Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

冬用タイヤの交換作業は、けっこうな重労働

2018年12月16日 | 日記

 12月14日(土)

 山の先輩 I さんのブログを見ていたら腰痛不安の中、車のタイヤを冬用に交換した苦労話が載っていた。それを見て思い立った訳でも無いが今日の午後、車のタイヤをノーマルから冬用へと交換した。

 「交換した」と言葉で言えば一言だが、これがけっこう重労働で年々重荷になってきている。作業の手順は

① マンションのベランダに保管している冬用タイヤを台車に積んで駐車場まで運ぶ。・

② タイヤを車に積んで、近所の交換作業ができる空地まで移動する。

③ タイヤの交換作業を行って完了すれば、外したタイヤを車に積んで近場のガソリンスタンドに移動する。

④ ガソリンスタンドで冬用タイヤに空気を充填し、駐車場まで戻る。

⑤ 外したタイヤを台車に乗せ、我家の玄関先へ運ぶ。

⑥ 外したタイヤを水洗いし、乾かした後にベランダへ運び保管する。

 以上のような行程を経て、やっと作業が終了する。

 私も I さんと同じく腰痛歴があり、タイヤを持ち上げたりボルトを締めたりの作業は腰に負担が掛り、いつもヒヤヒヤしながらやっている。今年も何とか無事に作業を終えたけれど、後何年自力でできるだろうかと思う。自力で交換できなくなった時が、私が車の運転を止める潮時なのかも知れない。

 ノーマルタイヤを外す。

 冬用タイヤを装着

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ランニング用サポーターの効果は?

2018年12月14日 | マラソン

 老いと共に体力が衰えるのはどうしようもない事で、どんなに頑張っても抗いようがない。先日小川和紙マラソンを走ったけれど、私のマラソン記録も齢を重ねる毎に緩やかな曲線を描いて下がり続けている。

 これを少しでも食い止めるには、もう文明の利器に頼る他ない。最近は運動用具も随分進化しており、レースを走るランナーの服装も様変わりした。昔はランニングシャツに短パン姿で走る人が殆どだったが、近頃は肌にピッタリ密着したタイツ姿の人を多く見掛けるようになった。この方が筋肉をしっかりサポートして、脚の疲労や故障も少ないらしい。

 そんなに良いものなら私も恩恵に預かりたいと、スポーツ用品店巡りをしてみたが、ランニング用タイツというのは想定外に高くどれも万単位の値札が付いていた。効果のハッキリしない品物を、そんなに高い銭を払ってまで買うべきなのかと躊躇われた。

 それに70歳過ぎのオジンが身に着けると、洋風のももひきみたいでカッコ悪い。これじゃまるで人力車夫の無法松みたい、脚が長くてスラリとした体型の人でなけりゃタイツ姿は似合わないのだ。

 しかし何も対策を講じなければ私の記録は低下の一途を辿るばかりだ。そこで検討の結果、ふくらはぎ用のランニングサポーター(下記写真)を購入する事にした。これなら値段も3千円位で済む。

 説明書には「脚の筋肉をしっかりサポートする。」と書かれているから少しは効果もあるだろう。そして実際に小川和紙マラソンで着用してみたが、脚の筋肉痛や痙攣も無くハーフマラソンを完走出来たから、それなりの効果があった・・・ような気がする。

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カラパタールトレッキング11日目

2018年12月12日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月2日(金)     天気=晴れ後曇り

ゴラクシェプ07:05→ 10:44~11:08トゥクラ→ 12:38~13:15ペリチェ(ランチ)→ 15:30パンボチェ(歩行7時間30分)

 

 昨夜は息苦しくて、あんまり眠れなかったと妻が言った。朝方測った血中酸素飽和濃度の数値が二人とも悪く、やはり標高5170mの高地は人間が健康で過ごすには過酷な場所だなと身体で実感する。

 「皆さんは疲労が溜まっていると思うので、今日はなるべく標高の低い所まで降ります。距離は長いですがパンボチェ(標高3860m)まで頑張って歩きましょう。」と添乗員のCさんが言った。

 白く輝くプモリ(7161m)が見送ってくれる。

 紺碧の空に白く輝くエベレストやヌプチェ、プモリなどの山々に別れを告げ、朝7時過ぎにゴラクシェプから下山を開始する。荒涼として美しいモレーンの道を歩いて、2時間余で一昨日に泊ったロブチェの集落を通過した。更に1時間余歩いてエベレスト遭難者の墓標が立つトゥクラ峠に着き、休憩がてら素晴らしい眺望を楽しむ。

 ヌプチェ(右奥の山7855m)ともお別れ

 ロブチェの集落(奥の山はタウチェ(左)とチョラツェ(右))

 トゥクラ峠

 峠から30分程急坂をジグザグに降り、一昨日T子さんと別れたトゥクラのロッジに着いてティータイムとなった。温かいミルクコーヒーが疲れた身体をホッコリ癒してくれる。

 峠からトゥクラへ降る

 トゥクラのロッジ

 トゥクラからドードコシ川に架かる小橋を渡ると直ぐに道が左右に分岐する。左は登りで歩いたディンポチェからの道で、我々は右の道に入り谷間の集落ペリチェへ向かう。ペリチェはドードコシ川の谷間に広がる美しい村だ。険しい山々がひしめくヒマラヤの奥地に、こんな桃源郷のような村が存在するのは不思議な感じがする。

 ドードコシ川に架かる小橋を渡る。

 ペリチェへの分岐

 ペリチェへ向かう谷間の道

 谷間の西側にはタウチェやチョラツェの峻峰が、南側にはアマ・ダムラムの鋭鋒が高々と聳え美しい山岳美を見せている。

 谷間から聳えるチョラツェ(6440m)

 前方に聳えるアマ・ダムラム(6812m)

