Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

我家から「ららぽーと富士見」までウォーキング

2018年01月31日 | お出掛け

 1月30日(火)

 先日の大雪のせいで最近テニスができない。だもんですこぶる暇である。家に燻って居ても仕方ないからショッピングモール「ららぽーと富士見」のアウトドアショップ「モンベル」へでも行ってみようかと思い立った。

 どうせ行くならウォーキングだと、交通費の節約&エクササイズ&暇つぶしの一石三鳥になる。AM9時20分頃ウォーキングスタイルで我家を出発する。 多くの人々が働いている平日の昼間に、灰色のフリースジャンバーを着て小さなザックを背にテクテクと街中を歩く私の姿はパーフェクトな徘徊老人に見えるだろう。世間の皆様に何となく申し訳ない。

 朝飯をしっかり食べたはずなのに、40分程歩くとお腹が減って力が抜けてきた。東上線霞ケ関駅のマックで休憩がてら栄養補給する。40分程滞在し再び出発、先日初詣で妻と川越まで歩いた際は、入間川に架かる初雁橋を渡ったが、今日は北隣りの川越橋を渡って川越市街に入る。

 川越橋から奥多摩方面

 蔵造り通りの手前まで来ると、友人のHさんとバッタリ遭遇した。彼は昔添乗員をやった時に一緒だった仲間で、今でも時折一緒に飲む間柄だ。彼とは以前にも川越市内で偶然出会った事があり、奇遇にちょっとビックリした。

 Hさんと別れると、東武川越駅まで行って駅ビル2階の和食レストランでランチを食べる。食事を終えると生ビールで熱った身体を醒ましつつ歩き始める。国道254号沿いに進み、新河岸駅手前で国道を離れ、後は東武東上線の東側を歩いて行く。

 この地域は初めてなので、見知らぬ街を彷徨うみたいで面白い。地図を持たず太陽の位置で方向を判断して、行き当たりばったりで適当に進んで行く。ふじみの駅近くまで来ると高層マンション群が整然と区画整理された市街地となる。

 ふじみ野市街地から東へ進むとやがて道幅の広い254号バイパスに達し、やがて前方にショッピングモール「ららぽーと富士見」の建物が見えてきてPM2時20分頃到着した。休憩時間を差し引くと正味3時間40分のウォーキングであった。

 ららぽーと富士見

 「ららぽーと富士見」は3階建ての巨大ビルで、各階の周遊通路を合わせると2キロにもなるそうだ。モンベルでは軽量のツェルトが欲しかったのだが、高価だったので諦め、チタン製のコッフェルを一つ買った。

 アルミ製のコッフェルは既に持っているのだが、「アルミは老人痴呆症「アルツハイマー」の原因の一つとして疑われている。」と何かの本で読んだ記憶があり、チタン製に買換えねばと前から思っていたのだ。

 「ららぽーと富士見」を出るとバスと電車を乗り継いで、アッサリPM4時前には我が家へ戻った。私の場合、一応目的地を認識して歩いているので、老人徘徊では無く由緒正しきウォーキングであると自信をもって言える。ご心配無用です。

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我家のIHクッキングヒーター10年目でダウン

2018年01月30日 | 日記

 1月29日(月)

 先日の夕刻、突然停電になった。原因を調べてみると、どうもIHクッキングヒーターが故障したようで、グリルヒーターのスイッチをONにするとヒューズが飛んで電源が切れてしまう。

 我家のIHヒーターも使い続けて10年を過ぎ、どうやら寿命が尽きたみたいだ。一応我が家はオール電化を謳い文句にしたマンションなのに、電気が使えなきゃガソリンの無い車みたいなもんで生活できない。

 外された古いIHヒーター(10年間お疲れ様でした。)

 そこで最近オープンしたばかり家電販売店「のケーズ電機」を訪れて、痛い出費ではあったが新たなIHクッキングヒーターを購入する事になった。そして今日のお昼頃、ケース電機の人がやって来て新しいIHクッキングヒーターが据え付けられた。

 新しいIHヒーター(よろしくお願いします。)

 ビジュアルはそれ程変わらぬけれど、機能の方はダイヤル式からタッチパネルへ変り、タイマーや自動停止等随分多機能化しており、齢老いた脳ミソでこれを覚えるのが又一苦労だ。

