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Fさんの日々の記録と山歩き

 山歩きが生き甲斐の団塊世代オッサン、ある事無い事日々感ずるままに綴っていこうと思います。

高さ226mのサンシャインビル展望台から都内を一望する。

2020年10月31日 | お出掛け

 2週間毎に行う膝の治療を受ける為、都内十条の永振クリニックへ出掛けた。寒くなると膝疾患の患者が増えるのか院内は座る椅子も無い程の混具合で、治療が終わるまでいつもの倍以上時間が掛かった。治療を終えると、さて今日は何処へ行こうかと考え、たまには高い位置から街並みを俯瞰するのも悪くはないと池袋のサンシャインビルへ向かった。

 1980年代の完成当時は、日本一イヤ東洋一の超高層ビルと脚光を浴びたサンシャインビルも、その後次々と高層ビル群が建ち並んだ新宿西口や渋谷東口に後塵を拝した感があり人気も薄らいでいる。

 それでも池袋ではランドマーク的存在で、駅から東へ歩いて5分程の巣鴨拘置所跡地に燦然と聳え建っている。駅の東口から「サンシャインシティ」と記された標識に導かれてサンシャインビル地下1階の受付へ行き、大人1200円也の60階展望台チケットを購入する。

聳え建つ池袋サンシャインビル

サンシャインビル入口

 人気の薄さ物語るように展望台への高速エレベーターに乗り合わせたのは私とアベック一組だけ、三密を避ける為にはこれぐらいでちょうどよいのかも知れない。

 30秒ほどでアッと言う間に60階の展望台へ着いた。エレベーターを降りると巡路は反時計回りにグルっと廻るようになっておる。まず南面の新宿方面へ出て、それから東面で東京駅周辺やスカイツリーが見える。続いて北面は赤羽から荒川を越え埼玉の川口方面が見え、西面は眼下に池袋駅今は霞んで見えないが街並みの果てに奥秩父の山々が見えるはずだ。

南面の新宿方面

東面の東京スカイツリー方面

北面の赤羽、川口市方面

西面の池袋駅方面

 展望台の観客は少なく従業員の方が遥かに多い感じ、1200円も払ったのでもっと楽しみたかったが、展望以外にする事は無く30分ほどの滞在で再び高速エレベーターに乗り地上へ戻った。

展望台内部の様子

 埼玉への玄関口である池袋のランドマークだから埼玉県民としてはサンシャインビルに頑張ってもらいたい。そこでチョット宣伝させてもらうと、日本一高層ビルの座を降りたとは言え、60階展望台の高さ226mは東京タワーの展望台より高く、高層建築物の展望地としては東京スカイツリーに続いて日本第2位の高さがあります。

 又周囲に競合する高層ビルが無い為眺めも抜群だ。それに1200円の料金は、東京スカイツリーや渋谷スクランブルスクエアーに比べても格安です。平日ならガラガラで比較的空いているから、コロナウィルス感染の確率も低い。そんなサンシャインビルへ遊びに行ってみませんか。

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日本三百名山回顧№86、新潟県、巻機山(百名山)

2020年10月29日 | 三百名山回顧

 上越県境に雄大な山容を構える巻機山は、沢登りや残雪期の縦走など多くのバリエーションコースが楽しめて、若い頃は毎年のように登った山です。中でも好きだったのが米子沢の沢登りで、ここだけでも3回以上遡行していす。古いアルバムに幾つか写真が残されていたので、下記に掲載してみます。

 昭和56年10月10日(土) 巻機山米子沢遡行

米子沢の遡行

沢の源頭部

 巻機山山頂部

井戸尾根の下りから米子沢の眺め

 

 

 昭和57年10月9日(土)  巻機山米子沢遡行

 当時岩や沢登りの山行を共にしたT君の記録が、会報に残されていたので下記に転載してみます。(今は音信不通となってしまったT君、元気に過ごしているのだろうか。)

05:30民宿「雲天」発 06:00米子橋着 

06:30~07:00雨で一時待機、協議の後決行となる。F1をワラジで快適に登る。水がしびれる様に冷たい。

ヒョングリの滝8m、取付きハーケン1本打つ。中間ビレーは灌木利用、セカンドの私はトップとサードの確保で登る。

3段30m、3段目を懸垂で左へ渡る。残置ボルト1本あったが灌木を利用、左の岩を越えた所に残置ハーケン1本有り、ツバメ岩直下の滝釜にケルンと真新しい花束有り、ツバメ岩に着いて休憩する。紅葉が実に良い。

