Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

今シーズン、スキーの初滑り

2011年12月29日 | 日記

平成23年12月29日

 昨日、新潟県湯沢町のスキー場へ初滑りに行って来ました。朝方、関越道を下る車は数多く、朝食に寄った上里サービスエリアでも座る椅子が無い程の混雑ぶり、こりゃスキー場もかなり混むなあと危惧したのですが、湯沢インターに程近い神立高原スキー場に着いたら、意外な事にガラガラで、スンナリベースキャンプビル目前の第1駐車場に車を停める事ができました。関越道の混雑は帰省ラッシュの先駆けで、師走の忙しい時にスキーなんぞ出掛ける我々夫婦のような非国民は少数派だったようです。ところで川端康成の小説「雪国」に「トンネルを抜けると雪国だった。」という文句がありますけれど、昨日も、赤城高原辺りで雪が現れ、沼田インターを過ぎた頃からポツポツ雪景色に変ったのですが、関越トンネルを抜け新潟県に入った途端、道路の両側は2m近い雪の壁、灰色の空から絶え間なく降り注ぐ雪と、トンネルを境にした気象状況の違いは、何度体験していても衝撃的ですね。スキーの方はゲレンデも空いており充分楽しめました。滑り始めはいつも子供のようにワクワクするのですが、いつまで経っても上手くならない己に、だんだん滑るのが嫌になってきます。午後になると妻は早くもウンザリ気味で撤収ムード、私も、そのムードに引きづられてスキーを終え、早めの帰宅となりました。若い頃なら営業時間終了間際まで粘ったもんですが、これも年老いた証左ですかネェ。

 神立高原スキー場ゲレンデ

 

 スキー場最高地点からの眺め

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民主党マニフェストは何処に?

2011年12月26日 | 日記

 平成23年12月26日

 最近、選挙のたびに「マニフェスト」なる言葉が盛んに使われるようになって、私はその意味を「政権公約」と思っていたが、どうも違うらしい。民主党政権の新年度予算は90兆3千億円、昨年に続いて国債発行額が税収を上回り実質史上最悪の赤字予算になるとの報道です。

 2年前の選挙で「無駄を無くして財政の健全化」と言ったのは何処のどいつだろうか。「高速道路の無料化」「ガソリン税の廃止」「公務員人件費の2割削減」「議員定数の削減」全てチャラ、実施したのは子供手当てや農家の個別所得補償といったバラマキ政策だけ、これじゃ史上最悪の赤字になるのも無理はない。

 「コンクリートから人へ」「普天間基地の県外移転」「独立行政法人の全廃」・・・・エト・セトラ何て事も全て嘘だし、要するに選挙に勝ちたい為の大ボラだったんですね。ネェー鳩山さん・小沢さん・菅さん・野田さん民主党マニフェストは、一体何処へ行っちゃたんですか。?

 

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甲州、乾徳山登山

2011年12月24日 | 山歩き

12月21日(水)   天気=曇り時々晴れ

08:28大平登山口駐車場 08:31~38大平登山口 08:58~09:02国師ヶ原分岐 09:58~10:02月見岩 10;10 扇平 11:35~12:31乾徳山 13:37~45扇平 14:18~25国師ヶ原分岐 14:43大平登山口駐車場

 甲府盆地の北に位置する乾徳山は、2千m余の標高で、かなりの高山ですが、アプローチが良いせいか人気のある山です。私も登山を始めた20代の頃に一度登っており、三十数年ぶりに山仲間と供に再訪しました。メンバーは、我々夫婦の他、ITO夫妻、Oさん、Sさんの計6名。12月下旬の今、雪山と化している可能性大なので、一番楽そうな大平高原からのコースを目指しました。
 早朝、中央高速道の車窓から見える笹子や大菩薩の山々は、僅かながら雪化粧しており雪山登山になるのかなと少しばかり身が引き締まる思いです。談合坂SAで合流したITO夫妻の車に先導されて、勝沼ICで中央道を降りると一般道を北進する。
 国道140号(通称、秩父往還雁坂みち)沿いにある三富小学校の少し先に「乾徳山、大平高原6km」と書かれた看板があり、そこを左折する。クネクネ曲った細い林道を遡って行くにつれ、路肩に雪の塊が現れ始めた。私の車はノーマルタイヤなので、何とか登山口まで雪道にならないでくれと祈るような気持ちでハンドルを握る。大平高原の牧場にポツンと一軒建つ大平荘の横には広い駐車場があったけれど先へと進む。簡易舗装の道がこの先からダートになった。ガタゴトしばらく走って行くと「乾徳山登山口」と書かれた大きな標柱に遭遇、此処が大平コースの登山口のようです。2台の車はその200m程先の路肩が広くなった場所に駐車する。