 マニュアル本片手にイソイソと操作方法を確認する妻を見ていると、何だか新しいオモチャで楽しげに遊ぶ子供の姿に被って見えなくもない。家電製品は日常生活に欠かせぬものだが、大人のオモチャ的な感じもしないではない。

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先日噴火した草津白根山、夏の休日ならもっと悲惨な事に

2018年01月28日 | 日記

 1月28日(日)

 先日の草津白根山で発生した突然の火山噴火には驚かされた。遭遇したスキーヤー達が異口同音に「生きた心地がしなかった。」と恐怖を語っていたが、私もあのスキー場へは何度も行ったから、その恐怖と臨場感は理解できる。

 残念ながら自衛官の方が一人犠牲となられてしまったが、あれがもし休日の混み合う時間帯であったら、もっと多くの犠牲者が出ていたのではないだろうか。

 更に言うと、あれがもし夏の休日であったなら、もっと悲惨な事になっていたであろうと思われる。何故かと言えば今回の噴火で新しくできた噴火口付近には遊歩道が通っており、今回被害にあったゴンドラは夏でも営業してるので、その山頂駅から降りた物見遊山の観光客が、あの遊歩道をゾロゾロと散策しているからだ。

 そんな時にもし噴火したら、噴石の落下どころか噴火に伴う爆風で多くの人間が吹き飛ばされていたのではないだろうか。私も平成20年の夏に、四万温泉からあの辺りを通って草津白根のお釜までハイキングした事がある。

 今思えば何も知らずに地雷原の上を歩いていたようなもんで、噴火と共に吹っ飛ばされる自分の姿を想像したら何だか背筋がスーッと寒くなった。

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日本三百名山回顧№26、樽前山(2百名山)

2018年01月27日 | 三百名山回顧

 

 

 今まで紹介してきた北海道の日本三百名山だが、あと一つ残っている。それは支笏湖の近傍に聳える樽前山だ。実を言うとこの山が、私が最初に登った日本三百名山だったかも知れない。 

 二十歳前後の頃、私は千歳近郊で働きながら夜間高校へ通う勤労学生だった。学びたくてというよりも、職場にズーッといるのが嫌で通っていたのが実情だ。

 その頃同級生達と遊びに行った時(今は全く音信不通だけど、皆元気でいるのかな。)

 その高校が夏休みに野外研修の一環として樽前山登山を計画・実行し、私もそれに参加して学校登山で登ったのです。推定だが、確か昭和47年の夏頃であったと思う。

 ブログに載せる為に当時の写真や資料を捜してみたが、一切の痕跡を見つける事はできなかった。あの頃は貧乏でカメラ何ぞ持っていなかったのだ。

 ただ昭和48年2月に発行された学校の会誌に、ある女生徒が「夏の野外研修で山の上から支笏湖が見えた。」と書いていたので、昭和47年の夏に登ったのであろうと推測できたのだ。

 風不死岳から樽前山

 遠い昔に登った学校登山の薄い記憶に残っているのは、密かに想いを抱いていた女生徒O子さんが私の前を登る華奢な後姿と、噴気漂う樽前山頂溶岩ドームの奇怪な姿だけである。

 写真も記録も無く、ただ登っただけではブログに載せようが無いので、昨年9月に妻と二人で再び登った登山記録で了解願います。これで北海道における三百名山回顧は終わり、次回からは東北の山へと舞台を移します。

 

平成29年樽前山登山      Let s click.

 

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「DESTINY鎌倉ものがたり」は素直に観れば楽しい映画

2018年01月25日 | 映画・コンサート

 1月25日(木)

 ホノボノとした漫画を描く西岸良平さんが原作を実写化した映画「DESTINY鎌倉ものがたり」を観てきた。かれが原作の映画「ALWAYS三丁目の夕日」を以前観た時大変面白かったから、この映画もチョット期待して観に行った。

 物語りの主人公、一色正和(堺 雅人)は鎌倉の古い館に住む売れない小説家だ。そんな彼の元へ年若い妻、亜紀子(高畑充希)が嫁いできた。ところで映画の中の鎌倉は、幽霊や妖怪が跋扈する魔界の街という設定になっている。