ここから少し登ると沢は大きく左へ曲がる。チムニー状8m、クラックに腕を入れ越えようとするが、フリクションが効かず岩にシュリンゲを掛けて乗り越す。

2段7m、肩絡み確保で越える。再びゴルジュに入る。右のトラバースバンドを行く。すぐに大滑に出る。最後の4mを越えると小川になる。

11:15~12:00奥の二俣着、装備を外し昼食。12:15巻機避難小屋着、その後井戸尾根を下山。13:58林道に出る。14:30雲天着

※皆が米子、米子と騒ぐ理由が理解できた。普通沢と言えば暗いイメージを持つのであるが、米子沢は明るいのである。又丹沢辺りと比較してスケールが異なるのである。これは登はんの難易度では無く、沢そのものが大きいという意味である。

米子沢のスタート地点

沢の核心部

沢上部の大滑

井戸尾根の下りから天狗岩と割引沢

 

 

 

 それからもう一つ巻機山で忘れ難い思い出は、平成元年5月に谷川連峰の白毛門から巻機山までの雪山縦走で、私が計画して山仲間10名と踏破した痛快な山行でした。会報に私の行動記録が載っていたので、下記に転載します。

期間:平成元年5月2日(夜)~5日 「2泊三日」

参加者:男6名、女4名 計10名

5月3日(水) 晴れのち雪及び雨

06:15土合駅発 10:39~11:00白毛門 12:15~22笠ヶ岳 14:01朝日岳着(幕営)

 白毛門への急登は最初から辛い登りだが、谷川岳の豪壮な眺めが気を紛らわせてくれる。中間地点辺りから残雪地帯となる。何とかもっていた天気がだんだん怪しくなり、笠ヶ岳を越えた辺りから横殴りの雪や雨となった。

白毛門への急登

白毛門から笠ヶ岳(左)と朝日岳(右)

白毛門から笠ヶ岳への稜線

笠ヶ岳山頂?

朝日岳日の登り?

 濡れて冷え切った身体では休憩もままならず、ホワイトアウトの中幾つかのピークに騙された後、やっと朝日岳に辿り着いた。山頂直下の幕営地は広大な雪原で、晴れていればさぞかし快適な場所なのにと残念だ。

5月4日(木) 快晴

06:20朝日岳発 06:40ジャンクションピーク 08:17大烏帽子岳 09:50~10:11檜倉岳 12:31柄沢岳 14:18米子頭山 15:38栂ノ頭(幕営)

 これ以上は無いという快晴の朝を迎えた。谷川岳が手に届くように見え、反対側は日光連山から越後三山に至る著名な山々がひしめき合って見える。そして行く手にはいくつかのうねりの奥に、たおやかな巻機山がある。

朝日岳山頂?

朝日岳付近の稜線

ジャンクションピークから大源太山方面(中央奥の黒い岩峰)

ジャンクションピーク付近(背後に遠く巻機山)

 

 ジャンクションピークから大きく降り、小さなピークを二つ越えて大烏帽子山に着く。そこから更に降って登り返した所が池塘が広がる檜倉山、とても気持ちの良い山頂だ。

ジャンクションピークからの大降り

大烏帽子山付近

檜倉山山頂の池塘

 一旦降って柄沢山への登りが今日一番きつい箇所だったが、皆黙々と頑張り山頂へ着く。更に米子ノ頭山を越えて、いよいよ巻機山への登りにかかる。栂ノ頭が幕営適地だったので、ここにテントを張る。後は5月の陽光を浴びながら、皆で雪上の宴会となった。

柄沢山

休憩中(場所不明)

柄沢山山頂

柄沢山から米子ノ頭山へ続く雪尾根

米子ノ頭山付近

米子ノ頭山と巻機山の鞍部

巻機山の登りから米子ノ頭山方面

栂ノ頭の幕営地

同 上

5月5日(金) 快晴

05:55栂ノ頭発 07:20牛ケ岳分岐 08:15巻機山 08:40避難小屋 10:30井戸尾根登山口 11:10清水着

 出発直後Sさんの体調が思わしく無かったが、間もなく元気を回復し一安心、牛ケ岳へは一部の物を除いて空身で往復する。巻機山からの降りは、雪面に思い思い踏み跡を残してぐんぐん降る。眼下に清水が見えて元気になったのか、皆素晴らしい速さで降って行く。

栂ノ頭の幕営地

巻機山の降り

 そして清水に着くと、一番の楽しみであった「雲天」での打ち上げ、蕎麦と山菜とビールが至福の味だ。連日の好天で真っ黒になった全員の顔が、山行をやり遂げた満足感で輝いている。

