Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

カラパタールトレッキングでお世話になった人達

2019年01月10日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 

西遊社添乗員の紙谷さん

 長身で優しいナイスガイだが、北米のマッキンレーやアマ・ダムラムにも登頂した本物の山男、彼の誠実で気配りのあるサポートのお蔭で素晴らしい旅の思い出ができたと思う。機会があったら、彼の添乗で又旅がしてみたい。(実名を伏せるか迷ったが、西遊旅行社のHPで彼の紹介欄があるので公開させてもらいました。)

  

ガイドリーダーのニマさん

 シェルパ族らしい精悍な風貌で実力体力とも兼ね備えた優れたガイドリーダー、日本語の他インド語や中国語にも堪能で、我々のどんな要望や疑問にも応えてくれる頼もしい山男だった。

 

ガイドのダワさん

 一見プロ野球DeNAのラミネス監督に似た感じがするシェルパ族のガイド、普段は穏やかで口数少ないがとても頼りになる。彼が先頭を歩く事が多く、時折り私がスローペースに嫌気が差し「ダワさん、I ll try my own pace」と言って列を離れ単独で歩く時も「OK.OK」と笑って許してくれた。

 

ガイドのニケシュ君

 外見が漫才コンビ「オードリー」の春日に一寸似ている。彼は19歳でカトマンズの大学生、アルバイトでガイドをやっているそうだ。明るい性格で体力抜群、現在日本語を勉強中だそうで、拙い英語と日本語で彼と会話を交わす機会が一番多かった。

 

コックのプラディさん

 風貌が漫才コンビ「B&B」の島田洋七に少しだけ似ている陽気なシェルパ族のコックさん、彼の作る料理はどれも美味しく、そのお蔭で旅の期間中を元気に過ごす事ができたのだと思う。

 

 

ゾッキョ頭のペンパさんと娘のソナムちゃん

 3頭のゾッキョを率いて我々の荷物を運んでくれたゾッキョ頭のペンパさん、時折り挨拶を交わすくらいで彼と話す事は殆ど無かったが、穏やかで優しい人柄の人だった。

ペンパさんの娘、ソナムちゃん

 まだ小学校6年生の女の子、毎日4キロも歩いて学校に通っているそうだ。父親のペンパさんを助けてゾッキョの世話をする「おしん」のような健気な娘さん、英語も我々より遥かに堪能で、はにかんだ笑顔がとても可愛らしかった。

 

 ポーター兼キッチンヘルパーのチラン君

 ニケシュ君と同年輩の青年で、彼は主にコックのパラディさんの助手的な役割だったので、我々と交える機会が殆ど無かった。今は修行中だが、彼もいずれはシェルパガイドとして巣立っていくのだろう。

 

  上記の人達のお蔭で素晴らしいトレッキングができました。

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カトマンズ市内観光巡り&帰国

2018年12月30日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月8日(木)     天気=晴れ

 

カトマンズ市内観光 

 ホテルで朝食を終えた後、カトマンズ市街地の西部に建つスワヤンプナート寺院へ行ってみる事にした。ガイド本「ネパールの歩き方」の地図を頼りに妻とホテルを出発する。

 お祭りで祝日のせいか、道路はいつもの渋滞が無い

 タメル地区の商店街を抜け埃っぽい市街地を通って、ヴィシュヌマティ川に架かる橋を渡ると遠くに白い仏塔が見えてきた。

 朝方のタメル地区も人が少ない

 スワヤンプナート寺院へ向かう市街地

 ヴィシュヌマティ川に架かる橋を渡る

 白い仏塔が遠くに見えた

 寺院は丘の上に在り、そこへ至る階段が意外に長くて汗を滲ませ登った。階段を上がった所が料金所で、外国人は一人4ドル徴収される。(現地の人は無料)色黒で現地人と見紛う風貌の私はバレないと思ったが、しっかりお金を取られた。(妻と一緒に行ったのがまずかったか。)

 階段下の寺院入口

 長い階段を登る

 階段最上部(左の建物が料金所)

 スワヤンプナート寺院は高台の上に建ち、中心に白い仏塔があって周囲を寺院や土産物店などが取り囲んでいる。又展望も良くてカトマンズ市街地を見渡せたが、スモッグで霞んだ風景だった。

 カトマンズ市街地を睨む白い仏塔

 寺院の建物

 同 上

 寺院内の土産物店

 寺院から市街地の眺め

 階段下の門前商店街

 再び川を渡って戻る

 下町の商店街という雰囲気

 商店街の肉屋さん

 タメル地区に戻って来た

 寺院からホテルへ戻ると、お昼は全員でサンセットビューホテル内にある蕎麦店「ヒマラヤソバ処」へ向かう。此処は西遊旅行社定番の料理店のようで、全員そば定食を注文した。日本の蕎麦に比べると切れ味はイマイチの感であったが、ボリュウムもあって中々美味しかった。

 蕎麦処があるサンセットビューホテル

 ヒマラヤ蕎麦処の店内

 ボリュウムある蕎麦定食(蕎麦はお代り自由)

 午後は有志の人だけで、カトマンズ市内半日ツアー(一人5千円)に出掛けた。参加者はYさん、Mさんに我々夫婦の4名で、現地の女性ガイド、プローバさんの案内で、ワゴン車に乗り込み出発する。

 車中から、行列ができている映画館(殆どインド映画だそうです)

 最初はネパール最大のヒンドゥー教寺院があるパシュパティナートへ向かう。寺院の入口で入場料をプローバさんが払う。(スワヤンプナート寺院と同じく此処も外国人のみ4ドル徴収される。)

 パシュパティナート寺院の入口(料金所)

 寺院内に入ると土産物店が並び、店員が競うように声を掛けてくる。最初にバグマティ川沿いにある火葬場(アルエガート)を見学した。プローバさんの説明では、「死者は川辺で火葬されると遺灰は全て川に流される。」との事だ。だからカトマンズには墓地が無いそうだ。

 火葬前、死者に弔いの飾り付けをする身内や友人の人達

 今も2箇所が火葬の最中で、対岸から外国人を中心に大勢の人が見学してる。火葬場が観光名所というのも驚きだが、死者を見慣れぬ我々にとっては一寸ショッキングな光景だった。真ん中に在る橋の右側が金持ち用で左側が庶民用焼き場だそうで、死んだ後でも歴然とした格差があるようだ。

 火葬の光景(死者の長男が火をつけるそうだ)

 火葬場の対岸にある仏塔群(前に居る人達は火葬場を見物している人)

 仏塔群を横から見ると

 次にパシュパティナート寺院へ向かった。ここはネパール最大のヒンドゥー教寺院で信徒以外は院内に立入る事ができない。信徒の人は門外で裸足になって参拝している。ネパール人以外にインドの人も多いようだ。我々は門の外から中を眺めただけだった。

 地震で損壊した寺院の修復現場

 ヒンドゥー教徒しか入れないパシュパティナート寺院の門

 門の入口で写真を撮るインド人の親子

 再び車に乗ると次はボダナート寺院へ向かう。此処にはネパール最大の仏塔が在り、それを取り囲んで賑やかな商店街となっている。此処でも外国人は一人4ドル徴収された。

 ボダナート寺院のネパール最大の仏塔

 仏塔の上で記念写真

 同じく仏塔の上から

 仏塔と外周の商店街(殆どチベット族の店)

 同 上

 仏塔を見物した後商店街を巡ったが、その一隅に明治時代に日本人で初めてチベットを探訪した仏僧にして探検家の河口慧海を讃えるプレートが設置されていたのは意外な発見だった。

 河口慧海を顕彰するプレート

 ガイドのプローバさんが我々をチベット仏画を販売する店へ案内してくれた。1階が販売フロアーで、2階に工房があり数名の絵師が仏画を描く作業をしていた。販売されている絵は、数千円の物から高い物では数万円の絵もあった。

 チベット仏画の工房

 プレーバさんと店の主人が熱心に説明してくれたけれど、土産物にしては高価だし、結局誰も購入しなかった。ボダナート寺院の商店街を一巡した後、再び車に乗って午後3時半頃ホテルへ戻った。

 車中から街の風景

 夕食は再びニマさんの案内で、ネパール料理店「ウッサブ」を訪れた。ネパール伝統料理のダルバートをツマミに飲むビールが実に美味であった。この店にはステージがあって、双子?の美女が踊る民族ダンスを見ながらの食事であった。

 ネパールレストラン「ウッサブ」の店内

 ダンサーの女の子

 別の女の子

 最後は二人一緒に踊る

 ダンスは日本の盆踊りを早回ししたような感じで、真剣な表情で艶やかに踊る彼女達は日本のAKBにでも仲間入りすれば、けっこう人気が出るかも知れない。

 