 その存在に最初のうちこそ怯えていた亜紀子だが、だんだんと慣れて家に住み着いた貧乏神とも仲良くなる。平和な日々を過ごしていた一色夫婦だが、ある時性悪な妖怪が亜紀子に横恋慕し、彼女の魂を黄泉の国へと連れ去ってしまう。

 妻を奪われた正和は悲しみのどん底に突き落とされ、悲壮な決意で彼女を奪還すべく黄泉の国へと立ち向かう。・・・と、このようなストーリーで、何となくコメディ風でラブロマンス風でミステリアス、そして最後の方はアドベンチャー、もう一つ捕えどころの無いハッキリしない映画です。

 だけど堺雅人と高畑充希はピタリと役柄にハマって好感が持てたし、脇を固める出演陣も中々豪華で芸達者な人ばかりです。何のかんの屁理屈をこねず大人が楽しむ妖怪映画として素直に観れば、ホノボノとした感じの楽しい映画でした。・・・・my評価は、5段階の星四つ。

 

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大雪注意報が発令されているのにノーマルタイヤで走る車

2018年01月23日 | 日記

 1月23日(火)

 昔は、大根役者と共に当らぬものの代表格だった天気予報だが、科学技術の進歩で最近の予報精度は随分高まった。昨日の大雪もピタリと予報が当り、お昼頃から降り始めた雪は瞬く間に辺りを雪景色に変えた。

 そんな中、昨日の朝行き交う車を見ていると、その多くがノーマルタイヤのまま走行している。通勤途上であろう運転しているオジサンやオバサン達が、用意周到にチェーンを用意しているようにも思えない。

 大雪注意報が発令されて夕刻には雪道となるのが判っている。そして道路で車が立ち往生すれば、自分一人だけでなく他の車も巻き込んで交通渋滞を起してしまう。そんな事を想像しないのだろうか。

 その無神経さに、石橋を叩いても渡らない慎重で臆病な性格の私は苛立ちを覚えてしまうのだ。ちなみに我が家の車はスタッドレスタイヤで金属チェーンも携行しており、「雪が降ろうがヤリが降ろうがドーンと来い。」てなもんです。

 今朝の雪景色

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奥武蔵、笠山ハイキング

2018年01月22日 | 山歩き

1月21日(日)     天気=晴れ

 

07:50白石車庫→ 08:50上の林道出合→ 09:08~36笠山→ 09:38~41笠山神社→ 10:14車道出合→ 11:04赤木集落→ 11:38切通バス停

 

 埼玉県、小川町の近郊に聳える笠山へ妻と二人で出掛けた。標高800m程の低山ながら端正な三角形の笠山は、我が街辺りから眺めるとけっこう立派な山に見える。

 AM7時頃、東武東上線小川町駅に着き、駅前からバスに乗りAM8時前に終点の白石車庫に着いた。好天の日曜日というのにバスに乗っていた客は、我々夫婦の他は単独の男性だけ、地味なせいかこの山域ハイカーにはあまり人気が無いようだ。

白石車庫バス停

 準備を済ませ白石峠へ向かう車道を歩き始めると、すぐに左へ分岐する道があり、ここが笠山登山道の入口だ。民家の脇を通過して小さなせせらぎを渡ると登山道が始まる。

 民家の脇を抜ける。

 せせらぎを渡る。

 樹林帯の道を20分程進むと舗装された林道が交差する。更に登山道を登って行くと、道沿いに昭和7年に建立されたと書かれた大きな石碑があった。どうも造林工事の記念碑らしい。下の林道から20分程で荒廃したダートの林道と交差する。

 道沿いの大きな石碑

 樹林帯の登山道

 上の林道出合地点

 ここも通過して滑り易い急登の道をしばらく登ると、笠山峠からの登山道と合流し左に曲って僅かな登りで山頂標識が立つ笠山(837m)に着いた。白石車庫バス停を出発して1時間20分程の登りで、チョットアッケない感じであった。

 笠山山頂

 山頂から関東平野の眺め

 

 山頂からは東面に展望が拡がり青空の下に関東平野が見渡せた。後は下るだけなので、しばらく休んでコーヒーブレイクする。30分程で休憩を終え、山頂を後に東隣の笠山神社へ向かう。