 ペリチェには多くのロッジやレストランが在り、その中の一際立派なプモリロッジで昼食を取る。1時間足らずで昼食を終え、慌ただしくパンボチェへと出発する。

  プモリロッジにロッジに到着

 ペリチェからしばらく降ってドードコシ川に架かる橋を渡ると、往路で歩いたディンポチェへの道と合流した。その後は谷間を高巻く道を僅かに登り、その後は緩やかに降って行く。点在する集落や行き交う人も増え賑やかになってきた。物資を運ぶポーターの人も数多く見掛るが、中には信じられない程大きな荷物を担ぐ人もおり、現地の人の逞しさにはしばしば驚かされる。

 ドードコシ川に架かる鉄橋

 巨大な荷物を担ぐポーターの人

 午後になると雲が湧き出て曇りになるのは毎日の事だが、今日はいつもより厚い雲行きで雨を心配をしたが、結局降られる事も無く午後3時半頃パンボチェのエベレストビューロッジに到着した。

 谷間の道を降る

 前方にパンボチェの集落が見えた。

 ヒマラヤビューロッジに到着(ゾッキョの横に居るのはゾッキョ頭のペンバさん)

 此処の標高が3860mで4千mを切った。空気が濃くて暖かい感じがする。今朝方まで居たゴラクシェプとは段違いの快適さで、今夜はグッスリ眠れそうだ。

 夕食のマカロニサラダとお好み焼き風ホットケーキ

 今日のディナーはマカロニサラダとお好み焼き風のホットケーキ、元気が出たせいか食欲も増し、実に美味しい夕食だった。でも此処はまだ富士山よりも高い標高なので、ビールはゴール地点のルクラまでお預けです。

 

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今年も小川和紙ハーフマラソンを走ってきました。

2018年12月10日 | マラソン

  昨日、小川和紙ハーフマラソン大会を走ってきた。この大会は奥武蔵の山々が迫る小川町で開催され、コンパクトな規模とローカル色豊かでアットホームな雰囲気が好きで毎年のように参加している。

 実を言うと今回は、私が70歳の誕生日を過ぎて初めて走るハーフマラソンです。70歳過ぎたオジンがどれ程走れるものか、大きな不安と少しばかりの闘志を胸に抱いて会場へ向かった。

 参加者や応援の人で賑わう会場

 そんな気持ちをくじくように今朝から強い北風と底冷えで、参加者には容赦のない天気です。武者震いと言うより芯の底から寒くてブルブル震えながらスタートの合図を待った。号砲一発、走り始めれば無我夢中、ここのコースは中間地点までアップダウンが多いのでマイペースを心がけながら走る。

 こんなカッコで走ります。

 15~16キロ地点までは順調だったが、最後の5キロは疲労困憊となり、「金払ってまで何でこんなキツイ事やってんだろう。」といつもながら思う。コースの最終は小川町のメインストリートを走るので、地元の人の盛大な声援に押されヨレヨレになりながらも何とかゴールまで駆け抜ける事ができた。

 ゴール地点で応援する地元の和太鼓チーム

 完走症をもらう。

 ゴールすると直ぐに完走証を授与してもらえる。その記録を見ると1時間52分で、去年のタイムより1分程遅かった。でも今日は寒くて風も強かったし、それを考えれば70歳のオジンにしてはよく頑張った方ではないか。・・・と誰も誉めてくれないから自画自賛しときます。・・・70歳まだまだ現役

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カラパタールトレッキング10日目(カラパタール登頂)

2018年12月08日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 11月1日(木)     天気=晴れ後曇り

 

ロブチェ06:35→ 09:50~10:45ゴラクシェプ→ 13:10~25カラパタール峰→ 14:35ゴラクシェプ(歩行7時間00分)

 

 今日はいよいよカラパタール峰を登る日だ。今朝は4時半起きで6時半にはロブチェの宿を出発する。標高4930mの朝は半端無く寒く、たっぷり着込んで歩き始める。

 中央奥のプモリ峰へ向かって出発する。

 ロブチェからゴラクシェプへの道は、氷河跡地(モレーン)の岩屑の中に続く。登山道の右側には長大なクンブ氷河が横たわっている。紺碧の空と雪山の雄大な景色の中をジワジワと進んで行く。3時間程の歩きで前方にゴラクシェプのロッジが小さく姿を現し、左奥にカラパタールの黒い山容が初めて見えた。

 岩屑の道を進む。

 クンブ氷河沿いを進む。

 ゴラクシェプのロッジが見えてきた。(左奥の黒い山がカラパタール)

 10時前、エベレスト街道最奥の集落ゴラクシェプ(標高5170m)のヒマラヤロッジへ到着した。ロッジ内の食堂では多くのトレッカーが憩っており、我々もその一隅でプラディさんが作ってくれた暖かいラーメンを食べる。1時間程の休憩後、いよいよカラパタールへ向け出発する。

 ゴラクシェプへ到着

 ヒマラヤロッジ

 暖かいラーメンで英気を養う。

 此処まで頑張って歩いて来たKさんが「これ以上は無理」と自分で判断し、ロッジへ留まる事になった。結局参加者のうち、Yさんと我々夫婦の3名だけ山頂を目指す事となった。

 ゴラクシェプからエベレスト(左から2番目8848m)とヌプチェ(右7855m)

 野球ができそうな広い空地を横切って、いよいよカラパタールへの登りが始まる。砂礫と岩の道がジグザグに刻まれ富士山の登山道を思わせるが、標高5千mを超える薄い空気の高地なので、歩いているだけで息が切れてくる。

 広い空地を抜けてカラパタールへ

 カラパタールの登り口

 最初は緩やかな道

 眼下のゴラクシェプ集落

 牛歩の歩みでジワジワ登って行くと、ヌプチェ峰(7855m)の奥に小さく見えた世界最高峰のエベレスト(8848m)が、少しづつ高くなっていく。前方に望む黒いピークが山頂かと思ったが、近づくとそれは前衛の山で、カラパタールの山頂は更にそのズーッと奥に在った。

 登山道から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)