 

 

 

 11月9日(金)

 帰国の途へ

 

 宿泊するアンナプルナホテルの朝食はレストランでのバイキングだが、これがメニューが多くてどれも美味しい料理ばかりだった。今日は帰国の飛行機に乗るだけなので、セコイ私はランチ用にとパンを隠し持ち部屋へ戻った。

 ホテルのバイキング朝食

 荷物を整理して午前10時半にホテルを出発、空港へ向かう。今日のカトマンズはお祭りの祝日なので、渋滞も無く15分程で空港に着いた。空港の入口で見送りに来たニマさんとお別れする。彼は本当に優れたリーダーで、我々の旅を素晴らしいものにしてくれた。

 見送りに来たニマさんと一緒に記念撮影

 カラパタール登山を終えた後、「お二人は本当に強いです。」とニマさんが誉めてくれた事は、お世辞かもしれぬけれど我々夫婦にとっては何より嬉しい言葉だった。

 カトマンズ空港は相変わらずの混雑だったが、我々を乗せたタイ航空640便は1時間程の遅れでカトマンズ空港を飛び立ち、午後7時過ぎバンコク国際空港に到着した。此処で関西空港への飛行機に搭乗するYさん、Mさん、T子さんとお別れとなり、我々は午後10時30分発のタイ航空成田行きの便に乗り、翌10日の朝6時過ぎ朝靄煙る成田空港へ戻って来た。

 国際線待合ロビー

 1時間遅れで搭乗

 朝焼けの上空

 朝靄の成田空港へ着陸

 19日間の旅を終わってみれば素晴らしい日々の連続で、この眼で見たヒマラヤの風景が夢のようにも思えてくる。チャンスがあったら来年も又こんな旅がしたくなった。

 

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トレッキングを終え、カトマンズへ戻る。

2018年12月28日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月7日(水)     天気=晴れ

09:00ルクラ → 10:30カトマンズ

 シェルパロッジで迎えた朝は快晴で、これでカトマンズへ帰る飛行機に乗れると一安心。トレッキング最後の朝食を終え、シェルパ頭のニマさんと添乗員のCさんを除く他のスタッフとは此処でお別れする。時間が無くて大して感謝の言葉も言えぬまま、慌ただしい別れとなったのは残念だった。

 ルクラ空港の朝

 ルクラ空港は行く人来る人で大混雑しており1時間以上待たされたが、ニマさんの手際よい采配で、9時過ぎの飛行機に搭乗ができた。(個人だったら半日経っても乗れなかったかも知れない。)飛んでしまえばアッいう間で、10時30分にはカトマンズ空港へ戻って来た。

 テラ航空の飛行機に搭乗

 機内の様子

 ヒマラヤの高峰が遠ざかる

 カトマンズへ戻ってきた。

 現地ガイドのサンタさんが車で出迎えてくれ、トレッキング前に泊ったアンナプルナホテルへと向かう。サンタさんに「如何でした?」と訊かれ、「サンタさんから貰ったカタのお蔭で素晴らしい旅ができました。」と応えた。

 カトマンズ空港国内線の出口

 アンナプルナホテル

 お昼はホテル近くの日本料理店「古都」ですき焼き定食を食べ、久々の和食を満喫した。その後ホテルの部屋に戻り、念願のお風呂にドップリ浸かり2週間分の垢を落す。

 散策コース

 フリータイムの午後は、ガイド本「ネパールの歩き方」を片手に妻と市内散策に出掛けた。カトマンズ市内は今お祭りの最中で、アチコチの店先ではカラーパウダーを使った絵模様を飾られていた。

 店先でパウダーを使い絵模様を描く(神様を迎え入れる為だそうだ。)

 最初に市内最大の観光名所、ダルバール広場へ向かう。ホテルを出て広場への道は門前町のような商店街で、お祭りを祝う人々で大混雑している。そんな道を平気でバイクや車が突っ込んでくるものだから事故が起きないのが不思議な程だ。

 ダルバール広場へ向かう道

 同 上

 同 上(花飾りを売る出店)

 人波に押されながら辿り着いたダルバール広場は、旧王宮跡地で由緒ある古い建物が立ち並んでおり、日本で言えば浅草みたいな雰囲気だった。幼い女児の生き神様が住むクマリの館では、日本人ツアー客相手にガイドのおじさんが日本語で解説してたので、隣で盗み聞きした。

 ダルバール広場

 クマリの館前景

 日本人客に説明するガイドのオジサン(真ん中の人)

 広場周辺の建物の多くは3年前に発生した大地震で損傷を受けており、中国や日本など外国の援助で修復工事が行われていた。広場から同じ道を戻りたくなかったので、違う道を歩いたけれど、こちらの道も随分賑わっていた。

 旧王宮の建物(中国の援助で修復中)

 土産物の装飾品を売るノミの市みたいな出店

 その後トレッキング前にも訪れたタメル地区の商店街に立寄った。此処はカトマンズ市内で外国人が一番集う繁華街で、登山用具店やホテル、レストラン等が軒を連ねいつも賑わっている。しばらく土産物など物色し、ホテルへ戻った。

 夕闇のタメル地区商店街

 タメル地区中心部に飾られた大きな絵模様

 高級靴店の鮮やかな絵模様

 店先でお祭りを祝って踊る女性達

 夕食はニマさんの案内で、ホテル近くに在るオッピングという名のレストランで、火鍋を使ったチベット料理を美味しく堪能した。日本へ帰れば和食はいつでも食べられるから、こんな異国料理の方がありがたかった。

 夕食はレストランでチベット料理を堪能(左奥がニマさん)

 

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カラパタールトレッキング14日目~15日目

2018年12月23日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

11月5日(月)     天気=曇り時々晴れ

 

ナムチェバザール08:06→ 10:20モンジュ→ 13:50バグディン(歩行5時間)

 

 ヤクのキャラバンの後を従うようにナムチェバザールを出発する。此処を降ればルクラまで深い谷間の道となるので、もうエベレストを始めとするヒマラヤの高峰群を望む事はできない。トレッキングもいよいよ終盤に近付いたなと実感する。

 ナムチェの商店街をヤクのキャラバンのお通り

 ドードコシ川へ降る道の休憩ポイントでエベレストの勇姿が最後に見えるのだが、残念ながら雲に隠れてその姿を見る事はできなかった。川底のラージャ橋まで降って休憩する。

 休憩ポイントでエベレストは残念ながら見えず

 ラージャ橋を渡る

 ラージャ橋(2重に架かった吊橋)の下で休憩

此処から先は、ゴールのルクラまで谷間の道になる。今日のエベレスト街道は何だか凄い賑わいで、時折り渋滞も起きている。聞くところによれば、ルクラへの飛行便が前々日に欠航して、そのしわ寄せで昨日の便が倍増し、その人達が今我々とすれ違って大混雑となっているようだ。

 ラージャ橋から登りとなり、やがてサガルマータ国立公園のゲートがあるモンジュに着いた。モンジュから先の道中は、幾つも集落が点在し賑やかさが更に増してくる。

 モンジュの国立公園ゲートに到着

 モンジュの集落を行く大勢のトレッカー(まるで最盛期の富士登山を見るようだ)

 水が3段に流れ落ちる滝の傍に建つウォータフォールロッジで、ランチタイムとなる。ロッジの食堂に、エベレストトライアスロン大会のTシャツが飾られていた。ニマさんに聞くとルクラ付近をスタートし、エベレストベースキャンプまで一日で走り抜けるレースらしい。一体どんな人達が走るのだろう。40歳若けりゃ俺だって・・と思わないではなかった。

 ベシカルの3段滝

 ベシカルのウォーターフォールロッジでランチ

 ランチを終えて、1時間程の歩きで今宵の宿泊地バグディンのロイヤルシェルパリゾートロッジに着いた。往路の時にも此処で宿泊している。ロッジのレストランでは、テレビの衛星放送でインドのドラマが放映されていた。インド人がやたら踊りまくる内容でさして面白くも無かったが、文明が色濃くなった事を実感する。

 シェルパリゾートロッジに到着

 我々の荷物を運ぶゾッキョのキャラバンの方が健脚で、いつもは我々より早く宿に到着するのだが、今日は街道の渋滞で大幅に遅れ、ロッジに着いたのは我々よりも2時間程も後だった。

 今日の夕食で出た豚肉?の醤油煮がホルモン焼き風で実に美味かった。これをビールのツマミにすれば最高だ。感激したYさんが、コックのプラディさんからレシピを熱心に教えてもらっていた。

