風に吹かれてぶらり旅

まっすぐに生きる人が好き

ミーコへ

2006-04-04 02:10:27 | 徒然
 今日は4月に入って最初の月曜日で、会社は新年度が始まり、
新入社員の入社式が行われていたりするのだろう。
今朝はそんな門出の日にふさわしい、澄んだ青空だった。

 2006年4月3日午前3時40分、三毛猫のミーコは16年の生涯を終えた。

 ミーコの誕生日は知らない。
でも最期は看取ることができてよかった。
ミーコは私の腕の中で息をひきとった。
前のブログを書いてから床に就こうとしたのだけど、
ミーコが気になって眠れなかった。
だからミーコのそばにいた。
ミーコがもぞもぞしたかと思うと「ミャン」と思いがけず鳴いたので驚いて見てみると
おしっこをしたようだった。
おしっこマットを変えようとミーコを少し持ち上げたら、ミーコの様子が急変してしまった。
呼吸の間隔が3秒に1回くらいになって、荒い感じになってしまった。
慌てて、そっとミーコを寝かせ、バスタオルをかけた。

もう瞳孔の開きかけた右目も、左目も両方開いて、はき捨てるように呼吸している。
もう行っちゃうんだと思った。持ち上げなければよかった。
でもそんなことを今更思っても仕方ない。
私もホットカーペットに寝そべって、ミーコの寝ている座布団ごとミーコを抱いた。

 ほんの数秒後、ミーコを見るともう呼吸をしていなかった。
さっきまでそこにいたミーコはもう旅立ってしまった。
ドラマチックに仕立てるつもりなんか、全然なく、本当に腕の中で行ってしまった。

よく猫が亡くなる時は、飼い主の前から姿を消すなんて聞くから
ミーコも姿を消すんじゃないかと少し思っていたけど、そんなわけないよね。
ずっと屋内飼いだったし、ミーコは家の中の世界がすべてだった。
それに、もう足腰が立たかったのに姿を消せるわけない。

 
 もう、泣きたくないのによう、涙がでるよ、ミーコ。
まだ昨日の目の腫れがひかなくて、さっきお風呂でマッサージして少し回復してきたのに。
この場を借りて、ミーコへ

 ミーコが死んでからもうすぐ1日経つけど、全然実感がなくて、
ミーコがいつもいた台所にはまだミーコの気配がするんだ。
気配がするってことはまだ、ミーコはそこにいるんだろうね。
今気がついたけど、私はこんな風にミーコに色々語りかけてたよね。
「疲れた~~~~~」とか
「かわいい~~~~」とか
「うるさい!」「静かにしなさい!」とか
「ミーコさんどう思う?」とか
「チーズ食べる?」とか
「ミーコのバカ」とか
「肉球プニプニ~~~」とか
「ミーコさん大好き」とか
あと色々、今日あったこととか訳のわからないことをミーコにぶちまけてた気がする。
 振り返ると、ミーコと過ごした時間はないようで結構あって、
ミーコと撮った一番古い写真は弟も私もまだ小学生のポラロイド写真だった。
私はミーコが家に来た日のことをよく覚えているよ。
紙袋に入って、ノミだらけで、まだ小さい猫だった。
2回シャンプーをしてやっとノミの姿がいなくなったんだ。
シャンプーをするとすんごく痩せてしまったように見えて可哀想だと思った。

ミーコにぬいぐるみ用の洋服を着せて、それがミーコにぴったりサイズで、友達と遊んでいた。
でもある日その洋服が入らなくなった時があって、ミーコの成長を感じたんだった。

 あとは…ミーコのことをよくいじめたよね。
掃除機で吸ったこともあったし、靴下を顔にかぶせたこともあった。
しっぽを洗濯バサミではさんだこともあった。
今考えると、ヒドイよね、ごめんなさい。

若い頃は全然人になつかない猫だった。
だから人なつこい猫に出会うと「ミーコもこうなってくれないもんかね」と思ってたよ。
友達にお前を紹介しても、引っかいたり噛んだりしてさ、
私としてはミャーンといってひざの上にでも乗ってきてほしかったんだけどね。

 でも晩年、2年前くらいから私はミーコと仲良しだった。
なんでだか、ミーコが気ままにしているのを見てるのが楽しくなった。
たまに気まぐれにひざの上に乗ってきたり、赤ちゃんみたいに抱っこして
揺らすと目をほそめて心地よさそうにしているのを見てると幸せな気持ちになったもんだよ。
6年前にリフォームして扉や壁がきれいになったから
そこに爪とぎをすると家族みんなでミーコを叱ったね。
でも、今はそのガリガリしてケバケバしたところもミーコがいた証で
なんだかいとおしく思うよ。

 もう、ミーコは帰ってこないんだね。
不思議とそんなに寂しくないよ。
ただ、もうミーコ柔らかくてあったかい体に触れられないと思うと寂しい。
ミャーと鳴いてくれないと思うと、やっぱりすごく寂しい。
でも、やっぱり16年も家にいたから目をつむるとミーコのシルエットがそこにあるんだよ。
布団の上にズシリと寝転がるミーコの重みも思い出せるし、
足を揃えてお行儀よくお座りしてこちらを見ているミーコの姿も目の前に描ける。
ミーコが苦しんでいるのを見ている時が一番辛かった。
ミーコは今どんなこと考えているのかな。
「死ぬ」ってどんな感じだった?
私の腕の中で数秒前まであったお前の命は一体どこへ消えちゃったの?

私は、勝手にこう思うんだけど・・・
ミーコに甘えていたんだと思うのよ。
なんていうか、私の精神的に幼い部分をミーコが補っていてくれたというか、
ミーコをはけ口にしていたというか…。
ミーコの前なら素直に泣けたし、バカみたいなこともできた。
ミーコの前では全然飾らなくてよかった。
強い自分でいる必要なんてなかった。
ミーコがいるから寂しくなかったときもあった。
そうやって私自身の気持ちのバランスをとっていたところがあるのかもしれないよ。
精神的にとても助けられていたんだと思う。

でも、おばあちゃんと同じように、ミーコも私の心の中にいて、
呼び出せば出てきてくれるんだよね。
そう思うとあんまり寂しくない。
いつまでも哀しんでるわけにはいかなし、なんか少しほっとしたところもあるんだ。

これからもミーコを心の頼りにすると思うけど、
お前のぶんも頑張って生きるよ。
最期まで、生き抜いたミーコの生き様は誇りに思うよ。
小さいのに、どうしてそんなに強いんだろうね。
ありがとうね、ミーコ。
本当に、楽しい時間をどうもありがとう。
どうか安らかに眠ってください。
おやすみ、ミーコ。

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2 コメント

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ミーコお疲れ様 (敬ママ)
2006-04-06 20:59:01
本当に看取るって、感慨深い。私も昨年暮れ実家の祖母を看取った。さっきまで息をしていたのにね。でも、傍に入れたことが何よりの救い。ミーコ幸せだったね。

私はと言うと、名古屋に引越し慌ただしくしています。気が付くと出産まで三ヶ月をきっていました。

またね。元気出してね。
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ありがとうございます (ほん)
2006-04-09 01:07:12
敬ママさん、コメントありがとうございます。本当に最期に側にいられたことは良かったと思います。敬ママさんのお祖母さまも家族に囲まれて旅立たれたのはきっと心強かったと思います。自分が死ぬ時も家族に見送って欲しいと思いますから‥

もう引っ越されて環境が変わったり出産を控えていたりと本当に慌ただしい様子ですね。新しい命の誕生を心待ちにしています。

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