 

 笠山の最高地点は山頂標識の地点では無く、明らかに笠山神社の建つ場所の方が高い。神社の建物もかなり立派で、ここは信仰の山でもあるようだ。神社から急な階段を降り、その後は落葉に埋もれた尾根道を30分程降って、立派な造りの笠山神社下社に降立った。

 

 笠山山頂神社

 神社直下の急な階段

 落ち葉の埋まる尾根道

 下社のすぐ下まで舗装された車道が伸びており、その後は散在する集落の合間を縫う車道歩きとなる。テクテク歩いていたら、地元農家のオジサンが我々を手招きして、収穫したみかんをタダで分けてくれた。遠慮なく頂いたみかんは見た目不揃いだったものの、とても甘くて美味しかった。

 笠山神社下社の鳥居

 長々と続く車道歩きは単調で少々ウンザリする。沢が合さる赤木集落を過ぎ、館川沿いに歩いていると、猟銃を持ったちょい悪オヤジ風のハンターが居た。聞けば「鹿と猪を獲ってんだけど、今日は駄目だった。」と言う。

 笠山山麓の集落

 「オタクら何処から来たの?」と訊かれたので「白石車庫から笠山を越えて来た。」と応えたら、「早いネェー。でも今の時期はこの山には猟師が一杯居るから、登山の時は赤や黄色の派手な服の方がいいよ。」と冗談交じりに物騒な事を言われた。

 赤木集落から約30分程で切通バス停に着くと、タイミングよく10分も待たずにバスがやって来た。10分程の乗車でバスは小川町駅前に到着した。バスを降りると駅前のレストラン「エシカル」でランチを食べる。

 切通バス停手前から笠山方面

 切通バス停

 小川町駅前にあるギャラリーレストラン「エシカル」は韓国出身の女性鈴木コウさんがオーナーのお店で、去年の秋にマラソンの練習後偶然立寄った時、彼女の明るい人柄と安くて美味い料理に感激して、又機会があったら再訪しようと思って予約していたのだ。

 今回はおまかせお食事セットを頂いたけれど、地元食材を使った料理はヘルシーでとても美味しく我々夫婦の口に合った。なのに、それ程流行っているように見えないのは、寂しい田舎町というロケーションもあるのだろう。本当にお勧めの良いお店なので力を入れてご紹介します。

 

ギャラリーレストラン「エシカル」   こちらクリック

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日本三百名山回顧№25、日高、カムイエクウチカウシ山(2百名山)

2018年01月20日 | 三百名山回顧

平成27年8月22日(土)     天気=雨後曇り

 11:55札内ヒュッテ駐車場→ 12:57~13:05七ノ沢出合→ 14:15仲ノ沢出合→ 14:55八ノ沢出合(幕営)

 8月23日(日)     天気=曇り時々晴れ

 04:25八ノ沢出合→ 06:06~12三股→ 07:35~50八ノ沢カール→ 08:15~20稜線コル→ 09:00~22カムイエクウチカウシ山→ 09:59稜線コル→ 10:20~25八ノ沢カール→ 11:32~42三股→ 13:10~40八ノ沢出合→ 14:13仲ノ沢出合→ 15:05~10七ノ沢出合→ 16:07札内ヒュッテ

 

 

 カムイエクウチカウシ山登山の詳細については、本ブログに掲載済みなので、下記をクリックしてご覧ください。

 

カムイエクウチカウシ山登山     ここをクリック

 

 平成27年の夏、やっとの思いでペテガリ岳登山を終え、カムイエクウチカウシ山登山へ向かったのだが、天気が悪くて登山口近くの「道の駅さつない」で足留めを喰った。

 その後は遅れてやってきた妻と合流し、アポイ岳や摩周岳のハイキング、道内観光巡り等を楽しんだ。北海道を離れる数日前に帯広で妻と別れ、これがラストチャンスと再びカムイエクウチカウシ山へ向かった。

 稜線コルからカムイエクウチカウシ山

 カムイエクウチカウシ山山頂

 

 カムイエクウチカウシ山は厳しい山だったが、上記のとおり何とか山頂を踏む事ができた。この時は偶然行動を共にする形になった福岡から来た男性の存在が、心細い気持ちを勇気づけてくれた。