 

 

 

 

11月6日(火)     天気=晴れ後曇り

バグディン08:05→ 10:56ルクラ (歩行2時間半)

 

 いよいよトレッキングの最終日、明日はカトマンズのホテルでお風呂に入れる。そう思うと元気が湧いてくる。標高も3千mを切り、街道沿いの風景も信州の山麓を歩いているようだ。

 

 安曇野の風景に似て無くもない。

 岩に文様を描く地元の男性たち

 谷間の道からやがてルクラに向かって、緩やかで長い登りとなる。トレッキングで身体が高度順応したせいか、登りがそんなにきつく感じられない。前方の尾根上にルクラの建物が小さく望め、時折りルクラ空港へ向かう飛行機がまるで山腹へ激突するかのように降立っているのも見える。

 坂を黙々と登る馬のキャラバン

 山腹にぶつかるように着陸する飛行機

 長い登りを経て白い石門を潜るとルクラの集落であった。これで13日間に渡るトレッキングが終わった。ホッしたような名残惜しいような悲喜こもごもの感慨であった。でもカラパタールを登頂し、無事戻れたので嬉しい気持ちが優る。

 石門を潜ってルクラに到着

 ルクラのメインストリート

 今日は空港の隣に建つシェルパロッジでトレッキングで最後の夜を過ごす。午後はフリータイムなので、時間つぶしに集落の中を散策する。小さな集落にあまり見るべき場所は無いが、短い滑走路の坂を利用して発着する飛行機の様が興味深くてしばらく見物した。

 次から次に発着する空港のヘリコプター

 坂を利用して離陸する飛行機

 着陸寸前の飛行機

 ルクラ空港の搭乗風景

 商店街を散策

 宿へ戻ると、さっきまで元気だった妻がお昼に食べたハンバーガーを吐いてしまった。ジャンボサイズを無理して完食したので胃が受けつけなかったようだ。あるいは旅の疲れもあったかも知れない。

 シェルパロッジ

 夕食は我々をサポートしてくれたスタッフも交えて打上げの会食となった。トレッキング中に封印していたビールを生で久々に飲んだが、飲まない事に身体が慣れてしまったのか、期待した程美味くはなかった。

 13日ぶりにビールを飲む(左からKさん、Yさん、私)

 最後の夜なのでスタッフの人達とつもる話をしたかったが、妻が会食を欠席しベッドで臥せているのが気懸りで早めに部屋へ戻った。妻は「全部吐いたら気分が楽になった」と言うので、チョット安堵した。

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カラパタールトレッキング12日目~13日目

2018年12月17日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

11月3日(土)     天気=晴れ後曇り

 

パンボチェ08:35→ 11:46~12:28プンキテンガ(昼食)→ 14:03キャンジュマ(歩行5時間)

 

 バンボチェの朝は心地よい寒さで、標高が下がると空気の濃さと暖かさが全然違う。今宵の宿泊地キャンジュマまでは、アップダウンのさほど無い街道歩きなので、のんびり気分で出発する。

 バンボチェのエベレストビューロッジから望むローツェとエベレスト

 谷間の道を緩やかに降りドードコシ川に架かる長い吊橋を渡ると、タンボチェに向けて緩やかに登りになる。アマ・ダムラム峰が背後から我々を見送ってくれるかのようだ。

 長い吊橋を渡ってタンボチェへ

 アマ・ダムラム峰が見送ってくれる。

 尾根上のタンボチェ集落に達すると、雲をまとったエベレストの眺めが素晴らしい。タンボチェから標高差600mの急坂をジグザグに降り、川沿いのプンテキンガに着いてランチタイムとなる。標高が3200mまで下がって、空気の濃さを実感する。

 タンボチェへ到着

 タンボチェからエベレスト(左奥)とローツェ(右)

 プンテキンガを出発すると長い吊橋を渡り、今度はトラバース道まで標高差300m程の登りになる。そして世界一美しい景色のトラバース道が始まる。行きはエベレストへ向けて歩いたが、帰りはコンデリ峰(6187m)へ向けて進んで行く。

 コンデリ峰へ向かって進む。

 前を歩いていたニマさんが突然谷底を指さし「マウンテンゴーとがいる。」と私に声を掛けた。マウンテンゴートとは野生の山羊の事で、姿を見せるのは珍しいそうだ。

 マウンテンゴート(野生の山羊)が2頭(右上)小さく見えた。

 ゴーキョピークへの分岐を過ぎるとすぐにキャンジュマの集落で、午後2時過ぎにタムセルクロッジへ着いた。あと1時間も歩けばナムチェバザールまで行けるのだが、カトマンズへ戻る飛行機の搭乗日が4日後なので、あまり早くルクラへ到着しても時間を持て余して困るらしい。

 キゃンジュマのタムセルクロッジ

 ロッジの部屋からはアマ・ダムラムやエベレストの展望が良く、午後はノンビリ休養した。夕食はヤク肉がたっぷり入った本格的ハヤシライスで、トレッキング中に食べた料理の中でも断トツの美味さだった。

 

 

11月4日(日)     天気=晴れ後曇り

 

キャンジュマ08:02→ 09:25ナムチェバザール(歩行2時間)

 

 キャンジュマのロッジを朝8時過ぎに出発する。平坦なトラバース道をノンビリと1時間余歩いて、アッサリナムチェバザールに着いた。8日ぶりに戻ったナムチェの村がまるで大都会のように見える。

 キャンジュマのロッジからローツェ(左)とアマ・ダムラム(右)

 トラバース道をナムチェへ向かう。

 エベレストを背にトラバース道を進む。

 ナムチェの村が見えた。

 ナムチェ村を一望

 今日は時間がたっぷりあるので、宿へ行く前にソナム写真館(ヒマラヤの写真展示と販売をしている。)やサガルマータナショナル博物館(入館無料のビジターセンター)等を見学する。その後マウンティービューロッジに投宿し、ロッジで昼食を終えた午後は自由時間となり、ナムチェの街中をブラブラ散策したりして過ごした。

 サガルマータナショナル博物館

博物館の庭に立つシェルパ(女性シェルパで初めてエベレストに登頂した人?)像の前で記念写真

 ナムチェ村入口の共同洗い場で、地元の女性が賑やかに洗濯中

 ナムチェ村のメインストリート

 日本の居酒屋風のレストランもあった。

 マウンティービューロッジの前で

 10月25日にトレッキングを開始して以来お風呂やシャワーとは一切無かったので、早くカトマンズへ戻ってのホテルの浴槽にドップリ浸かるのが待ち遠しい。

 だけど明日ナムチェを出発すれば、エベレストを始めとするヒマラヤ高峰群の大展望とはオサラバしなくちゃならず、それが寂しくて去り難い思いも一方にある。

 ロッジから眺めるタムセルク峰(6623m)

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カラパタールトレッキング11日目

2018年12月12日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月2日(金)     天気=晴れ後曇り

ゴラクシェプ07:05→ 10:44~11:08トゥクラ→ 12:38~13:15ペリチェ(ランチ)→ 15:30パンボチェ(歩行7時間30分)

 

 昨夜は息苦しくて、あんまり眠れなかったと妻が言った。朝方測った血中酸素飽和濃度の数値が二人とも悪く、やはり標高5170mの高地は人間が健康で過ごすには過酷な場所だなと身体で実感する。

 「皆さんは疲労が溜まっていると思うので、今日はなるべく標高の低い所まで降ります。距離は長いですがパンボチェ(標高3860m)まで頑張って歩きましょう。」と添乗員のCさんが言った。

 白く輝くプモリ(7161m)が見送ってくれる。

 紺碧の空に白く輝くエベレストやヌプチェ、プモリなどの山々に別れを告げ、朝7時過ぎにゴラクシェプから下山を開始する。荒涼として美しいモレーンの道を歩いて、2時間余で一昨日に泊ったロブチェの集落を通過した。更に1時間余歩いてエベレスト遭難者の墓標が立つトゥクラ峠に着き、休憩がてら素晴らしい眺望を楽しむ。

 ヌプチェ(右奥の山7855m)ともお別れ

 ロブチェの集落(奥の山はタウチェ(左)とチョラツェ(右))

 トゥクラ峠

 峠から30分程急坂をジグザグに降り、一昨日T子さんと別れたトゥクラのロッジに着いてティータイムとなった。温かいミルクコーヒーが疲れた身体をホッコリ癒してくれる。

 峠からトゥクラへ降る

 トゥクラのロッジ

 トゥクラからドードコシ川に架かる小橋を渡ると直ぐに道が左右に分岐する。左は登りで歩いたディンポチェからの道で、我々は右の道に入り谷間の集落ペリチェへ向かう。ペリチェはドードコシ川の谷間に広がる美しい村だ。険しい山々がひしめくヒマラヤの奥地に、こんな桃源郷のような村が存在するのは不思議な感じがする。

