Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

添乗員仲間と埼玉県越生町観光

2016年03月30日 | 旅行

 3月28日(月)     

 昨晩ビールを飲み過ぎたせいで、目覚めたら瞼がむくんで腫れぼったい。それでも朝一番風呂に入ったら少しはスッキリした。ニューサンピアおごせの朝食はバイキング形式だったけれど中々豪勢で美味かった。

 ニューサンピアおごせの朝食

 当日参加のAOさんがAM9時過ぎ宿に到着した。体調不良と聞いていたから心配していたが思ったより元気そうだったので安堵した。全員がHAさんの車に乗り、越生町の観光に出発する。

 最初に向かったのが山奥に聳える上谷の大クス、案内板によればこのクスの木は埼玉県一番大きいそうだが、全国では16番目の巨木になるという。この微妙な順位がマイナーな観光地に甘んじてる原因なんだろうか。

 巨木の下で記念写真

 人と比べると大きさがわかる。

 次に向かったのが室町時代の武将「太田道灌」のお墓がある「龍隠寺」、由緒あるお寺だが幾度かの火災で主要な建物は焼失し、現存する一番古いのは300年前に築かれた山門で趣のある建物だ。

 龍隠寺の山門

 太田道灌という名は知っていたが、どんな人物か良く判らなかった。江戸城や川越城の礎を築いた人らしい。知性人格優れた人物だったが、若くして暗殺されたという話だ。

 太田道灌のお墓

 その後越生梅林近くの自然休養村センターに立寄り、名物の「ひもかわウドン」を食べた。このウドン店は梅の開花時期である1月~3月の間のみ営業しており、一寸山梨のほうとうを思わせるが、安くてボリュウムがあり大変美味しかった。

 生越梅林近くにある佐藤酒造の直営店

 食事を終えると、ここで現地解散となり添乗員仲間とお別れした。HAさんが「車で送ろうか。」と言ってくれたが、まだ午後1時で時間も早かったから私は我家までウォーキングで帰る事にした。15~16キロの距離だから楽勝と思われたが、おニューの靴下が足に合わなかったのか歩いているのち足裏に血豆が出来てチクチク痛み始めた。一瞬電車に乗ろうかと迷ったが、それでは男が立たぬとつまらぬ意地を張り、痛みを堪えつつ我家まで3時間程かけて歩き通した。

 年に1~2度行っている添乗員仲間の親睦会、今だ現役で頑張っているのはKOさん一人だが、他の皆さんもそれぞれの分野で活躍している。そんな仲間の話を聞くと、自分も頑張らねばと奮い立つものがある。次回も又全員元気な姿で再会したいものである。

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奥武蔵、一本杉峠~大高取山ハイキング

2016年03月29日 | 山歩き

3月27日(日)       天気=晴れ    

09:20武蔵横手駅→ 10:33ユガテ→ 10:48~52エビガ坂→ 11:07十二曲り→ 11:30一本杉峠→ 11:39~43カイ立場→ 12:00~13:00鼻曲山→ 13:19368mピーク→ 13:50~14:00桂木観音→ 14:14~27大高取山→ 14:50~15:05越生梅林→ 15:16ニューサンピアおごせ

 

 以前勤めていた添乗員派遣会社の仲間と今宵、越生町の「ニューサンピアおごせ」で泊まり掛けの親睦会を行う事になっている。ならば山歩きを楽しんでから参加しようと、登山口の西武秩父線、武蔵横手駅に向かった。

 西武秩父線、武蔵横手駅

 AM9時過ぎ、この小さな駅から歩き始める。国道299号を渡り高麗川に注ぐ支流沿いの車道を北に向かって遡って行く。ハイカーの姿は見えぬが、マウンテンバイクのオジサン連中やトレイルランナー達が次々と私を追い抜いて行く。週末の山へ来てまでそんなに急ぐ事も無かろうにと何となく違和感を感じる。

 支流沿いに遡る。

 30分程で道が左右に分岐する。ここを左折して荒れたダートの林道をしばらく行くと、再び車道に合流した。ここからユガテに向かう登山道が左に分岐している。この先標識はあるものの、地形が複雑で自分の現在地が把握しづらい。こんな時はGPSが頼りだ。イスラム教もキリスト教も日本国憲法もあまり信用できぬけれど、GPSのお導きだけは間違いなく私を正しい道へと導いてくれる。

 ユガテとは変わった地名だが、ここに数軒の山上集落がある。風光明媚な所だけど、何故にこんな不便な場所で暮らしているのか一寸不思議でもある。ユガテから登山道を伝って十二曲りを経由し一本杉峠へ向かう。