 一緒に登頂した福岡の男性(名前を聞きそびれた。)

下山後、帯広に滞在する妻へ登頂の喜び電話すると、「ソー、それで今日は帯広へ戻って来るの?」と妻の返事は醒めたものだった。

 

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深い霧の朝

2018年01月18日 | 日記

 1月18日(木)

 朝6時に起きて朝刊を取りに玄関から通路へ出てみると、外は薄らと霧が覆い幻想的な風景を醸し出していた。その霧は徐々に濃さを増して、朝食を始める6時半頃にはMAXに達し殆ど何も見えなくなった。

 ラジオの情報によると、この霧が発生しているのは我が街の周辺だけのようだ。しかしこれが原因で最寄沿線の電車はダイヤを乱し、近くを通る圏央道は50キロの速度規制がかかったようだ。

 通勤・通学の人達にとっては大迷惑の朝となったが、珍しい自然現象なので一寸ブログに載せてみました。

 06:25殆ど何も見えず。

 06:41日の出頃、全く見えず。

 07:22やっと薄らいできた。

 

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送り返されてきた寒中見舞いのハガキ

2018年01月17日 | 日記

 1月17日(水)

 年賀状を出し忘れた古い山仲間へ投函した寒中見舞いのハガキが、数日後我が家へ戻ってきた。送り返された理由は料金不足、つまりハガキ料金は現在62円だが、私の投函したハガキは50円で12円の不足が生じたという訳だ。その時は何の疑問も無く12円切手を貼付して再びハガキを投函したけれど、後になって「それ一寸変じゃないか。」と不満がジワジワと湧いてきた。

 何で不満なのか例え話しにしてみると、新幹線指定席の予約をしたとして、その後運賃が値上がりしても、「運賃不足の為、貴方のチケットは無効です。」とJRが言うであろうか、決してそんな事は無く予約したチケットは有効のはずだ。

 更にもう一つ、欲しかった商品がネット通販で安く売られていたので早速購入ボタンをクリックしたら、その商品はその後ド~ンと値上がりした。「貴方の購入した商品は値上がりしたので、追加料金を払ってくれなきゃ出荷できません。」とアマゾンが言うであろうか。決してそんな事は無く、その商品は貴方の手元に届くはずだ。

 一度は有効ですよと世に送り出した商品は、最後まで保証するというのが商売の正道ではなかろうか。手前勝手に値上げして「サアその商品、値上げ分を払ってくれなきゃ今後一切無効です。」と開き直るその態度、日本郵政さん、天下御免の郵便マークが泣いてまっせ。

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ドケチな私でも寄付をしたくなる交通遺児育英会のCM

2018年01月15日 | 日記

 1月13日

 貧困家庭で育ったせいか私は筋金入りのドケチで、寄付や募金は勿論舌を出す事さへ嫌だ。そんな私が去年は一度だけ、朝日新聞厚生文化事業団へ募金をしてしまった。「寄付をされた方のお名前を新聞の地域欄に掲載します。」という誘い文句につい乗せられたからだ。悪党になる度胸も無く有名人になる才覚も無い私が、新聞に掲載される方法はこれしかない。

 「セコイ奴だとお思いでしょうが、セコイ奴ほどミエを張るもんでございます。」・・・ここんとこ鶴田浩二の「傷だらけの人生」調で・・・ちょっと古いかな?

 こんな私がどうしても助けてあげたいと思う親子がいる。それはACジャパンが提供する交通遺児育英会のCMに登場する交通遺児の女子高生と母親の健気な姿だ。

娘:「母は・・・テストで満点なんかとったら、きっと喜ぶだろう。だけど、それが母を苦しめることを、私は知ってる。でもね・・」

母:「志望校、決まったの?」

 これを観てジーンときてしまった。よ~し君の為なら4桁のイヤ5桁の寄付だって惜しまない。そう強く思っているがまだ実行はしていない。何故ってCMはフィクションだろうし、私の募金が真面目な学生さんに届くとは限らずない。「仕事なんかカッタルクテよー、ちょっくら大学で遊んでくるわー」何てヤンキーみたいな奴に使われたら悔やんでも悔やみきれない。