 一際高いエベレスト

 砂礫の道は岩がゴロゴロした道へと変わり、傾斜も増して歩き難くなってくる。旗で飾られた山頂が見えてはいるのだが、歩いても歩いても中々近づかない。私の前を歩く妻も苦しげな様子だが、脚を止める事は無く黙々と登り続けている。我身内を褒めるのも何だが、その体力と気力は凄いものだなと認識を新たにする。

 山頂は見えているが、中々近づかない。

 黙々と登る。

 絶景の中で一休み

 山頂直下で最後の休憩

 山頂直下からクンブ氷河を見下ろす。

 ゴラクシェプを出発してから約2時間半、厳しい登りを終え念願のカラパタール峰(5545m)へ到達した。ヒマラヤは午後になると決まって雲が湧き山を隠してしまうのでその前に登れるか不安だったが何とか間に合った。此処からエベレストの山頂を眺めるのが、私の長年の夢のであったが、それが実現して感無量の心境だ。

 カラパタール山頂(左よりYさん、我々夫婦、シェルパのニマさん、ダワさん)

 我々をサポートしてくれた左より、ダワさん、ニマさん、添乗員のCさん

 山頂の最高地点に登る私

 最高地点に在った山頂標識(標高5643mと記されている。)

 実際に見るカラパタールの山頂は、プモリ峰(7161m)の小さな支稜ピークに過ぎず、その先にもノコギリ歯のような岩尾根がプモリへと続いている。しかし此処から先へは、ザイル等の登攀具を装備した熟練の登山者しか登れない。つまりカラパタール峰が、トレッキングコースの最終ゲートなのだ。

山頂から望むエベレスト(左)とヌプチェ(右)(左端の氷河屈曲部がエベレストベースキャンプ地)

 山頂からヌプチェ峰

 山頂からエベレスト峰

 エベレストやヌプチェ等の山々が、雲に隠れ始めた。15分の短い滞在で山頂を後にする。下山の道も長かったが重力に引かれるように降り、山頂から約1時間余でゴラクシェプのロッジへ戻って来た。

 午後6時からの夕食は、ボリュウムたっぷりネパール伝統食のダルバートであった。登頂の祝杯をしたい気分だったが、何せここは標高5千mを越える高地、具合が悪くなってはまずいので今日もアルコールの類は自重した。

 食堂の壁に寄せ書きが書かれた紙が張られていた。それは「神々の山嶺」という映画を製作した日本の撮影隊のもので、「阿部寛」や「岡田准一」など出演者のサインもあり、台湾から来た女性トレッカー達が大騒ぎしていた。

 日本の映画撮影隊の寄せ書き

 カラパタール登頂を終え、明日からルクラへ向けて下山の道に入る。標高が下がれば空気が濃くなり寒さも和らぐので快適なトレッキングを楽しむ事ができるだろう。

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証券会社のセミナーで贅沢な「うな重」を頂く。

2018年12月06日 | 日記

 5年前に買った投資信託が12月末でNISAの期限切れとなる為、NISA枠(説明が面倒なので知りたい方は左記をクリックして下さい。)で新たな投資信託を物色中であったが中々良いものが見当たらない。

 そんな中、我家の口座があるN証券から、「私この度F様の担当になりましたUと申します。ご挨拶を兼ねてお電話しました。・・・」と電話があった。丁度よいタイミングであったから、相談がてらN証券の川越支店へ顔を出してみた。

 新たな担当となったU氏は人気漫才コンビ「くりぃむしちゅー」の有田哲平にどことなく雰囲気の似た30代くらいの男性であった。椅子に座るや彼は、「ソフトバンクの新規上場株が絶対お勧めです。」と開口一番話し始めた。

 「カブにはあんまし興味が無くて、できれば大根に・・・じゃ無かった投資信託の方が・・・」と応えると、有田君は電光石火の早業で、「GSグローバル・ビッグデータ」なる金融商品の説明を始めた。

 眉に唾をつけつつ聞いていたが、「実はこの投資信託の説明セミナーが12月某日にあるので良ければ聞いてみませんか。」と問われた。そう言えば証券会社のセミナーなど過去に行った事がない。軽いお食事付だと言うし、取りあえずセミナーへ行ってみる事にした。

 当日川越支店の会議室で開催されたセミナーには、10名程の人が集まりお昼頃から始まった。平日の昼間だから当然の如く、私と同年輩の余生を過ごす老々男女ばかりのようです。

 講師の人は、投資信託の運用元である外資系証券会社「ゴールドマン・サックス」の社員で、如何にもインテリ然とした中年男性です。PCとプロジェクターを駆使しながら経済用語を多用して彼はクールに説明するのだが、何せ話す相手が暇を持て余したような年寄ばかりなので、このヤリ手風な金融マンが何だか気の毒に思えてきた。

 説明によればこの「GSグローバル・ビッグデータ」なる投資信託は、AI(人工知能)を活用した独自開発の計量指数を用い、グローバルの幅広い銘柄株に分散投資する優れた金融商品であるそうな。だけど聞いてる方は、認知症寸前の極めて優れて無い脳ミソだから、言ってる事の半分も理解できない。であるからして共感もできない。

 そんなセミナーであったが、感動した事が一つある。新担当の有田君が「軽いお食事が出ますよ。」と言っていたからサンドイッチくらい出るかと思ったら、何とそれは川越の名店「小川藤」のうな重弁当ではないか。これ「梅」でも2000円以上はする代物だ。

 こんな贅沢な弁当が出るとは驚き、桃の木、セミナーに参加するのもそんなに悪いもんじゃないと実感した。ひょっとしたら一緒に参加した人達も、これが目当てだったのではないだろうか。

 話が最初のNISAからドンドンそれてしまったが、結局NISAで新たに何かを買ったのか、買わなかったのか、それは後日のブログネタとさせて頂きます。

 セミナーで出された小川藤のうな重弁当

 

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カラパタールトレッキング9日目

2018年12月05日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月31日(水)     天気=晴れ後曇り

 

ディンボチェ08:05→ 11:25~12:45トゥクラ→ 13:37~51トゥクラ峠→ 14:56ロブチェ(歩行6時間30分)