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お年寄りの聖地「とげぬき地蔵商店街」を散策

2020年10月27日 | お出掛け

 先日野暮用があったので、小雨降る中都内へ出掛けた。野暮用がアッサリ終わったので、その後JR山手線の巣鴨駅界隈をブラっと歩いてみた。巣鴨近辺には六義園や染井霊園などの見所もあるが、何と言っても一番の人気はとげぬき地蔵商店街で、「お婆ちゃんの原宿」とか「お年寄りの聖地」などとも呼ばれているようだ。

染井霊園(作家、芥川龍之介や谷崎潤一郎など著名人のお墓がある)

 私もお年寄りの端くれ何だが、とげぬき地蔵商店街を歩いた記憶が無いので、どんな所かという興味もあった。巣鴨駅を降りてすぐの白山通りから斜め左へ入るように、商店街の入口ゲートがあった。

巣鴨地蔵商店街の入口ゲート

 商店街はお年寄り達でごった返しているかと思ったら、昼下がりの巣鴨地蔵通りは意外に閑散としていた。天気が悪いせいかそれとも新型コロナが影響しているのだろうか。チョット拍子抜けの感があった。

意外と閑散とした巣鴨地蔵通り

 入口から少し歩くと、商店街の象徴「とげぬき地蔵」が祀られた高岩寺が右手に在った。折角なので参拝し、お賽銭を投じて「我が家の末長き健康と金運」を祈願する。

高岩寺前門

とげぬき地蔵菩薩が安置された本堂

 雨も降ってる事だし、お参りを終えたら巣鴨駅へ引き返そうかなとも思ったが、几帳面な性格なので商店街の全貌を見極めねばと思い更に奥へと進んだ。歩くにつれ、街の賑わいがだんだん薄れてくる。

 資料によるととげぬき地蔵商店街は総延長800m、約200店舗が軒を連ねているといい、けっこう歩きでがある。やがて都電荒川線が並走する栄和通りに達し、ここが商店街の北端だった。

栄和通りの商店街入口

都電荒川線(庚申塚駅が商店街の最寄り駅)

 初めて歩いた「とげぬき地蔵商店街」の印象は、意外に活気が無い。これでは賑わいという点で、ギャル共の聖地「原宿」に完全に負けている。老人大国「日本」で、お年寄りの聖地がこの現状では淋しいという他ない。

 全国に溢れんばかりいるのお年寄りの皆さん、ドンドンとげぬき地蔵商店街へ足を運んで大いに盛り上げましょう。そして名物の塩大福を食べて、還暦記念の赤いパンツを買いましょう。

 

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車中泊用遮光マットを自主制作

2020年10月25日 | 日記

 車中泊については何度かブログで掲載しているが、実際に車中泊をやっていて困る事が幾つかあります。その一つが車の騒音、特に大型トラックなどは一晩中エンジンを掛けたまま駐車しており、そのエンジン音が煩くて睡眠の妨げとなる。そんな時は騒音を発する車から遠ざかり窓を閉めれば、騒音を妨げる事ができる。

 もう一つ困るのが外灯など照明の灯りで、これが車内に差し込んでその眩しさがこれ又睡眠の妨げとなる。その場合はあり合わせのシートなどでその都度対処していたが、ちゃんとした遮光幕が欲しくなってきた。

 車内用の遮光カーテンやマットなどは、カー用品店などで市販の物が売られているが、要は光を遮断できればよいだけの事なので、そんな仰々しい物は欲しくない。そこで遮光マットを自主制作する事にした。

 まず100均のダイソーへ行って「レジャー用銀マット」と「防水すきまテープ」を購入、銀マットをハサミで窓の大きさにカットして、防水すきまテープで縁取りする。

 これで総製作費220円、製作日数0.02日の車中泊用遮光マットが完成しました。さっそく車に取り付けてみたが、中々使い出が良さそうです。これからの車中泊ライフが増々快適になりそうな予感がします。

自作した遮光用マット

マットを装着すると車内はこんな感じ(後部はテントシートで遮光)

後部から見るとこんな感じ

外から見るとこんな感じ

普段は座席の下に格納

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「百名山の人深田久弥伝」という本を読んで

2020年10月23日 | 読書

 深田久弥氏と言えば山岳紀行の著者として、我々中高年登山者には馴染みの深い作家です。代表作の「日本百名山」をバイブルと言うか目標として、山を目指す人も多いのではないだろうか。かくいう私も大いに影響を受けたその中の一人で、三百名山登頂もこれが切っ掛けとなったような気がします。

 そんな深田久弥氏の生涯を綴った「百名山の人、深田久弥伝」という本を図書館で見つけた。作者はノンフィクション作家の田澤拓也さんで、読んでみたら中々面白い内容なので、チョットご紹介してみたくなりました。