 そこで朝日新聞文化事業団にお願いします。私の募金は、どうかテレビCMに出てくるような薄幸の健気な女子高生に届けてくださいな。

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日本三百名山回顧№24、日高、ペテガリ岳(2百名山)

2018年01月13日 | 三百名山回顧

平成27年8月12日(水)     天気=曇り後一時雨

 09:05登山口駐車場→ 10:15尾根乗越→ 10:35~45伐採地分岐→ 11:46ペテガリ山荘

 

8月13日(木)     天気=曇り後雨

04:15ペテガリ山荘→ 05:30~401050mピーク→ 06:281293mピーク→ 07:24~331301mピーク→ 08:42~09:03ペテガリ岳→ 09:50~10:051301mピーク→ 11:00~101293mピーク→ 11:47~541050mピーク→ 12:443~13:10ペテガリ山荘→ 14:14伐採地分岐→ 14:38尾根乗越→ 15:27登山口駐車場

 

 

 平成24年夏の北海道ツアーを終えた時点で、残す北海道の三百名山は日高のペテガリ岳とカムイエクウチカウシ岳の2山だけとなった。その両山を登るべく、平成27年の夏、再び北海道へ渡った。

 ペテガリ岳登山については既にこのブログに掲載済みで、重複するのも何なので下記をクリックしてご覧ください。

 

ペテガリ岳登山 クリックしてね。

 

 この夏の北海道はとに角天気が悪くて毎日雨ばかり、1週間近く日高沿岸の街に停滞した後、やっと登頂する事ができた。下山時も途中から土砂降り雨となり増水する沢を必死で降ったが、登山口に辿り着いて自分の足を見たら、親指が出血して黒く変色していた。イヤハヤ大変な思いをした登山であったが、難関の山を登頂できた喜びも大きかった。

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若しかして心筋梗塞の兆し?

2018年01月11日 | 日記

 1月11日(木)

 所属している地元テニスサークルのコートで、順番待ちをしている時の話題はもっぱら健康に係る話が多い。私の場合、父親は70代、母親は40代、弟は60歳にならずして亡くなっているので短命な家系であると思っている。事実50歳半ばの時に胃ガンを患っており、その時運が悪ければ亡くなっていた可能性もあった。

 テニス仲間のNさんが「Fさんは、どっこも悪いとこ無いだろう。」と言ったので、「そんな事無いよ。」と応えたが、実のところここ最近胸の中心部、心臓の横辺りが時々シクシクと痛む。それは車の運転をしてる時やパソコン操作をしてる時に多い。

 その痛み以外はさしたる不調も無いので、毎日やってるエクササイズのやり過ぎかもと思うのだが、ひょっとして心筋梗塞の兆しではと不安な思いも残る。私と同世代であんなに元気だった元楽天監督の星野仙一さんも、アッケなくあの世へ旅立たれてしまったし、我々団塊世代はそろそろこの世とオサラバする年代に達しているような気がする。

 死は誰もが免れない現実だ。どうせ死ぬのであればベッドで管に繋がれて寝たきり状態で迎えるよりも、ある日突然心臓が動きを止めて、ポックリ亡くなる所謂ピンコロの方が、死に方として悪く無いのではと思わぬで無い。

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八ヶ岳、赤岳~阿弥陀岳登山(詳細)

2018年01月09日 | 山歩き

 1月7日(日)     天気=晴れ

06:05美濃戸口→ 06:59~07:13美濃戸山荘→ 09:05~40行者小屋→ 10:37~39地蔵ノ頭→ 10:44赤岳展望荘→ 11:19~46赤岳→ 12:23~26中岳→ 13:02~20阿弥陀岳→ 13:55~59行者小屋→ 14:17赤岳鉱泉

 

 今年の初登山は何処へ行こうかと決めあぐねていたが、八ヶ岳の最高峰、赤岳を登る事にした。八ヶ岳の山々は通年営業の小屋があり入山者も多いので、冬でも比較的登り易い。

 昨夜は中央道の双葉サービスエリアで車中泊し、今朝方午前5時過ぎに登山口の美濃戸口駐車場へ着いた。広い駐車場はほぼ満杯で相当数の入山者がいるようだ。駐車場の片隅に車を停めて寒さに震えながらモタモタと準備をし、6時過ぎに出発する。