 山里ユガテの集落

 エビガ坂の分岐

 

 この間は舗装された林道が走っておりそちらを行く方が早くて楽なのだが、それでは山歩きに来た意味が無い。敢てアップダウンの多い登山道を進んで行く。しばらく行くと登山道が左右に分かれる分岐点に着いた。

 十二曲り(左林道、右登山道)

 左は顔振峠へ向かう道で、右に曲って越生町へ向かう登山道に入る。分岐からすぐに一本杉峠に着いた。峠の標高が490mで今日のコースでは最高地点になる。山じゃ無くて峠が一番高いと言うのも変だが里山歩きではママこんな事もある。

 一本杉峠

 峠から緩やかに降ると黒山温泉への分岐があるカイ立場へ着く。ここから桂木観音までは破線ルートで私も初めての道だ。登り始めてすぐの岩場が「幕岩」で、「これより先岩場危険」と標識に書かれていたが、歩いてみれば何ちゅう事も無く拍子抜けだった。

 幕岩の岩場

 幕岩から僅かな登りで、12時ちょうどに鼻曲山(447m)に到着した。狭い山頂で展望も無かったが、コンロに火をつけてランチタイムとする。今日の昼食はラーメン、オニギリ、缶ビールと若干のツマミ、具の無いインスタントラーメンなど家にでは喰いたくも無いが、山の上だと身体が温まり実に美味い。ノンビリお湯を沸かして寛ぐこんな楽しみをマウンテンバイクのオジサンやトレイルランナー達は判んネーだろうなと一人悦にいる。

 鼻曲山山頂

 1時間の休憩を終え山頂を後にする。しばらく行くと送電線鉄塔下の広場に着いた。初めて展望が開き顔振峠から関八州見晴台に続く奥武蔵の稜線が見渡せる。ここにはご丁寧に、「山々を望む丘」と書かれた立派な標柱も設置されていた。

 山々を望む丘展望台から奥武蔵の稜線

 凡庸な樹林の尾根道を進み三角点のある368mピークを越えて更に降って行くと、やがて右手から車道が合さり桂木観音が祭られた集落に着いた。この辺りは桃源郷のような心地よい場所で、展望が開いた東側には毛呂山町の市街地が広がっていた。

 桂木観音(右手に大高取山への登山道がある)

 桂木観音でお参りし、今日最後のピーク大高取山へと登って行く。この山域はオリエンテーリングの好適地で、昔何度かここでプレーした記憶がある。(オリエンテーリングとはコンパスを使った野外競技で、指定ポイントを発見し如何に早くゴールするかを競うゲームだ。コンパスの使い方を学ぶので、登山者にとっても有益なスポーツと言える。)

 大高取山山頂

 山頂から生越の市街地方面

 桂木観音から15分程で大高取山(376m)に着いた。平坦な山頂で東側に展望があり、越生の市街地が望まれた。ここで一息いれ、越生梅林の方へ緩やかに降って行く。標高が下がるにつれ、だんだん人里の雑音が大きくなってきた。右手はゴルフ場でグリーンの芝生が垣間見える。十字路の地点を左折すると、直に黒山温泉へ通ずる県道に降立った。その県道を右へ進むとすぐに越生梅林の看板が見えた。

 大高取山への登山口

 梅林の盛りはとうに過ぎていたが、一部の木にまだ白い花が咲いていた。梅林の見物を終え、田舎道をテクテク歩いて、午後3時過ぎ今宵の宿、ニューサンピアおごせに着いた。待合せが午後4時だったからまだ誰も来ておらず、屋外のベンチにザックを下ろしノンビリテニスに興ずる人を見ていたら、添乗員仲間のKMさんや幹事のHAさんが姿を現した。

 生越の梅林

 ニューサンピアおごせ

 部屋に通され入浴の後、久方の再会を祝してビールで乾杯、仕事を終えたKAさんも最後に合流し、その夜は楽しい晩餐を過ごした。今日は、ほど良い山歩きの疲れでビールが実に小気味よく喉を通る。お蔭で若干飲み過ぎたようだ。しかし「山高きが故に尊とからず。」と言うけれど、少しは高い山じゃないと登った達成感が無いというのが今日の山歩きの実感だった。

 久々の再開を祝して乾杯

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昔の職場の友とお花見

2016年03月26日 | お出掛け

 3月26日(土)