 

大平登山口駐車場

 

 大平登山口

 

 

 全員準備を終えると歩き始める。登山口まで戻り、記念の写真を撮ると緩やかな坂を登って行く。明けの空は雲に覆われていたが、今は時折陽も差し、まあまあの登山日和になってきた。林道も織り混ぜたジグザグの登山道を20分程登ると国師ヶ原の分岐に着いた。直進すると国師ヶ原へ向う広い道、左は徳和への下山道で、我々は右折して乾徳山目指し道満尾根の樹林帯を登って行く。

 

 

 

 国師ヶ原分岐

  50分程でススキの拡がる草原に出た。ポツンとある黒い大きな岩は月見岩で、ここから国師ヶ原に降る道が分岐する。一挙に展望が開き、前方の樹林越しに乾徳山のピークが姿を現した。左下には国師ヶ原の台地が拡がっている。背後の甲府盆地の奥には笠雲を乗せた富士山が青く浮んで見える。

 

 

 ススキの扇平

  再び樹林帯の中を登って行く。だんだんと凍結した雪道になってきたが、アイゼンを履く程ではない。尾根は岩場の多い険しい道に変ってきた。最初の鎖場を越えた岩場の上では樹木等に霧氷が張り付き、まるで白い花々が咲き乱れているように見え、歓声をあげる程の美しさだった。

 

 

 最初の鎖場

 霧氷の花

 山頂直下の鎖場

 


 山頂直下は10m程の垂直に近い鎖場で、けっこう高度感があり乾徳山の名所になっている。迂回路もあったが、全員鎖場に挑戦、一寸した岩登り気分を満喫した。鎖場の上が乾徳山(2031m)のピーク、岩がゴロゴロした山頂は、6名の人間が休むには少々手狭だが、展望は素晴らしい。

 山頂から奥秩父、金峰山方面

 乾徳山山頂

  北は奥秩父の黒い山脈が延々と横たわり、西には雪化粧した南アルプスの稜線が連なり、南は富士山が笠雲のキャップを被って浮び立つ。生憎、今日は大気が何となく霞んでいるので冴え渡るような展望とはいかないのが残念だ。
 1時間程のランチタイムを終え、山頂を後にする。計画では国師ヶ原への下山道を辿る予定だったが、山頂付近の道が凍結しているので安全を期して来た道を降る事にする。全員アイゼンを装着して下山を開始する。ITO夫妻のアイゼンは、懐かしの門田の一本締め鍛造アイゼンで、それを装着したご両人は俄然大ヴェテランの風格が漂よう。岩場の道を通過した所で、全員アイゼンを外す。私は先日購入した冬山用登山靴を、今日初めて試し履きしたので良い歩行訓練になった。

 

  扇平の下山道

 ススキの草原、扇平で最後の展望を楽しんだ後、登山口の駐車場には14時40分過ぎに戻った。その後、国道140号沿いにある「はやぶさ温泉」で登山の汗を流す。此処は地元の人に教えてもらったのだが、入浴料500円で豊富な湯量、素朴な雰囲気の好ましい温泉だった。機会があれば又訪れてみよう。 温泉を後にすると石和温泉の街中にある料理店「小作」で甲州名物のほうとう食べる。Sさんの親族の人が、以前この料理店の店長だったので私は2度目の訪問だが、とに角ここのほうとうはボリュームが凄い。お腹を空かせて行ったのだが、完食できなかった。
 食事を終え店を出たところで解散とする。今日のメンバーとは来年2月の草津スキーまで顔を合わす事がないだろう。それぞれに「良い新年を」の言葉を交わしてITO夫妻の車とお別れし、中央道を経由して帰宅の途に着いた。

 

 

 