 ドードコシ川に架かる小橋を渡る。

 ペリチェへの分岐

 ペリチェへ向かう谷間の道

 谷間の西側にはタウチェやチョラツェの峻峰が、南側にはアマ・ダムラムの鋭鋒が高々と聳え美しい山岳美を見せている。

 谷間から聳えるチョラツェ(6440m)

 前方に聳えるアマ・ダムラム(6812m)

 ペリチェには多くのロッジやレストランが在り、その中の一際立派なプモリロッジで昼食を取る。1時間足らずで昼食を終え、慌ただしくパンボチェへと出発する。

  プモリロッジにロッジに到着

 ペリチェからしばらく降ってドードコシ川に架かる橋を渡ると、往路で歩いたディンポチェへの道と合流した。その後は谷間を高巻く道を僅かに登り、その後は緩やかに降って行く。点在する集落や行き交う人も増え賑やかになってきた。物資を運ぶポーターの人も数多く見掛るが、中には信じられない程大きな荷物を担ぐ人もおり、現地の人の逞しさにはしばしば驚かされる。

 ドードコシ川に架かる鉄橋

 巨大な荷物を担ぐポーターの人

 午後になると雲が湧き出て曇りになるのは毎日の事だが、今日はいつもより厚い雲行きで雨を心配をしたが、結局降られる事も無く午後3時半頃パンボチェのエベレストビューロッジに到着した。

 谷間の道を降る

 前方にパンボチェの集落が見えた。

 ヒマラヤビューロッジに到着(ゾッキョの横に居るのはゾッキョ頭のペンバさん)

 此処の標高が3860mで4千mを切った。空気が濃くて暖かい感じがする。今朝方まで居たゴラクシェプとは段違いの快適さで、今夜はグッスリ眠れそうだ。

 夕食のマカロニサラダとお好み焼き風ホットケーキ

 今日のディナーはマカロニサラダとお好み焼き風のホットケーキ、元気が出たせいか食欲も増し、実に美味しい夕食だった。でも此処はまだ富士山よりも高い標高なので、ビールはゴール地点のルクラまでお預けです。

 

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カラパタールトレッキング10日目(カラパタール登頂)

2018年12月08日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月1日(木)     天気=晴れ後曇り

 

ロブチェ06:35→ 09:50~10:45ゴラクシェプ→ 13:10~25カラパタール峰→ 14:35ゴラクシェプ(歩行7時間00分)

 

 今日はいよいよカラパタール峰を登る日だ。今朝は4時半起きで6時半にはロブチェの宿を出発する。標高4930mの朝は半端無く寒く、たっぷり着込んで歩き始める。

 中央奥のプモリ峰へ向かって出発する。

 ロブチェからゴラクシェプへの道は、氷河跡地(モレーン)の岩屑の中に続く。登山道の右側には長大なクンブ氷河が横たわっている。紺碧の空と雪山の雄大な景色の中をジワジワと進んで行く。3時間程の歩きで前方にゴラクシェプのロッジが小さく姿を現し、左奥にカラパタールの黒い山容が初めて見えた。

 岩屑の道を進む。

 クンブ氷河沿いを進む。

 ゴラクシェプのロッジが見えてきた。(左奥の黒い山がカラパタール)

 10時前、エベレスト街道最奥の集落ゴラクシェプ(標高5170m)のヒマラヤロッジへ到着した。ロッジ内の食堂では多くのトレッカーが憩っており、我々もその一隅でプラディさんが作ってくれた暖かいラーメンを食べる。1時間程の休憩後、いよいよカラパタールへ向け出発する。

 ゴラクシェプへ到着

 ヒマラヤロッジ

 暖かいラーメンで英気を養う。

 此処まで頑張って歩いて来たKさんが「これ以上は無理」と自分で判断し、ロッジへ留まる事になった。結局参加者のうち、Yさんと我々夫婦の3名だけ山頂を目指す事となった。

 ゴラクシェプからエベレスト(左から2番目8848m)とヌプチェ(右7855m)

 野球ができそうな広い空地を横切って、いよいよカラパタールへの登りが始まる。砂礫と岩の道がジグザグに刻まれ富士山の登山道を思わせるが、標高5千mを超える薄い空気の高地なので、歩いているだけで息が切れてくる。

 広い空地を抜けてカラパタールへ

 カラパタールの登り口

 最初は緩やかな道

 眼下のゴラクシェプ集落

 牛歩の歩みでジワジワ登って行くと、ヌプチェ峰(7855m)の奥に小さく見えた世界最高峰のエベレスト(8848m)が、少しづつ高くなっていく。前方に望む黒いピークが山頂かと思ったが、近づくとそれは前衛の山で、カラパタールの山頂は更にそのズーッと奥に在った。

 登山道から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)

 一際高いエベレスト

 砂礫の道は岩がゴロゴロした道へと変わり、傾斜も増して歩き難くなってくる。旗で飾られた山頂が見えてはいるのだが、歩いても歩いても中々近づかない。私の前を歩く妻も苦しげな様子だが、脚を止める事は無く黙々と登り続けている。我身内を褒めるのも何だが、その体力と気力は凄いものだなと認識を新たにする。

 山頂は見えているが、中々近づかない。

 黙々と登る。

 絶景の中で一休み

 山頂直下で最後の休憩

 山頂直下からクンブ氷河を見下ろす。

 ゴラクシェプを出発してから約2時間半、厳しい登りを終え念願のカラパタール峰(5545m)へ到達した。ヒマラヤは午後になると決まって雲が湧き山を隠してしまうのでその前に登れるか不安だったが何とか間に合った。此処からエベレストの山頂を眺めるのが、私の長年の夢のであったが、それが実現して感無量の心境だ。

 カラパタール山頂(左よりYさん、我々夫婦、シェルパのニマさん、ダワさん)

 我々をサポートしてくれた左より、ダワさん、ニマさん、添乗員のCさん

 山頂の最高地点に登る私

 最高地点に在った山頂標識(標高5643mと記されている。)

 実際に見るカラパタールの山頂は、プモリ峰(7161m)の小さな支稜ピークに過ぎず、その先にもノコギリ歯のような岩尾根がプモリへと続いている。しかし此処から先へは、ザイル等の登攀具を装備した熟練の登山者しか登れない。つまりカラパタール峰が、トレッキングコースの最終ゲートなのだ。

山頂から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)(左端の氷河屈曲部がエベレストベースキャンプ地)

 山頂からヌプチェ峰

 山頂からエベレスト峰

 エベレストやヌプチェ等の山々が、雲に隠れ始めた。15分の短い滞在で山頂を後にする。下山の道も長かったが重力に引かれるように降り、山頂から約1時間余でゴラクシェプのロッジへ戻って来た。

 午後6時からの夕食は、ボリュウムたっぷりネパール伝統食のダルバートであった。登頂の祝杯をしたい気分だったが、何せここは標高5千mを越える高地、具合が悪くなってはまずいので今日もアルコールの類は自重した。

 食堂の壁に寄せ書きが書かれた紙が張られていた。それは「神々の山嶺」という映画を製作した日本の撮影隊のもので、「阿部寛」や「岡田准一」など出演者のサインもあり、台湾から来た女性トレッカー達が大騒ぎしていた。

 日本の映画撮影隊の寄せ書き

 カラパタール登頂を終え、明日からルクラへ向けて下山の道に入る。標高が下がれば空気が濃くなり寒さも和らぐので快適なトレッキングを楽しむ事ができるだろう。

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カラパタールトレッキング9日目

2018年12月05日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月31日(水)     天気=晴れ後曇り

 

ディンボチェ08:05→ 11:25~12:45トゥクラ→ 13:37~51トゥクラ峠→ 14:56ロブチェ(歩行6時間30分)

 

 今がベストシーズンだから当然の事かも知れないが、毎日好天が続く。天気の良い朝は「今日も頑張ろう。」と闘志も湧いてくる。今日は標高4900mのロブチェまで歩く。

 ディンポチェを出発する。

 朝8時過ぎディンポチェの宿を出発し、エベレスト街道を緩やかに登る。昨日ハイキングで歩いた分岐を過ぎると、周囲を険しい山々で囲まれた雄大な山上台地を進む。

 ディポチェから緩やかに登って行く。

 山上台地を進む。(背後の山はアマ・ダムラム)