 朝目覚めてフト窓の外を覗くと、西の彼方に白銀の山々が見えた。それは信越国境に連なる谷川連峰だった。100キロ以上離れたこの山がこんなにクッキリ見えるのは珍しく、そのせいだろうか今日は朝から気分がいい。

 遠く白銀の谷川連峰(右の山は赤城山)

 今日は板橋区の徳丸ヶ原公園で、昔の職場の仲間達と2時間程テニスを楽しんだ。ここは2面しかない小さなテニスコートだが、隣接して可愛い動物園がありチビッ子達の歓声で賑わっていた。

 テニスを終えるとスーパーでビールとツマミを調達し、花見場所を求めて高島平駅近くの赤塚公園へ移動した。時期尚早で公園の桜は殆ど咲いていなかったが、ようやくポツポツ咲いてる木を見つけその下で花見を始めた。

 赤塚公園でお花見

 昔の職場を退職してもう14年になるけれど、人付き合いの悪いわたしが今でもお付き合いしている職場の友はこの人達くらいである。だから皆さんいつまでも元気でいてくださいと切に思うのです。

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山仲間の I さん宅で燻製作り

2016年03月24日 | お出掛け

 3月23日(水)

 山仲間の I さんから「燻製作りに参加しませんか。」とメールが届いた。どうも I さん、先日山梨で田舎暮らしをしている彼の友人宅で燻製作りを体験し魅せられたらしい。

 朝方 I さん宅へ伺うと、ベランダにハンドメイドの燻製器が鎮座していた。それを見たら I さんは燻製そのものより、燻製器を作る事が目的だったのではと思うほど凝った作りだった。

 I さん自作の燻製器

  I 夫妻、同じく山仲間のSさん、そして我々夫婦が参加して、初めての燻製作りが始まった。まず燻製器に塩を盛りお神酒を掛けてお浄めの儀式を行う。次に七輪で炭火を起し燻製にする肉や魚介類の乾燥工程に入る。

 燻製器のお浄め

 不器用な私は手を出しても邪魔なだけだから、作業は専ら I さんとSさんの二人に任せ、私はカメラで記録係に徹した。乾燥工程は約40度の温度で肉や魚介類の水分を飛ばす。温度は通気口の開け閉めで調整し、約1時間程行った。

 乾燥前の魚介類(上)と肉類(下)

 乾燥前の肉類等

 乾燥後の魚介類

 そしていよいよ本番の燻製行程に入る。炭火の火力を強め、燻製器内を80度以上に保ち燻していく。この時一緒に燻製チップを燃やすのだが、これは桜の木片で燻製の香りづけで重要かつ必要なものらしい。後は燻製品が完成するのを待つばかり、その時間は居間のこたつに陣取りトランプゲームの大貧民を興じ楽しんだ。

 火力を増した七輪を入れる。

 桜木の燻製チップに火をつける。

 早い魚介類で2時間程、肉の塊が更に1時間半程で、美味しそうな燻製品が完成した。 I さんは一部の出来栄えに不満そうだったけれど、試食した燻製は大変美味しくて最初でこれだけできれば大成功じゃないかと私は思った。

 燻製となった魚介類等

 同じく燻製となった肉類

 試食した燻製の品々

 夕刻Iさん宅を辞しSさんと共に帰る電車の中、普段食べ慣れぬ珍味を喰い過ぎたせいか私の小さな胃がズシリと重苦しい。それに燻製の煙と香りが染みたのか、自分の身体も燻製化したように感じられる。これで私の人間味にチョットは旨味が増したかな。

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青梅の宗建寺へ墓参り

2016年03月22日 | お出掛け

 3月22日(火)

 アチコチで桜の便りが聞かれるようになった。そんな雰囲気に押されて車のタイヤを冬用からノーマルに交換した。そして今日はドライブがてら青梅市の宗建寺まで墓参りに出掛けた。

 青梅市の宗建寺

 多摩の山里はすっかり春の陽気で、桜見物にはちょっと早いが白いコブシやピンクの杏や桃が艶やかに咲いていた。墓参りを終えると近くに在る梅の名所、吉野梅郷まで足を延ばしたが、盛りの時期は過ぎたのか梅の花の欠片もなかった。

 墓参りの後はいつも奥多摩御岳駅近くの澤乃井酒造直営店「いもうとや」で昼食をとるのだが、今日は生憎休業日だった。それならと妻の希望で飯能市の「生活の木」直営レストランへ向かった。