 深田久弥氏が急逝したのは山梨県の茅ケ岳山中で、昭和46年3月の事だった。この本の第1章はその終焉の場面から始まります。その当時20歳過ぎだった私はちょうど山に興味を抱き始めた頃で、テレビや新聞で彼の死を報じた事は薄っすらと記憶にあります。

 深田久弥氏の山岳紀行に関する本しか読んだ事のない私は、彼の事を「浮世離れした愚直で一本気な山男」とイメージしていた。しかし本に描かれた彼の人生は、中々波乱万丈なものでした。

 献身的な妻の協力を得て作家として順調に歩みながら、愛人問題が発覚して夫婦の仲は修羅場と化す。そんな妻から逃れるように軍へ招集されて中支戦線へと向かう。帰国して終戦後は愛人だった女性を妻とし、戦後の厳しい経済状況の中、念願だったヒマラヤ遠征の夢が叶う。

 そんな荒波のような人生で、終生変わらなかったのは山へ対する強い憧れと思入れだった。そんな一途な思いを書き綴ったのが、山岳紀行として不朽の名作「日本百名山」でした。

 読み終えて、山の魅力に憑りつかれ山に殉じた男、深田久弥という人物のバイタリティー溢れる強靭な生き様が深く心に残りました。

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コンパクトデジカメ(オリンパスTG―5)の電池の消耗が異常に早くなった。

2020年10月21日 | 日記

 去年購入したコンパクトデジカメ(オリンパスTG―5)の電池が、最近異常に早く消耗するようになった。以前に比べると4~5倍速く消耗している感じだ。買ってまだ1年足らず、なのにもう内蔵電池の寿命が尽きようとしてるのだろうか?

 登山の時に使えなくなっても困るので、近所のケーズデンキへ新しい電池を買いに出掛けた。何と小っちゃなリチウム電池1個が4千円以上もする。しかし無ければカメラが使えないので、渋々購入した。

 さあ新品の電池に取り換えたし今度は大丈夫と次の山行で使ったら、やっぱり異常に早く電池が消耗する。だとすると原因は電池じゃ無くて、カメラ本体にあるとしか考えられない。

 困った時の神頼み・・じゃなくてネット検索で「オリンパスカメラTG-5電池消耗」と入力し調べてみた。そうするとオリンパスのホームページが出て、「よくあるお問い合わせコーナー」に答えがあっさり載っていた。

Q:TG-5で電池の消耗が早いと思った時の確認事項(LOGレバーの確認など)

A:GPSを使う機能がONの時は、GPSを使わない時よりも電池の消耗が早くなります。TG-5で電池の消費が早いと思った時は、GPS機能の設定を確認してください。

 ロガー機能を使わない時は、本体上面のLOGレバーをOFFにしてください。ロガー機能がONの時は、カメラの電源がOFFの時よりも常にGPS情報を取得し続ける為、電池を消費します。

  判ってみれば原因は簡単で、つまり私は自分でも気づかぬうちにログ機能をONにしたままカメラを使っていたから、電池が異常に早く消耗していただけの事でした。

 ロクに説明書を読みもせず使っていた私のいい加減な性格のなせるワザで、誠にお恥ずかしい限りです。原因が判ってりゃ新しい電池なんか買う事無かったんだけど、マア予備用の電池を買ったと思えば、そんなに無駄な出費じゃ無かったと諦めもつきます。

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日本三百名山回顧№85、新潟県、浅草岳(3百名山)

2020年10月19日 | 三百名山回顧

 浅草岳には昭和56年7月と平成26年9月の2回登っています。最初に登った昭和56年7月は、山岳会の会山行で大勢の仲間達と賑やかに登った。前日守門岳を登って、下山後五味沢の音松荘に宿泊し夕食は大盛り上がりの宴会となりました。そして翌日、浅草岳を登ったのですが、当時の会報に山行の記録とN子さんの感想文が残されていたので、下記に転載させてもらいました。

 浅草岳登山行動記録

 昭和56年7月11日(月)  天気=晴れ後雨

06:40音松荘をマイクロバスで出発→ 07:27右沢・白崩沢の登山口より少し先で車を降り、歩き始める。→ 07:54~08:05ヤジマナ沢と林道の合流地点→ 09:30嘉平与ボッチ→ 09:50~10:58前岳(ここで昼食)→ 11:15~45浅草岳→ (急坂の連続) 12:45剣が峰→ 13:33~55沢出合地点→ (沢の難所に行きあたる。残雪の為本来の道が渡れず沢を渡渉、後で他の登山者に聞くと、少し上部に渡れる所があったそうだ。) 14:33登山口に到着→ 14:38只見線、田子倉駅着15:27→ 16:30小出駅17:42→ 21:24上野駅着