 朝方の強い冷え込みで、大地を流れるセセラギが白く凍り付いている。眼下の谷間にはドードコシ川が流れ、ペリチェ村の家々が点在して小さく見える。川の対岸にはタウチェ(6501m)とチョラツェ(6440m)が鋭く高く聳えている。

 道沿いの小川が凍りついている。

 眼下にペリチェの集落が望める。

 タウチェ(左)とチョラツェ(右)をバックに

 平坦な山上台地を3時間程進むと、道はクンブ氷河から流れ出る川に遮られる。川に架かる小さな橋を渡り、岩のゴロゴロした歩き難い道を登り返すと、トゥクラのカラパールロッジに着き此処でランチタイムとなった。

 川の向かい側にトゥクラのロッジが見えた。

 川に架かる橋を渡る。

 トゥクラのカラパタールロッジ

 関西人らしく常に陽気なT子さんが先程から苦しげな表情をしている。「気管支炎を発症したみたいで息苦しい。」と本人の談、彼女は元々気管支の弱い体質であるようだ。

 それでなくても空気の薄い高地なのに息がし難いのではこれ以上登るのは困難と判断され、T子さんもヘリでカトマンズへ搬送される事になった。昨日のMさんに続きムードメーカー的存在であったT子さんまで離脱して、残るメンバーは4人だけになってしまい寂しい限りだ。

 ロッジでヘリを待つT子さんと別れの挨拶をして、我々はロブチェへと出発する。トゥクラからトゥクラ峠までは急登の道がしばらく続く。登る途中カラパタールロッジを見下ろすと、ヘリがT子さんを収容し今しも飛び立とうとしていた。(彼女はその日のうちにカトマンズの病院へ搬送された。我々がカトマンズに戻ると元気な姿で再会できた。)

 トゥクラ峠への登りからカラパタールロッジを振り返る。

 喘ぎながら1時間程急登を頑張り、トゥクラ峠(4830m)に着いた。此処は展望の良い場所で、エベレスト山群で遭難死した多くの登山者の墓標が祀られている。今は行き交う人も多くて感じないが、誰も居ない時に此処を通ると死者の魂に誘われそうで背筋が寒くなるかも知れない。

 トゥクラ峠のエベレスト遭難者を祀る墓標群

 峠からロブチェに向かって歩いて行くと、右前方にヌプチェ峰(7855m)、左前方にはプモリ峰(7161m)が白く輝いて聳えている。標高4800mを越えると川の流れは消え、道の右手には泥に覆われた長大なクンブ氷河が横たわっている。荒涼たる大地の中を歩き、午後3時前に数軒の宿が建つ標高4930mのロブチェに着いた。

 ヌプチェ峰(7855m)

 プモリ峰(7161m)

 トゥクラ峠からロブチェへ向かう道

 ロブチェに到着

 今宵はアバブザクラウドロッジに泊る。標高が上がり寒さは増々厳しくなるが、ロッジの居心地はそれ程悪くない。夕食はマッシュポテトにチラシ寿司、コックのプラディさんが作る料理は多彩でアルコールが飲めない我々の胃袋を楽しませてくれる。明日はいよいよカラパタールへ登頂する勝負の日、不安もあるが何だかワクワクする。

 

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カラパタールトレッキング8日目

2018年12月01日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月30日(火)     天気=晴れ

 

ディンボチェ08:35→ 10:15~10:33展望の丘→ 11:20ディンボチェ(歩行3時間)

 

 今日は標高4343mのディンポチェに滞在し、休養日となった。とは言っても完全な休養では無く、集落近くの展望地(4650m)まで軽い山歩きをする。身体を動かした方が高度順応の効果があるらしい。

 先日のナムチェ坂の登りでは元気にトップを歩いていたMさんの表情が、昨日辺りから冴えなくなった。ご本人曰くお腹を壊して食事が思う様にとれないそうだが、高山病の影響があるのだろうか。 

 朝8時半過ぎ、ソナムフレンドシップロッジを出発する。深い谷間の集落にはまだ陽が届かず、水溜りには氷が張っていた。朝の光が後光のようにアマ・ダムラム峰の肩を貫いて、西に聳えるタウチェやチョラツェの山々を照らしている。

 ソナムフレンドシップロッジ

 アマ・ダムラムに朝陽が差す

 最初はロブチェへ向かう道を緩やかに登る。石の塔婆塔が幾つも建つ分岐地点で右へ曲がり、ポカルス峰(5806m)へ突上げる登山道に入る。我々が目指すのは山頂では無く、そのズーッと下にある展望地点の丘だ。分岐から尾根道をジグザグに登って、約1時間程で展望の丘に着いた。

 分岐地点(背後の山はカンテガ(左)とタムセルク(右))

 分岐地点からロブチェ方面

 分岐からディンポチェの集落

 展望の丘(左からT子さん、Yさん、、我々夫婦)

 石塔が建ち旗がたなびく標高4650mの展望の丘からは、素晴らしい眺望が拡がる。アマ・ダムラムやカンテガの鋭鋒が南に聳え、西にはタウチェやチョラツェが白く輝いている。北のエベレストは前衛の山に阻まれて望めないが、西には世界第5位の高峰マカルー(8485m)が、三角形の俊峰を突上げている。

 展望の丘からマカルー方面(中央奥の小さな三角形の山がマカルー)

左奥がアイランドピーク(6160m)、右隣のピークがチョポル(6711m)、右奥がマカルー(8462m)

カンレヤムウ峰(6230m)ヒマラヤ襞が美しい。

 カラパタールトレッキングでは世界の高峰ベスト5のうち、第1位のエベレスト、第3位のローツェ、そして第5位のマカルーを見る事ができるのだから、それだけでも凄い事だと思う。

 展望の丘からカンテガ(6779m)方面(中央奥の双耳峰)

同、アマ・ダムラム方面(6812m)

 同、タウチェ(左6501m)、チョラツェ(右6440m)方面

 

 マカルーの左手に見える少し低い山はアイランドピーク(6189m)で、エベレストを目指す登山者が高所順応トレーニングの為よく登るそうだ。同じ山岳会の岳友だったH君が、20年程前にこの山を登り、その時の写真を見せてくれたけれど、寡黙で優しい山男だった彼も、病に臥し50歳前後の若さであの世へと旅立ってしまった。彼の面影が一瞬瞼に浮かんだ。

 素晴らしい眺望を堪能し、展望の丘を後にする。下山の道は足も軽く、1時間足らずでデンポチェの集落へ戻ってきた。時間がたっぷりあるので、午後はディンポチェの集落を散策する。

 展望の丘から登って来た道 

 ディンポチェへ降る

 と言っても小さな村なので、端から端まで歩いても30分とかからない。村の入口には白壁に金色屋根の立派な仏塔が鎮座しており、雄大なローツェの南壁が背景となって絵になる眺めだった。

 ディンポチェ集落入口の仏塔(奥はローツェの南壁)

 ディンポチェからローツェ南壁

 集落内にあった太陽熱湯沸し装置

 

 午後のティータイムに食堂へ行くと、Mさんが自分の荷物をまとめて沈痛な面持ちで座っていた。やはり体調が回復せず血中酸素飽和濃度の数値も悪いので、相談の結果ヘリでカトマンズへ降る事になったという。「皆さんは頑張ってカラパタールを登ってください。」という言葉を残してMさんは宿を去って行った。

 ロッジでのティータイム

 エベレスト街道ではヘリコプターによる救難体制が整っており、ヘリポートへ行けば搭乗希望の登山者やトレッカーをすぐにピックアップしてくれる。保険に入っていれば高額なヘリの料金も保険で賄えるそうだ。

 時間が遅かったせいでMさんは一旦ルクラで降りて、翌日カトマンズの病院へ入院したそうだ。(その後すぐにMさんは回復し、我々がカトマンズに戻った時に再会できた。)

 6人の参加者の内、一人が欠けただけで何だか気分が落ち込んだ。でも明日は標高4930mのロブチェまで歩かねばならず、落ち込んでいられない。「体調に気をつけて明日も頑張ろう」そう思いつつ眠りについた。

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カラパタールトレッキング7日目

2018年11月28日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月29日(月)     天気=晴れ後曇り

タンボチェ07:35→ 09:58~10:33パンボチェ→ 11:35~12:28ソマレ→ 14:43ディンチェ(歩行6時間30分)

 

 今日は4千mの標高を越えてディンポチェを目指す。朝方、群青の空にエベレストとローツェが高々と聳えて見える。タンボチェの宿を出発し緩やかに降ってドードコシ川に至り、長い吊橋を渡って川の東岸から西岸へ移る。