 「生活の木」はハーブ等の香水を製造販売するメーカーで、飯能市の高台に在る三杉台ニュータウンのど真ん中に広々としたガーデンを併設したヤハラテナと言う名の洒落たレストランを経営している。

 ランチタイムしか営業していないようだが、スリランカ人のシェフが無農薬野菜を使った身体に優しい料理を提供しており、これが大変美味く価格も千円~2千円台と内容からするとリーズナブル、今日は時期尚早だったが、隣接のガーデンも暖かくなれば見事な花園になるそうで、一見の価値あるレストランでした。

 飯能市の「生活の木」ガーデン

 

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熊谷さくらハーフマラソンを走って来ました。

2016年03月21日 | マラソン

 3月20日(日)

 右足大腿部を痛めており殆ど走り込みをやっていないから、本当言うと今回も自信は無かった。でも火事場のバカ力と言うかミラクルを信じてスタートした。

 最初は周りのランナーに引っ張られるようにして順調だった。しかし今日は北風が強く、コースが西~北向きになった途端強風に押されて身体が前へ進まない。これでスタミナを消耗してしまった。11キロ地点の電光掲示板を見たら1時間を超えている。あまりのタイムの悪さに気力が萎えた。

その後はとてもじゃないが「別れても好きな人」のリズムで走る事ができなくなり(3月6日のブログ参照)以降、曲は「昭和枯れすすき」のリズムに変った。

苦しさに負けた~ いいえ老化に負けた

北風が強い いっそ棄権をしようか。

力の限り走ったから ~未練などないわ。

ゴールさへも届かぬ。 私は枯れすすき

 

 とは言え、やせても枯れても私は走歴40年のヴェテラン、痛む足をユー・キャン・ドー・イットと騙しつつ、何とかゴールの熊谷運動公園陸上競技場まで走り抜いた。タイムは1時間58分と、これまでで最悪の記録、これで順位が過半数以下だったらいよいよ引退だ。記者会見は、帝国ホテルは高そうだから、東武川越ホテルにでもしようか。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/fukurai1/d/20160306

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馴染の写真屋さんが閉店

2016年03月19日 | 日記

 3月19日(土)

 先日何気なく街を歩いていたら、馴染の写真屋さんの店頭に「4月6日をもって閉店させていただきます・・・」と書かれた紙が張られていた。この写真屋さんとは20年以上の長いつきあいで、店主のKさんは俳優の大地 康雄に似た雰囲気の親切で優しい人柄の人だ。

アナログ時代には写真のプリントは必ずこの店にお願いした。デジタルになってから少し足が遠のいたけれど、それでも店前でお会いする都度ニコヤカに気持ち良く挨拶してくれた。

 客の入りは悪くないと思っていたが最近近くに全国展開の大型カメラ店が進出したから、個人営業の店は経営が厳しくなったのであろうか。こんな事なら私のブログで大々的に宣伝してやればよかったと後悔した。(こんなブログに載せたってカエルの面に小便かけた程の効果もネーヨ。)

 売上に貢献したいという気持ちもあって、写真のプリントアウトをお願いに久々お店へ顔を出した。迎えてくれた店主のKさんは私が問わぬうちから「4月6日何て中途半端な日に閉店するんで変に思われたでしょう。実は私この店を始めた時から、たとえ元気でも70歳になったら店を閉めようと心に決めていたんです。その70歳の誕生日が今年の4月6日という訳です。オープンから22年になりますけど、長い間大変お世話になりました。」と晴れ晴れとした顔で語ってくれた。

 経営不振なんて杞憂で、Kさんはしっかり自分の意志を貫き仕事を全うしたのだ。その笑顔には悔いなく自分の人生をやり通した男の自信と誇りが溢れていた。それは喜ばしく祝福すべきフィナレーだが、一方で親しい友を失うような一抹の淋しさが募った。

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八ヶ岳、東天狗岳登山

2016年03月17日 | 山歩き

3月16日(水)     天気=晴れ後曇り

07:40渋の湯温泉御殿湯→ 08:28~31パノラマコース合流点→ 09:35~48黒百合ヒュッテ前→ 10:51~58東天狗岳→ 11:33~46黒百合ヒュッテ前→ 12:19パノラマコース合流点→ 12:40渋の湯温泉

 山仲間Sさんのブログに「雪山を歩いて来た。」と楽しげに書かれていた。それを見たら私も雪山歩きをしたくなり、妻を誘い八ヶ岳の天狗岳を登る事にした。昨日の午後、我家を出発し昨夜は中央道の双葉サービスエリアで車中泊した。

