれの個性が魅力的でノンフィクションを見るような臨場感があった。時代もの小説はあまり好きで無かったが、この本は別格で一気に読み通してしまった。流石に2010年本屋大賞第1位を獲得しただけの事はあるなと実感した。

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私の症状「腰椎椎間板ヘルニア」ではないのだろうか。?

2013年11月19日 | 日記

 11月19日(火)

 足腰痛の痛みが酷くなってから随分経つが一向に改善の気配が無い。あまり行きたくないが、1週間過ぎたので再び近所のT整形外科に通院した。長く待たされるのが苦痛なんだが、今日は長く椅子に座ってられるだけマシになった感じもする。

  やる事は前回と同じで電気マッサージと牽引治療、4つある電気マッサージのベッドで私の他は全て高齢のオバちゃまばかり、その中で腰を曝けて寝ていると少し情けない気分、こんなんで直るのかとも思う。

 診察で先生に私の症状を詳しく問うてみると「4番目の腰椎が左につぶれて中身が右にはみ出て右側の神経を圧迫している。」との説明、私は今まで痛みの原因を「脊柱管狭窄症」と思い込んでいたが、これって腰椎椎間板ヘルニアではないのだろうか。そこのところ先生に確認するのを怠ってしまった。次回確認してみるけれど、病名がはっきりしない事にはリハビリのやり方も迷ってしまう。

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最近、地震が多いけど、

2013年11月18日 | 日記

 11月18日(月)

 最近関東地方ではM5クラスの地震が立続けに起こっている。私の住むマンションは震度3を超えると「キー・キー」と不気味な共鳴音がするのです。大地震の前触れかもと気になっていたら、今日のテレビのワイドショーでも地震の事が話題になっていた。

 司会者の問いに専門家の人が「プレートがどうの断層がどうの」と素人にも判り易いよう懇切丁寧に説明してくれていたが、我々が最も知りたい「何時起こるのか。」については、「明日かも知れないし何十年後かも知れない。」という言葉、要は「全く判らん。」という事です。そして確かなのは「何時か必ず起きる。」という事です。幾ら文明科学が進んでも、地震予知というのは永遠の課題なのかも知れません。

 取りあえず私が個人的かつ緊急に予知して欲しいのは、「私の足腰の痛みがいつ直り、再び登山やテニスを楽しむ事ができるのか。」という極めて切迫事情です。

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去年走った霞ヶ浦マラソンが私の最後のマラソンになりそうだ。

2013年11月17日 | マラソン

 11月17日(日)

 今日行われた横浜女子マラソン、日本勢では野尻あずさ選手が2位、那須川瑞穂選手が4位と健闘したが、いずれも30代の選手、若手有望株の活躍が見られなかったので少し淋しいレース内容だった。

 そう言えば去年4月に私もフルマラソンを走った。結局あの霞ヶ浦マラソンが私にとって最後のマラソン大会参加となってしまった。あの時は4時間台を切れなかった事を嘆いたが、今思えば随分贅沢な嘆きだった。何しろ今の私は僅か100mすら走る事が出来ないのだから、今日も午後に1時間程歩いたが途中から右足のふくらはぎがピクピクしてきた。12月8日に小川町和紙マラソン10キロメートルの部を申し込んではいるが、今の状況では参加するのは絶望的だ。

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普通に歩けることが嬉しい。

2013年11月16日 | 日記

 11月16日(土)

 私の足腰痛は、朝起きた直後が一番ひどくて朝食の時等10分も座っていられない。しかしどういうメカニズムが働くのか、午後になると痛みがだんだん緩和してくる。それで昨日の午後、右足にサポーターを固定して10分程近所を歩いてみた。恐れていた痛みも生ぜず以外に調子が良い。

 今日はちょっと長い距離を歩いてみようと思った。歩き始めは痛みと違和感があるものの、そのうち筋肉が温まってくると逆に調子が上がってきた。目標の隣駅に20分程で着いたが、まだ充分に歩けそうなので更に次の駅を目指す。普通に歩ける事がどんなに有難いか実感する。

 考えてみれば、10年前胃ガン手術の後も毎日歩き続けて体力を復活させたのだ。私にはウォーキングが一番の良薬であったと思い起こした。結局次の駅には約1時間程で到着した。疲労で逆効果にならないか一抹の不安はあるけれど、体調が良ければ明日もウォーキングを続けよう。

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