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金正日の死去について

2011年12月20日 | 日記

 平成23年12月20日

 北朝鮮の金正日が死去しました。いつも暑苦しい程に金親子を賛美する朝鮮中央放送のオバちゃんアナウンサーが重々しく発する白々しい追悼の言葉とは裏腹に、この独裁者のやってきた事は、国家がらみの偽札・麻薬犯罪、飢えた人民を放置しての核・ミサイル開発計画、国際ルールの違反、外国人の拉致、金一族に盾突く者の抹殺等々その悪業は数知らず、金日成~正日の親子2代に渡って、北朝鮮を暗黒のならず者国家に仕立て上げました。彼らが罪の裁きを受けず死んだ事が腹立たしい限りです。次の権力者は息子の正恩、世襲が3代続くところに、この国の異常さが伺えます。一見苦労知らずで肥満児の息子が、この破綻国家をどのように導くのでしょうか。人民を養う食料は無くともミサイルと核を持つ北朝鮮は、隣国日本にとって脅威の存在に違いなく、日本人民としての私は、今後の動静に眼を離す事が出来ません。

 

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カラオケは楽しー。

2011年12月16日 | 日記

 平成23年12月16日

 昨日友人のMA氏とITO氏が我家を訪れたので、お酒を飲みながら楽しい一時を過ごしました。彼らとは20代の頃職場で知り合った仲で、もう40年の付き合いになるでしょうか。若き時代の懐かしくも恥ずかしい思い出を様々共有しているので語る話題が尽きません。皆それぞれに不満や悩みはあるけれど、こうして今元気にお酒を飲めるのは嬉しい限りです。そして宴もたけなわ、酒で勢いのついた我々オッサン達は「カラオケだー。」と叫び駅前のカラオケルーム」に席を移しました。私はカラオケルームに殆んど行った経験が無く、どんな所か少し興味もありました。若い受付のネーちゃんにマイクとゲーム操作盤みたいなもんを渡され、これでカラオケをリクエストするのですが、操作が判らぬオッサン達は、ネーちゃんに指導を受けながらのカラオケとなりました。カラオケなんて馬鹿にしていた私ですが、大声出して歌うというのは、けっこうストレス解消になりますね。勿論何十年も前の古い歌しか歌えぬ我々ですが、時々カラオケをやるというITO氏は中々の美声で、それなりのMA氏も調子に乗って「よし我々でカラオケ部を結成し老人ホームの慰問をやろう。」なんて馬鹿な発言、こんな騒音聞かされたらホームのお年寄りの寿命が縮まってしまうのがオチです。すっかり気分の良くなった我々は「次回の宴もカラオケだ。」という事で一致しました。幹事役の私はカラオケルームの会員になってしまったので、その夕、妻に「一度カラオケでも行ってみるかい。」と声を掛けたのですが、完璧にシカトされてしまいました

  

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小川和紙ハーフマラソン走ってきたぞー

2011年12月12日 | マラソン

 平成23年12月12日

 毎年出場している小川町和紙ハーフマラソンに今年も参加してきました。今回はレース前三日間は完全休養し、万全の準備で臨んだせいか脚も軽く、順調な滑り出しでしたが10キロ地点でのタイムが52分と予想外に悪く、「やっぱり老化なのかなあ。」少し落ち込みました。しかし脚取り自体は好調で、心身とも衰える事無く終盤に持ち込み、ラスト1キロで我が身に鞭をいれゴールしました。結果は1時間45分と前年より2分以上タイムがアップしていました。此処のコースは前半にアップダウンが多いという特性があるのですが、後半スピードアップ出来たのは嬉しいサプライズでした。還暦過ぎた年齢で記録が伸びるなんて私的には感激もので、アトランタオリンピック女子マラソンの有森裕子選手が言った。「自分で自分を褒めてやりたい。」を今回恐れながら私も使わしていただきます。最近気の滅入る事が多く、やる事なす事「自分で自分を叱ってやりたい。」事ばっかりの私でしたから、たまにはこんな良き日もあってよいでしょう。

  

 

 

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大菩薩、恩若ノ峰から源次郎岳

2011年12月08日 | 山歩き

12月7日(水) 大菩薩、恩若ノ峰~源次郎岳   天気=晴れ

 