 早朝、諏訪インターで中央道を降り、途中コンビニで食料を調達し6時過ぎに登山口の渋温泉御殿湯に着いた。宿のフロントに駐車料金一日分1000円を支払い。宿の人が指定する場所に車を停める。勝手に駐車すると宿の人に厳しく叱責させるので要注意。

 

 渋温泉御殿湯の登山口

 標高1840m登山口の朝は身震いするほど寒い。計画書を登山者用ポストに投函し、小さな鉄の橋を渡って登山道を登り始める。15分程歩いた頃であろうか、妻が突然「貧血気味で息が切れる。」と言い足を止めた。急に標高の高い所へ来たから高山病の兆候だろうか。しばらく休んだが、「登る自信が無いから車で待つ。」と言う。二人で登山口まで戻り「なるべく早く戻る。」と妻に言って、私は再び一人で出発した。

 黒百合ヒュッテに至る登山道は殆ど樹林帯で展望は全く無い。しかし先行者のトレイルがしっかり刻まれ、緩やかな道なので大変歩き易い。50分程でパノラマコースが合さる尾根上に達した。ここからは緩やかな尾根道を進んで行く。途中、唐沢鉱泉へ降る道が右に分岐するがトレイルは全く無い。

 登山道合流点から1時間程で樹林帯がパッと開き、前方に黒百合ヒュッテの建物が現れた。ヒュッテ前のベンチに腰掛け栄養補給する。上空からの日差しは眩しいが、寒気は強く休んだ身体が一気に冷える。

 黒百合ヒュッテ

 ここからストックをピッケルに持ち替え、ウインドヤッケを着込んで出発する。5分程で中山峠に着く。直進すれば稲子湯への下山道で、左へ行けば高見石への道、ここを右折して天狗岳への登山道に入る。

 中山峠

 しばらく樹林の道を進むと高台に出た。360度の展望で前方に天狗岳が姿を現した。稜線を拭き渡る風が冷たく身震いする。更に崖っぷちの道を行くと、いよいよ山頂への急登が始まる。雪面に踏み跡を刻んでジワジワと登って行く。脚は鉛のように重いが、白銀の大展望の中を一歩一歩登って行く。これが冬山の醍醐味と闘志も湧いてくる。

 高台から東天狗岳(左)と西天狗岳(右)

 山頂直下

 山頂手前の岩峰を右から巻き気味に登る。ここが今日のコースで唯一要注意個所だった。岩峰を過ぎると山頂は目前だった。黒百合ヒュッテから1時間余で東天狗岳(2640m)に到着した。360度素晴らしい展望、今まで見えなかった八ヶ岳の主峰群の赤岳や阿弥陀岳、硫黄岳等が南に見える。北は蓼科山まで続く北八ヶ岳のたおやかな山々、遠くは中央アルプスや北アルプスの白い峰々が銀屏風の如く連なりウットリする眺めだ。

 山頂手前の岩峰

 東天狗岳山頂

 山頂から硫黄岳(岩壁の山)、赤岳(右奥)、阿弥陀岳(右端)

 山頂から蓼科山方面

 西隣の西天狗岳へも行きたかったが妻の事が気懸りだったので写真を撮り終えると来た道を下山開始する。登りと違い下山は楽だ。アイゼンを効かせて大股にグングン降る。登りのタイムの半分ほどで黒百合ヒュッテに戻って来た。

 山頂から西天狗岳

 下山路から稲子岳方面(遠くに浅間山)

 ここで再びピッケルからストックに持ち替え緩やかな樹林の尾根を降って行く。平日というのに三々五々登って来る人が多い。この時間に登るという事は、皆さん今宵は黒百合ヒュッテに泊るのだろう。 

 重力の力を借りアイゼンを効かせて一気に降ったので、黒百合ヒュッテから1時間足らずで登山口の渋温泉御殿湯に戻って来た。案じていた妻は車の中でウツラウツラして待っており、体調は悪くないと言うのでホッとした。

 渋温泉御殿湯の駐車場

 車に乗ると山麓の日帰り温泉「縄文の湯」に向かい、山の汗と疲れを流す。風呂から上がってもまだ時間はタップリあったので、国道20号をノンビリドライブし、笹子峠手前の勝沼インターから中央道に入り夕刻我が家に戻ってきた。

 天気に恵まれたが八ヶ岳への日帰りはチョット慌ただしかった。妻が貧血になったのも私が最初から急ぎ過ぎたせいもあっただろう。次回来る時は小屋泊りのノンビリペースで妻にリベンジさせてあげなけれぼと思った。