美濃戸山荘まではダートの林道歩き、雪は少ないものの道路が凍結してるので、途中からチェーンアイゼンを装着する。1時間足らずで着いた美濃戸山荘では玄関先でまきストーブが燃え、無料の暖かいお茶を頂けたのがありがたかった。

 美濃戸山荘

 此処で道は右の南沢コースと左の北沢コースに分岐する。右に曲って南沢の道を登って行く。南沢は概ね緩やかな沢で歩き易い道が続く。道の一部は凍結してスケートリンクのようになっている。他の登山者と抜きつ抜かれつしながら、単調な樹林帯の雪道を登って行く。

 スケートリンクのような登山道

 やがて頭上に赤岳から横岳に連なる岩壁が望めるようになり、程なく赤岳直下の行者小屋に着いた。行者小屋は年末年始の間だけ営業しており、周囲には沢山のテントが張られていた。

 遠くに横岳の稜線が見えた。

 行者小屋のテント群(右奥の山は阿弥陀岳)

 此処は赤岳の西直下に位置する為、朝陽が当らず非常に寒い。凍える手でアイゼンを12本刃に履き替え、防寒対策をして出発する。ここから赤岳への登りは文三郎尾根と地蔵尾根の2コースあり、私は最短距離で稜線に達する地蔵尾根を登る。

 地蔵尾根は距離の短い分急登の連続で、行者小屋を出発するとノンビリ休める場所が無い。しかし標高をグングン稼げるので樹林帯を脱すると素晴らしい展望が得られ、冬山登山の醍醐味を存分に堪能できる。

 地蔵尾根の登りから中岳(左)と阿弥陀岳(右)

 同じく横岳方面

 時折下山の人と交差し道を譲ってくれるのは有難いが、こちらは息も絶え絶えなので、その都度呼吸が乱されて苦しい。やがて急な傾斜も緩み、行者小屋から1時間足らずで稜線の地蔵の頭に着いた。ここから眺める横岳と赤岳の威容が壮観だ。

 地蔵尾根の稜線直下

 

 地蔵の頭から横岳方面

同じく赤岳

 地蔵の頭から僅かに赤岳側に歩き、何末年始は営業している赤岳展望荘の建物脇で一息入れる。ここから赤岳山頂までジグザグの一気登りとなり、強い西風が凍えるように冷たくて厳しい登りが続く。

 赤岳の登り

 黙々と我慢の登りを続け、赤岳展望荘から約25分程で頂上小屋がある赤岳の北峰に達した。隣りの南峰に山頂標識があり、そこまで進んで赤岳(2899m)に到着した。

 赤岳北峰山頂

 山頂は大勢の登山者で賑わっており、皆一様に登頂できた喜びで笑顔が溢れている。私も他の登山者にお願いして写真を撮ってもらい、しばらく山頂の一角に憩い360度の展望を満喫する。

 赤岳山頂

 山頂から富士山方面

 山頂から阿弥陀岳方面(遠くに北アルプスの稜線)

 山頂から権現岳方面(遠くの山は南アルプス)

 今宵は赤岳鉱泉に宿泊予約をしており今から直行すると時間が早すぎるので、中岳~阿弥陀岳を経由して向かう事にする。25分程の休憩を終え山頂を後にすると、文三郎尾根を降って行く。地蔵尾根に比べるとこちらの道は傾斜も緩く幾分楽な感じがする。

 文三郎コース最上部

 キレットへ向かう分岐を過ぎ、次の分岐で行者小屋へ降る右の道と中岳へ向かう左の道に分かれる。私は左へ曲がって稜線沿いに鞍部から中岳を登って行く。中岳は小さなピークでアッケなく山頂に達した。ここから見あげる赤岳、阿弥陀岳いずれの峰も素晴らしい眺めだ。阿弥陀岳を見るとガイド登山だろうか、10名程の人がザイルで結ばれて降って行く姿も確認できる。 

 文三郎コースの降りから中岳(手前)と阿弥陀岳(奥)

 中岳山頂から阿弥陀岳

 中岳から細尾根伝いに中岳と阿弥陀岳の鞍部に着いたが、ガイド登山のグループはまだ阿弥陀岳を降る途中で、しばらく待たされた。阿弥陀岳の登りは急峻でバリエーションも含めて過去に幾度も通過したが、若い頃は楽勝コースだったのに齢老いた今は結構厳しく感じられる。