 

 今がベストシーズンだから当然の事かも知れないが、毎日好天が続く。天気の良い朝は「今日も頑張ろう。」と闘志も湧いてくる。今日は標高4900mのロブチェまで歩く。

 ディンポチェを出発する。

 朝8時過ぎディンポチェの宿を出発し、エベレスト街道を緩やかに登る。昨日ハイキングで歩いた分岐を過ぎると、周囲を険しい山々で囲まれた雄大な山上台地を進む。

 ディポチェから緩やかに登って行く。

 山上台地を進む。(背後の山はアマ・ダムラム)

 朝方の強い冷え込みで、大地を流れるセセラギが白く凍り付いている。眼下の谷間にはドードコシ川が流れ、ペリチェ村の家々が点在して小さく見える。川の対岸にはタウチェ(6501m)とチョラツェ(6440m)が鋭く高く聳えている。

 道沿いの小川が凍りついている。

 眼下にペリチェの集落が望める。

 タウチェ(左)とチョラツェ(右)をバックに

 平坦な山上台地を3時間程進むと、道はクンブ氷河から流れ出る川に遮られる。川に架かる小さな橋を渡り、岩のゴロゴロした歩き難い道を登り返すと、トゥクラのカラパールロッジに着き此処でランチタイムとなった。

 川の向かい側にトゥクラのロッジが見えた。

 川に架かる橋を渡る。

 トゥクラのカラパタールロッジ

 関西人らしく常に陽気なT子さんが先程から苦しげな表情をしている。「気管支炎を発症したみたいで息苦しい。」と本人の談、彼女は元々気管支の弱い体質であるようだ。

 それでなくても空気の薄い高地なのに息がし難いのではこれ以上登るのは困難と判断され、T子さんもヘリでカトマンズへ搬送される事になった。昨日のMさんに続きムードメーカー的存在であったT子さんまで離脱して、残るメンバーは4人だけになってしまい寂しい限りだ。

 ロッジでヘリを待つT子さんと別れの挨拶をして、我々はロブチェへと出発する。トゥクラからトゥクラ峠までは急登の道がしばらく続く。登る途中カラパタールロッジを見下ろすと、ヘリがT子さんを収容し今しも飛び立とうとしていた。(彼女はその日のうちにカトマンズの病院へ搬送された。我々がカトマンズに戻ると元気な姿で再会できた。)

 トゥクラ峠への登りからカラパタールロッジを振り返る。

 喘ぎながら1時間程急登を頑張り、トゥクラ峠(4830m)に着いた。此処は展望の良い場所で、エベレスト山群で遭難死した多くの登山者の墓標が祀られている。今は行き交う人も多くて感じないが、誰も居ない時に此処を通ると死者の魂に誘われそうで背筋が寒くなるかも知れない。

 トゥクラ峠のエベレスト遭難者を祀る墓標群

 峠からロブチェに向かって歩いて行くと、右前方にヌプチェ峰(7855m)、左前方にはプモリ峰(7161m)が白く輝いて聳えている。標高4800mを越えると川の流れは消え、道の右手には泥に覆われた長大なクンブ氷河が横たわっている。荒涼たる大地の中を歩き、午後3時前に数軒の宿が建つ標高4930mのロブチェに着いた。

 ヌプチェ峰(7855m)

 プモリ峰(7161m)

 トゥクラ峠からロブチェへ向かう道

 ロブチェに到着

 今宵はアバブザクラウドロッジに泊る。標高が上がり寒さは増々厳しくなるが、ロッジの居心地はそれ程悪くない。夕食はマッシュポテトにチラシ寿司、コックのプラディさんが作る料理は多彩でアルコールが飲めない我々の胃袋を楽しませてくれる。明日はいよいよカラパタールへ登頂する勝負の日、不安もあるが何だかワクワクする。

 

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我家から武蔵嵐山駅までマラニック

2018年12月03日 | マラソン

 12月1日(土)

  あの世からの誘引力が強まるせいなのか、齢老いていくほど月日の流れを早く感ずる。気が付けばもう12月、今年も参加する小川和紙ハーフマラソン大会が来週に迫っている。

 例年だと大会前に20キロ前後の長距離を2~3回は走り込むのだが、今年はトレッキングや体調不良などでバタバタし、まだ一度も長い距離を走っていない。これで大会に臨むのは不安なので、今日マラニック(ランニング姿でザックを背負って走る事)で何処まで走れるか挑戦してみた。

 取りあえず我家から東武東上線沿いに北へ向かって走る。走り始めの30分程は潤滑油の切れた機械のようで、脚の動きがぎこちない。その後はだんだん馴染んで脚が軽くなる。

 45分程で高坂駅に着き、駅前のコンビニでコーヒーとシュークリームを買い水分&栄養補給をする。1時間程で関越高速道の高架下を潜り、国道254号の旧道沿いに西へと進む。時間が経つにつれ、脚が徐々に重くなってくる。

 武蔵嵐山駅には1時間45分で着いた。この先へ進むか否か悩んだが、これ以上走ると疲れが溜り来週の大会に影響しそうなので此処をゴールとした。

 走り込んで無い割には、マアマア良いペースで走れたのかなと思う。何とか完走の目途がたったので楽観的な気分になった。その後暖かい服装に着替えると電車で隣の小川町駅まで行き、駅前の韓国レストラン「エシカル」を訪れた。

 いつも笑顔で迎えてくれるママさんが今日は不在で、男性従業員が一人居るだけだ。土曜日のお昼過ぎというのに、店内にお客さんの姿も無い。男性従業員が「最近ママさんは二日に一日位しか顔を出さないんですよ。」と話してくれた。

 せっかく馴染となったお店なのに、これでは行く末が案じられる。たった一人で飲むビールは、何だかいつもよりほろ苦く感じられた。

 走ったコース

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カラパタールトレッキング8日目

2018年12月01日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月30日(火)     天気=晴れ

 

ディンボチェ08:35→ 10:15~10:33展望の丘→ 11:20ディンボチェ(歩行3時間)