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映画「エヴェレスト神々の山嶺」を観てきた。

2016年03月14日 | 映画・コンサート

 3月14日(月)

 これは夢枕獏さんの小説「神々の山嶺」を原作にした映画で、この本はベストセラーになっており私も面白くて一気に読み通した。ただ超長編なので2時間の映画に収めるのは困難ではと思ったが、やはり映画のストーリーは原作とは随分異なっていた。

 物語りの主人公、羽生(阿部寛)は卓越した孤高の登山家で、世間に背を向けネパールの地で当時登攀不可能と言われたエヴェレスト南西壁単独登頂を狙う。野心的な山岳カメラマン(岡田准一)が、そんな羽生に関心を抱き彼の後を追う・・・

 エヴェレストを舞台にしたこの映画は、角川映画の40周年記念作品と言う事で熱意のこもった力作のように見受けられる。主演の阿部寛さんや岡田准一さんも熱演して迫真の演技であった。エヴェレストを中心とするヒマラヤの映像も素晴らしく、これだけで一見の価値がある。

 ただストーリーがあまりにも雑、羽生のパートナーが遭難死した現場が北アルプス屏風岩となっているけど、あれはどう見ても同じ北アルプスにある錫杖岳の岩場だ。又エヴェレストで遭難死した羽生が遺した手帳の文字があまりに整然としている。酷寒の中、厚い手袋であんな字が書けるはずなかろうが。その他ツッコミどころは幾つもあったが以下省略、登山事情に精通した専門家の検証は無かったのだろうか。

 同じエヴェレストを舞台にした「エヴェレスト3D」という外国映画が去年公開されたが、ハッキリ言ってドキュメンタリーっぽさや臨場感では邦画はかなり見劣りする。まあ出演者がCMやドラマでお茶の間にお馴染みの人気者だから、そこで嘘っぽく見えてしまうという面もあるのだけど。

 原作の小説を読んでからだと、ちょっとガッカリします。予備知識無しに観れば熱のこもった力作だし、ヒマラヤの映像も美しいのでかなり楽しめるのではないかな。

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東北大震災から5年

2016年03月12日 | 日記

 3月12日(土)

 東北大震災から5年の節目を迎えた。テレビや新聞は特集を組んで被災地の現状を報道し、多くの著名な方々が心あるコメントを寄せていた。再び映像を観ると、あの大地震が想像を絶する悲惨な災害であった事を改めて思い知らされる。

 地震発生時、私は近在のショッピングセンターにいたのだが、あまりの激震に屋根が崩落するのではと恐れ慌てて屋外へ避難した。幸い我が家は一部の物が散乱したくらいでさほどの被害は無かったが、傍を走る鉄道は丸二日間停止し、給油所にガソリンは無くスーパーから主だった食品が消えてしまった。更に追い打ちを掛けるように放射能汚染が関東一円に広まった時は、このまま日本が凋落してしまうのではと本気で心配した。

 あれから5年、長いようで短い何とも言えぬ歳月だった。その後幾度かボランティアで東北の被災地へ足を運んだけれど、それも被災者を助ける義侠心と言うより、何もせずノウノウとしている己に罪悪感を覚え、居たたまれずに参加したというのが本音のところだった。

 被災地を除き、5年の歳月で街並みの雰囲気はすっかり大震災前に戻った感がある。あれ程叫ばれていた節電の声も今は遠のいた。東北大震災は甚大なる犠牲のうえに多くの課題と教訓を我々に投げ掛けたが、今の日本はその多くを活かせぬまま、現状復帰のリセットボタンを押しているようにしか見えないのだが・・

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ニーサでインド債権ファンドを購入

2016年03月10日 | 日記

 3月10日(木)

 ニーサの件で川越まで出掛けた。エッ、ニーサをご存じで無い。?金髪美人じゃありませんよ。ニーサを字で書けば「NISA」、正式には「少額投資非課税制度」という名の国が推し進める投資振興策です。も一つ噛み砕いて言うと「1年間につき120万円以下の投資なら、その利益に税金はかかりません。」という有難い制度で3年前から始まっている。

 私も某証券会社に口座を開設してるので、今年もラブレターのように「いらっしゃ~い」と案内パンフレットが届いていた。まあ税金を払わずに済むならそれに越した事は無いと私も興味があり、鴨がネギ背負って行く感が無きにしも非ずだが、証券会社の川越支店に足を向けたという訳だ。