 N子さんの感想文

 前からヒメサユリが見たと思っていた。浅草岳の山頂付近にいっぱい咲いていると聞いていたので、無理して行く事にした。土曜日の夜行で出発し、音松荘で皆と合流した。無理して来た甲斐があって天気も最高、今年は残雪が多く林道にもまだ雪が残っていた。

 まず林道の残雪近くでシラネアオイを見つけた。もう感激だ。山から遠ざかっていた為か、子供から解放された為か、「ああ、山へ来たなあ」と感激した。「そんなにしなくても後でいっぱい見られるよ」と皆にバカにされても、私はこの感激を大切にしてカメラに収めた。

 尾根道に入るとコイワカガミやゴゼンタチバナなどが可愛い姿を見せてくれた。昔はいつでも見られ何気なく踏んでいた花が、今の私を待っていてくれたような気がする。

 高さを増すごとにサラサドウダンやオオバスミレ・・・そして出ましたヒメサユリ、五月サユリとも言われピンクの優しい姿が見られた。登るごとに満ちの近くにも沢山のヒメサユリが咲いている。それでしつこくカメラを向けてコンニチワ。

山頂付近の池塘はコバイケイソウ、ウメバチソウ、イワイチョウそしてヒメサユリがいっぱいのお花畑だった。山頂の眺めも素晴らしく遠い山々とピンクのヒメサユリの姿がよく映えていた。

田子倉湖への急な降りは長く、途中鬼ケ面山の岸壁を眺めて一休み、ようやく降り着いた田子倉駅は誰も居ない無人駅だった。冬はここも深い雪の下に眠る駅なのでしょうね。そんな事を考えてホームに座っていると雨が降ってきた。

場所不明(背景の山は守門岳)

山頂直下の雪渓

浅草岳山頂

山頂から鬼ケ面山方面(奥の山は越後三山)

山頂から田子倉湖

下山の道から鬼ケ面山の岸壁

 

 2回目は平成26年の9月に妻と二人で登りました。この山行については既に本ブログに掲載済なので、詳細について下記をクリックしてご覧ください。

浅草岳山頂

 ←クリックしてね。

   

 

 

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東武東上線の運行停止で、沿線は開かずの踏切になっていた。

2020年10月17日 | 日記

 10月13日(火)

 膝の治療を受ける為、3週間ぶりに都内十条の永振クリニックへ出掛けた。ところが東武東上線の駅に着いたら電車が全然動いていない。どうも池袋駅構内でポイント故障事故が発生し、運行がストップしてしまったようだ。幸い東上線へ乗り入れしている地下鉄メトロは動いていたので、その電車に乗って十条駅へ向かい遅れながらも何とか治療を受ける事ができた。

 クリニックでの治療を終えると直ぐに帰るのもつまらぬので、池袋まで歩く事にした。板橋界隈を抜け東上線の踏切を渡ろうとしたら、事故が原因で線路沿いの踏切が全て遮断されて警告音がカンカンと鳴り響いていた。

 困ったなと思ったが幸い近くに線路を跨ぐ歩道橋があったので、そこを渡って線路を越える事ができた。しかし車の人は大変で、踏切前は渋滞となり、警察の人が一生懸命交通整理していた。

遮断された板橋区の東上線踏切

 複雑な運行システムで踏切を開けられないのかもしれないが、事故の度に踏切を長時間閉められるのでは、沿線住民の方々にとっては迷惑この上ない事だろう。こんな状況の時電車が動いていないのは明らかなんだから、鉄道会社は企業努力して踏切を閉じるのでは無く全て開けておくというシステムに変換する事はできないのだろうか。

静かな池袋駅手前の東武東上線(私が池袋で昼飯を食ってる間に、運行が再開

されたので、支障なくな我家へ戻る事が出来ました。)

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羽黒山山頂、出羽三山神社表参道

2020年10月15日 | 山歩き

10月10日(土) 天気=曇り

 古くから山岳信仰の地として名高い出羽三山ですが、そのうちの月山と湯殿山には既に訪れている。そこで今日は残る羽黒山の山頂に建つ出羽三山神社を参拝して来ました。

 山頂へは有料道路が通じており歩かずとも参拝できるが、麓から山頂へ至る表参道の石畳を歩いて登りました。しかしこの参拝道は中々ハードな道程でした。

 麓の入口から山頂の神社までの石段は2446段、これは第2位の金毘羅神宮(1368段)、3位の伏見稲荷神社(1276段)を抜いて、石段の数では断トツ日本一の神社だそうです。