 阿弥陀岳の登り

 鞍部から20分程で広々とした阿弥陀岳(2805m)に着いた。山頂にはバリエーションコースを踏破したパーティが2組程休憩しており、彼らと相互に記念の写真と撮り合う。山頂からは権現岳から赤岳、横岳、硫黄岳に繋がる主稜線山脈が一気に見渡せるが、何と言っても赤岳から横岳に連なる岩壁が圧巻だ。

 阿弥陀岳山頂

 山頂から赤岳方面

 山頂から北アルプス稜線

 山頂から横岳の西壁

 

 20分程滞在し山頂を後にする。急峻な坂を慎重に降り鞍部に降立つと、左へ曲って樋状の沢を行者小屋に向って降って行く。雪の少ない今は容易な下山道だが、真冬の時期には過去に幾度か雪崩れ遭難事故が発生した沢で、積雪の状態によっては危険な道となる。

 鞍部から沢の降り

 行者小屋に降り着いたのは午後2時前で時間的には充分下山可能だが、早くビールを飲みたかった事もあり赤岳鉱泉へと足を進める。中山乗越を越えて14時過ぎに赤岳鉱泉に到着した。小屋の横には人工で作られた巨大な氷塔「通称アイスキャンディ」があり、何名かの人がアイスクライミングの練習をしていた。

 行者小屋に到着

 赤岳鉱泉

 アイスクライミングのゲレンデ氷壁「アイスキャンデー」

 今宵の赤岳鉱泉はもの凄い混みようで泊るのを後悔したが、受付を済ましビールも飲んじゃったから時既に遅しだった。客の中には中国や韓国の人なども大勢いて、日本の山にも外国人の進出が高まっているようだ。

 その夜はギュウギュウ詰めの大部屋に寝かされてイビキや物音でとても眠れたもんじゃ無く、「こんな事なら下山すりゃ良かった。」とグジグジ後悔した。連休中の山小屋何て絶対泊るもんじゃないという、現実に気付くのが遅かった。

 

 

1月8日(月)     天気=曇り

06:50赤岳鉱泉→ 07:20林道終点→ 07:42美濃戸山荘→ 08:16美濃戸口

  

 寝た気はしないが、目覚めた時は意外と爽やかで少しは眠れたようだ。昨晩の天気予報ではこの地域は今日の午前中から雨の予想だったので、硫黄岳を登る予定を変えて直ちに下山する事にした。朝食を終え、午前7時前小屋を出ると異様に暖かな空気、これも天気悪化の兆しだろうか。

 朝の赤岳鉱泉

 下山の道はトレイルがバッチリ踏み固められているので夏道よりも歩き易く、レールの上を進むような感じで道を見失う心配も無い。チェーンアイゼンを効かせて北沢沿いのコースを滑るように降って行く。

赤岳鉱泉から30分程で鉄の橋を渡り林道終点に着き、休む事無く林道を降って行く。降る途中の林道は凍結して一部はスケートリンク状態になっている。やがて昨日登る途中で休んだ美濃戸山荘に着き、そこも休まず通過して退屈な林道歩きを続けて午前8時過ぎ登山口の美濃戸口へ戻ってきた。

 スケートリンク状の林道

 南沢コースが分岐する美濃戸山荘前

 美濃戸口の山小屋「八ヶ岳山荘」で二日分の駐車料金1000円を支払うと、無料のドリンクサービスがあるそうで、暖かいコーヒーを頂いて疲れた身体にはありがたかった。

 昨日は素晴らしい天気に恵まれて久々に痛快な雪山歩きを堪能できた。大混雑の山小屋は不快だったが、終わってみればこれも一つのネタ話で、今年の初登山は充分に満足できる山行でした。

 

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赤岳、阿弥陀岳登山

2018年01月07日 | 山歩き
1月7日(日) 晴れ

今年の初登山、八ヶ岳の赤岳、阿弥陀岳に登頂,素晴らしい天気と眺めに気分爽快です。これから下山して今宵は赤岳鉱泉に泊まります。
詳細は後日のブログにて
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