 タンボチェからエベレスト(8848m)(左奥)とローツェ(右)(8516m)

 タンボチェを出発する。

 デポチェの集落で最初の休憩(左奥の山はコンデリ(6187m))

 長い吊橋を西岸に渡る。

 行く手にはアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。街道の途中に民族衣装を纏い籠を背負った老女が居た。トレッカーの一人が彼女にカメラを向けると、手を突き出し金を請求している。どうやら写真のモデルになる事で彼女は金を稼いでいるようだ。世の中にはいろいろな働き方があるもんだ。

 前方にアマ・ダムラム(6812m)が大きくなる。

 渓谷沿いの道は徐々に標高を上げて行く。道沿いには点々と集落があり新築や増築中の家も多く景気が良さそうだ。数軒のロッジが並び建つバンボチェ集落のロッジでティータイムとなる。

 バンボチェの集落に近づく。

 バンボチェのエベレストビューロッジでティータイム

  バンポチェからソマレへの道

 ロッジの屋根の上に、アマ・ダムラム峰が天空を突き刺している。バンボチェから1時間程の歩きでソマレ集落に着き、スリナムロッジで昼食を食べる。此処の標高が4040mで、4千mのラインを越えた。添乗員Cさんの話では標高4千mを越えると高山病に罹る人が増えるそうで、予防の為には水分を多めに摂取する事と身体を冷やさない事が肝要だそうだ。

 ソマレのスリナムロッジでランチタイム

 ソマレからタウツェ(6501m)

 4千mを境に緑濃い樹林帯は後退し、荒涼とした大地に変る。この上に人の住む集落などあるのだろうかと思わせる風景だ。やがてドードコシ川が左右に分岐する地点に着く。左はエベレストのクンブ氷河から流れ出る川で、右はディンボチェ方面から流れる川だ。

 ドードコシ川の分岐地点

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡り、我々は右の道に入る。最初はジグザグの急坂なので登っていると息が乱れる。やがて緩やかな登りと変り、雄大な大地の中を進んで行く。しばらく行くと、ディンポチェ(標高4343m)の集落が前方に小さく見えた。

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡る。

 ディンポチェへの道

 ディンポチェは高地に在るとは思えぬ賑やかな集落だった。ソナムフレンドシップという名のロッジが我々の宿で、高度順応の為に此処で連泊する。四周を山に囲まれた地形の中に集落はあり、怪峰アマ・ダムラムが今朝ほどとは異なる姿で聳え立っている。

 川沿いに広がるディンポチェ集落

 ディンポチェ集落の真上に聳えるアマ・ダムラム峰

 夕食はネパール定番メニューのダルバートで、大皿に盛られたカレーと煮野菜がとても美味しかった。明日はディンポチェに滞在し、休養と高度順応を兼ねて近くの展望地まで散策する。

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カラパタールトレッキング6日目

2018年11月24日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 10月28日(日)     天気=晴れ後曇り

ナムチェバザール07:40→ 11:05~25キャンジュマ→ 11:56~12:40プンキテンガ→ 14:58タンボチェ  (歩行7時間)

 

 今朝も厳しい寒さだが、朝陽輝く心地よい朝を迎えた。屋根の上にはコンデリの白い鋭鋒が輝いている。軽い準備体操をした後にAM7:40頃ホテルを出発する。ナムチェの外れまでは昨日シャンボチェへ歩いた道と同じだったが、その先から山腹を巻く水平歩道となる。

 ナムチェ村のはずれ(この先からトラバース道が始まる。写真は妻とニマさん)

 世界一美しいトラバース道が始まる

 水平歩道はエベレストやローツェ、アマ・ダムラム等のヒマラヤ高峰が素晴らしい景観で、「世界で一番美しいトラバース道」と呼ばれている。確かにその名に違わぬ眺めで、歩いていても心弾むものがある。

 息を飲む景観(左よりエベレスト、ローツェ、アマ・ダムラム)

 道の途中に建つ仏塔

 道の途中で募金を募る一人の年老いた地元住民がいた。彼の名はパサン・ラマさん、50年来個人でこの道の整備に尽力している人だ。募金は整備の資金を得る為らしく。行き交う殆どの人が募金していた。

 募金を募るパサン・ラマさん

 長々と続く水平歩道だが、道沿いには集落が点在しロッジや売店も数多い。行き交う人も絶える事が無く、ハイシーズンの富士山や尾瀬の歩道を思わせる賑わいだ。

 キンジュマの土産物店

 ティタイムをしたキンジュマのタムセルクロッジ

 進むにつれ怪異な姿をしたアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。私が子供の頃に何かの写真でこの山を見て、「世界にはこんな凄い山があるんだ。何時かは本物を見てみたい。」と幼心に思った記憶がある。その山が、今目の前に聳えている。

 アマ・ダムラム峰(中央奥6812m)と手前の尾根上にタンボチェの集落が見える

 アマ・ダムラムの手前に見える緩やかな尾根上に、今宵の宿泊地タンボチェの家並みが小さく望まれる。そう遠くに感じないが、そこへ行くには一旦深い川底まで降り再び登り返さなければならない。

 長い吊橋を渡る

 水平道からジグザグに降ってドード・コシ川まで200m程標高を下げ、川に架かる長い吊橋を渡る。吊橋を渡ったすぐ先のプンテキンガのロッジでランチタイムとなる。今日のメニューはパスタにポテト炒めなど、疲れた身体を癒す美味しい料理だった。

 プンテキンガのロッジ(ここからタンボチェまで急登が続く)

 プンテキンガからタンボチェまで標高差600mの長い登りが始まる。ナムチェ坂に優るとも劣らないエベレスト街道の難関で、この坂を登り切らないと宿泊地のタンボチェへ辿り着かない。

 タンボチェへの長い登

 標高が上がるにつれ川音が小さくなり、頭上を見上げると今までタムセルクに隠れていたカンテガ峰(6779m)が圧倒的な存在感で高く聳えていた。約2時間の苦しい登りを終え、尾根上に数軒の建物が点在する標高3876mのタンボチェ集落に着いた。此処はもう富士山の山頂より高い場所だ。

 見上げるカンテガ峰(6779m)

 今宵我々が泊るのは「ホテルヒマラヤ」という立派過ぎる名前のロッジで、(エベレスト街道ではヒマラヤの名を名乗るロッジが多い。)部屋の間取りはシンプルながら窓から眺めるエベレストとローツェの眺めが豪華だ。

我々が泊るヒマラヤホテル

 タンボチェからエベレスト、ローツェの眺め

 同 上

 夕食まで時間があったので、シェルパ頭のニマさんがラマ仏教のお寺「タンボチェゴンパ」を案内してくれた。小さな集落にしては立派な寺院で、中は無料で見学できるが写真撮影は禁じられた。仏像を宗教画など異郷の文化と伝統が偲ばれ、有意義な体験であった。

 タンボチェゴンパの艶やかな門

 タンボチェゴンパ

 寺院内で憩う僧侶達

 お寺を出ると100m程離れた場所まで、添乗員のCさんが案内してくれた。そこには世界初の冬期エベレスト登頂を成し遂げその直後遭難死した登山家「加藤保男」や、その他エベレストで亡くなった日本人を含む何人かの登山者を偲ぶ慰霊碑が建立されていた。彼らの慰霊碑がエベレストとは逆のルクラ空港方面へ向いていたのは、生還を果たせなかった彼らの望郷を慮ってであろうか。

 登山家「加藤保男」の慰霊碑

 慰霊碑の建つ場所からは長々と横たわるコンデリ峰が正面に望まれ、輝く夕日がその中へ没しようとしていた。明日は怪峰アマ・ダムラムの山麓を通りディンポチェへと向かう。

 コンデリに夕日が沈む

 

 

 

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カラパタールトレッキング5日目

2018年11月21日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月27日(土)     天気=晴れ後曇り

 

ナムチェバザール08:12→ 10:00~50エベレストビューホテル→11:57~12:30クムジュン村→ 15:00ナムチェバザール (歩行5時間)

 

 毎朝、シェルパさんがお湯とホット紅茶を配ってくれると前回のブログに載せたが、その他に添乗員のCさんが参加者の健康手帳を準備しており、毎朝夕にパルスオキシメーターという器具で全員の血中酸素飽和濃度を測ってくれる。この数値が高ければ高度順応しているという事になり、通常通常90以上あれば良、60前後に下ると高度順応していないとなるらしい。

 我々夫婦の数値に毎回問題なかったが、何故かいつも妻の方が高い数値であった。妻の方が高度に強いのだろうか?そんな風に細やかな健康面のサポートがある事も、我々が安心してトレッキング専念できる力となっている。