 つまり日本一厳しい参拝路であり、実際に歩いてみると歴史を秘めた杉並木の参道は霊験改かで、流した汗の分幾分多めの徳とご利益があったような気がしました。

 これはもう参拝と言うより軽いハイキングの領域で、今回はカテゴリーを「登山」とさせてもらい、羽黒山&出羽三山神社の見所を下記の写真でザッとご紹介してみます。

参拝巡路

参道入口の鳥居を潜ります。

次に美しい随神門(ずいしん)を潜る。

最初は継子坂を祓川まで降る。

祓川にかかる須賀の滝(車道が無かった昔、参拝者はここで身を清めたという)

一の坂のスタート地点にある爺杉(樹齢1000年で国の天然記念物)

爺杉の上にある国宝五重の塔

石段の中で一番長くてきつい二の坂

二の坂を登り切った所にある二の坂茶屋(時間が早いので閉まっていた)

二の坂と三の坂の間に在る「御本坊平」(昔羽黒山を治めていた「若王寺宝前院」の跡地)

三の坂手前で右に分岐する南谷コース

二の坂程ではないが、長い三の坂

山頂の出羽三山神社入口の赤い鳥居

本殿手前の蜂子神社

出羽三山神社の本殿となる三神合祭殿(現在改修工事中)

茅葺屋根の鐘楼

霊祭殿

最奥部に建つ東照宮

東照宮の脇に並ぶ社殿

出羽三山神社の駐車場

車道を少し降った所から南谷への歩道に入る

南谷への道が右へ分岐する(標識が無いので注意、直進すると有料道路入口へ降ってしまう)

出羽神社歴代神職の方々の墓標のようです。

松尾芭蕉の句碑(旅の途中、芭蕉は過って此処に在った寺院で泊まったそうです)

句碑の近くに在った朽ち果てそうな東屋

細々と水が流れる南谷の石碑

南谷コースから表参道に戻って来た

二の坂茶屋が営業していたので休憩する。

茶屋で注文した抹茶セット(茶屋には電気が無く人の手でついたお餅がとても美味)

茶屋から庄内平野の眺め

 

 古き伝統と文化を色濃く残す羽黒山の出羽三山神社は、日本が誇る歴史的文化遺産です。その厳かな雰囲気に身も心も清められるような気がしました。日本人なら一度は訪れるべき場所の一つでしょう。

 

 

 

 

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山形県、月山登山(詳細)

2020年10月13日 | 山歩き

10月9日(金)      天気=曇り

09:30弥陀ヶ原コース八合目登山口→ 09:43登山道分岐→ 10:51仏生池小屋→ 11:15行者返し→ 11:47~12:20月山→ 12:48行者返し→ 13:09~18仏生池小屋→ 14:08登山道分岐→ 14:18弥陀ヶ原コース八合目駐車場

 

 昨日は出羽三山神社の近くに在る休暇村庄内羽黒に泊まった。Go To 割引で宿泊費が随分安くなった上、更に4000円分の地元割引クーポン券やお米5㎏まで頂いた。恐縮を通り越して申し訳ない気分になってくる。

休暇村庄内羽黒

 朝食を済ました後に宿を出発する。途中の道路が通行止めとなっていたが、迂回路を経由してAM9時過ぎに、弥陀ヶ原登山口の駐車場へ着いた。登山者や弥陀ヶ原紅葉見物の観光客などで、駐車場は多くの車が停り賑わっていた。

駐車場の登山口

 登山口を出発すると、すぐに弥陀ヶ原の高層湿原が広がる。湿原の周遊路を10分程進むと、月山への登山道が右に分岐していた。紅葉の始まった緩やかな道をゆっくりと登って行く。この辺りは既に森林限界を突破して、月山の茫洋として山肌に広がる赤や黄色の紅葉が美しい。

弥陀ヶ原の周遊道

弥陀ヶ原の池塘

登山道分岐

紅葉の登山道

 40年前の遠い昔に、私は一人でこの道を歩いている。鳥海山を山仲間と一緒に登った後、彼らと別れ月山へ来たのだ。あの時は元気な盛りだったから楽々と登った記憶があるが、70歳を過ぎた今は同じ道がけっこうしんどく感じる。

弥陀ヶ原と遠くに鳥海山

 登山口から約1時間20分で、小さな池がある仏生池小屋へ着いた。ここが山頂までの道程の中間地点になる。小屋は既に営業しておらずしっかり閉ざされていた。

仏生池小屋

 小屋から二の岳の東側を巻くように登って行く。東側斜面に紅葉に彩られた行者ケ原が美しい眺めだ。緩やかに登って行くと、やがて行者返しの岩場に着く。

仏生池小屋と遠くに庄内平野と日本海

行者ケ原

行者返し手前の登山道

 岩場は名前程に大した事は無く、一気に登ると再び岩畳の緩やかな道になる。前後の登山者と競うように黙々と登って行くと、遠くに月山の山頂が小さく姿を現した。

行者返し

 台風の影響だろうか、山頂に近づくにつれ東側からの風が強まってくる。岩のゴロゴロした道を東側へ巻き気味に登って行くと、山頂に立つ月山神社へ到着した。登山口から山頂まで約2時間20分の道程だった。