 

 今日は標高4343mのディンポチェに滞在し、休養日となった。とは言っても完全な休養では無く、集落近くの展望地(4650m)まで軽い山歩きをする。身体を動かした方が高度順応の効果があるらしい。

 先日のナムチェ坂の登りでは元気にトップを歩いていたMさんの表情が、昨日辺りから冴えなくなった。ご本人曰くお腹を壊して食事が思う様にとれないそうだが、高山病の影響があるのだろうか。 

 朝8時半過ぎ、ソナムフレンドシップロッジを出発する。深い谷間の集落にはまだ陽が届かず、水溜りには氷が張っていた。朝の光が後光のようにアマ・ダムラム峰の肩を貫いて、西に聳えるタウチェやチョラツェの山々を照らしている。

 ソナムフレンドシップロッジ

 アマ・ダムラムに朝陽が差す

 最初はロブチェへ向かう道を緩やかに登る。石の塔婆塔が幾つも建つ分岐地点で右へ曲がり、ポカルス峰(5806m)へ突上げる登山道に入る。我々が目指すのは山頂では無く、そのズーッと下にある展望地点の丘だ。分岐から尾根道をジグザグに登って、約1時間程で展望の丘に着いた。

 分岐地点(背後の山はカンテガ(左)とタムセルク(右))

 分岐地点からロブチェ方面

 分岐からディンポチェの集落

 展望の丘(左からT子さん、Yさん、、我々夫婦)

 石塔が建ち旗がたなびく標高4650mの展望の丘からは、素晴らしい眺望が拡がる。アマ・ダムラムやカンテガの鋭鋒が南に聳え、西にはタウチェやチョラツェが白く輝いている。北のエベレストは前衛の山に阻まれて望めないが、西には世界第5位の高峰マカルー(8485m)が、三角形の俊峰を突上げている。

 展望の丘からマカルー方面(中央奥の小さな三角形の山がマカルー)

左奥がアイランドピーク(6160m)、右隣のピークがチョポル(6711m)、右奥がマカルー(8462m)

カンレヤムウ峰(6230m)ヒマラヤ襞が美しい。

 カラパタールトレッキングでは世界の高峰ベスト5のうち、第1位のエベレスト、第3位のローツェ、そして第5位のマカルーを見る事ができるのだから、それだけでも凄い事だと思う。

 展望の丘からカンテガ(6779m)方面(中央奥の双耳峰)

同、アマ・ダムラム方面(6812m)

 同、タウチェ(左6501m)、チョラツェ(右6440m)方面

 

 マカルーの左手に見える少し低い山はアイランドピーク(6189m)で、エベレストを目指す登山者が高所順応トレーニングの為よく登るそうだ。同じ山岳会の岳友だったH君が、20年程前にこの山を登り、その時の写真を見せてくれたけれど、寡黙で優しい山男だった彼も、病に臥し50歳前後の若さであの世へと旅立ってしまった。彼の面影が一瞬瞼に浮かんだ。

 素晴らしい眺望を堪能し、展望の丘を後にする。下山の道は足も軽く、1時間足らずでデンポチェの集落へ戻ってきた。時間がたっぷりあるので、午後はディンポチェの集落を散策する。

 展望の丘から登って来た道 

 ディンポチェへ降る

 と言っても小さな村なので、端から端まで歩いても30分とかからない。村の入口には白壁に金色屋根の立派な仏塔が鎮座しており、雄大なローツェの南壁が背景となって絵になる眺めだった。

 ディンポチェ集落入口の仏塔(奥はローツェの南壁)

 ディンポチェからローツェ南壁

 集落内にあった太陽熱湯沸し装置

 

 午後のティータイムに食堂へ行くと、Mさんが自分の荷物をまとめて沈痛な面持ちで座っていた。やはり体調が回復せず血中酸素飽和濃度の数値も悪いので、相談の結果ヘリでカトマンズへ降る事になったという。「皆さんは頑張ってカラパタールを登ってください。」という言葉を残してMさんは宿を去って行った。

 ロッジでのティータイム

 エベレスト街道ではヘリコプターによる救難体制が整っており、ヘリポートへ行けば搭乗希望の登山者やトレッカーをすぐにピックアップしてくれる。保険に入っていれば高額なヘリの料金も保険で賄えるそうだ。

 時間が遅かったせいでMさんは一旦ルクラで降りて、翌日カトマンズの病院へ入院したそうだ。(その後すぐにMさんは回復し、我々がカトマンズに戻った時に再会できた。)

 6人の参加者の内、一人が欠けただけで何だか気分が落ち込んだ。でも明日は標高4930mのロブチェまで歩かねばならず、落ち込んでいられない。「体調に気をつけて明日も頑張ろう」そう思いつつ眠りについた。

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添乗員仲間で久々に飲み会

2018年11月29日 | 日記

 何年か前、埼玉県が主催するツアーコンダクターのシニア講習会を受講した事があり、その後何度か日帰りバスツアーの添乗員を体験をした。その時の受講生仲間だったHさんから「同期生仲間で飲み会をやりましょう。」とお誘いのメールが届いた。

 西武本川越駅近くの居酒屋に私を含め5人の同期が参加した。同期とは言っても平均年齢アラセブンのオジサンばかり、このメンバーで年に1~2度集まっている。今だ現役なのはKさん一人だが、他の人も何だかんだ仕事をしてるようで、年がら年中遊んでばかりは私だけ、チョット肩身が狭かった。

 Kさんに話を聞くと、最近は観光ツアーよりハイキングツアーの需要が増えているそうだ。「ハイキングツアーだったらFさん向きじゃないの。」とKさんに言われたが、添乗員はもう金輪際やりたいとは思わない。

 私が添乗員の仕事を挫折した要因は、その頃胃ガン手術の後遺症で食事が普通に取れなかった事や、ツアー終了後の事務処理が苦手だった事など幾つかあるが、端的に言えば接客業に向いてなかったという事に尽きる。