 さて今日は高度順応と休養を兼ねた軽いハイキングなので、朝8時過ぎに気軽な気分で宿を出発する。ナムチェの村を見下ろす所まで登ると、西方にコンデリ(6187m)が白く輝いて大きく見える。

 ナムチェバザールの村と背後にコンデリ峰(6187m)

 ナムチェ村よりルクラから辿って来た渓谷を望む。

 ナムチェ村のはずれからシャンボチェの丘までしばらく急登の道が続く。辿り着いたシャンボチェの丘は名立たる景勝の地で、エベレストを始めとするヒマラヤの高峰群の眺めが言葉にならぬ程素晴らしい。

シャンボチェの丘より(右からアマ・ダムラム、ローツェ、江ブレスト、タウチェの高峰が望める)

 至福の散歩道

 丘の奥にはエベレストが正面に眺められるエベレストビューホテルが経っている。日本人が経営しているそうで、近くにはヘリポートも備えられお金を出せば此処まで歩かずとも来る事ができる。しかし長い道を経てこその感激や達成感もあるのではないだろうか。ホテルの屋外ビュッフェでしばらくティータイムを楽しむ。

 エベレストビューホテルに向かう(奥の山はコンデリ)

 ホテルのヘリポート

 エベレストビューホテル

 ホテルを出るとクムジュンの村へ向かって緩やかに降って行く。クムジュン村は標高3700m地点にあり、薄青緑色屋根に統一された家々が立ち並ぶ美しい集落だ。シェルパ頭ニマさんの奥さんも此処の出身だと言い、何人かの村人が彼に親しく声を掛けていた。 

 ホテルから望むクムジュン村

 村が近づいてきた

 村の背後にはシェルパ族の聖なる山、クーンビラ(5761m)が聳える。穂高岳を二廻り程険しくしたような岩山だが、登山を禁じられ今だ未踏峰という事だ。

 村の仏塔と背後にクーンビラ峰

 クムジュン村のバレービューロッジで昼食をとる。美しい山岳風景を眺めながら食べるプラディさん手作りの料理のマカロニ風ランチは絶品だった。昼食を終えると往路とは違う道でナムチェへと戻って行く。村のはずれにはエベレスト初登頂の登山家ヒラリーが造ったという小・中学校が在り、山中には珍しくサッカーや野球ができそうな広い運動場を持つ立派な学校だった。

 ランチの温野菜とマカロニ&オレンジジュース

 村からタムセルク峰(右6623m)とカンテガ峰(左6779m)

 村からアマ・ダムラム峰(6812m)

 登山家ヒラリーが創設したクムジュンの小・中学校

 クムジュンから峠への道でヤクとすれ違う

 クムジュンから仏塔の建つ小さな峠を越えてナムチェへ降って行くと、途中に世界最高所の飛行場が在る。ダートの滑走路でセスナ機くらいしか離着陸できないだろう。今は殆どへリポートとして使われているようだ。

 クムジュンとナムチェ間の峠(雲を被った山はエベレスト)

 峠近くの標高3800mにある牧場

 世界最高所の飛行場

 飛行場から急な坂をジグザグに降って行くと、ナムチェの村が眼下に見えた。宿へ戻ると時間が早いので、Cさんの案内で商店街を散策する。商店街には登山用品を中心とした数多くのお店が軒を連ねている。

 道端に咲くヒマラヤリンドウの花

 眼下にナムチェの村が見えてきた

 さして欲しい物も無かったが、商売上手なオバサンの店でYさんと私は羽毛ズボンを買った。値段は値切って30ドルで、一応「ノースフェース」の商標が付いている。妻はお土産用にとヤクの毛の帽子を4枚買い私のズボンと併せて40ドルだった。日本円で4千円と思えば安い買い物だったと思える。

 買ったばかりの羽毛ズボンを履いたYさんと私(真ん中は添乗員のCさん)

 勧め上手なお店のオバ(お姉?)さん(右側と左側はT子さん)

 賑わう商店街

 洒落たフードコート

 ショッピングを終え宿に戻ると、辺りは肌寒いガスに覆われ一気に気温が下がった。午前中は晴れて午後から曇り、こんな天気が毎日続く。最後までこんな天気が続けばよいが・・・明日はタンボチェまでアップダウンの大きなトレッキングとなりそうだが、前半は世界一美しいと呼ばれるトラバース街道を歩く。どんな風景に出会えるか楽しみだ。そう思いつつ寝床についた。

 

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カラパタールトレッキング4日目

2018年11月19日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月26日(金)     天気=晴れ後曇り

 

バグディン07:35 → 11:00~05モンジュ(公園ゲート)→ 15:35ナムチェバザール(スノーランドホテル泊) (歩行7時間)

 

 トレッキング期間中に、入浴やシャワーを浴びる事ができない。しかし朝起きた時にシェルパさんが温かい紅茶と洗面器にお湯を配ってくれ、これで気分がリフレッシュできる。

 朝7時半、バグディンを出発する。

 今日はドード・コシ川沿いに遡って行く。川沿いの道はそれ程アップダウンも無く異国情緒が漂い楽しい歩きが続く。途中何度の100mを越えるような吊橋を渡るが、ワイヤ製のしっかりした造りなので別に怖くは無い。ただ対岸からゾッキョやラバのキャラバンが来る時は、すれ違えないので、通過するまで待つしかない。やがて対岸越しの右手に、頭上高くタムセルク(6608m)の鋭鋒が見えてくる。エベレスト街道で最初にお目見えするヒマラヤの高峰だ。

 街道沿いの集落(左の男性はシェルパのニケスさん)

 こんな吊橋を何度も渡る

 遠くにタムセルクが見えてきた

 バグディンを出発して3時間半で、モンジュの集落に着いた。此処がサガルマータ国立公園の入口となり、通行許可証のチェックを受ける。ニマさんの手際よい処置で、ここもスンナリ通過できた。

 モンジュの国立公園通行ゲート

 モンジュから1時間半程歩いたベシカルのロッジで昼食を食べる。食事は基本的に3食全てシェルパのプラディさんが作ってくれる。バラエティーに富んで日本人好みの味なので、飽きる事は無い。

 ベシカルのロッジは世界中から来た人達で賑わっていた。

 ベシカルから川の右手を更に進むと、前方に上下に二段の吊橋が見えてきた。これがラージェ橋で、下の橋は古いもので、上の橋だけ利用されている。日本だったらこの景観だけで、有名な観光名所になるだろう。

 後方にラージェ橋が見える

 ラージェ橋を渡るゾッキョのキャラバン

 ラージェ橋からナムチェバザールまで標高差600mの長い登りが続く。標高も3000mを越え、この急登がトレッキング最初の難関かも知れない。最後尾を歩いていたKさんが徐々に遅れ始めた。T子さんが「私もKさんと一緒に行く。」と言ったので、メンバーを二手に分けて進む事になった。

 ナムチェへの長い登り

 先頭を行くMさんは快調で、何かスポーツやってるんですか?訊ねたら、「日本アルプスをよく歩いている。」との事だった。ナムチェまでの中間地点にはトイレもあり、一服するには良い場所だ。何とここで初めてエベレストがチラリと見える。

 休憩ポイントから初めて見えたエベレスト

 急坂とはいえ、道はジグザグによく整備されて歩き易い。私の脚もだんだん馴染んでいくようだ。やがて集落チラホラ見え、尾根を越すとナムチェバザールの賑やかな街並みが一気に現れた。

 ナムチェ手前の集落(尾根の向こうがナムチェバザール)

 予備知識が無ければ、奥深い山中にこんな賑やかな集落があるとはと驚かされる。門を潜り、マニ車の列が並ぶ道を抜け、商店街を通って、今宵の宿「スノーランドホテルに着いた。遅れていたKさんやT子さんも1時間後には着いたようだった。

 ナムチェの門を潜る

 狭い路地に賑わう商店街

 スノーランドホテル到着

 ホテルは階段状の高台に在り部屋からは集落を見渡す事ができる。部屋のレイアウトは昨日のロッジとほぼ同じだ。標高は富士山頂部に近い3500mもあり、午後になって陽が陰ると一気に寒さが強まる。

 明日は高度順応の為、ナムチェに連泊するので気が楽だ。夕食は焼き飯風と餃子に煮野菜、味噌汁だった。ビールの良いおツマミになりそうだが、標高の高い所に居るせいか、あまり欲しくも無い。明日はナムチェ付近を散策します。

 

 

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カラパタールトレッキング3日目

2018年11月17日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 10月25日(木)     天気=晴れ後曇り一時雨