遠くに山頂の月山神社が見えてきた。

山頂の月山神社入口

月山神社

 姥沢コースから登って来る人も大勢居て、山頂は押すな押すなの賑わいだ。山頂神社にお参りした後、東風を避けて山頂の西側斜面で休憩するが、それでも標高2千m近い北国の山に吹く風はすこぶる冷たい。

山頂の西側斜面で休憩

山頂から姥沢コースの尾根

 40年目に泊まった懐かしい頂上小屋は営業期間を終えたのか、しっかり閉ざされていた。30分程山頂に滞在し、寒風に追われるように下山を開始する。景色を眺めつつ各駅停車のようにノンビリ降ったので、登りと大して変わらぬ2時間ほどで弥陀ヶ原の登山口へ戻って来た。

懐かしの頂上小屋

行者ケ原と鳥海山

行者返しを降る。

弥陀ヶ原間近の道

弥陀ヶ原周遊道を降る。

登山口の駐車場に着いた。

 今日は天気に恵まれて名峰、月山の紅葉を存分に楽しむ事ができた。40年ぶりの月山だったがあの頃の記憶は殆ど消えて、70歳過ぎた今夫婦で再び登れた事に小さな喜びを感じる。

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山形県酒田市内観光巡り(詳細)

2020年10月11日 | 旅行

10月8日(木) 天気=雨後曇り

 7日の夜は山形自動車道寒河江サービスエリアで車中泊、8日の朝は雨がそぼ降っていた。月山を登る予定であったが、これじゃ行く気にならない。妻が「酒田で市内観光でもしようよ。」と言うので、急遽予定を変更し今日は酒田市観光巡りをする事になった。

 酒田市街地に着くと雨も止みソコソコ観光日和の天気になった。海鮮市場が併設された酒田港の駐車場に車を停めて、散策しながらアチコチの観光ポイントを彷徨ったので下記の写真で簡単にご紹介します。

酒田市内散策図

明治26年に建てられた庄内米保管倉庫(連ねる巨大倉庫群が壮観)

庄内米歴史資料館入口(倉庫の西端にある)

館内の様子

米俵(60㎏)の重さを体験するコーナー

酒田夢の倶楽(倉庫の東端にある)

館内の様子(こちらは無料でNHKテレビ小説おしんの映像コーナーがある。)

庄内米を運んだ小鵜飼船

酒田夢の倶楽前から見える鳥海山

旧本間家邸宅本館入口(本間美術館と共通チケットで入館料850円)

本間家邸宅別館入口

別館邸宅内の様子(以前は商店であったとの事)

酒田市役所前

海晏寺の三重の塔

本間美術館(古い書の展示物がほとんど)

美術館に併設されている本間家別邸の庭園

本間家別邸(昭和天皇や歴代要人も宿泊した由緒ある建物)

別邸から庭園を眺める

酒田港の海鮮市場(2階に海鮮食堂「海鮮どんやとびしま」がある)

海鮮お勧め定食(¥1500円)と予期魚定食(¥1000円)安くて美味い、ここの食堂は絶対お勧め。

酒田港から飛島へ出港する定期船とびしま

築110年の古い料亭、国の登録文化財

日和山公園の池にある復元した北前航路の千石船

公園内の日本最古級の木造六角灯台

公園内の日枝神社

JR酒田駅

 

 

 

 

 

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月山登山

2020年10月09日 | 山歩き

10月9日(金) 天気=曇り
0920弥陀ヶ原駐車場➡1147月山山頂 1220➡ 1418弥陀ヶ原駐車場

関東地方は雨のようですが、今日の山形県はソコソコ良い天気でした。そんな中、山形県の名峰、月山を登って来ました。
登山口の弥陀ヶ原に着くと、駐車場は紅葉目当ての登山者でかなりの賑わいでした。
月山はたおやかな山容で、岩のゴロゴロした登山道を登って行くと、紅葉はちょうど見頃で、遠くには鳥海山も望まれ、素晴らしい眺めでした。
登山口から約二時間余で社殿が建つ月山に到着した。山頂からは北に鳥海山、西に庄内平野や日本海が眺められ、素晴らしい展望を満喫しました。紅葉の月山を登る事ができて、遠路東北までやって来た甲斐がありました。尚登山の詳細は後日のブログで紹介します。