 あのまま続けていたら、仕事のストレスから又ガンが再発したかも知れないので、早めに辞めて正解だったと思う。でも添乗の仕事が全く無駄だったとは思わない。お蔭で同期の人達とも知りあえたし、この経験が私の人生の肥やしぐらいにはなったのではないか。

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カラパタールトレッキング7日目

2018年11月28日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月29日(月)     天気=晴れ後曇り

タンボチェ07:35→ 09:58~10:33パンボチェ→ 11:35~12:28ソマレ→ 14:43ディンチェ(歩行6時間30分)

 

 今日は4千mの標高を越えてディンポチェを目指す。朝方、群青の空にエベレストとローツェが高々と聳えて見える。タンボチェの宿を出発し緩やかに降ってドードコシ川に至り、長い吊橋を渡って川の東岸から西岸へ移る。

 タンボチェからエベレスト(8848m)(左奥)とローツェ(右)(8516m)

 タンボチェを出発する。

 デポチェの集落で最初の休憩(左奥の山はコンデリ(6187m))

 長い吊橋を西岸に渡る。

 行く手にはアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。街道の途中に民族衣装を纏い籠を背負った老女が居た。トレッカーの一人が彼女にカメラを向けると、手を突き出し金を請求している。どうやら写真のモデルになる事で彼女は金を稼いでいるようだ。世の中にはいろいろな働き方があるもんだ。

 前方にアマ・ダムラム(6812m)が大きくなる。

 渓谷沿いの道は徐々に標高を上げて行く。道沿いには点々と集落があり新築や増築中の家も多く景気が良さそうだ。数軒のロッジが並び建つバンボチェ集落のロッジでティータイムとなる。

 バンボチェの集落に近づく。

 バンボチェのエベレストビューロッジでティータイム

  バンポチェからソマレへの道

 ロッジの屋根の上に、アマ・ダムラム峰が天空を突き刺している。バンボチェから1時間程の歩きでソマレ集落に着き、スリナムロッジで昼食を食べる。此処の標高が4040mで、4千mのラインを越えた。添乗員Cさんの話では標高4千mを越えると高山病に罹る人が増えるそうで、予防の為には水分を多めに摂取する事と身体を冷やさない事が肝要だそうだ。

 ソマレのスリナムロッジでランチタイム

 ソマレからタウツェ(6501m)

 4千mを境に緑濃い樹林帯は後退し、荒涼とした大地に変る。この上に人の住む集落などあるのだろうかと思わせる風景だ。やがてドードコシ川が左右に分岐する地点に着く。左はエベレストのクンブ氷河から流れ出る川で、右はディンボチェ方面から流れる川だ。

 ドードコシ川の分岐地点

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡り、我々は右の道に入る。最初はジグザグの急坂なので登っていると息が乱れる。やがて緩やかな登りと変り、雄大な大地の中を進んで行く。しばらく行くと、ディンポチェ(標高4343m)の集落が前方に小さく見えた。

 ドードコシ川に架かる鉄橋を渡る。

 ディンポチェへの道

 ディンポチェは高地に在るとは思えぬ賑やかな集落だった。ソナムフレンドシップという名のロッジが我々の宿で、高度順応の為に此処で連泊する。四周を山に囲まれた地形の中に集落はあり、怪峰アマ・ダムラムが今朝ほどとは異なる姿で聳え立っている。

 川沿いに広がるディンポチェ集落

 ディンポチェ集落の真上に聳えるアマ・ダムラム峰

 夕食はネパール定番メニューのダルバートで、大皿に盛られたカレーと煮野菜がとても美味しかった。明日はディンポチェに滞在し、休養と高度順応を兼ねて近くの展望地まで散策する。

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奥多摩で紅葉見物&黒茶屋で誕生日祝いの会席

2018年11月26日 | お出掛け

 11月25日(日)

 紅葉は年に一時期限りの自然界からの美しい贈り物だが、ネパールへ出掛けたり何ぞしている間に、秋の盛りは過ぎ今年は一度も見ていない。奥多摩辺りなら紅葉の名残があるのではと思いドライブがてら出掛けてみた。

 向かったのは御嶽駅近くの多摩川河原、午後の遅い時間帯だったが見頃の紅葉が僅かばかり残されていた。軽食と土産物のお店「いもうと屋」へ立寄った時、店員が「午後5時から紅葉がライトアップされて綺麗ですよ。」と教えてくれたので、いもうと屋の駐車場で待つ事にした。

 奥多摩の紅葉

 同 上

 午後5時になりライトアップされた場所へ行ってみると、見物の人々でソコソコ賑わっていた。ライトに照らされた赤や黄色の紅葉は中々に幻想的で、今年も何とか美しい紅葉を拝む事ができた。

 ライトアップされた紅葉

 同 上

 紅葉見物を終えるとあきる野市の「黒茶屋」へ向かう。黒茶屋はもう何度かブログで紹介しているが、秋川河畔に古民家を移築して建てられた和食料亭で、我家では何かの祝い事のある度に此処を訪れている。前回訪れたのは今年の7月、妻の誕生日祝いの時だった。

 料亭「黒茶屋」の入口

 黒茶屋の口コミは前回訪れた時のブログで紹介済みなので省略するが、今回は私の誕生祝いという事で妻が予約をしてくれた。老いていくばかりの誕生日などさして嬉しくもないけれど、この齢まで健康で過ごせたという意味ではありがたきかなとも思う。久々に贅を尽くした和食の味を堪能させてもらい、心地よい夜を過ごせました。

 風情のある客室

 定番コースの前菜メニュー

 同じくメイン・デッシュ

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カラパタールトレッキング6日目

2018年11月24日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

 10月28日(日)     天気=晴れ後曇り

ナムチェバザール07:40→ 11:05~25キャンジュマ→ 11:56~12:40プンキテンガ→ 14:58タンボチェ  (歩行7時間)

 