07:31塩山駅 08:00~20登山道入口 09:07~21恩若ノ峰 10:36作業道(左)入口 11:10~38源次郎岳 11:51~551530m峰 12:08~22林道出合(自転車残置場所)(自転車)12:54甲斐大和駅

 

 塩山市の東に位置する恩若ノ峰から源次郎岳にかけての尾根コースは、昭文社の登山地図では「道形は認められるがヤブうるさい。道標殆んど無く判断力を要す。」と記されている。でもインターネットで検索するとかなり歩かれており、ルートもそんなに困難では無さそうなので出掛けてみた。
 早朝割引が効く4時前に圏央鶴ヶ島ICから圏央道に入る。談合坂SAで朝食を取り勝沼ICで下りる。30分程掛けて日川渓谷の奥にある嵯峨塩温泉の更に奥、嵯峨潮深沢林道の源次郎岳下山口に持参した折畳み自転車を残置する。再びJR甲斐大和駅側のセブンイレブンまで戻り、此処のパーキングに車を駐車する。黙って駐車するのは申し訳ないので罪滅ぼしにお茶を購入する。甲斐大和駅からJR電車に乗って二駅先の塩山駅で下車、簡素な佇まいの駅前には大菩薩峠行きのバスが1台停車しており、ハイカーらしき数名の乗客がいた。
 準備を整えると駅から東に見える恩若ノ峰へ向け歩き始める。笛吹川支流に架かる橋を渡って20分ほどで国道級の広域農道に着いた。背後には南アルプスの白根三山が雪を被って真白に見える。「文殊院」と記された標識に従い葡萄畑の拡がる坂道を登って行く。恩若ノ峰への案内標識は皆無だが、日川警察署が張った熊注意の標示板が登山ルートだと教えてくれている。

 

 

 広域農道から塩山市街

 

 熊の注意情報標示板  

 

 葡萄畑の中の急坂を登って行く。畑の番犬どもがワンワン吠え立てる。つき当たりで左折して進むと車道が分岐しておりその間に登山道らしき道形がある。右折して車道を詰めたが、ヤブに覆われた道はその先で途切れており、どうも先程の分岐にあった登山道が正解のようだ。引き返してその道を登って行く。
 
   

 

 

   

 登山道入口

 道は細々と続いて確実に高度を上げて行く。尾根に達してからは落葉の中に、迷うことなく道は続いている。山頂間近になると道案内のテープや標示板が増えてきた。そして木立に囲まれた恩若ノ峰(983m)に着いた。山名を記した小さな木製プレートが1枚あるだけの山頂は静まり返り展望は全く無い。

  

 恩若ノ峰山頂

  此処でお茶とパンだけ食べて山頂を後にする。源次郎岳へ向う尾根道は、目印のテープ等が随所にあるので、尾根の分岐で一度躊躇した他は迷う所は無かった。最初はピークを巻くアップダウンの少ない歩き易い道だったが、徐々にキツイ登りが増えてきた。ズーッと樹林帯なので展望は効かないが、木々は殆んど落葉しており明るい尾根道だ。

 

 

  

 源次郎岳へ向う尾根道

 

 登山道から源次郎岳

 

 変り映えのしない道を1時間余登ると左右に作業道の分岐が現れた。ロープで遮られているので道を誤る心配はない。その先で源次郎岳が姿を現した。随分高く急に見える。一旦鞍部に降っていよいよ山頂へ向け最後の登り、実に急傾斜で途中に張られたロープ等に助けられながら登って行く。左手の樹間越しには大菩薩嶺や奥秩父の雁坂峠等を見る事ができる。急登が尽きた疎林の台地が源次郎岳(1477m)だった。行く手が更に高く見えるので標識が無ければ、此処が山頂とは思えない。

 

 

 源次郎岳山頂 

 

 木々が点在する山頂からの展望はあまり良いとは言えないが、全て落葉した今は樹間越しに富士山を始め奥秩父や大菩薩の山々が指呼できる。山頂の一角で初めてゆっくり食事をとる。明るい日差しの中でノンビリできるのは何とも心地よい。
 食事を終えると山頂を後にする。一度降って登り返していると単独の中年男性がやって来た。お互い会釈だけしてすれ違う。登り着いたピークは地図に名は無いが、1530m程の標高で本日の最高地点です。此処からは明るい木立の中の笹原に刻まれた道を緩やかに降って行き、13分程で自転車を残置している林道に降立った。