月山の紅葉

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登山を諦め、酒田市内観光巡り

2020年10月08日 | 旅行

10月8日(木)
紅葉の月山を登ろうと、昨日の午後我が家を出発、昨夜は寒河江サービスエリアで車中泊した。
朝目覚めたら、シトシト雨が降っている。登山を諦め、酒田市内観光に切り替える。
最上川の河口に開けた酒田の街は風光明媚な所です。
見所も多く、山居倉庫や本間邸宅、本間美術館などの観光巡りをする。
昼飯は酒田港の魚市場二階食堂で食べた海鮮定食が安くて美味でした。
今宵は羽黒山神社の麓にある休暇村庄内羽黒に泊まり、明日天気が良ければ月山を登ります。

本間美術館にある本間家別邸の庭園

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日本三百名山回顧№84、新潟県、守門岳(2百名山)

2020年10月06日 | 三百名山回顧

 久しぶりの三百名山回顧、今回は新潟県の只見線沿線にたおやかな山容を立ち上げる守門岳です。この山に登ったのは昭和56年の7月、40年近くも前の遠い昔の話です。

 当時所属していた山岳会の大勢の仲間と一緒に登ったのですが、まだ会に入って間もない頃で、この山行がきっかけとなり仲間達との距離が一挙に縮まったような気がします。

 当時の会報を掘り起こしたら私の拙い感想文が小さく載っていたので、恥ずかしながら下記に転載してみます。

昭和56年7月10日(日)

 05:40猿倉橋→ 06:15~30護人清水→ 10:20~11:40青雲岳→ 12:25~45守門岳(袴岳)→ 16:00田小屋

 

 恥ずかしながら、守門岳は数年前に道を間違えて登れなかった山で、今回はそのリベンジのつもりで参加した。今回はヴェテランの先輩方とご一緒なので心強い限りです。

 天気は上々暑い陽ざしの中、見通しの効かぬ尾根を額を汗に黙々と登って行く。爽やかな新緑と時折り聞こえる沢の音が慰めです。やがて頂上の一角に辿り着くとそこは素晴らしい別天地、草原と池塘そして残雪が広がる風景画のような眺めだった。

青雲岳から守門岳(袴岳)?

守門岳(袴岳)山頂

 今日の守門岳は我がK山岳会の貸切で、頂上に陣取り大園遊会を開催する。こんなに和気あいあいと安らぎのある山行は初めてです。あんまり安らぎ過ぎて下山の道を間違えたけれど、これとて山行の思い出作りと言えなくもない。楽しい一日となりました。

藤平山コースの下山道から守門岳?

下山道の雪渓

 

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箒木蓬生さんの長編小説「逃亡」は読み応のある本です。

2020年10月04日 | 読書

 先日の北海道ツアーでは長旅の退屈しのぎに、ぶ厚い長編小説を2冊借りて読んだ。そのうち1冊が箒木蓬生の小説「逃亡」だった。この本は622ページにも及ぶ長編で、最後まで読めるだろうかと危ぶんだが、戦争の真実を掘り下げたスリリングな内容で実に面白く寸暇を惜しんで読んだ。

 時は終戦末期、物語の主人公守田軍曹は占領地「香港」に勤務する優秀な憲兵隊員だったが、日本が敗戦し地元民に憎まれていた憲兵隊員は、収容所送りとなり死刑など重い懲罰を受ける可能性が高かった。

 敵軍から武装解除される日の朝、守田軍曹は思いを同じくする同僚と結託し、憲兵隊の施設を密かに脱出する。それから彼の長い逃亡生活が始まる。身分を偽り何とか日本への帰還を果たし、再び妻や子との慎ましやかだが平穏な生活を得るが、それもつかの間戦犯として警察の追及を受け、家族の元を離れ再び孤独な逃亡者となる。

 長い流浪の末、妻が送ってくれたコートを質屋に持ち込んだ事から足が付き、彼は警察に逮捕される。巣鴨の戦犯刑務所へ送られて、このまま香港へ送還され処刑されるだろうと覚悟を決めた彼は、憲兵勤務の中で犯した自分の罪と向き合う贖罪の日々を過ごす。

 そんなある日、檻の前に米軍兵士らが立ち彼を檻の外へと連れ出す。この後の守田軍曹の運命は如何に、・・・意外な結末はこれから読み人の為に言わない事にしましょう。

 戦犯となった加害者側の立場で戦争の過酷さを描いたこの小説は、国や社会、そして軍隊とは何だったのか、戦争の不条理を読む人に深く考えさせてくれる力作です。

 

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