 今朝も厳しい寒さだが、朝陽輝く心地よい朝を迎えた。屋根の上にはコンデリの白い鋭鋒が輝いている。軽い準備体操をした後にAM7:40頃ホテルを出発する。ナムチェの外れまでは昨日シャンボチェへ歩いた道と同じだったが、その先から山腹を巻く水平歩道となる。

 ナムチェ村のはずれ(この先からトラバース道が始まる。写真は妻とニマさん)

 世界一美しいトラバース道が始まる

 水平歩道はエベレストやローツェ、アマ・ダムラム等のヒマラヤ高峰が素晴らしい景観で、「世界で一番美しいトラバース道」と呼ばれている。確かにその名に違わぬ眺めで、歩いていても心弾むものがある。

 息を飲む景観(左よりエベレスト、ローツェ、アマ・ダムラム)

 道の途中に建つ仏塔

 道の途中で募金を募る一人の年老いた地元住民がいた。彼の名はパサン・ラマさん、50年来個人でこの道の整備に尽力している人だ。募金は整備の資金を得る為らしく。行き交う殆どの人が募金していた。

 募金を募るパサン・ラマさん

 長々と続く水平歩道だが、道沿いには集落が点在しロッジや売店も数多い。行き交う人も絶える事が無く、ハイシーズンの富士山や尾瀬の歩道を思わせる賑わいだ。

 キンジュマの土産物店

 ティタイムをしたキンジュマのタムセルクロッジ

 進むにつれ怪異な姿をしたアマ・ダムラム峰がだんだん大きくなってくる。私が子供の頃に何かの写真でこの山を見て、「世界にはこんな凄い山があるんだ。何時かは本物を見てみたい。」と幼心に思った記憶がある。その山が、今目の前に聳えている。

 アマ・ダムラム峰(中央奥6812m)と手前の尾根上にタンボチェの集落が見える

 アマ・ダムラムの手前に見える緩やかな尾根上に、今宵の宿泊地タンボチェの家並みが小さく望まれる。そう遠くに感じないが、そこへ行くには一旦深い川底まで降り再び登り返さなければならない。

 長い吊橋を渡る

 水平道からジグザグに降ってドード・コシ川まで200m程標高を下げ、川に架かる長い吊橋を渡る。吊橋を渡ったすぐ先のプンテキンガのロッジでランチタイムとなる。今日のメニューはパスタにポテト炒めなど、疲れた身体を癒す美味しい料理だった。

 プンテキンガのロッジ(ここからタンボチェまで急登が続く)

 プンテキンガからタンボチェまで標高差600mの長い登りが始まる。ナムチェ坂に優るとも劣らないエベレスト街道の難関で、この坂を登り切らないと宿泊地のタンボチェへ辿り着かない。

 タンボチェへの長い登

 標高が上がるにつれ川音が小さくなり、頭上を見上げると今までタムセルクに隠れていたカンテガ峰(6779m)が圧倒的な存在感で高く聳えていた。約2時間の苦しい登りを終え、尾根上に数軒の建物が点在する標高3876mのタンボチェ集落に着いた。此処はもう富士山の山頂より高い場所だ。

 見上げるカンテガ峰(6779m)

 今宵我々が泊るのは「ホテルヒマラヤ」という立派過ぎる名前のロッジで、(エベレスト街道ではヒマラヤの名を名乗るロッジが多い。)部屋の間取りはシンプルながら窓から眺めるエベレストとローツェの眺めが豪華だ。

我々が泊るヒマラヤホテル

 タンボチェからエベレスト、ローツェの眺め

 同 上

 夕食まで時間があったので、シェルパ頭のニマさんがラマ仏教のお寺「タンボチェゴンパ」を案内してくれた。小さな集落にしては立派な寺院で、中は無料で見学できるが写真撮影は禁じられた。仏像を宗教画など異郷の文化と伝統が偲ばれ、有意義な体験であった。

 タンボチェゴンパの艶やかな門

 タンボチェゴンパ

 寺院内で憩う僧侶達

 お寺を出ると100m程離れた場所まで、添乗員のCさんが案内してくれた。そこには世界初の冬期エベレスト登頂を成し遂げその直後遭難死した登山家「加藤保男」や、その他エベレストで亡くなった日本人を含む何人かの登山者を偲ぶ慰霊碑が建立されていた。彼らの慰霊碑がエベレストとは逆のルクラ空港方面へ向いていたのは、生還を果たせなかった彼らの望郷を慮ってであろうか。

 登山家「加藤保男」の慰霊碑

 慰霊碑の建つ場所からは長々と横たわるコンデリ峰が正面に望まれ、輝く夕日がその中へ没しようとしていた。明日は怪峰アマ・ダムラムの山麓を通りディンポチェへと向かう。

 コンデリに夕日が沈む

 

 

 

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巷ではチコちゃんの「ボーッといきてんじゃねーよ、」が大人気

2018年11月23日 | 日記

 11月23日(金)

 最近NHKテレビの「チコちゃんにしかられる」という番組の人気が高まっているそうだ。CGで合成された主役のチコちゃんは5才の口達者な女の子という設定で、普段考えもしないような素朴な疑問を登場するゲストにぶつけて、上手く答えられないと(殆どが答えられない)、決め台詞の「ボーッと生きてんじゃねーよ」でゲストが叱られる。

 チコちゃんの多彩な表情とその決め台詞が痛快で、私もこの番組をよく観ている。そしてチコちゃんの「決め台詞」が、普段の生活でもけっこう使える事にも気付いた。

 例えば、私は地元の中高年サークルでテニスを楽しんでいるが、テニスの試合は基本ダブルス形式で行われる。試合の最中に自分のパートナーがつまらぬミスを犯した時、「ボーッと立ってんじゃねーよ。」何て言おうものなら普通は喧嘩になってしまう。しかし「ボーッと立ってんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに言われるよ。」と付け足せば、明るい冗談として和やかに済ます事ができる。(これは実証体験済みです。)

 一般社会でもこの言葉が大いに活用できるのではないだろうか。例えば貴方の部下が鈍くさい奴でミスばっかりやってたら、「ボーッとやってんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに叱られるゾ」何て注意すれば角も立たずに済む。