 

 

 

 源次郎岳からの下山道

 

 

 下山口の嵯峨塩深沢林道

 

 早速自転車を組み立てると、後は自転車が引力に引かれてグングン降って行く。実に壮快だ。山歩きも楽しいけれど、自転車のダウンヒルも楽しくて病みつきになりそうです。心配なのはブレーキで、多用し過ぎるから一寸効きが甘くなってきた。帰ったら自転車ショップで点検してもらおう。
車を停めてある甲斐大和には30分程で着いた。これを歩けばコースタイムが3時間45分程もあるから自転車の威力は絶大です。早い時間に下山できたので帰りは高速料金節約のため、一般道を通って夕刻我家に帰着した。
 

 

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福岡国際マラソン

2011年12月06日 | マラソン

 平成23年12月5日  天気=晴れ

 昨日の福岡国際マラソン、多くの人が観たと思いますが、埼玉県庁の川内選手の熱走には感動しました。終盤、今井選手とのデッドヒートの時は、思わず「行け、行けー」と声を出し拳を握ってしまいました。公務員の仕事の合間に練習する市民ランナーが並み居るエリートランナー達を蹴散らかして勝利する姿に、市民ランナーに限らず多くの人が勇気付けられたのではないでしょうか。しかしシビアに考えると、川内選手が日本人選手のトップでいる現状では、日本がオリンピックマラソンで金メダルを得るのは難しいでしょうね。以前は根性や努力で何とかなったものがレベルが上がり過ぎて、人種の差と言うか素質の差と言うか。例えれば「トヨタカローラがポルシェカレラとカーレースやってるようなもんで、今後日本が金メダルを得るには、ケニヤやエチオピアあたりの有望選手に帰化してもらうしか手が無いんじゃないでしょうかね。でもそこまでしてメダルが必要なのか。という意見もあるでしょうし、もうメダルメダルと大騒ぎするナショナリズムの時代じゃないと私は思いますけど。

 

 

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椎名誠さんの講演会

2011年12月06日 | 日記

 平成23年12月 3日(土)  天気=雨後曇り

 今日雨の中、桶川市民ホール開催された作家、椎名誠さんの講演会に妻と行って来ました。以前インターネットで申し込んでおいたものです。彼の一寸いい加減で飾らない文章が好きで特に旅行記等は、愛読していました。実物がどんな人か楽しみだったんですが、ジーパン姿で現れた椎名さんは以前やってたビールのCMそのままにカッコいいオジサンでした。(あの当時より少しばかり老けたかな。)「異文化としての日本」と言うのが演題だったんですが、椎名さんの気の向くままアッチ飛びコッチ飛びで話は進んでいきました。結局、百カ国以上を旅した彼が言いたかったのは、「何処に行っても美味しい水が飲め、清潔なトイレがあり、多機能な携帯が普及している日本という国は、70億人の世界の中では極めて異質何だよ。」という事じゃないでしょうか。「70億人の中で30億人が満足な食事が出来ず、22億人に決まったトイレが無い。」とも話していました。そんな恵まれた国?に居ながらちっとも幸せを感じない日本人民というのも異質なんでしょうかね。

 

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我家から見える谷川岳

2011年12月06日 | 日記

 平成23年12月 1日(木)  天気=雨

 大気の透明度が高い11月の下旬、マンション9階にある我家から白く冠雪した谷川岳を確認する事ができました。都心から遠く離れた武州の国に建つマンションは、それゆえ眺めの良いのが、唯一の自慢です。暇つぶしに我家から見える山や建物の距離を地図で測定してみました。谷川岳(108km)、富士山(90km)、筑波山(70km)、新宿東京都庁ビル(38km)、今話題の東京スカイツリーは、本体部分の中央から下が手前のビルで隠され、細くなった上部しか見えないので残念ながらよっぽど大気の条件が良くないと肉眼では確認できません。これから寒くなる冬の季節は晴天率もアップするので、山岳展望を楽しむ機会が増えて楽しみです。私が此処に移り住んだ最大の理由も、実はこの展望に魅せられたからなのです。・・・・一寸見栄を張ってしまいました。都内から離れたこの辺りでないと我家の経済力では購入する事が出来なかったというのが、最大の理由でした。

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