 午前中の店内は閑散としており、私の担当であるD女史は不在だった。替わりに20代の優しげな女子社員が私にいろいろと説明してくれた。(アッ言っとくけど、私は若い女性とお話ししたいから出掛けたんじゃないからね。誤解せぬように)

 私だって極小なりとはいえれっきとした投資家、一応ネットで事前に、株や投資信託等の経済情報を鋭意調査・検討した。その詳細経緯については機密事項ゆえ明かせぬが、その結果「インド債権ファンド」なる外国債券ものの購入を決断した。新興国の中では、今後インドが最も成長する可能性があるという情報を信じたからだ。

 この債権、都合の良い情報によると120万円分の購入で、年間23万円余の配当金が見込めるという。都合の悪い情報は・・・・聞かない事にしよう。もう買っちゃったんで後ろを見ない。インドの皆さん今後も頑張って立派なお国にしてくださいね。私も陰から応援しますよ。

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宇宙からスマホ依存の暗示波が降り注いでいるのでは?

2016年03月08日 | 日記

 3月8日(火)

 「現代人は一寸スマホのやり過ぎじゃないか。」と思うのは、私がガラケーしか持たぬ人間だからだろうか。先日もハイキングに行く為早朝のローカル電車に乗った時、居合わせた10名程の乗客全員が一斉にスマホやタブレットを覗く姿を見て、集団催眠にでも罹っているのかと一寸異様に思えた。

 最近は電車内はおろか往来でも大半の人がスマホを見ながら歩いており、それがありふれた光景になっている。以前テレビでやってたアンケートでも、某女子高生などは「一日12時間以上やってるの。」と自慢げに応えていた。誰も彼もがスマホの虜になる現状に、宇宙からスマホ依存の暗示波でも降り注いでいるのかとさへ思えてしまう。

 スマホは確かに素晴らしいアイテムで現代生活に欠かせぬものなんだろうけど、あまりにも依存の度が過ぎているのではないだろうか。特に若い人達は人生の礎を築く貴重な時期に、もっと他にやるべき事が多々あるのではと老婆心ながら憂いてしまう。

 まあこんな説教じみた事、70年近くただ漫然と生きてきた私が言っても説得力が無かろうし、要らぬお世話と言われそうだ。視点を変えて、あの時ローカル電車で乗り合わせた乗客達の目から見れば、皆がスマホをやってる中、何もせずにボケーッと座ってる老夫婦(我々の事)の方こそ異端者に見えたのかも知れない。

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「別れても好きな人」のリズムに乗ってランニング

2016年03月06日 | マラソン

 3月6日(日)

 「もう3月かよ~」と月日の経つ早さを嘆いていたら、熊谷マラソンの案内が届いた。そうだ先の事だと思っていたが、2週間後にはハーフマラソンを走らねばならない。スキーやテニスばかりで、最近ジョギングをやっていない。ロクに練習せぬままの本番はキツイので、一昨日長距離走に挑戦した。

 ランニングスタイルで我家を出発したが途中体調不良で行き倒れになってもまずいから、背中の軽ザックに着替えと財布をしのばせた。久し振りのジョギングなので身体がぎこちなく、潤滑油が切れた自転車のような気分だ。

 ランナーの中にはミュージックを聞きながら走る人をよく見掛るけれど、私の場合は、歌を口ずさみながら走っている事が多い。その歌とは1980年頃ロスインディオス&シルビアが唄った「別れても好きな人」という曲、若い人は知らないだろうが当時かなり流行った軽快な歌だ。

 「別れた人に会った~別れた渋谷で会った~別れた時とおんなじ~雨の夜だった」この歌のリズムが何故か私の走りに合った。元気な頃はこのリズムでフルマラソンを駆け抜けたものだが、淋しい事に昨今はこのリズムに追いて行く事ができず、電池の切れかかったレコードから流れるリズムでしか走れない。もうこの歌で走るのは無理かも知れず、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」にでも曲替えしなければと思わないでない。

 話しを元に戻して、ギシギシ軋む身体をなだめながら街のアチコチをヨタヨタと彷徨い走った。最低でも2時間は走ろうと心に決めていたのだが、だんだん脚は重くなり2時間20分程が限界で走りを止め我家に戻った。

 そして昨日今日と、筋肉痛がひどくとても走れる状態ではない。20キロ位が限界じゃやっぱりフルマラソンは無理かなあと、ちょっと気分が落ち込んだ。

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確定申告は、遅い時期に行った方が空いてるかも?