 貴方の友人がだらしない奴でそんな態度に堪忍袋の緒が切れた時、「ボーッと生きてんじゃねーよ。・・・とチコちゃんに叱られるゾ」と明るく言えば相手も苦笑いで済むだろう。

 言葉によるパワハラが大きな社会問題になっている昨今、チコちゃんの決め台詞を付け足す事で随分雰囲気を和らげる事ができるのではないだろうか。但し世の中には冗談の通じぬ、ガチガチの石頭も存在しますから、そこんとこは注意してご使用ください。

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カラパタールトレッキング5日目

2018年11月21日 | ヒマラヤ・カラパタール紀行

10月27日(土)     天気=晴れ後曇り

 

ナムチェバザール08:12→ 10:00~50エベレストビューホテル→11:57~12:30クムジュン村→ 15:00ナムチェバザール (歩行5時間)

 

 毎朝、シェルパさんがお湯とホット紅茶を配ってくれると前回のブログに載せたが、その他に添乗員のCさんが参加者の健康手帳を準備しており、毎朝夕にパルスオキシメーターという器具で全員の血中酸素飽和濃度を測ってくれる。この数値が高ければ高度順応しているという事になり、通常通常90以上あれば良、60前後に下ると高度順応していないとなるらしい。

 我々夫婦の数値に毎回問題なかったが、何故かいつも妻の方が高い数値であった。妻の方が高度に強いのだろうか?そんな風に細やかな健康面のサポートがある事も、我々が安心してトレッキング専念できる力となっている。

 さて今日は高度順応と休養を兼ねた軽いハイキングなので、朝8時過ぎに気軽な気分で宿を出発する。ナムチェの村を見下ろす所まで登ると、西方にコンデリ(6187m)が白く輝いて大きく見える。

 ナムチェバザールの村と背後にコンデリ峰(6187m)

 ナムチェ村よりルクラから辿って来た渓谷を望む。

 ナムチェ村のはずれからシャンボチェの丘までしばらく急登の道が続く。辿り着いたシャンボチェの丘は名立たる景勝の地で、エベレストを始めとするヒマラヤの高峰群の眺めが言葉にならぬ程素晴らしい。

シャンボチェの丘より(右からアマ・ダムラム、ローツェ、江ブレスト、タウチェの高峰が望める)

 至福の散歩道

 丘の奥にはエベレストが正面に眺められるエベレストビューホテルが経っている。日本人が経営しているそうで、近くにはヘリポートも備えられお金を出せば此処まで歩かずとも来る事ができる。しかし長い道を経てこその感激や達成感もあるのではないだろうか。ホテルの屋外ビュッフェでしばらくティータイムを楽しむ。

 エベレストビューホテルに向かう(奥の山はコンデリ)

 ホテルのヘリポート

 エベレストビューホテル

 ホテルを出るとクムジュンの村へ向かって緩やかに降って行く。クムジュン村は標高3700m地点にあり、薄青緑色屋根に統一された家々が立ち並ぶ美しい集落だ。シェルパ頭ニマさんの奥さんも此処の出身だと言い、何人かの村人が彼に親しく声を掛けていた。 

 ホテルから望むクムジュン村

 村が近づいてきた

 村の背後にはシェルパ族の聖なる山、クーンビラ(5761m)が聳える。穂高岳を二廻り程険しくしたような岩山だが、登山を禁じられ今だ未踏峰という事だ。

 村の仏塔と背後にクーンビラ峰

 クムジュン村のバレービューロッジで昼食をとる。美しい山岳風景を眺めながら食べるプラディさん手作りの料理のマカロニ風ランチは絶品だった。昼食を終えると往路とは違う道でナムチェへと戻って行く。村のはずれにはエベレスト初登頂の登山家ヒラリーが造ったという小・中学校が在り、山中には珍しくサッカーや野球ができそうな広い運動場を持つ立派な学校だった。

 ランチの温野菜とマカロニ&オレンジジュース

 村からタムセルク峰(右6623m)とカンテガ峰(左6779m)

 村からアマ・ダムラム峰(6812m)

 登山家ヒラリーが創設したクムジュンの小・中学校

 クムジュンから峠への道でヤクとすれ違う

 クムジュンから仏塔の建つ小さな峠を越えてナムチェへ降って行くと、途中に世界最高所の飛行場が在る。ダートの滑走路でセスナ機くらいしか離着陸できないだろう。今は殆どへリポートとして使われているようだ。

 クムジュンとナムチェ間の峠(雲を被った山はエベレスト)

 峠近くの標高3800mにある牧場

 世界最高所の飛行場

 飛行場から急な坂をジグザグに降って行くと、ナムチェの村が眼下に見えた。宿へ戻ると時間が早いので、Cさんの案内で商店街を散策する。商店街には登山用品を中心とした数多くのお店が軒を連ねている。

 道端に咲くヒマラヤリンドウの花

 眼下にナムチェの村が見えてきた

 さして欲しい物も無かったが、商売上手なオバサンの店でYさんと私は羽毛ズボンを買った。値段は値切って30ドルで、一応「ノースフェース」の商標が付いている。妻はお土産用にとヤクの毛の帽子を4枚買い私のズボンと併せて40ドルだった。日本円で4千円と思えば安い買い物だったと思える。

 買ったばかりの羽毛ズボンを履いたYさんと私(真ん中は添乗員のCさん)

 勧め上手なお店のオバ(お姉?)さん(右側と左側はT子さん)

 賑わう商店街

 洒落たフードコート

 ショッピングを終え宿に戻ると、辺りは肌寒いガスに覆われ一気に気温が下がった。午前中は晴れて午後から曇り、こんな天気が毎日続く。最後までこんな天気が続けばよいが・・・明日はタンボチェまでアップダウンの大きなトレッキングとなりそうだが、前半は世界一美しいと呼ばれるトラバース街道を歩く。どんな風景に出会えるか楽しみだ。そう思いつつ寝床についた。

 

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