 

ネパール、カトマンズ→ (飛行機)→ ルクラ10:10→ 14:50バグディン(ロイヤルシェルパリゾートロッジ)  (歩行3時間)

 

 朝4時半起床で、6時前にホテルを出発した。早朝のカトマンズ市街地は交通渋滞も無く、10分程でカトマンズ空港へ着いた。今日は国内線でエベレスト街道の玄関口、ルクラへ向かう。

 国内線空港ロビーでシェルパ頭のニマさんと合流する。彼は日本語が堪能で、小柄ながら如何にもシェルパらしい精悍な風貌の人だった。航空会社のカウンターはごった返していたが、ニマさんの手際よい交渉で我々はテラ航空のチケットを獲得する事ができた。この混雑の中、外国人が個人でチケットを獲得するのはけっこう大変だ。

 混み合うテラ航空の出発ゲート(重量計で荷物の重さを量っている)

 ルクラへ向かう飛行機は15人乗りのプロペラ機で、ルクラの滑走路が極端に短い為この大きさが限界だという。10時過ぎ、我々を乗せた小さな飛行機は空港を飛び立った。

 ルクラへ向かう飛行機

 カトマンズを飛び立つ

 見る間にカトマンズの市街地は彼方へ去り、緩やかな山々が波頭のように続く。低空を飛ぶので山の稜線まで点在する人家や田畑の様子が手に取るように見える。やがて前方に雪を頂く高峰群が大きくなり、飛行機は深い谷間を縫うように飛ぶ。

 山の上まで人家が建っている

 ヒマラヤの高峰が近づいてくる

 滑走路が極端に短いルクラは、世界一危険な空港とも呼ばれている。滑走路には傾斜があり、着陸は坂を登るようにして止まり、離陸は坂を下り加速をつけて飛び立つ。だけどキャビン内の我々はそんな事情を知る術が無く、スリルを味わう事も無く轟音と共に無事ルクラ空港へ降り立った。

ルクラ空港へ降り立つ

 ルクラ空港の滑走路

 空港を出て近くのロッジで休憩する。そこで同行するシェルパの人達と合流した。シェルパのダワさん、ニケスさん、料理担当のプラディさんと、彼を補佐するポーターの青年、その他に荷物を運搬するゾッキョ(牛)を操るオジサンとそれを補佐をする可愛い娘ソナムちゃん。我々6名の参加者を、Cさんやニマさんと共にこれだけのメンバーがサポートしてくれる。

 我々の荷物を運んでくれるゾッキョ(高地に住むヤクと牛の混合種)達

 今日はルクラから8キロほど離れたバグディンで泊る為、準備を終えると早々にルクラを出発する。急に標高2800mの高地へ来たせいか、何となく頭がボーッとした感じで、これも高山病の前兆だろうか。

 賑わいあるルクラのメイン通り

 賑わうルクラのメイン通りを抜けゲートを潜っていよいよトレッキングが始まる。最初はエベレスト源頭部から流れ出るドード・コシ川へ向けて緩やかに降って行く。

 ゲートを潜ってトレッキング出発

 道路は地元民の生活道でもあり幅広く歩き易いが、ゾッキョやヤク、ラバといった家畜類が物資運搬の主役なので、道端は至るところ彼(女)らの糞が転がっている。気をつけないと踏んでしまいそうだが、糞は暖をとる燃料や畑の肥料として再利用されるもので、それ程汚いという感じがしない。

 道路から中央奥にシェルパ族の聖なる山クンビューラ山(5761m)が見える。

 又道沿いの集落にはマニ車や仏塔などのラマ仏教施設が点在する「マニ車は時計回りに回し、仏教施設は必ず左側を通過する定めとなっている。」と先頭を行くダワさんが教えてくれた。

 マニ車

 仏塔

 ルクラを出発して約4時間程で一段と賑やかな集落に着き、そこがバグディンであった。今宵は「ロイヤルシェルパリゾート」というロッジに泊る。客室はベッドが二つあるだけの簡素な佇まいで、エベレスト街道のロッジは殆ど同じ間取りであった。ここは個室にトイレがあるだけ高級だ。

 ロイヤルシェルパリゾートロッジ

 我々の部屋(寝具は無いので持参の寝袋で寝る)

 午後からポツポツと小雨降る天候となり、部屋には暖房が一切無いのですこぶる寒かった。夕食はプラディさんが作ったネパール料理のダルバートを食べる。ダルは豆でバートはお米を言う。一枚の大皿にご飯や豆スープ、オカズが盛ってあり野菜が多くて私の好みの味だった。

 夕食のネパール料理ダルバート

 今日からルクラへ戻る日までアルコールの類は一切飲まないと決めたので、これからはプラディさんが作る料理だけが楽しみだ。明日はシェルパの里ナムチェバザールへ向かう。

 

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カラパタールトレッキング2日目

2018年11月15日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月24日(水)     天気=晴れ後曇り

タイ、バンコック → ネパール、カトマンズ(アンナプルナホテル泊)

 

 朝5時起きで慌ただしくホテル内のレストランで朝食を済まし、7時過ぎにホテルを出発した。僅か20時間程のタイ国滞在を終え、午前10時過ぎにバンコク国際空港からタイ航空TG319便でカトマンズへと飛び立つ。

再びバンコク国際空港へ

 近代的なバンコク国際空港

 バンコクを飛び立つ

 3時間程で飛行機は幾つもの山々がうねるネパール領内へ入った。そして雲海の彼方を望むと、オォ~ヒマラヤの高峰群が見えるではないか。あの黒い山がエベレストで、その右の白い山はマカルー、更に右の山がカンチャンジュンガですと、添乗員のCさんが教えてくれた。初めて見る生のエベレストに感無量の思いだった。

 ネパール領内に入る

 遠くにエベレストが(中央奥)が見えた

 やがて下界は家々がひしめく市街地となり、飛行機はカトマンズのトリヴァン国際空港に降り立った。国際空港とは言っても成田やバンコクの空港とはエライ違いで、滑走路は1本しか無く日本の地方空港という風情だ。

 カトマンズの市街地

 トリヴァン国際空港

 空港の外へ出ると現地ガイドのサンタさんが出迎えてくれ、我々一人一人に歓迎のカダ(首にかける布)を掛けてくれた。これは外来の客をもてなすネパールの風習であるようだ。

 出迎えてくれた現地ガイドのサンタさん

 バスに乗ると宿泊先のホテルへと向かう。初めて見るカトマンズの市街地は埃っぽくて、バイクや車の無茶苦茶な運転が凄まじく、その混雑ぶりに圧倒された。

 元王宮前通りの凄まじい交通ラッシュ(信号機はあるけど故障して警察官が整理している)

 空港から直線距離で5キロしか離れていない宿泊先のホテルまで30分以上掛かって着いた。今宵宿泊するアンナプルナホテルは入口には門衛が立ち落ち着いた雰囲気の高級感漂う立派なホテルだった。

 アンナプルナホテル玄関

 昼食はホテル近くの日本食レストラン「古都」で、すき焼きランチを食べる。ボリュウムがあって中々美味かったが、肉嫌いの妻は少し持て余し気味のようだった。

 食事を終えると自由時間となり、添乗員のCさんが繁華街のタメル地区に案内してくれた。此処はホテルから15分程の距離に在り、外国人に人気の場所で登山用具店を始め多くの店が軒を連ねている。

 タメル地区(電線が蜘蛛の巣状態になっている)

 同 上

 登山用具店を覗くと、日本だったらン万円は下らないブランド物が、一桁安い数千円台で売られている。本物かどうか疑わしいが、Cさんによると品質的にもそれ程劣らずお買い得の品が多いと言う。トレッキング前に此処で装備を購入するという手も、悪くは無さそうだ。活気があって面白い繁華街だったが、特に欲しい物も無く、見物だけしてホテルへ戻った。

 タメル地区の紅茶店

 タメル地区の寺院

 部屋へ入ると自分の荷物をトレッキング用とホテルに残置する物とに分け、トレッキング物は西遊旅行社が準備しただフルバッグに詰め変える。トレッキングでは、このダッフルバッグと自分で背負うバッグが旅のお供をする事になる。

 明日も出発が早いので、ホテル内のレストランで夕食を済ます。ホテルの宿泊客は主に外国の人達で日本人の姿もチラホラ見かける。従業員の人達も感じが良く、ある中年の男性従業員が「私の息子も静岡の沼津市で働いています。」と話し掛けてくれ、その優しい笑顔に私達も嬉しい気分になれた。

 レストランで夕食、左側中央のイケメン青年が添乗員のCさん

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