2016年03月04日 | 日記

 3月4日(金)

 毎日のように見ている山仲間 I さんやSさんのブログに確定申告の事が書かれていた。日々慎ましく暮らす庶民にとっては、確定申告はけっこう大きな関心事である。

 その確定申告の為、私も昨日川越市の税務署へ行って来た。毎年の事なので遅い時期且つ午後に行った方が空いているというのが何となく判ってきた。以前混雑時期に行った際は、ジグザグの列に小1時間並ばされ、ちょうど腰痛を発症していた頃だったからつくづく往生した。

 しかし昨日は、待機エリアで椅子に座り待つ事15分程で入力パソコン席へ案内された。パソコン席にはサポーターの人が居て、同時に2名の申告者をサポートしてくれる。

 女芸人「光浦靖子さん」に外見も声も似たオバサンが、私のサポーター役であった。右隣りの申告者は度のキツイメガネを掛けたオバちゃんで、パソコンが不得手らしく入力はサポーターまかせだ。

 だから光浦靖子さんは殆どそのオバちゃんにかかりっきり、私は一覧表にして資料をまとめているからササッと入力すればすぐ終わるのに、チョコット入力しては黙って次の指示を待ってるだけだ。

 このオバちゃん、パソコンに不慣れなのは同情するけれど、「イヤア生活苦しいのよォ、ホッホッホッ」とか「こんな風にやるのォ。勉強になるワァ」等と私語がやたら多い。「バカヤロー、ここは熟じゃネーゾ、黙ってサッサとやれ」と後頭部をパチンと叩きたくなった。

 それでも20分程で入力を完了した。四苦八苦するメガネのオバちゃんを尻目に、光浦靖子さんへ「どうもありがとうございました。」と頭を下げ、印刷コーナーでプリントアウトしてもらって今年の確定申告は終了した。去年は無かった還付金が、今年は3千数百円戻ってくるようだ。些細な金額だけど還付金があっただけでも無駄足ではなかった。

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テニス仲間と妙高杉ノ原スキーツアー二日間

2016年03月03日 | 旅行

 3月1日(火)~2日(水)     

 先々週片品へ日帰りスキーに行ったテニス仲間達等6名で、妙高杉ノ原へ一泊泊りのスキーに行って来た。出発前夜は大荒れの天気予報だったので雪道運転を懸念したが、それ程悪い天気にもならずタイヤチェーンを付ける事も無く無事に宿(アルファイン秀雲荘)に着いた。秀雲荘には5~6年くらい前に2度程お世話になっており、宿の奥さんが「珍しいお名前だから」と私の名前を覚えていてくれたのは嬉しかった。

 初日の午前中までは強風が吹き一部リフトの運休もあったが、その後は徐々に良い天気に回復した。昨日までの降雪でゲレンデコンディションは上々で、スキー日和の中、全員一緒にスキーを滑った。

 標高1855mの杉ノ原スキー場最高地点

 私以外の男性は皆70歳越え?のはずだがすこぶる元気で、Oさん、Kさんは羨ましいくらい上手に滑るし、Yさんは一時も休まず滑るタフさで感心させられる。K夫人、我妻の女性陣はお上品な人柄?を反映して優雅な滑り、それぞれに思う存分スキーを楽しんだ。

 妙高杉ノ原スキー場はゲレンデは広いし、ゴンドラや高速リフト等の施設も充実しているのに何故かお客の姿は少ない。ワイドで緩やかなコースは我々のような老スキーヤーアンド初心者に向いてるし、上部ゲレンデには40度の壁を含むハードコースもあり上級者だって充分楽しめる。なのに人気が無いのは、山域が地味だからだろうか。個人的には空いてる方がよいけれど、あまりの不人気に「杉ノ原ガンバレ」と応援したくなった。

 ゲレンデから野尻湖、斑尾山方面

 宿泊したアルファイン秀雲荘も良い宿だった。3月から春スキー料金という事で、大人(シニア)一泊二日券付で¥11.000円という価格、シニア二日券が¥7.200円するから実質の宿代は¥3.800円という安さだ。それでいて食事もボリュームがあって美味いし、家族的雰囲気でサービスも良い。コストを考えたら二重丸お勧めの宿です。3月12日から上記のプランで¥7.600円と更に安くなるそうだから、もし条件が良ければもう一度行ってみようかな。

 イヤアそれにしても妙高杉ノ原、楽しい二日間を過ごせました。参加してくれた皆さんどうもお世話になりました。 謝〃

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